2004年6月例会 |
気がつけばデジタルホーム |
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![]() 例会案内とともに送付された講師略歴には、毎日新聞社での30年に及 ![]() 川島さんの講師紹介では、古くからの近所付合いの友人であり、ゴルフ仲間でもあるとのこと。 ■予定時間を少し遅れてスピーチが始まる。テーマは氏の現在の仕事の専門分野である「デジタルホーム」。 今日の情報通信社会の産業特性を、「重厚長大」から「軽薄短小」への産業社会の変化の延長線上にある「無形無重力」という、いかにもかっての経済記者らしいキーワード表現で分析。以下は氏のスピーチの概要である。 『この社会を支える「コンテンツ」「インフラ」「機器」の3分野が目覚しい進歩を遂げつつある。とりわけインフラ分野での光ファイバーが「ラスト・ワン・マイル(拠点と端末を繋ぐ最後の1km)」をめぐってしのぎを削っている。 既に、数多くのICやパソコンが私たちの身の回りを取り巻き、そうしたIT機器全体をコントロールするセンサーをどの端末に設置するかがテーマになってきた。常時使用する冷蔵庫が有力だが個人的にはテレビの方がベターと思う。 いずれにしろ「いつでも、どこでも、誰とでも」NETに繋がる「ユビキタス社会」が間近に迫っている。「介護」や「保安」といった分野で強力な威力を発揮するようになる。まさしく「気がつけばデジタルホーム」という時代がやってきた。』 ■スピーチの後の個人的な懇談を通して、記者時代の以下のエピソードを伺った。 『記者時代に徹底して叩きこまれたのは現場主義ということだ。駆け出しの頃、漁船の難破事故があった。遭難者の顔写真を締め切り時間迄に手配する必要があった。思うように手当できず、思い余って記者クラブの仲間同士で交換しあってなんとか間に合わせたが、デスクから思い切り怒鳴られた。第一に家族と直接会って写真提供をお願いすることを通して様々な情報を得ることが記者の仕事だ。第二に直接手当てしなくて万が一写真が違っていたらどう責任が取れるのか。今尚、この現場主義が自分の仕事の基本になっている。』 |
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■スピーチ終了後の懇親に先立って、会場の「やなぎ」店長から、「本日のお品書き」の案内があった。ここ2回の例会を欠席していた私には、初めてのことだったが、前々回の例会から、料理長が工夫を凝らした郷土料理が毎回の例会メニューを彩っているという。今回のテーマは「京料理・江戸料理」である。 最初のおつまみ「生蕎麦唐揚げ」と最後の「大皿仕上げ蕎麦」は「蕎麦や・本店やなぎ」の定番料理。この間を、京の地酒「純米吟醸・玉乃光」を酌み交わしながら、京料理と江戸料理が埋め尽くすという趣向である。 京料理は、お造り(鱧湯引き・湯葉刺し・地鶏たたき)、おぼろ豆腐、焚合せ(茄子・芋・南京)、京漬物(かぶら・みぶな・筍)と続く。江戸料理は、すずきの味噌焼き、うなぎ柳川仕立て、小柱と三つ葉のかき揚げである。デザートに京風わらびもちまでついて来た。 ナント豪勢な味覚体験ではないか。飲み放題付のこのメニューはリーズナブルな会費のパフォーマンスをはるかに超えている。大阪さくら会の例会は、またひとつ新たな魅力を獲得した。(料理の画像を撮り忘れ、紹介できなかったことが悔やまれる。次回からはぜひ画像紹介をしたいと思う。) |
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![]() ![]() ■そしてこの7月に定年を迎え大阪勤務から自宅のある関東に復帰の三浦さんからの挨拶があった。般若心教をこよなく愛し、仏道を深めたいという三浦さん。元々東京さくら会のメンバーであり、引き続き大阪さくら会との橋渡し役を引き受けたいとのこと。短期間のお付き合いだったが、サラリーマンの枠を超えて独自の世界を持った三浦さんならでは存在感が印象深い。個人的にも大変お世話になった。毎回デジカメ持参で参加の三浦さんから、私の欠席の時の例会画像を頂いた。今回も私のデジカメがバッテリー切れでお手上げ状態だったのを救っていただいた。 ■幹事会からの報告があった。ひとつは井上さんからの「ペルーの学校にビデオ教材を贈る活動が、毎回の例会参加者のカンパを得て無事完了した」という報告。今ひとつは岡さんからの「今後のさくら会の運営に関する幹事会提案」である。この点については、あらためてホームページでまとめて報告したい。 毎年夏の恒例のクラブ活動である「鴨川川床」の案内が岸さんからあった。今年は8月21日(土)に東山の霊山歴史館での新撰組の特別展の見学とセットで開催とのこと。 川島さんからは、日本伝統芸能振興会セミナー「歌舞伎と伝統美」と市川海老蔵襲名披露の七月大歌舞伎の紹介もあった。 あれこれ盛沢山の例会は、幹事会提案の9時閉会は次回からということでいつも通り10時近くの閉会となった。 ちなみに今回の参加は、川島、井上、岸、岡、日高、森、吉川、菅、谷山、上林、木下、三浦(浩)、浦濱、朝比、高見、中野、篠原、赤池の18名の皆さんだった。 |