■9月26日〜28日に二泊三日で地域の知人グループの懇親ツアーに出かけた。函館空港経由で函館市内観光、浅虫温泉、奥入瀬渓谷、十和田湖、薬研温泉、恐山、大間港を巡る旅だった。今回は輪番制で私が幹事役を務めた。大手旅行会社の担当者と3回ばかり打合せを重ねメンバーの意向を確認後最終的な日程と旅程を確定した。
■朝6時過ぎにバスで山口を出発し7時半ごろに関西空港に到着。ANAで函館空港に到着後、手配のバスで早速市内観光に出かけた。空港からすぐ近くの「函館 トラピスチヌス修道院」が最初の訪問地だった。明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が設立した日本初の女子修道院である。公開された園内には、テレジア、ジャンヌダルク、天使ミカエルなどの聖像や資料館がある。
■ 続いてJR函館駅前の函館朝市を散策した後、市場内のすずや食堂での昼食となる。元祖朝市丼と名付けられたいくら、ホタテ、うにがたっぷりのっかった海鮮丼を味わった。
 昼食後、函館山麓のロープウェー駅前の駐車場で下車して元町を散策した。本願寺函館別院のひと際大きな甍屋根を右手に見ながら和洋折衷の伝統的建造物が数多く残る街並みを進む。二十間坂、大三坂、チャチャ登り、八幡坂、日和坂などの風情のある坂が次々と登場する。印象的だったのはロシヤ正教会の風情を残すハリストス教会だった。北西の端には明治43年竣工の風格のある洋館「旧函館区公会堂」があった。その前の元町公園を抜けて右手の旧イギリス領事館を訪ねた。
■バスに乗車しベイエリアの赤レンガ倉庫群に向かった。 明治末期に建造された営業倉庫で、現在はビヤホール、レストラン、ショッピングモールに生まれ変わったレンガ造りの倉庫群である。函館港が広がる開放的な水際エリアを自由散策をにひとりで愉しんだ。
 再びJR函館駅に到着し、15時55分発のスーパー白鳥40号に乗車する。津軽海峡線の青函トンネルを抜けて青森駅に到着。手配のバスに乗車すること20分で陸奥湾沿いの浅虫温泉に到着。ひと際大きい建物の「海扇閣」に6時過ぎにチェックインした。大浴場で汗を流した後、宴会が始まった。幹事役として司会進行しなければならない。きっちり宴会のお品書き画像を撮り忘れた。とはいえ、地域の仲間たちと久々に交流懇親を深め9時半頃にお開きの合図を送った。
■昨晩の宴会終了間際に、メンバーの女性の一人が急に腹痛を訴え横になった。見る間に顔が真っ青になり脂汗が滲んできた。友人の女性二人と添乗員が付き添って急きょホテルの車で青森市内の病院に搬送してもらった。幹事としてホテルでスタンバイし、逐次、添乗員と連絡を取りながら留守宅にも一報を入れて対応を指示した。幸い血液検査等では異常はなく徐々に回復した模様だった。12時過ぎに4人がホテルに戻り事なきを得た。旅行の幹事役のめったにない貴重な経験をさせてもらった。
■前夜のトラブルにも関わらず今朝はやっぱり6時前に目覚めた。雄大な陸奥湾を眺めながらホテル周辺を散策した。7時からの朝食バイキングは地元食材をたっぷり揃えた味わい深いものだった。九つの枡目に仕切られたトレイに色鮮やかに食材を盛り付けた。
 9時過ぎにホテルを出発して「ねぶたの里」に向かった。20分ほどして到着した山中の体験型施設は予想以上に感動的な施設だった。広大な敷地の大きな建物内に足を踏み入れた途端、アノお馴染のねぶたの迫力ある幾つもの山車が目に飛び込んだ。せいぜい1、2台の展示という予想を完全に裏切る10台もの展示だった。一巡した後、10時ちょうどから「ねぶた運行体験ショー」が始まった。地元の囃子方の笛・太鼓・鉦の生演奏、参加者が輪になって飛び跳ねる踊り手「跳人(ハネト)」体験、ねぶたの現物を実際に見学者たちで曳いてみる曳き手体験などをはしゃぎながら楽しんだ。
■次の観光スポット「奥入瀬(おいらせ)渓流」には11時半頃に到着した。50分ばかりを森林とせせらぎに包まれて渓流散策した。遊歩道脇の木々の下に転がっている栃の実拾いに興じたり、次々現れる様々な滝の景観にカメラを向けた。ゴール地点には広い横幅で流れ落ちる水量豊かな銚子大滝が待っていた。
