2003.07.19
岡山大学弁論部同窓会「コスモス会」
プロローグ
■7月9日、岡山大学法・文・経済学部同窓会の大阪支部総会に参加した。ずっと以前に1度だけ参加した記憶があるが、ほとんど初めての参加といっていい。1期生から51期生まで約100名もの参加である。面識のある友人はほとんどいない。
 定刻に始まった総会の挨拶で、大学創立50周年記念事業の記念館建設の話題が出てくる。金光さんという先輩が多額の寄付をされたとか。『金光さん?どこかで聞いた名前やけど・・・。そうや、2〜3年前、弁論部同窓会コスモス会の件で1、2度電話のやりとりのあった人や。一度お邪魔しますといったままそれっきりになっている。ヤバイ!ここは丁重にお詫びをしとかんと・・・。』
 というわけで、懇親会に移ったのを潮に、主賓席近くの金光さんにご挨拶。ひとしき言い訳がましく口上を述べた後、「ところで、今度のコスモス会には行くんやろな!」とは金光さん。「実は欠席の通知をしてまして・・・」「そらあかんがな、弁論部解散のいきさつはもうエエから、とにかく参加だけはせんと!なあ陶浪君」と隣の弁論部の大先輩と思しき方の同調を求める展開に。不利な状況は如何ともしがたい。思わず・・・「考えて見ます」。
■帰宅途中で思案した。どう考えても解散当時の弁論部メンバーが一人だけで出席するのは考えものだ。狼の群れに子羊が一匹迷い混んだようなものではないか(こりゃ、言いすぎ?)。選択肢は「欠席する」「仲間を集める」のいずれかしかない。
 帰宅後の電話作戦。頼みの綱の京都府庁の竹内さんは「所用があって欠席連絡をした」と聞いていたので除外。大阪在住の14期の森元さん、同期の島元君は出席できないとのこと。岡山在住の平井さん、岡本さんに連絡。何とかお二人の参加の約束を取付ける。そうこうする内、竹内さんからも「都合がついたので出席する」との連絡。ヨカッタ〜ッ!4人揃えばどうにかなる。
五十周年記念館(大学構内)での交流会
■7月19日、コスモス会当日。午後1時に、JR岡山駅西口で竹内さんと合流し、地元の岡本さんに連絡。スポーツセンター前のファミリーレストランで時間潰しをした後、岡本さんのマイカーで母校に向かう。
 コスモス会会場の五十周年記念館の場所が分からない。法文の構内と見当をつけ、駐車。構内の女子学生に所在を聞くが、知らないとのこと。二人目の男子学生は意味不明の言語を発する。アジア系の留学生だった。駅弁大学(こんな表現はもう死語となっている?)だった母校のグローバル・ユニバーシティー化に感激。結局、西門受付のおじさんのお世話になる。さすがに明快。すぐ南の農学部構内北側を教えられる。(左下画像)
五十周年記念館のありか(記念館パンフレットのパクリ) 五十周年記念館の概観
■午後2時前、会場の記念館2階会議室を訪れる。既に多くの先輩方の姿が見える。私にとってはほとんどの方が初対面である。定刻になり、まず職員の方の案内で館内見学。
 今年4月に竣工したばかりの施設とのこと。学生に聞いても知らないのも無理はない。
1階交流サロンの壁面には、著名な陶芸家の備前焼のモニュメントがある。首相官邸を飾る壁面モニュメントと同じ作者とのこと。会館の中核施設はなんといっても1、2階吹き抜け構造の409席収容の多目的ホールである。寄贈者の功に敬意を表した「金光ホール」のプレートが入口を飾っている。
1階ホールの備前焼造形 多目的ホール「金光ホール」 岡本幹事の開会
■館内見学の後、会議室に戻っての交流会。今回のお世話役である岡本貴夫幹事の開会挨拶。いきなり、30数年前の弁論部の名称変更の際の、当時の部員たち(私たち15期、16期の参加者)との論争のエピソードが披露され、大学創立50周年を期に弁論部OBたちがこの場に集い、あらためて弁論部が復活したとの想いが吐露される。
