2006年3月例会

3月16 鎌倉 研 帰ってきたフォークシンガー
あの素晴らしい”青春”をもう一度
◆プロローグ
■今回の愉快でエキサイティングな例会企画は、竹内幹事の幹事宛の以下のメールから始まった。
 
23日に「鎌倉研」ライブに参りました。井上さん、麗子さんそしてセサルと。鎌倉君が『井上君にぜひ会って詫びたいことがある』というので昨年末から何回か誘っていました。
 『高校時代、現国の先生に着払いで書籍を送った。悪戯心で俺が井上に住所を書かせた。筆跡鑑定で井上が「犯人」になった。井上は俺のこと一言も喋らなかった。その詫びが言いたい』。
 鎌倉君は井上君共々高校三年生で同じクラスでした。彼は、都留文化大学在学中にヤマハポップコンで「大阪ブルース」で作詞賞を受賞しました(世良正則が大賞でした)。その後、塾経営などを経て2004年11月に初CD「CABALET」を発表。以後プロ活動に専念しました。プロ歌手の夢を30年間抱きつづけ、実現しました。
 ライブの合間に井上君が言いました。「3月例会は、鎌倉君にやってもらおう」。大阪を題材にした曲を歌ってもらい、合間の「喋り」のなかで「大阪を想う」時間を持って頂ければと思います。「昭和」ブームが沸沸と巷に流れる中、「周回遅れのフォークシンガー・鎌倉研」が何かを思い出させてくれると信じています。セサルと同じ「心」を持ったミュージシャンです。

■そして井上代表幹事の以下の例会案内が届いた。
 
さくら会の多くのメンバーが青春を過ごした1970年代は、ラジオ、テレビ、コンサート、街角と、どこに行ってもフォークソングが溢れていて、感じるままの日常を歌にして表現していました。今のラップのように自由な歌詞と、日本的情緒に溢れたメロディーは、今でも記憶に残っています。彼のトークの軽妙さと歌の情感の重なりは、何かを心に残していきます。じっくりと味わってください
 どちらも、ぜひとも参加したいと思わせるいい文章だった。
■ネットで「鎌倉研」をキーワードに検索すると『鎌倉研劇場』のオフィシャルサイトがトップに現れた。クリックすると週刊誌の車内吊ビラ広告風の刺激的な(えげつない)トップページが飛び込んでくる。このセンスは間違いなく大阪人のものだ。いくつかのページを覗いてみた。バタ臭さとあざとさに満ち溢れ、大阪の匂いがプンプン臭う。プロフィールサイトはなかなか興味深い。岡林信康、みなみらんぼう他とのコンサート企画出演とある。岡林信康・・・懐かしい名前だ。「お父う帰れや」「もずが枯木で」は、かっての私の愛唱歌だった。その頃、私たちの世代は間違いなくフォークの世界に浸っていた。
 
