1976.07.01 季刊誌「現代の労働」寄稿文
作者の独り言
22年前、30歳だった私はのチェーンストア労組の新進の書記長として結構頑張っていたと思う。
このレポートは労働界を代表する季刊誌「現代の労働」への寄稿文である。
表紙を飾る執筆者たちは当時の労働界のそうそうたるリーダーたちである。「春闘の生みの親、太田薫」「全民労協初代議長、樫山利文」「連合初代事務局長、山田精吾」の各氏の名前がある。そんな中でのチョット誇らしくもある執筆であった。
チェーン労働界の形成過程

チェーンストア労働組合協議会(以下「チェーン労協」という)の組織強化についての報告を行う場合、チェーン労協自体の発足過程における背景や経過が今なお及ぼしている組織的性格を抜きにしては語れない。
そこで最初に、大きく4つの団体に分立しているチェーンストア労働界の形成過程についてふれておきたい。
チェーンストア業界における労働組合の歴史はそれほど古いものではない。なぜならチェーンストアという業界自体が新しい産業であり、したがってそこに働く者の組織である労働組合の成立も、他の産業でもそうであったように、業界の急速な発展のヒズミが顕在化し、それに対する働く者の側の反発のエネルギーの結集という主体的な条件の成熟を待たなければならなかったから。
チェーンストア業界の成立は、それまで百貨店以外には企業と呼べるだけのものはなく無数の中小零細小売店によって形成され、その意味で、「暗黒大陸」と呼ばれていた小売業界において、広範な組織労働者を生み出す上での客観的な条件を準備したといえる。
チェーンストア業界における組織化の動きは、昭和44年から45年にかけて、大手スーパーで相次いで労組が結成されるに及んで本格化した。それ以前にゼンセン同盟は、組織拡大のための新たな領域として繊維メーカーの販売先である衣料量販店(大手スーパー)の組織化方針を決定していた。その方針にもとづいてゼンセン同盟による大手スーパーに対する積極的な組織化工作が開始されたことが、チェーンストア業界での本格的な組織化の起爆剤となった。 ゼンセン同盟による組織化の開始は、業界での本格的組織化の起爆剤としての役割を担った反面、業界における労働者、労働組合の組織的統一という点では様々な波紋を投げかけた。
それ以前に、チェーンストア労働界においては、それまでに組織化されていた労働組合間の唯一の情報連絡組織として「全国チェーンストア労働組合連絡協議会」が発足しており、会議を重ねていた。そして昭和45年6月にはそれまでの単なる情報交換を主体としたサロン的な協議体組織から脱皮し、体質強化を図るべく「産別特別委員会」を発足させていた。
同協議会の構成メンバーは、大別して三つの組織的な性格の違いを持つグループで構成されていた。一つは、一般同盟などの同盟系の上部組織に加盟していた「ダイエー」「十字屋」などの労組であり、一つは、百貨店の労組を中心とする上部組織である商業労連に加盟していた「丸井」などの労組であり、今一つは、いずれの上部組織にも属さない無所属中立労組であり「西友」「ユニー」などの労組である。
ところが、同協議会における産別特別委員会での体質強化案は、ゼンセン同盟加盟のチェーンストアの各労組によって結成されたゼンセン同盟流通部会と、既存の同盟系各労組との共闘組織である「同盟流通共闘会議」が昭和45年11月に発足するに及んで、実質的に白紙に戻されることになった。同盟流通共闘会議としては、同協議会の歴史的な役割は評価しつつも協議体としての使命は既に終わったと判断し、その後の組織的な課題を、同共闘会議の体質強化と一体化に置くことが表明された。
一方、無所属中立労組にとって、体質強化案が大きく後退し、協議会自体が崩壊しかねないそうした状況は、同協議会を唯一のよりどころとしている現状からすれば、きわめて深刻な問題をはらんでいた。そうした背景のもとに無所属中立の各労組は、昭和45年11月に体質強化案についての統一した見解を持ち、さらに同協議会への今後の関わりについての意思統一をはかるべく、初の会合の場を持った。
