明日香亮のつぶやき日記 2000年6月
6月11日(日) 甥の結婚!老の接近?
私と弟の家族が、2月に亡くなった母の「納骨法要」という「別れ」の最後の営みを終えたのは一週間前だった。そして一週間後の今日、弟の長男の結婚式という新たな「出合い」が訪れた。
子供たちにとっては、従姉弟の初めての結婚式である。前日から帰省中だった息子は、初めて礼服に身を包んだ。娘は成人式以来の振袖姿を披露することになった。子供たちの晴れ姿が眩しい一日だった。甥、姪の結婚式は我が家の子供たちの婚期を思い知らされる機会でもある。
案内状には神戸北野の会場「六甲荘」に12時集合とある。とはいえ母と娘は何年ぶりかのお着物である。着付け時間を見込んでの早めの到着はナント2時間前の10時だった。おかげで父と息子の思わぬ語らいの時間が与えられることになった。今やお互いにサラリーマンの身である。仕事のこと、会社のこと、付合いのこと・・・息子の口から語られる話題の多くの部分に親子というよりサラリーマン仲間の共感と共有がある。あっという間の1時間余り。親族代表のスピーチを考える時間が掻き消えた。
控室には既に振袖姿にできあがった娘がいた。留袖姿の母親の娘相手のはしゃぎぶりがやけに目につくのもやむをえまい。
12時過ぎ、両家の親族紹介。ここで初めて甥の「つれあい」に対面。カワイイッ、外見上の収支バランスでは間違いなく甥の側のプラス。ウチの息子はどうなることやら。さて新郎・新婦の父親による親族紹介である。弟は緊張のためか、しばしばフルネームが出てこない。親族紹介を花嫁・花婿の父親が一手に引き受けるには無理がある。ここは参列者にによる自己紹介に限る。将来に備えて日記につけておこう!
続いて記念写真。新郎・新婦は言うに及ばず、参列者の服装の僅かな乱れも見逃さない写真屋さんの手直し作業が続く。この場は写真屋さんの晴舞台なのである。
いよいよ開式。事前に聞かされていた挙式の形式は「人前結婚式」。
形式的なセレモニーはなく、神主、牧師だけでなく媒酌人すら登場しない。参列者が待受ける披露宴会場に直接、新郎・新婦が入場する。二人の生い立ちと出合いが司会者から紹介され、共通の友人である若い女性が立会人として登場。新郎・新婦の「誓いの言葉」の朗読、指輪の交換、婚姻届への署名と続く。
そして最後に司会者から参列者への問いかけ。「お二人のご結婚に参列者の皆様!ご異議ございませんか?」。そうか!人前結婚式とは参列者全員が神主や牧師に替わって挙式を承認し、二人の結婚に荷担する場なのか。 ここは一番、「異議なしッ」とか「賛成ッ」とか叫ぶ場面であったとは後の後悔。事前に何の打合わせもない司会者の問いかけに、大勢の人前でそう簡単にに反応できるものではない。しらけた一瞬の沈黙の後、司会者の一方的宣告が下される。「それでは参列者の皆さま全員のご確認のもとに、ここにお二人のご結婚がめでたく整いました」。この期におよんでようやく主催者の意図を理解した参列者の、直前の無反応を挽回するかのような盛大な拍手が続く。
第1部の「人前結婚式」が済んで新郎・新婦の退場と入場があり、第2部の「披露宴」が始まる。
ウェディングケーキの入刀と新婦の祖父による「乾杯」。ここでようやく寛ぎの祝宴となる。とはいうものの親族代表のスピーチはいまだまとまっていない。寛ぎの気分ではないものの乾杯の後というのが救い。ここはアルコールの力を借りて勢いのままにアドリブでやっつける他ない。来たッ、司会者のコール。人前結婚式での荷担表明、新婦の愛らしさと甥へのサポート要請、グローバル時代の開かれた家庭、ホームページ立上げ要望とその訪問等々でなんとか切り抜ける。
お色直しの後の洋装姿での新郎・新婦を前に、スピーチやギター演奏、歌など参列者の挨拶が続く。息子の出番が来た。簡単なスピーチをそつなくこなし、カラオケによるお祝い。曲は今最も流行の福山雅治の「桜坂」。オヤジは全く知らない曲。曲は知らなくてもウマイ下手はわかる。これがナカナカのもの。オンチ夫妻の子供がどうしてこんなに?(親バカの極み)。
我が家の家族4人だけの水入らずのテーブル。常になくやけにしおらしい娘の様子。「大丈夫か」の父の問に「ボンレスハム状態や」の応答。「その割によく食べてるやないか」「出されたものは全部食べるのがポリシーや」。ヤッパリいつもの娘だった。
突然、司会者から新郎のパフォーマンスの披露が伝えられる。幼い頃から絵が得意だった新郎は長ずるに及んで大学では教育学部の美術学科に学んだ。今は高校の美術講師である。その新郎が花嫁のウェディング姿を即興で描くという。仕事着にお色直しした甥がキャンパスに向かう。30分程の短時間に仕上がったキャンパス上の花嫁姿はさすがにプロの仕事である。
披露宴終盤に今度は新郎の弟がパフォーマンスを演じるという。もうひとりの甥は筑波で小劇団の脚本・演出をやっている。出し物はパントマイム「新妻シリーズ」である。新妻の意表を突いたいくつかのシュチエーションのオーバーアクションが参列者の爆笑を呼ぶ。
披露宴のエンディングは恒例の花束贈呈である。通常、新郎が新婦の両親に、新婦が新郎の両親にというパターンの筈。今回は各々自分の両親への贈呈である。人前結婚式の独自のパターンなのか単なる間違いなのか。
そして締めくくりは両家を代表しての新郎の父親の謝辞。
大学のサークルでの出合い以来、10年に渡る付合いの果てのゴールだったとのこと。その間の紆余曲折は想像に難くない。弟の挨拶は参列者への謝辞というより、花嫁とその両親に対するお詫びと感謝の念に溢れたものだった。
1時から始まった祝宴は4時頃にお開きとなった。妻と娘はお色直しのため控室に。家族4人を乗せたマイカーが六甲荘を後のする。息子はすぐ側のJR新神戸駅近くで下車し福山のアパートに向かう。窓から息子の後姿を見送りながらふと思う。甥の結婚は、私たちの世代からの新たな家族の誕生を意味している。我が家からの新たな家族の巣立ちの日も遠くはない。そして新たな家族の新たな命の誕生が、私の呼称を「おじいちゃん」に代える。私自身の老が忍び寄る。「甥の結婚。老の接近。」
6月4日(日) 父の側に眠った母(納骨)
 母の納骨法要の日である。弟夫婦と墓前で10時半の待合わせ。お墓は姫路市街地北西の外れの名古山霊園にある。妻と娘が同行する。同居の娘はオバアチャンの法要にずっと参加してくれている。着いたのは10時過ぎ。先に到着していた弟たちがお墓の周辺の掃除を始めている。
 僧衣姿の弟を中心に墓前での読経。ほどなく霊園入口にある「石屋」さんがやってきた。我が家の墓は24年前に父が亡くなった時に建立したもの。法名碑に父に次いで今又母の法名が刻まれている。石屋さんが墓石をずらせて納骨室を開ける。事前に目張りが取り除かれていたようだ。父の遺骨を納めた骨壷が安置されている。弟が自宅の仏前から持参した母の遺骨が父の傍らに据えられた。20数年ぶりに父のもとに眠ることになった母・・・。合掌。
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