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2001年4月例会

 4月14日(土) 講演と散策と先斗町宴席の1日
 昨年末の忘年会以来、3ヶ月ぶりにさくら会に参加した。
岸さん担当の今回の例会はいつになく力のこもった企画である。「維新の元勲・木戸孝允」をテーマとしたカルチャースクール(左画像ポスター)、歴史館見学、高台寺と周辺散策、祇園・先斗町での花の大宴会と続く1日コースの例会案内だった。
 9:45、集合場所の京都「南座」入口に到着。宮川さんと幹事の岸さんが待受ける。少し送れて井上さん、竹内さん、森さんが到着。井上さんの顔を見て合流した模様の若い女性お二人がこもごもに自己紹介。初参加の戸谷さん、佐渡さんだ。岸さんの出欠確認で以上8名が昼の部の参加者とのこと。
 10時前、カルチャースクール会場に向けて出発。南座前から四条通りを東に、途中花見小路を右に折れる。都おどりの祇園歌舞練場を左に見ながら正面突当たりの建仁寺を土塀に沿って左に折れる。東大路通りに出て右に折れ、途中のコンビニで昼食用の弁当を調達。東大路通りから左に入った通り「維新の道」の緩やかな上り坂の突当たりに講演会場の「霊山(りょうぜん)歴史館」があった。南座からおよそ1.5kmの道のりだった。
 途中、岸さんと森さんから小生のHPでの例会報告に対するヨイショと激励のお言葉。「今回の報告が楽しみ」との駄目押し。(というわけで小生は、お二人の限りないプレッシャーに打ちひしがれて、翌日の日曜の午後をデジカメ処理とHP例会報告に打ち込む羽目となりました。)

10時半、松下グループ土曜カルチャー教室が始まった。
ところでこの歴史館の由来は、霊山歴史館のホームページによれば次の通りである。30数年前、故松下幸之助氏(松下電器産業創業者)が霊山顕彰会を創設。顕彰会の使命と目的達成のため、明治維新研究センターとして幕末・明治維新資史料の収集と研究を行うことになった。そのため日本唯一の幕末維新史の総合博物館として霊山歴史館が建設された。このカルチャー教室も、松下グループ従業員を対象としたクローズドな講座であり、我々は、松下電器の岸さんの紹介で何とか参加できた訳である。
第1部は同館の学芸課長である木村幸比古氏(右画像)の講演。「木戸考允展の見どころ」を数々のエピソードを交えた分かりやすい紹介だった。川島さんによれば木村課長は、維新史研究の第一人者として多くの著作があり、NHK等の関連番組にもしばしば出演されているとのこと。
第2部は幕末氏研究の専門家・辻ミチ子氏(左画像)の「桂小五郎と幾松」をテーマとした講演。おそらくどこかの大学教授を引退されたと思われる高齢のご婦人が登場。「一、京都における桂小五郎のイメージ」「二、池田屋事件と薩長同盟」「三、三本木の芸者幾松」「四、明治の元勲と木戸松子」。几帳面なレジュメに沿っての1時間あまりの講演。幕末の京都の風景が町衆の視点から語られ、「逃げの小五郎」の愛すべきキャラが幾松びいきの京都のご婦人方を代表して炙り出される。約2時間の講演後、館内の特別展を見学。
久方ぶりのアカデミックな余韻に浸った後、一同、買込んだ弁当の喫食場所を求めて徘徊。高台寺駐車場では舞妓さんらしき人を見つけた観光客が写真撮影を頼んでいる場面に遭遇。ミーハーな僕もチャッカリ相乗り(左画像)。もっともこのお嬢さん方が本物の舞妓さんかどうかは定かでない。昨今、京の街には貸衣装に身を包んだ俄か舞妓さんが出没している。現に我々はオジサン舞妓の不気味な上目遣いを目撃してしまったばかりだったのだ。
何はともあれ昼食である。ようやく高台寺下の公園、文字通り「高台寺公園」に格好のスペースを確保した。僅かに残る桜の木の下でお花見気分の昼食である(右画像)。缶ビール、ワインが喉を潤すさくら会恒例の風景である。
遅めの昼食後、高台寺を参拝。豊臣秀吉夫人・北政所(ねね)開創の禅寺である。当時の政治的背景から徳川家康が多大の支援を行ったといわれる仏閣は壮麗なものである(上左画像)。観光客で賑わう行楽シーズンの京の名所をのんびり観光。参拝後、方丈をバックに記念写真(上右画像)。高校生風の女性観光客にシャッターを頼み、無事小生も仲間に加わリ全員集合。