この会合は、その後、同協議会が解体していく過程で無所属中立労組にとっての唯一の情報交換と政策協調の場として「チェーン労組中立会議」の名のもとに継続的な協議体組織として発展した。その後、このチェーン労組中立会議が、政策協調をより一層強化し、統一闘争を前進させる中で、昭和49年7月に名称も「チェーンストア労働組合協議会」と改称し、組織機構上の一定の整備と強化を行い今日にいたっている。
他方、同盟流通共闘会議に参加した一般同盟系の各労組は、その後、相互の結束強化をはかるべく「同盟商業労協」を発足させ今日にいたっている。
以上が、チェーンストア労働界における組織状況の形成過程の概要である。

チェーン労協の組織化の歩み
以上のように、チェーン労協の発足当初の経過は、必ずしも加盟各労組の組織的一体化をめざしたものでなく、むしろチェーンストア労働界において、全てのチェーンストア労組を結集したあるべき産別組織についての共通した見解を持ち、その具体化のための共同歩調をとることが主要な課題であったといえる。その課題の具体化のために全国チェーンストア労働組合連絡協議会の体質強化に積極的に努力することを、当面の共通課題として発足したわけである。しかしながら、そうした当初の意図と期待に反して、同協議会はその後の経過の中で、体質強化はおろか組織自体が崩壊し、チェーン労協はいやおうなく発足当初の趣旨からの脱皮を迫られることになった。
その後のチェーン労協の組織強化のあゆみは、直接的な組織機構上の強化ということよりも、むしろ共通課題についての政策的な協調と春闘を軸とした統一闘争の強化の中から着実な前進をはかってきたといえる。
政策協調の第一歩として、昭和46年9月の第6回会議において、「時間短縮」「職業病」「賃金」の各専門委員会の設置が確認された。
ちなみに職業病専門委員会は、その後、スーパーにおけるレジ担当者(チェッカー)の職業病として「腱鞘炎」が業界の全ての企業に共通する問題として取り上げられる中で、既存の上部組織の枠を超えたチェーンストア労組の職業病担当者の全国的な結集を呼びかけ、「全国職業病担当者会議」を組織した。全国職業病担当者会議は、昭和48年2月から3月にかけて、3次にわたる労働省交渉を組織し、それまで野放し状態であったチェッカーに関する作業基準に関する「金銭登録作業の作業管理について」と題する労働省通達を出させるという画期的な成果を勝ち取った。
一方、賃金専門委員会の発足を契機に、72春闘をスタートとして、チェーン労協における春闘の統一した取組みが開始された。チェーン労協の春闘での統一取組みは、毎春闘ごとに次のような形で強化されてきた。
【72春闘】 ■賃上げ要求額の申合わせ
【73春闘】 ■情勢分析に関する共通資料の作成
■要求提出や妥結のスケジュール調整
【74春闘】 ■統一スローガンの統一ステッカーによる各労組の職場での張出し
■関東、関西での総決起集会の開催
【75春闘】 ■最低賃金要求およびパートタイマーの最低時間給要求の申合わせ
■要求提出後の各労組委員長による戦術会議の開催
■統一ワッペンの作成
【76春闘】 ■春闘方針検討のための各労組書記長による企画会議の設置
■戦術会議での山場に向けての統一行動の確認
■統一ワッペンの着用の定着化
この間、わずか10単組で発足したチェーン労協も、今や正式加盟16単組(3万6千人)、オブザーバーも含め23単組(3万6千人)の組織に発展した。
しかしながら、この間に春闘を軸として運動面での統一闘争は大きく前進したものの、チェーン労協自体の組織的性格は協議体組織の枠を出るものではないことも事実であり、その意味で、商業界における他の労働団体に比べても団体組織としての指導性、拘束性といった産別機能は、まだまだ不十分といわざるをえない。
そうしたチェーン労協の現状と今後の方向性について、チェーン労協75春闘総括では次のように述べている
チェーン労協の75春闘の重要な問題点は、チェーン労協の組織的な取組みがまだまだ十分でなかったという点にあると思われます。その背景を考えるにあたって、本来運動をより効果的に発展させるための組織機構そのものが、運動が大きく前進した過程で、それに応じて改善されなければ、逆に運動の前進を阻害する要因となるという一般的な運動と組織の相関の中でとらえる必要があります。
そうした視点でみる場合、75春闘において大きく前進した運動を、今後より発展させる上でも、チェーン労協自体の組織機構そのものを改めて検討し改善すべき時期にあると思われます。
