足立区差別行政糾弾闘争の原点を確認し、「同和行政」を実現していくために


 運動の次のステップへ差別行政糾弾闘争を引き継ぐために、もういちど足立区行政の実態を確認しておきたい。それをもって共闘の中味を強化し、陣形の拡大に供していきたい。それが本報告のねらいである。

1、同和行政の経過と形態

 現在の同和行政は、運動団体の要求に対し、行政側が「主体性・中立性」を対置するというせめぎあいが、ひとつの局面を形成するようになっている。それは、議会における保守的基盤(自民党など)と共産党とが政策共闘をむすぶという形で、足立区の場合は同和行政の初期から問題化していたといえよう。
 同和行政の前史をふまえてみよう。戦前や戦後初頭の厚生省による地方改善事業という段階をへて、1965年の同和対策審議会答申と69年の同和対策事業特別措置法の制定によって、国と地方自治体の事業のなかに同和事業が位置づけられた。同時に官民による諮問機関・同和対策協議会が設置され、行政内にも同和事業を管轄する部局が指定され、あるいは同和対策担当・同和教育担当などが設置された。
 同対審答申の意義のひとつは、「国民的課題」と表現されたように、単なる国策の次元にとどまらず、政府−住民の権利にして義務という問題として、部落問題の解決を宣言した点にある。そして、その意義を各地方自治体で担保し実現する場として、「同和対策協議会」(同対協)が設けられた。
 周知のように、同和対策特別措置法は79年から3年延長され、さらに82年には「地域改善対策」と名称を変更、87年にはいわゆる「地対財特法」、92年にはその5年延長という過程をへて現在にいたっている。全体の趨勢は特別措置としての同和行政を削減・縮小し、一般対策へと移行することにあった。だが、同和協や同和教育担当が設置され、解放同盟などとの協議をふまえて同和行政をすすめている自治体が、ただちに削減・縮小という国の方針に対応できているわけではない。「残事業」をかかえ、国庫助成なしにたちいかない場合もまだまだ多いが、もうひとつ重要な契機は、日常的に差別事件が発生していることである。そして、こうした日常的な差別事件を解決するという点において、最も有効な形態が、同対協などを活用する現行の同和行政の進め方であると確認されているのである。その形態は歴史的な経過をふまえているというだけでなく、もっとも現実的な帰結なのである。

 同和行政の進め方は全国で一律ではないが、基本的に、日常的に運動団体と交渉・協議して同和行政をすすめるための条件はされている。差別事件の発生などにあっては、その行政責任を引き受け、解決にむけた努力が生み出される条件はあるのである。
 栃木県佐野市で発生した曹洞宗の住職の差別事件を例にとろう。
 このとき、住職がほとんど行政の啓発などを受けていなかったことなどから、解放同盟は佐野市の啓発責任も追及した。この糾弾会のなかで、はじめて、担当職員・教員などが部落にたいしてどういうイメージをもってきたか、ひとりひとりの「本音」が語られた(部落の家を訪問したときは、出されたお茶はかならず飲め、などの初任者への「教育」があった等)。同対審答申から20年目のことであるが、これは驚くことではないだろう。現行の同和行政であっても、あくまで「部落問題を自分の問題として考える」同和行政を建設するための条件が存在しているに過ぎないのである。
 また、差別事件の発生がないかぎり、問題化したり、意識化したりすることがないというのも実態である。この間、「部落解放基本法」制定のための世論づくりとして、部落問題解決のための「条例・宣言」制定運動がよびかけられてきたが、それは事件発生を待つような待機主義的な態度にたいして、日常的に行政や議会、あるいは住民意識によびかける手段でもあったのである。