 このレポートの報告に当たって、岡本幹事から以下の、当日の挨拶原稿を寄せて頂いた。 
岡大弁論部は、岡大創立時に設立されました。学生自治会において創立時の弁論部員の小野、中原が主要なメンバーを占め、自治会を主導していました。
  その弁論部が、16年後に、『社会は、弁論よりも現実的行動を要請している』として弁論部の名称を『現代思想研究会』に変えました。これを聞いた私たち弁論部OBは、当時の現役部員たち数名と山佐別館で会合を開き、弁論部の名称を残すよう求めましたが、受入れられず、弁論部は解消しました。
 それから20年間、弁論部OBの各界での活躍は目覚しいものがあります。また50年を経過した岡山大学同窓会では、会長に岡本、副会長に陶浪、近藤、小田の3名が選出され、岡大ロースクール設置に積極的に尽力し、認可を得るに至りました。
 今日、お集まりいただいているこの岡山大学五十周年記念館についても弁論部OBが主要な役割を果たしました。
 続いて塩飽幹事からは以下のような挨拶があった。
 「岡山大学五十周年記念館設立委員会メンバーには、委員長に小長、副委員長に塩飽、委員に小田の各弁論部OBが選任され、設立に貢献しました。資金的にもOBの金光君が寄付額の半分以上を負担しました。従ってこの記念館は、弁論部記念館といっても過言ではありません。」
 引き続いて参加者の近況報告となった。以下は、スピーチ順の参加者の顔写真である。敬称は省かせて頂いた。氏名右の数字は卒業期である。
光成純一H 竹内賢樹N 日高昭夫O 岡本裕行N 村上真幸G 今田芳子B 竹下光枝L 岡本幸子F 粂井英二H
岡田克三B 陶浪保夫B 小田耕一郎D 横林督之D 大守一男K 土倉 敬A 定金 聡@ 岡本貴夫@ 高木淑子A
金光富男A 岡崎 徹K 長森弘祐@ 大森篤子A 平井昭夫N 塩飽得郎@ 高坂知忠D 大森 浩@ 小野昭典@
■様々なエピソードで彩られた参加者の近況報告は、私にとって新たな発見と、共感と、驚きをもたらすものだった。
 何しろ1期生から16期生までの16年もの年齢差を跨ぐ集まりである。「六高」と呼ばれた旧制高等学校入学者もいるという。最年少参加者の私が、定年まで2年を残すばかりの年齢である。参加者の皆さんの年齢は推して知るべし。
 にもかかわらず、語られる近況は、ボランティア、ハングル語学習、保護司、短大講師、弁護士、ポルノ小説著作?留学生のお世話、10数社の経営者、パソコン学習、社交ダンス、カントリークラブ理事長、週刊誌発行等々・・・。今なお旺盛な好奇心と精力的な活動で、第二の人生を精一杯謳歌していらっしゃるようだ。
 どこの集まりでも同様らしいが、総じて女性陣の元気さが男性陣を圧倒している。5名の先輩女性の驚くばかりのパワーに脱帽。
■弁論部1期と2期のカップルである大森さんご夫妻は、東京からの揃っての参加である。相互に労りと気遣いを思わせるお二人のスピーチを、ほほえましく、うらやましく聞かせてて頂いた。横林さんは、兄弟で部員だったとか。こうしたことも初耳であり、新鮮な驚きだった。
■いくつかのスピーチに共通したものは、「岡山大学卒業というより、弁論部卒業という想いが強い」という言葉に象徴される気分である。早稲田大学雄弁会に代表されるような「雄弁の部」ではなく、思索と論議の場という性格の強いサークルだった。個性の強いメンバーたちによる「カオス」な世界だった。こうしたサークルがメンバーたちに与えたはかりしれない影響が「弁論部卒業」と言わしめているのだろう。私自身が感じていたこうした気分は、先輩たちから脈々と受け継がれたものだった。
