「播磨の法隆寺」・・・鶴林寺
■「兵庫の本」という本を買った。兵庫県内の観光、史跡、グルメを紹介したガイドブックだ。これによると県下には六つの国宝があり、うち五つが播磨に集中しているという。そのうちの姫路城を除く四つの古刹を巡る小旅行をした。マイカーでの家内との二人旅だった。
■朝9時に自宅を出た。高速を避けて一般道優先のナビガイドに従った。高速道の味気ない風景と違って、新緑の裏六甲ののどかな風景が車窓を流れる。途中、「道の駅みき」に立ち寄った後、三木鉄道の廃線跡を右に見ながら西に進む。加古川の土手沿いに南に向って進み、最初のスポットである加古川市の鶴林寺に着いたのは10時過ぎだった。
■山門前の石碑には「新西国二十七番霊場」と刻まれている。「播磨の法隆寺」の異名を持ち聖徳太子創建と伝えられる古刹である。500円の拝観料を払い境内に入る。左に迫力ある三重塔が、正面には国宝の本堂が目に飛び込む。三重塔奥の新薬師堂には薬師如来や日光・月光菩薩や四天王などの像が祀られている。本堂右手には重要文化財の鐘楼が、その右手に観音堂、鐘楼の前に国宝・太子堂が建ち並び、七堂伽藍の威容を誇っている。鐘楼奥には宝物館がある。拝観チケットで自由に見学できる。絵画・聖徳太子像や木造・釈迦三尊像の重要文化財が陳列されている。拝観の後、鶴林寺を取り巻く鶴林寺公園を散策した。左右に二つの藤棚があったり、昔懐かしいSLが保存されていたりする。芝生広場では子連れのヤンママたちがお弁当を広げていた。
一乗寺の国宝・三重塔の威容
■次の訪問地である加西市の一乗寺に向う。鶴林寺から車で30分ばかりの山腹にあった。有料駐車場から境内に向う入口に西国二十六番の石碑がある。拝観料400円を払って、長い石段を昇る。頭上に見える国宝・三重塔の威容が徐々に大きくなる。平安末期建立の日本屈指の古塔である。この下からの眺めに加えて、一段高い位置に建つ本堂から見下ろす眺めも格別だった。更に石段を昇ると本堂右手に江戸初期に再建された鐘楼がある。その横の坂道を登り裏手から本堂に参内する。本堂裏手から奥の院にお参りして参詣を終えたのは12時半頃だった。
「ふく蔵」の焼きあなご膳に舌鼓み
■いよいよ昼食である。ガイドブックには一乗寺近くの「ふく蔵」が紹介されている。富久錦と描かれた煙突のある造り酒屋の建物棟が見えてきた。駐車場横の藤棚には白と藤色の見事な二本の藤が満開の花房を垂らしていた。小川にかかる橋を渡り風情のある事務所建物の裏手のレストランに入る。酒蔵を改装したかのような店内は1階はお酒を中心とした物販コーナー、2階がレストランになっている。木の香り漂う屋根裏の趣きのレストランである。ふく蔵弁当と明石産焼きあなご膳を注文する。食前のゑびす生ビールが空きっ腹に心地よくしみとおる。私が選択した焼きあなご膳は、あなごの美味しさだけでなくごぼうの炊き込みご飯や粕汁などもついて1650円と値段も安く大満足だった。酒を嗜まない連れ合いドライバーに感謝しながらマイカーで次の古刹を目指した。
浄土寺の国宝・阿弥陀三尊像の迫力
■ふく蔵から東15kmほどの所の小野市に浄土寺があった。境内には浄土堂を中心に鐘楼、八幡神社の本殿と拝殿、薬師堂、開山堂、経堂、文殊堂等の伽藍が建ち並ぶ。特筆すべきは鎌倉初期建立の国宝・浄土堂である。拝観料500円を払って入堂する。大きな阿弥陀如来像が左右に観音菩薩像、勢至菩薩像を従えた迫力ある姿で中央に安置されている。堂内では住職らしき人が参詣者に解説をしている。背後の西側の蔀戸から差し込む夕日が床に反射してご来迎の光を放つという。残念ながら陽はまだ高くご来迎にはご縁がなかった。 
山中の古刹・静寂の朝光寺
■最後の訪問地の朝光寺は、そこから北東15kmほどの加東市社町の山腹にあった。ナビは「目的地周辺に着きました」とアナウンスするが一向にそれらしき建物は見当たらない。少し引帰して草取りをしているおばさんに尋ねた。駐車場横の川沿いの小道を進んだ先にあるとのこと。良く見ると「朝光寺」「つくばねの滝」の案内看板があった。小道を進むほどに滝から落ちる水音のせせらぎが大きくなる。山門下の石段の前から滝の姿が見える。石段を昇り山門前に来ると本堂、多宝塔、鐘楼の風格あるたたずまいが見渡せる。室町時代に建立されたという本堂は国宝に指定され、鐘楼もまた国の重要文化財である。格子戸越しに本堂内陣の本尊や厨子の姿が見えた。驚いたことに、訪ねた折りには国宝のこの古刹には坊守りが誰もいなかった。仏像の盗難や防災上のセキュリティーは大丈夫なのだろうか。参詣後、境内横の坂道を降りて行くとつくばねの滝の真上に辿り着いた。めったに見ることのない滝の上からの眺めを愉しんだ。
 一般道を辿って4時半頃に自宅に帰り着いた。近場にこんなに貴重な文化財があったことを気づかされた小旅行だった。