チェーン労協の76春闘総括と今後の課題
チェーン労協の76春闘は、17.5%の賃上げ要求、350円以上のパートタイマーの最低時間給要求を中心的な統一要求課題として3月10日前後の統一要求提出を皮切りに開始され、加重平均で11%の賃上げと、パートタイマー最低時間給引き上げについて多くの成果を獲得し、最終的に4月いっぱいでほぼ終結した。
76春闘での方針づくりにあたっては、従来、各労組の賃金担当者で構成される賃金専門員会で検討提案された「チェーン労協春闘方針案」の検討を、各労組書記長による企画会議の場に移し、さらに検討の各段階に応じて代表者会議でも検討を加えるという形で、統一要求基準や統一活動方針を作成する上での徹底した論議を行ってきた。そのことが従来以上に加盟各労組のほぼ全てにおいて統一要求基準どおりの要求決定となり、統一要求づくりを大きく前進させることにつながった。
統一スケジュールの一環として回答指定が3月中旬に設定され、チェーン労協加盟の9労組が、他の商業労働団体に先駆けて、ほぼ8%台の第一次回答を引き出し、初期段階でのチェーン業界における春闘相場を形成した。これはチェーン業界における一ケタ突破の展望を切り開く上で重要な役割を果たしたといえる。
統一ワッペンの着用が第3波の統一行動として設定され、10労組で実施された。他産業から見ればなんでもないようなワッペン着用という闘争形態も、従来、小売業界においては、それすら顧客に不快感を与えるものとして経営側の強力な規制の下にほとんど着用不可能だった背景を考えれば、76春闘でのこの闘いを通して、ワッペン着用が小売業界においてもようやく働く者の権利として定着し、市民権を獲得したといえよう。
チェーン労協としての闘いの山場は、4月10日前後の2ケタ突破を課題とした第4波統一行動と、4月18日の最終決着をめざした第5波の統一行動の二つの闘いによって形成された。それらの統一行動において、各労組はストライキに突入した3労組をはじめ、それぞれの力量に応じて最大限の闘いをもってこれに参加した。職場を基礎においた各労組の主体的な闘いは、毎春闘ごとに強化されている。そうした各労組における主体的な闘いの組織的な結集の場としての統一行動の成果が、チェーン労協におけるガイドラインを上回る二ケタ突破の回答を引き出した。
こうした統一闘争の前進の反面で、76春闘はチェーン労協の抱える様々の問題点も浮きぼりにした。その一つは、各労組における妥結結果のばらつきが顕著に表れたという点である。その背景として個別労組の妥結について、チェーン労協として何ら統一した指導性や拘束性を発揮できないという組織機能上の問題点がある。また独自の事務局体制を備えていないことから、期間中の各種会議へ参加できなかった労組へのフォローが十分できなかった。このことが、統一闘争をさらに前進させる上でのネックともなっている。さらに統一行動を闘う上でチェーン労協としての統一した情宣体制の不足が、職場レベルでの個別の闘いが、チェーン労協に結集する多くの仲間との連帯の中での統一した闘いの一環として闘われていることの理解につながらないという実態をうみだしている。その他、年齢別賃金政策の遅れや、賃金以外の政策課題についての統一要求づくりがまだまだ不十分であることも事実である。
こうした問題点をl克服する上で、春闘総括をテーマとした6月4日の代表者会議では、チェーン労協の今後の重要な課題の一つとして産別機能の強化の方針を確認した。消費需要の減退、大規模小売店舗法の施行による出店、営業規制という経済環境の変化の中で、チェーンストア業界も本格的な低成長時代を迎えている。そうした環境下で今後ますます競合が激化し、企業間格差が拡大していくことが予想される。チェーン労協としては、より一層企業の枠を超えた、。そして労働団体の枠を超えた業界レベルでの統一闘争が必要であると考えている。そのためには何よりもまずチェーン労協自体を組織的に強化していくことが不可欠である。
チェーン労協はあらたな飛躍をめざして今、重大な転機を迎えている。

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