 真打(とり)のスピーチは1期の小野さん。草創期の弁論部が、既に醸していた上述のような雰囲気が報告された。合わせてコスモス会発足の興味深いエピソードが語られた。「昭和28年卒業の時の10名前後の仲間が倉敷で集まったのが第1回の会合だった。学生時代のカオスな気分からの脱皮に向けて、コスモス会と命名された。」
■私を含め15期、16期参加の4名は、弁論部の名称を現代思想研究会に改称し、ひいては弁論部消滅に導いた当事者である。その意味で私たちは、弁論部を愛してやまないコスモス会の諸先輩からみればA級戦犯なのだろう。
 4名のスピーチはそれぞれにその点に触れたものだった。「私たちの頃は、時代の大きな変わり目だった。弁論部の解体は、それまでの秩序や組織が崩れていくそのさきがけだったと思う。」平井さんからのメッセージである。
 4人組に対する先輩方の対応はきわめて好意的なものだった(と思う)。いずれにしても、私にとっての積年のわだかまりが、今回のコスモス会参加を通して解消された感がある。
 冒頭の岡本幹事の「50周年を期に弁論部が復活した」という表現は、弁論部消滅を巡るOBたちの世代間のカオスが、今回の会合を通して「コスモス」の場に収斂されたことを意味してはいないだろうか。
■交流会の閉会後、金光さんから弁論部機関紙「カオス」の復刻版発行の提案があった。私も手元にあった昭和39年3月発行の17号と最終号ともいえる昭和41年春発行のガリ版刷りの春季臨時号を寄贈した。
まだ集め切れていないバックナンバーもあるようだ。このレポートが復刻版発行の一助になればと思う。
■さすがは弁論部OBたちである。27名の近況報告は、主催者の予定時間をはるかに越えたようだ。5時からの懇親会の時間が迫っていた。予定の母校構内の散策は、断念。
 記念館玄関前での記念写真だけは辛うじて実施。(右の画像)
■ホテルグランヴィアでの歓談
ホテルグランヴィア岡山
■タクシーに分乗して向かった懇親会会場は、JR岡山駅前の「ホテル・グランヴィア岡山」である。
 参加者全員の集合を待って、まずはホテルの専任カメラマンによる公式記念撮影。(右画像) 
■懇親会は、4テーブルに分かれての会食。結果的に、在学中、交流のあった年代の近いメンバーどうしの陣取りになる。
 岡本幹事が、開会宣言後、司会者に平井さんを指名。コスモス会幹事は岡山、大阪、東京の各グループの持ち回りらしい。今回幹事は、岡山組。そこで最後のお勤めが、間際の参加となった平井さんに回されたようだ。
 小野さんの乾杯に始まり、何人かの参加者からのスピーチと歓談の中、あっという間に予定の時間が過ぎる。小田さんの中締めの挨拶の後、岡本幹事から大阪組に次回の幹事役の提案があった。指名された金光さんは、いきなり私に受諾の弁を述べよとの指令。酔いに任せて、大阪在住の若手?とともに金光さんの下働きを努めることを表明。ついでに今回のコスモス会の模様をホームページでアナウンスしたい旨も宣言。後を引きとった金光さんは「3年以内の開会」を約束。
 8時過ぎ、コスモス会の公式行事は無事お開きに。二次会参加者を後に、竹内さんともどもひかり号に乗り込んだ。
 尚、昼の部のメンバーに加えて、懇親会には3名の方が参加された。永井三郎(1期)、澤根一人(7期)、竹本秀忠(13期)の皆さんである。
■至れり尽くせりの充実した企画と運営だった。今回の幹事役の皆さんには心から感謝をしたい。
 尚、参加に当り、コスモス会会員名簿を持参した。今回不参加だった副島さんから、以前頂いたものだ。このレポートをまとめる上で大いに役立ったことを付記しておきたい。 
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