画像 オジサンとギャル 「職場にオジサンが増えてきた」とギャルたちがいう。
考察「吉野家の牛丼」 「吉野家の牛丼」は、なぜ大阪で生まれなかったんだろう?
阪神タイガースのQC活動 登録テーマは”首脳陣批判の100%削減"
おじさんゴルフの醍醐味 バカズがモノをいうオジサンの世界
「父親の威厳号」物語 失った父親の威厳回復の戦いが始まった
チョッピリ「旦那」の感覚で 観客のいない独り芝居は、いつまでも続かない
ウルフの型とノーパン喫茶 「左前ミツを取っての一気の寄り」。これがウルフの型だ。
親子の春闘 「親子」「労使」の交渉の同時進行型再現
変〜身!サラリーマン 「オレたちひょうきん族」に遂に「サラリーマン」が登場しました。

オジサンとギャル(’85.10)
プロローグ 宇宙のロマンを格調高く語りかけた「コスモス」欄の担当が代ることになった。 今回担当する筆者には、宇宙の知識など毛頭ない。思い悩んだ末、結局、世俗のウラミ、ツラミを格調低く吐露する他はないと観念した。
「職場にオジサンが増えてきた」とギャルたちがいう。(世間では「中高齢化」とも呼んでいる) 何を隠そう筆者もオジサンである。オジサン世代のド真ん中にいる。そんなわけで、今回は「オジサンとギャル」をテーマに詩情豊に謳いあげてみよう。
休日のある日、同寮たちが我が家にやってきた。その夜の小学3年の娘との会話・・・。「お父さん!今日、会社の人がきたやろ。そんなかで、お父さんが一番背え低かったやんか。私、はっきりいうて恥ずかしかったワ!」。父「・・・・(グサッ)」。
数年後にはギャルと呼ばれるだろう予備軍たちは、すでにかくも残酷なのでアル。

「チビ」「デブ」「ハゲ」「メガネ」。これがギャルたちに嫌われるオジサンの4大アイテムだという。どれか一つは身に覚えのあるオジサンたちは、 思わず・・・「それがどうした!冗談じゃない!それじゃ、好かれるオジサンなど一 人もいないじゃないかッ!」
(このようにギャルたちに向かって、変に居直ったり、時に妙にイジケてしまうのがオジサンの生態らしい。)
通勤バスのひとこま。いつも乗り遅れそうになってバスを待たせる太目のギャルがいた。今日もギリギリセーフの彼女をふと見ると、胸に『面白バッチ』なるものをつけている。バッチいわく「ブタですみません」。「・・・・」。オジサンは、不覚にも、思わず微笑んでしまった。ギャルたちの「優しさ」「たくましさ」をかいまみた。
考察「吉野家の牛丼」(’87.09)
「吉野家の牛丼」は、なぜ大阪で生まれなかったんだろう?
かねての筆者の疑問である。あの牛丼ほど大阪的なものはないと思うからである。キャッチフレーズにいわく「早い!安い!うまい!」。まさしく大阪人にピッタリのセンスである。
事実、早い。発注から納品まで10秒とかかるまい。
注文がまた簡潔である。なにしろ単品しかないのだから「並み!」あるいは「大盛り!」と叫べばよい。総じて、イラチで早喰いの大阪人にはこの早さは魅力である。そして安くてうまい。見栄や雰囲気にこだわらず、ひたすら「食べる」という実利そのもので勝負している。キャッチフレーズに「楽しい」がないゆえんである。食べる側も、このワリキリさえあれば、「並み370円」は、「安くてうまい」ということになる。これまた実利中心の大阪人には、こたえられない魅力である。
ところで、この牛丼チェーンの成功のモトは何だろう?
牛丼といういかにも日本的なものを、欧米的システムでチェーン化した点は、注目に値する。単品に絞り込み、味と質の徹底した均質化を達成している。従業員の最小限の動線を想定した効率的なレイアウトが、どの店にも標準装備されている。カウンターしかない、座りごこちをほとんど無視した客席は、回転率アップのための卓越したノウハウといえよう。食べる側は、一刻も早く退去することを物理的に迫られている。
このような「システム化」という点は、大阪人のもっともにがてとするところではあるまいか。
結局、この一点で「吉野家の牛丼」は、大阪に生まれなかったとしか思えない。いかにも大阪的な商売をするといわれる当社が、関東に進出してまもなく1年がたとうとしている。
阪神タイガースのQC活動(’84.04)
テーマ「首脳陣批判の100%削減」
あの!「阪神」が今シーズン、なんとッ開幕早々快進撃を続けています。どうもいつもと様子が違っています。好調の背景に、今年のシーズンオフには、恒例のチームの内紛が聞こえてこなかったからという説が、まことしやかに語られています。”ベンチがアホやから野球がでけへん”という名セリフを残してあの江本が退団したばかりです。
ことほどさように、シーズンオフに内紛が聞こえてこない「阪神」というのは、これはもう異常な事態なのです。思わず「阪神」もQC活動をやっているのではないかと想像してしまいました。サークル名は、安藤リーダー率いる「ベンチサークル」です。登録テーマは、もちろん”首脳陣批判の100%削減"です。今もところその効果はかなり発揮されているようです。効果の最終確認は、シーズン終了時に行いますが、これほど効果がストレートな活動も他にありません。
それにしても「阪神」の自由奔放なチームカラーは、やっぱり大事にしてもらいたいと思います。選手ひとりひとりの個性や自主性が尊重され、その総合力が発揮されてこその「阪神」です。「阪神」には、"広岡式管理野球"は似合いません。
QC活動・・・西洋文化との出合い
「阪神」のチームカラーにも似た企業風土を持つ当社に、QC活動が導入されました。吸収合併を経験しないまま、拡大してきた当社の企業風土には、単一民族的な「同じ釜意識」がもたらす組織や規律にとらわれないおおらかさがあります。そんな風土に科学的分析手法を真髄とするQC活動が導入されたわけです。まるで日本民族がはじめて西洋文化と、出合ったようなものです。
そんなわけですから、導入方法も極めて独特のものであったように思います。他社でよく見られるような、導入に際しての全社挙げての「キックオフ宣言」もありませんでした。導入後も強引な拡大の活動もなくジワッと着実に輪を広げるという形で進められました。個人の自主性を重んじるという風土は、QC活動においても、形にとらわれず各サークルの自主性や個性がそのまま反映されるという運動スタイルをつくっているように思います。「いかにも当社流」というのが、今日の発表を聞きながらの感想です。
ところでそのようなQC活動であればあるほど今後の課題として気になる点があります。それは、今日の発表にもあったような優れた活動の成果が、社内でどのように普遍化され、全体化されるのかということです。そのためにQC活動全体をまとめる組織をどのように整備するのかということも問われてくるのではないでしょうか。
おじさんゴルフの醍醐味(’88.05)