2、足立区同和行政の問題点と現状

 この間撤回させる会が重ねてきた対区交渉のなかでも、「身元調査による結婚差別」を示唆する相談電話があったこと、しかしその際同対主査が「戸籍では部落出身かどうかわからない」などと答えていたことも判明している。その他にもえせ同和団体「同和文献保存会」図書の購入など、区の職員がかかわる差別事件も報告されてきた。しかし、こうした事態を解決していくための基本的な方針を足立区は有していない。足立区に差別事件をあつかう力はないのである。それは部落問題・差別問題に対する緊張感の不在ということでもある。
 こうした実態はどのように形成、あるいは放置されてきたのか。
 82年の「9・14決定」にいたる過程では、足立支部の「同和対策事業特別措置法延長に関する請願」と、共産党側の「同和問題実態調査中止等実現促進の陳情」「(同)法の民主的改正・延長に関する陳情」の双方の主張に対して、区議会でも前年から継続審議の状態にあり、内部でも意志統一に時間がかかっていたことがわかる。
 こうした差別問題・解放運動にたいする態度の決定について、足立区における特別の事情として金井闘争があったことが推測される。81年の区議会において、自民党の杉山区議は、「(国家)資源」としての子どもとその教育にあたっては、「健常児と障害児を同じ場で教育することは双方にとって適当でない」と、花畑東小と教育委員会の決定を追認するとともに、転校要求闘争のデモ等に対しては、「寒空」のもとで「障害児を全面に押し立てた運動」「(国際障害者年ではなく)障害者虐待年」と述べている。古性区長(当時)もこの質問の趣旨に賛同した答弁をおこなっている。
 差別問題における当事者性、あるいは差異を認め、統合ではない権利保障といった、差別問題に不可欠の基本的な姿勢を、この時もふくめて一貫して足立区行政はまなぶことがなかったのである。
 足立における部落問題と同様に、81年当時から(あるいはそれ以前から)懸案にとされてきた課題に、朝鮮学校の援助に関する一連の問題がある。父兄を中心とした陳情「朝鮮学校の父兄に対する特別助成金交付」や「請願」に対して、足立区では85年になって「請願」を採択、91年に補助金の交付が「区議会の要望」として採択された。しかし、足立区に先んじてすでに東京21区では実際の補助金の交付業務がおこなわれていたのである(この件は実施されたが、関連して、こののち「朝鮮学校に対する処遇改善のための実行措置を求める陳情」が提出された。しかし1995年現在「継続審議」扱い)。こうした姿勢は、1990年の「在日韓国人の法的地位協定」(いわゆる90年問題)をめぐる陳情、外国人の職員採用、在日朝鮮人・朝鮮人障害者の年金問題に関する陳情などについても共通している。都内でも有数の朝鮮人・韓国人の集住地域が存在していながら、とりくみはほとんどなされていない。
 また、足立支部が対区要求で示してきたように、区内の在住・在勤の部落出身者の存在はもとより、足立区に皮革関連業・靴加工業など部落関連産業が集中していることは、業種調査でも把握されている。また、趣旨に相違はあれ、カバン・袋物製造業の保護育成や革靴の関税割当制度に関する陳情、「皮革・靴加工等の地場産業の振興と雇用確保」に関する陳情など、地域の実態を反映した要求があげられてきた。足立支部でも都の「産業労働基本計画」にもとづく業種育成を推進するよう要求している。
 これらのことを勘案すれば、足立区は、部落問題、在日朝鮮人・韓国人問題についての総合的な施策がもっとも求められる行政区のひとつなのである。そもそも、台東・荒川・・墨田・葛飾などの東京東部から埼玉県草加市などにかけて、部落関連産業が集中し、部落出身者が数多く居住している点に、ひとつの地域性がある。前東京都知事・鈴木都政に範をとったような中心志向、プロジェクト事業中心の区政は、こうした地域性をあえて無視して進められてきた、きわめて特異な区政だといわざるをえない。
 なお、足立区は形式的には「同和問題」の啓発活動に取り組むと約束している。しかし現在、区民への情報公開の場である足立区の「区民情報室」の区政のコーナーには、「同和問題」の棚がない(女性・障害者等はある)。区内で発生した差別事件も記録されておらず、その経験が蓄積されていないことがわかる。不十分ではあれ、その時々の区自身の取り組みについても、活用する気がないということである。
 (付言すれば、「あだち広報」の「同和問題の理解のために」も閲覧できるような形になっていない。また、区が発行している「同和問題」パンフレットについて、以前、都立産業労働会館の連絡先を掲載するよう要求したが、実行されていない)。
 かつて足立支部との交渉の際、足立区の同対協は、区議会−特に共産党からの批判を警戒する没主体的な姿勢を克服することができなかった。共産党区議は、「91年1・10合意」を批判する際にも、足立区が都の同和対策部の方針に屈伏したという点を主張している。これは共産党の一貫した主張であるが、しかし、足立区はこれらを「区議会の主張」として根拠づける。それは自身の差別問題にたいする無理解−差別性が指弾されることをおそれるがゆえの理屈として、身についたものである。そして結果的に足立区は区民の目から部落問題について、自身の取り組みさえも隠してしまった。部落問題への取り組みが形骸化し、緊張感が喪失していくという悪循環にはまっているのである。
 同和行政の実現とは、差別の実態を把握し、その解決を行政の中心にすえることである。反差別の視点を欠落させた「福祉・人権」の主張は、区議会でも結果的に前区長・古性の時代の施設プロジェクト重視の行政改革−合理化路線を批判しきれなかった。この区政の実態が一挙に転換するとはいいがたいが、少なくとも具体的に人権を保障する地域社会をつくるためには、反差別という視線を欠くことはできないのである。
 足立区区政の歴史と問題点をおさえたうえで、足立区政のぬきがたい差別性と闘いぬくために、私たちの運動の核心として、以上のことを強調したい。
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