5時の夕食まで時間はタップリ。以前、京都での営業経験のある岸さん、学生時代を京都で過ごしたという戸谷さんのナビで東山周辺を散策。二年坂から三年坂にかけてのぶらぶら歩き。「三年坂で転ぶと3年以内に死ぬと言われている」とは岸さんのウンチク。森さんお勧めの「ちりめん山椒」の店に立ち寄り、再び高台寺前の通りを抜けて丸山公園へ。散り加減の枝垂桜を眺めながら八坂神社に抜ける。四条通りを河原町方向に向かう右手に「京都クラフトセンター」がある。京都の工芸品を一堂に集めたお土産屋さんである。今やすっかりツアーガイド気分の岸さんの、3人のご婦人方向けの気遣いスポット。「正面玄関に15分後に集合」の合図で一同店内に散会。
クラフトセンターを出てすぐを右に折れ「花見小路通り」に入る。鴨川の支流の小川にかかる枝垂桜が京情緒タップリの風景を写していた(左画像)。
四条大橋を渡ってすぐを右に折れた筋が「先斗町通り」である(上左画像)。2〜3人が並んで歩けるのが精一杯という細い通りである。間口の割に奥行きのある京都特有の料理屋が両脇に建ち並ぶ。中ほどに本日の夕食会場「山とみ」があった(上真中画像、腕組みした竹内さんは何を迷っているのだろう)。狭い階段を2階に上がり鴨川を望む座敷の一角にさくら会様ご一行の予約席があった(上右画像)。夏ともなれば窓の向こうには納涼床がしつらえられる最高のロケーションである。鴨川の両岸には今や名所ともなった等間隔に席を確保するカップルたちの姿が見える。
昼の部参加の8名が先行して乾杯。そうこうする内、川島さん、筧田さんが、少し遅れて森島さん、安慶名さんの夜の部参加の面々が姿を現し、花の大宴会がさみだれ的に開会。
本日のお料理は山とみ名代の「鉄ピン揚げ」(左画像)。野菜、魚肉、湯葉といった素材を衣に漬けて鉄ピンに沸き立った油で揚げるという趣向である。席ごとに必ず現れる「鉄ピン奉行」たちのいいかげんな仕切りに従って次々とネタが上がる。昼の部の報告等ワイワイがやがやのひと時があっという間に過ぎてゆく。
そろそろお開きという7時前に最後の出席者からの連絡が入る。初参加の石淵さんとのこと。ここで解散というわけにはいかない。すかさず岸さんから二次会の提案。石淵さんと先斗町通り入口の不二家前で合流。お初にお目にかかる石淵さんは、ベージュの着物を着こなした魅力的な女性だった。紹介者であるさくら会きっての文化人・川島さんによれば能楽ルポライターとのこと。ナルホド。
四条大橋を渡り鴨川沿いを下る。南座の傍に石碑が建っている(右画像)。歌舞伎通の川島さんの解説で歌舞伎ゆかりの「出雲のお国」の顕彰碑と知った。
 岸さん紹介のラウンジ「紫左門」は「山とみ」から歩いて10分程の所にあった。これがラウンジ?と思わせるような純和風の民家風の外観が客を出迎える(左画像)。
格子戸をくぐり店内に入る。「土曜日の夜はほんとに暇なんです」。ママさんの言葉通り、10数人程収容の店内はさくら会の貸切状態。
二次会の圧巻はなんといっても森さんの熱唱(右画像)。職場のコーラスクラブの一員として全国大会優勝の実績を持つ実力派。期待に違わぬ歌唱力は居合わせた者全員を酔い痴れさせるにじゅうぶんなものだった。
 二次会を終え帰宅の途に。阪急河原町経由のメンバーである川島さん、宮川さん、佐渡さん、石淵さんと同行。歩きながらの石淵さん(右画像)との雑談。学生時代からの能楽好き、嵩じて一時は能役者を目指したこともあるとのこと。二次会の席で石淵さん執筆の読売新聞への署名記事を読ませてもらった。今や独り立ちの気鋭のルポライターである。
四条烏丸で下車した石淵さんがホームに立ったまま動かない。と思う間に、動き出す電車の車中の我々4人に向かって深々とお辞儀をする。その見事な振る舞いに一同敬服。以後、順次下車した宮川さん、川島さん、佐渡さんが同様の作法で車中の仲間を見送った。
 ことのほか充実した京都での例会だった。それぞれに魅力ある4人もの女性の参加が、4月例会をいつになく華やかで楽しいものにしていた。そして何よりも幹事役である岸さんの事前準備から当日の案内に至る献身的なお世話が、今回の充実した素晴らしい例会をもたらしたことは言うまでもない。感謝。
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