市民権を得たゴルフ
当社でも、ようやくゴルフが市民権を得たようである。
ユニオン杯野球に代表されるように、これまでは野球が久しく男子スポーツの花形であった。ところが、昨年秋の組合員アンケートでは、男子組合員の現在やっているスポーツは、ドライブ(これはスポーツ?)をノゾケバ(ナント!)ゴルフがNo1.ということであった。管理職を含めた男子社員全体でのゴルフ人口の高さは、「推して知るべし」だろう。ユニオン杯コンペを望む声が出始めているゆえんでもある。
バカズがモノをいうオジサンの世界
ところでこのゴルフ人気の秘密は何だろう。第1に、年齢によるハンディーの少なさを挙げたい。概してスポーツは、体力に優る若者の世界である。ところがゴルフでは、千変万化の状況に応じた、一打ごとの判断と技術がキメテとなる。となれば、これはもうコストの高いプレー代を負担可能な、それだけ経験豊かなオジサンたちの世界である。スポーツの場でともすれば若者たちにバカにされがちなオジサンたちが、グリーン上では、しばしば若者たちの指南役となる。オジサンたちにとってこれはたまらない魅力に違いない。(・・・とオジサンである筆者は思っている。)
平日休みのウサバラシ
当社でのゴルフ人気の背景のひとつに、堂々と平日プレーができるという点があることも見逃せない。平日の安くて空いたコースでの芝刈りは、世間に合わせて休めない小売業に勤めたことのウサバラシのひとときでもある。
金と時間と気持ちのユトリ
労働時間短縮の波が襲ってきた。『休めといわれても、いったい何をすりゃいいんだ?』 オジサンたちの戸惑いの呟きが聞こえてくる。男子社員の中高齢化とゴルフブームは無縁ではない。「金と時間と気持ちのユトリ」があらためて問われている。