■1時半頃に十和田湖畔のレストランたかさご屋に到着した。ホタテ、ニジマスのちゃんちゃん焼とイカ刺しの昼食を味わった。その後の自由散策で湖畔を伝って高村光太郎の最後の作品「乙女の像」を観た。二人の乙女が向かい合って立つ像である。乙女の彫刻像としては珍しいポッチャリ系であるが「はちきれんばかりの生命力に満ちた像」と言えなくもない。
■途中でトイレ休憩を挟みながら二日目の宿泊施設である薬研温泉の「ホテルニュー薬研」に6時前に到着した。斧に見立てられる下北半島の斧の上部にあたる山中の秘湯である。早速浸かった大浴場は浴槽、内装ともにヒノキに包まれたいかにも秘湯という雰囲気の温泉だった。7時半からの宴会は、サーモン、マグロ、イカ、海老などの海の幸や木の芽、南瓜、小茄子、飯茸・枝豆の釜飯などの山の幸の懐石料理だった。宴会終盤から始まったカラオケが二次会のラウンジにまで及んで大いに盛り上がった。大杯の焼酎ぐい飲みでへべれけの同室者を気遣いながら眠りに就いたのは12時過ぎだった。
■ツアー三日目の朝も5時過ぎに薬研温泉のホテルで目覚めた。秘湯温泉で二度目の入浴を済ませて6時頃には朝の散策に出かけた。フロントで薬研渓流のガイドマップを貰い、ホテル前の県道の北側を流れる薬研渓流を散策した。30分ほど歩いてようやく「大滝」の絶景を目撃し、「乙女橋」の吊り橋を往復した。予想外の距離に少し狼狽しながら急いで帰路に着いたが、7時の朝食に10分遅れで到着した。
■8時にホテルを出発したバスはさっき見たばかりの薬研渓流の大滝付近を下車見学し、今日のメインスポットの恐山に向かった。下北半島の斧の中央部に位置する日本三大霊山のひとつ恐山には8時45分頃に到着した。1200年前に慈覚大師円仁によって開基された霊場である。バスを降りると背後を低い山並みに囲まれた広大な境内に建つ堂々たる伽藍が目に入った。本尊の地蔵菩薩にちなんで左手に大きな六大地蔵の石像が建っている。恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称で、恐山という名の山はない。
■総門をくぐり、左右に石燈籠の並ぶ長い参道の先に山門がある。山門左手に本堂があり、山門先の左右に湯殿が建っている。霊場内に湧き出る温泉を利用した参拝者用の湯治場でもある。山門から更に続く参道の先に、本尊の延命地蔵菩薩を安置した実質的な本堂ともいうべき地蔵殿の威容が建つ。地蔵殿左手から順路に沿って霊場巡りを始めた。荒涼とした地肌の霊場のここかしこに小石の山が積み上げられている。毒々しい赤い風車が風を受けて回っている。硫黄のにおいが鼻につく。まさしく地獄をイメージさせる光景が目前に広がっていた。無間地獄、大師堂、先手観音、水子供養本尊などを経て八角堂に着いた。お参りしようと格子戸を押して堂内に足を踏み入れた途端に異様な雰囲気に包まれた。正面の着衣の本尊の左右に使い古した衣類の数々が積み上げられている。故人の遺品を遺族たちが納めたもののようだ。宇曽利湖畔には真新しい震災慰霊塔が建っている。昨年7月に建立された東日本大震災の慰霊碑である。湖畔から五智山展望台を回り本堂横に出た。本堂で参拝を済ませて総門前の集合地に急いだ。
■恐山を後にして下北半島の東海岸沿いに最北端の大間崎に向かった。大間崎の海岸淵に建つ展望台には、「本州最北端の地」の石碑と「まぐろ一本釣りの町・大間」のモニュメントが建っていた。快晴の空の下、20kmほど先の函館山、五稜郭タワーなどの函館の風景が展望できた。お土産屋の並ぶ一角を抜けて駐車場に着いた。すぐそばで美味しそうなまぐろの心臓焼きや殻付き生ウニを売っていた。小屋の中で早速一個500円の生ウニを味わった。何とも言えないコクのあるとろけるような大粒のウニだった。
■大間崎から5kmほど南に下った佐井村の「津軽海峡文化館アルサス」の「まんじゅうや」という店で昼食をとった。イクラ、ウニ、まぐろの海鮮丼だった。大間崎に戻り、函館フェリーに乗船した。函館〜青森間を往路は青函トンネル、復路はフェリーという趣向である。1時間40分の航路を一眠りしたり、風景を楽しんだり、仲間とおしゃべりしたりして過ごした。函館港から手配のバスで函館空港に向かい、17時20分発のANAに搭乗し関西空港に向かった。関西空港からは手配のバスに乗車し、車中で関空のサブウェーで調達したサンドイッチで夕食をとり、山口には予定通りの9時15分頃に到着した。二泊三日の懇親ツアーの幹事役からようやく解放された。