◆本番
■7時過ぎ、井上代表幹事による講師?紹介で例会が始まる。鎌倉さんの略歴やエピソードが紹介され、「それでは鎌倉さんに登場してもらいましょう」と最後の振りに入った。途端に「その前にチョットおしっこ」。鎌倉さんはトイレに消えた。このいきなりのオオボケに、会場は爆笑の渦に。誰かがオヤジギャグを叫んだ。「シッコウユウヨッ!」。さくら会もまた完全に大阪のノリだった。
 どう考えてもライブの環境ではない。会場の襖を取り払い、隣接の和室が舞台に早変わりする。マイクも照明設備もない。プロのミュージシャンには申し訳ない環境での演奏である。とはいえ、HP情報によれば「十三の銭湯ライブ」や「高千穂駅のプラットホームライブ」をこなしてきた鎌倉さんである。聴衆の魂を揺さぶり、笑いの渦に巻き込んだ、環境をものともしない鎌倉研ワールドが展開した。
■エピソードとギャグを交えた自己紹介がてらのイントロ・トークが始まった。生い立ち、ライブツアー、放浪、書生生活、塾経営、帰阪、ライブ活動の再開、ファーストアルバム発売・・・・。「高校からのフォーク少年でした。今尚、フォーク少年です。後悔はしていません」。かっての一時期をフォークに嵌ったオヤジ達のハートをえぐる呟きだった。
 1曲目の演奏を終えた時、マネジャーを兼ねる恵美子夫人が、ビールを満たしたグラスをさりげなく鎌倉さんに手渡した。長年の夫婦の暗黙の約束事なのだろうか。決して平坦でなかったと推察されるお二人の道のりの果ての、確かな夫婦の形を垣間見た気がした。
 「春よ来い」「大阪の女(ザ・ピーナッツの曲のアレンジ)」「春の空っ風」などの馴染みの歌が披露された後のトークである。
 「浅草に5−6年住んでいました。浅草というのは大阪によく似た街なんですね。パジャマでも歩けるような街なんです。似てるけどどこか違うんです。ノリが違うんですね。浅草は浅草ノリなんです」。大うけの爆笑に包まれて自身のアルバム曲「ちょっと待って浅草」や「大阪ブルース」が謳い上げられた。
 1時間近くのライブが一旦、終了した。
第2部 春の味わい
■会食が始まり、例によってやなぎ店長の登場である。本日のお品書きのテーマは「春の味わい」である。お酒は「木曽の純米酒・七笑(ななわらい)@」。お料理は「活たこお刺身A」、「さわら幽庵焼きB」、「おくらおひたしC」、「まぐろ磯辺揚げD」、「焼き地鶏の酢の物E」、「自家製胡麻豆腐F」、「お漬物盛合せG」と続く。そしていつもの「大皿仕上げ蕎麦H」で締めた後、「桜餅J」でダメ押し。
■会食懇親が続く中、司会の井上さんから「今回の初参加者はいつも以上に多いので」と、いつもより早目の初参加者紹介が案内される。
 最初にアクサ生命保険の家入さん(これまで画像紹介できませんでしたので今回紹介します)の紹介で株式会社ヴィーヴォの3名の皆さんの自己紹介。社長の竹内さん、取締役の永野さん、岐阜から来阪中の中里さんである。ちなみに竹内さんと永野さんは婚約中でまもなくゴールインとのこと。また竹内さんからは、「弟が靱公園の近くでやっている店のものです。皆さんで召し上がって下さい。」と、たくさんのパンの差入れを頂いた。(右画像)帰宅後、ネットで検索するとブランジュリ タケウチという大阪では一番人気のあるパン屋さんだった。
 続いて、河村さん紹介で同じ町内会の屋敷さん。そして井上さん紹介の川畑さん(株式会社フォレストワン社長)、西田さん(大成ユーレック)、菊井さん(メタルテック株式会社)、松本さん(メタルテック株式会社)と8名もの初参加者だった。
 中でもかってボクシングの全日本バンタム級チャンピオンだったという川畑さんの挨拶は異色だった。現在は「日本内蒙古友好協会」「日本福祉事業支援ネット」等のいくつかのNPOの代表者でもある。
■鎌倉研ライブが再会された。鎌倉さんの口から、高校時代の井上さんとの忘れられない関わり(このサイトの冒頭の竹内さんのメールで紹介しているエピソード)が語られ、井上さんへの謝辞と敬意が吐露された。大阪さくら会代表幹事の特筆すべき優れた気質をあらためて教えられた。
 ステージ(畳敷きの)が続く。「フォークは抒情詩なんですが、珍しくこの歌は叙景詩です」との口上の「ブラザー軒」に始まり、「大阪で生まれた女」「酒と泪と男と女」などの馴染みのレパートリーに会場は大いに盛り上がる。竹内さんと永野さんのカップルに捧げますと桂銀淑の「花のように鳥のように」が間で披露されるなど、どこまでもサービス精神旺盛な鎌倉さんだ。
 「戦争を知らない子供達」を参加者の多くの合唱をバックコーラスに歌い終えた時だった。鎌倉さんが、合唱に加われない若い参加者に気づいて再びギターを弾く。「戦争をッ知らない〜 こど〜も達を!知らない〜こど〜も達さ〜ッ」。
 既に若者達は「戦争を知らない子供達」さえ知らない世代になっている。私達の青春は、はるか彼方に過ぎ去った。エンディング曲は「あの素晴らしい愛をもう一度」だった。懐かしい歌詞を口ずさみながら、今回の例会のテーマコピーに思いを馳せた。「あの素晴らしい青春をもう一度」。団塊世代を挟んでその前後を包むさくら会メンバーたちにとって、フォークは共通の言語に違いない。かくして共通言語に彩られた例会史上、まれに見る盛り上がった例会の幕が降りた。
■尚、今回の参加者は、川島、井上、日高、竹内(佳)、森、麻生、池田、川村、盛田、福井、北村、谷山、三浦、木下、筧田、高見、岡山、家入、本間、屋敷、西田、菊井、松本、川畑、竹内(一)、永野、中里の各氏で、27名という多数の参加者だった。

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