2000年9月例会 |
9月20日(水) 「尼崎に嵐を呼ぶサラリーマン」 | |||
■ 9月11日、例によって岡さんからの「大阪さくら会」9月例会の案内メール。
次のようなそそられるメッセージも添付されている。
■ 乾杯の後、本番突入。テーブルに並べられた魚介類、野菜(ナント、松茸も・・・)を、個人用鍋で各自お好みのタレで戴くという趣向。もちろん宮川さん持参の明石昼市のハマチや鯛のお刺身もどっさり。ほどなく目玉商品の発表。宮川さん提供の南氷洋の極上の鯨肉1kg!!チルドのお刺身状態(ルイベ)で豪華に登場。 さて美酒はといえば、これまた新潟の銘酒「越乃寒梅」「雪中梅」が支配人の手配で並べられる。 ■ 井上さんから「料亭かんざき」支配人の山下孝夫さんが紹介される。住友精密工業から子会社「住精サービス」に出向中とのこと。住精サービスの取締役にして「かんざき」の支配人でもある。彼のプロフィールはひとくちでは到底言い尽くせない。手元に当日頂いた「週間東洋経済」(1999.10.9号)の彼の取材記事のコピーがある。 京大経済学部卒業後、住友精密で27年間を過ごしたエリート社員の自由奔放なサラリーマン人生が語られている。「会社人間である前に人生をおおいに楽しめ」をモットーに部下を巻き込んでの能狂言、歌舞伎、浪曲、義太夫の芸特訓。部内新人忘年会歌舞伎の上演等々。やり過ぎて43歳の厄年には窓際族の仲間入り。それを逆手に以降は「面白なんでもプロデューサー」を自称し、社外イベントに汗を流す。「熊野古道ピア」で人形浄瑠璃公演のプロデュースや「井原西鶴の世界史的評価」をテーマに近畿大学や大阪教育大学での講演。義太夫、能、河内音頭、浪曲、常盤津の芸事を師匠についての挑戦。昨年6月に「住精サービス」に出向。「かんざき支配人」の肩書をフル活用して食通武装でメニューの大改革。「大阪にわか」の継承者・露の五郎一門を招いての「宴会寄席」の開催。尼崎市民まつりでは「海路の熊野・尼崎パレード」と称する仮装行列で参加。と書き尽くせないほどのエピソードが綴られている。 サラリーマンの可能性の大きさと深さをつくづく思い知らされる人物である。宴席の盛り上がりの中で、支配人の得意の義太夫が披露され、やんやの喝采。取材記事は、こう結ばれている。「出過ぎたクイはもう打てぬ」を持論に社内外の人脈フル活用でこの10年余を走り続け、今”尼崎に嵐を呼ぶ男”は大忙しである。」 ■ 支配人の迫力に圧倒された後、初参加の高橋さん、矢野さんを皮切りにメンバーたちの近況報告の開始。不況下での会社人間たちの職場環境の厳しさ、老後を見据えた泥縄の夫婦愛、親たちの介護問題等々・・・が、こもごもに語られる。50歳の元気印そのものの支配人に比べなんとも意気上がらない50代中心のメンバーたちの近況ではある。 とはいえ、こうした交換を通じて、異なる環境の様々のサラリーマン人生に触発され、あらためて自分自身を見詰め直し、明日に向っての気概を貯える機会になっているのかもしれない。「さくら会の原点に戻る」との主催者の意図はじゅうぶん達成された9月例会だったのではないか。午後9時30分、予定より30分オーバーの閉会。メンバーたちの千鳥足がJR尼崎駅に向う。 |