「父親の威厳号」物語
30歳頃には、プラモデルに夢中になっていた。帆船模型 A
今思えば、仕事のストレスを発散させる格好の時間だったのだろう。梅田のキディーランドに知人がいたこともあって、プラモのコーナーにはよく足を運んだものだ。そこで目にした帆船模型の完成作品は、プラモを超えた圧倒的迫力であった。とはいえ、当時で3万円位もした価格は、キットを買う決意をためらわせていた。見るからに難しそうな船体作成も、購入を躊躇させていた。
意を決して購入し、作成にかかったが、やはりプラモどころでないハードルの高さであった。
とりわけ船体を覆う側板は、熱したコテでカーブをつけて一枚ずつ貼り付けていくという根気との戦いだった。遂に、仕事の忙しさを口実に半分ほどのところで投げ出した。高い買物を無駄にした父親に対する、家族たちの「非難の視線」が身にしみた。
そんな頃のとある日、小学低学年の娘に「最後までやり遂げることの大切さ」を諭す場面とあいなった。賢明な読者の推察どおり、見事に失敗したのである。「お父さんの帆船は?」という娘の一言は、父親の威厳を吹き飛ばすにじゅうぶんなものだった。(^^;)
翌日から、失った父親の威厳回復の戦いが始まった。掲載の帆船の完成模型は、「父親の威厳号」と命名されている。
チョッピリ「旦那」の感覚で・・・ (’85.10)

ある雑誌で、主婦の生活の取材記事を読みました。主婦のイラダチを思い知らされ、少なからずショックを受けました。
抜粋して紹介します。

『例えば、美容院へ行ってくる。いつもと違うイイ感じだ。きっと夫は、オーッ!とか、ヘェーとかぐらいは言うだろう。何となく気持ちもはずんで、チョット手のこんだ夕食をつくってみる。ところがそういう日に限って夫は、予告もなく遅い。ナマ物のつやがなくなり、盛り付けの形が崩れてくる。ハズんだ気持ちが沈んでゆく。エーイもうどうでもイイ。寝てしまえ!夫は酔って、午前サマ。とっておきのヘアスタイルは無残に崩れ、顔には枕のアトさえも・・・。
女ってなんて損なんだろう。一体何のために家庭を守っているのかしら。空気みたいな存在といわれても、空気みたいに無視されるのではたまらない。観客のいない独り芝居は、いつまでも続かない。
主婦の生活には、会社のような始業、終業の区別がない。そのかわり、いつやってくるかわからない子供の生理的欲求に応えながら、家庭の胃袋具合、帰宅時間、さらにはお天気のご機嫌まで伺いながら、家事をこなさなければならない。家の中を朝から晩まで動き回りながら、こうしてオバサンになっていくのだろうか。
夫も子供も、私以外のみんなが、忙しそうに自分の世界へ出かけていく。暇なわけじゃない。唯々、時間を消耗しているだけで、自分の中に変化を見出せない。そして知らぬまに、夫の感覚とも子供の感覚ともズレてしまって、”話にならないお母さん”になってしまうのではないか。せめて自分に対して自信がほしい。そうだ!パートにでも出てみよう。

そんなわけで当社にもたくさんのパートさんが来られました。そしてパート組合という、これまで夫の世界にしかなかった「組織」も出来ました。パート組合の中で、主婦の気持ちや感覚を大切にすることが必要です。それでもチョッピリでも、少しずつでも、旦那の感覚で組合や会社という組織を理解してほしいのデス。

