2007年11月例会

 11月21日(水) 奈良の地酒の若き五代目が語る技術と夢
11月例会が開催された。案内状には「日本酒発祥の地・奈良の地酒の若き五代目が技術と夢を語る」とある。酒には目がない多くの会員にとってなかなか魅力的なテーマである。
 7時過ぎに開会。井上代表幹事の挨拶に続いて今回の企画の紹介者である北村さんから経過と趣旨が語られた。
 講師は豊澤孝彦・奈良豊澤酒造(株)専務取締役である。奈良の地酒醸造元の34歳の若き五代目である。18頁に及ぶ自作の資料が参加者に配られ、スピーチが始まった。
■以下はスピーチの概要である。『 奈良の酒造りの歴史は710年の平城京遷都にまで遡る。平城京には朝廷向けの酒造りの司が設けられていた。平安時代に中国から麹が伝来し酒造りの技術がレベルアップした。平安末期には寺社での酒造りが盛んだった。
 日本酒は精米歩合の度合いで分類される。精米歩合が70%以下の場合「本醸造」、60%以下が「特別純米」、50%以下が「大吟醸」といった具合である。当社の場合で゙言えば「上撰・豊祝(70%)」「純米酒・豊祝(62%)」「純米吟醸・無上盃(55%)」「大吟醸・豊祝」となる。精米歩合の度合いによって価格も異なる。
 「精米」「洗米・浸漬」「蒸し米」「放冷(ほうれい)」「麹つくり」「酒母(しゅぼ)」「もろみの仕込み」「しぼり」「火入れ」「貯蔵」「瓶詰め・出荷」といった酒造りの工程が様々なエピソードや想いを交えて紹介される。「酒のできばえを左右する麹づくりは手づくりにこだわっている」「熟練の職人は麹の温度を手で確かめる際にプラスマイナス0.5℃の範囲で当てられる」等々。
 私のこれからの酒造りは「守るべきものと変えていくべきもの」を明らかにすることだ。変えていったものは、酒質に影響しない分野の徹底した合理化と機械化による省力化だった。これは高い手造り技術があったからこそ可能だった。白蟻で倒壊寸前だった木造蔵を4年前に鉄筋コンクリート蔵に建替えも行なった。その際に守ったものは、品質を左右する心臓部分である「麹室」だ。節のない秋田杉の板張りの部屋にこだわり、それまで以上に手造り型にこだわった。作業は数段大変になったがより質の高い麹ができるようになった。
 「豊祝」のファンづくりにも力を入れている。近鉄奈良駅構内に10坪の立ち呑み処 「蔵元豊祝」をオープンした。生原酒や垂れ口等の市販されない酒も提供している。マンツーマンで顧客の声を聞ける貴重なスポットでもある。呑み放題の酒しか接する機会の少ない若者の不満を耳にした。酒造メーカーの怠慢を感じた。積極的な蔵開放も行なっている。2月末から3月初めには大吟醸の搾りたてを提供できるかもしれない。さくら会の皆さんもぜひ酒蔵見学に来てほしい。』
■酒造りにかける情熱がひしひしと伝わるスピーチだった。歴史と職人の魂を大切にしながら経営上の合理性も追求しようと意気込む若き経営者の姿があった。メンバーたちに来春の奈良豊澤酒造の酒蔵見学に駆り立てさせるスピーチでもあった。
■スピーチ後は、「やなぎ」のおまかせ料理に舌づつみを打ちながらの懇親会になる。例によって店長から本日のお品書き案内がある。
 お酒はもちろん講師の豊澤専務から頂いた豊澤酒造の3本の銘酒である(画像@左から純米吟醸「無上杯」、純米吟醸「貴仙寿吉兆」、大吟醸「豊祝」)。高価な大吟醸や純米吟醸の提供に心が踊る。専務からそれぞれのお酒の特徴や味わいの解説があった。料理は、「マグロとイカお造りA」、「蛸の酢の物B」、「自家製胡麻豆腐C」、「揚げと水菜のおひたしD」、「鮭幽庵焼きE」、「鴨肉の治部煮F」「旬の漬物(白菜・白菜・茄子)G」「果物(柿・ぶどう)H」「大皿仕上げ蕎麦I」だった。
■懇親の中で豊澤講師と懇談した。杜氏という特殊な技術者の後継者育成が話題となった。杜氏の派遣元である但馬・丹波でさえも「後継者がいない」という悩みがあるという。醸造元の若き五代目の避けて通れない難題である。「社員の中からその後継者を育てる他はない」。歴史と伝統を継承する重責を負った覚悟が伝わる。
 懇親最中に生原さんと那須さんの遅すぎる登場があり、しばしの懇親と会食の後のお二人の退場があった。疾風のように現れて疾風のように去っていく月光仮面のような意表をついた参加に驚いた。そんなこんなのあっという間の3時間が過ぎ、川島代表幹事の挨拶で締められた。尚、今回の参加者は、川島、井上、日高、森、生原、盛田、北村、竹内(賢)、浦濱、高見、那須、岡山、新屋、木下、金本の15名の皆さんだった。

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