ウルフの型とノーパン喫茶 (’81.07)
千代の富士が強くなった。千代の富士がここ1年ほどで急に強くなった。何故だろう?自分の相撲の型ができたからといわれている。「左前ミツを取っての一気の寄り」。これがウルフの型だ。どんな世界でも、「型」を持っているやつにはかなわない。
組合活動にも型が必要だ。最近、ようやくそれが見えてきた。政策を考えるとき、まず業界比較からやってみよう。組織活動では「参加と学習」だ。
ノーパン喫茶が流行った。ノーパン喫茶が、ここ1年ほどで急に流行った。そして、アッというまに下火になった。なぜだろう?喫茶店は、お茶を飲むところと思っていた。ノーパン喫茶は、「見るところ」にしてしまった。今までにない発想が、新しいビジネスを創造した。そして我も我ものワンパターンが下火にさせた。
組合も過去の延長線上にだけいては「あした」はない。今までにない発想が、組合員の新たな参加を創造する。ひとつの発想への安住とこだわりが、陳腐化とシラケを招く。
ウルフの型とノーパン喫茶 ウルフの型とノーパン喫茶に学ぼうと思う。活動の基本を大切に、日々、新たな発想で挑戦を試みたい。
エピローグ(蛇足) 今年も立候補の季節がやってきた。おとどしは「さだまさしの優しさ」を思い、去年は「ジュリーのサバイバル作戦」に驚いた。そして今年は、「ウルフの型とノーパン喫茶」で迫ってみた。ワンパターンなのか?挑戦なのか?
親子の春闘(’86.03)
先日、労働団体の春闘会議に出席した際の、某労組委員長との雑談。
子供たちの間でファミコンが大ブームになっている事が話題になって、こんな話が出た。「息子にファミコンをせがまれて、なだめすかしているうちに、どこか似たような光景に思い当たった。考えてみれば、まるで会社との賃金交渉をしているようなものだった。」
というわけで、以下「親子」「労使」の交渉の同時進行型再現である。
息子「お父さん、ファミコン買ってヨ!」  (組合「社長、賃上げを!」)
父親「ダメ!」  (会社「そんな要求は認められない!」)
息子「お友達も、みんな持ってるもん」  (組合「ヨソの会社も、みんなこれくらいの賃上げはしているから」)
父親「ヨソはヨソ、ウチはウチ」  (会社「他社のことは関係ない」)
息子「チャントお勉強するから」  (組合「一生懸命ガンバッテ売上を伸ばすから」)
父親「勉強するのは当り前じゃないか」  (会社「チャント仕事をするのは当然のことだ」)
息子「買ってくれなきゃ、塾へ行かないから」  (組合「認められなければ、ストをするから」)
キリがないのでこの辺で・・・・。
ところでいよいよ春闘である。妻子を抱えた組合員の家庭では、春闘後の賃上げ分を巡って、夫婦や親子で交渉が行なわれるのだろうか。『子供たちにヨソの子に恥ずかしくないだけのことは、してやりたい』『たまにはヨメさんにも服の一つも買ってやりたい』『自分にも人並みの付合いができるだけの小遣いが欲しい』父親である組合員の偽らざる心情である。
▼某委員長が、結局ファミコンを買ってやったかどうかは聞かなかった。
変〜身!サラリーマン(’85.01)
▼ 遂に登場!「サラリーマン」
テレビ番組「オレたちひょうきん族」に、「あみだばばあ」「ナンデスカマン」に続いて遂に「サラリーマン」が登場しました。正義の味方(?)「タケチャンマン」と対決し、最後はいつも徹底して虐げられるアノ!キャラクターに、ナント(・・・絶句)、サラリーマンが登場したのです。思わず、現実のサラリーマンの姿を見詰め直してしまいました。社会正義の名の下に、重い税金や高い社会保険料の負担を強いられ、喘いでいるサラリーマン・・・。「不公平税制の是正」という見かけ倒しの正義に立ち向かっても、結局いつも打ち負かされているサラリーマン・・・。なんと似通っているではありませんか。
▼ 中流意識を粉砕する「マル・金」「マル・ビ」
昨年、「マル・金」「マル・ビ」という言葉が流行しました。(ちなみに流行にウトい人のために注釈しておきますと、「マル・金」とは金持ちのことで、「マル・ビ」とは貧乏のことです。)この言葉の仕掛け人は、次のように言っています。「世の中、中流だらけで、誰も貧乏と思っていない。そんな風潮に、むしろ「マル・金」「マル・ビ」をハッキリ区分することで、庶民の生活は決して豊かでないことを思い知ることが必要ではないか。」たまの休みもゴロ寝であけくれ、家族からは「粗大ゴミ」と陰口されている、決して豊かでないサラリーマン・・・。そんなサラリーマン達の「中流の実態」を、見事に衝いています。
サラーマンの砦
労働組合を「労働者の組合」と呼ぶには、何か違和感を感じる時代です。「労働者」という言葉の、どちらかといえば「暗い」、そしてなんとなく「逞しい」感じは、ピタッときません。「サラリーマン」という言葉の「明るい」けど「ひよわな」感じに、親しみを覚えます。それでも・・・・、「タケちゃんマン」にいじめられる羊のようなサラリーマンが、決して中流ではないサラリーマンが、いつまでもこのままでいいはずはありません。いつか!総反乱し(ナント過激な・・・)、不公平に立ち向い、「マル・ビ」からの脱出をめざさねばどうにもなりません。その時のサラーリーマンの砦は、ヤッパリ労働組合なのではないでしょうか。

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