足立区九・一四決定を撤回させる会 第6回総会基調


初めに
 今年の総会で、撤回させる会は結成から満五年を経た。撤回させる会結成総会時寄せられた檄には、「五年をメドに闘いの集約も視野に入れて活動を進めよ」という趣旨の提言があった。法律の変わり目に当たったことも、五年前と共通する指標である。今総会では、この五年間の活動を振り返り、撤回させる会の活動で何が変わり、何が課題として見えてきたのかを明らかにしていきたい。
 また、先日行われた足立区長選で日本共産党の候補が保守系二候補を破って新しい区長になるという、足立区における部落解放運動そして同和行政のこれからを考える上で、非常に大きなできごとが起こっている。具体的な政策、部落解放同盟足立支部や撤回させる会への対応の変化は、これから明らかになってくるが、日本共産党の部落解放同盟憎しの姿勢を思うと、事態は極めて厳しい。こうした状況の中で、改めて部落解放運動の課題そして同和行政の問題点を明らかにする特別報告を用意しているので、この報告も参考に、今後の闘いの方針を決していきたい。
足立の風は変わってきている!
91年「四項目合意」からの5年間の到達地平とさらに前進を勝ち取るために今なすべきこと

「四項目合意」をてこに足立区に迫る動きを創ってきた!
 九一年一月一〇日、足立支部と足立区は、集会所問題の解決と「同和問題の課題について協議」することを明記した「四項目合意」を支部長・区長の名前で交わした。
 九〇年七月に最高裁の上告棄却決定により「集会所裁判の敗北」が決定した後、その年の一二月、当時の東京都副知事のあっせんにより足立支部と足立区が妥協案を持ち寄って交渉を行い、翌年早々に「四項目合意」に達したのだった。
 この「四項目合意」にのっとって、足立区からは足立支部に解決金が支払われ、足立支部は一〇年近く実力で防衛し抜いてきた集会所=支部事務所を明け渡し、同時に足立区本木に現在の「なかまのいえ」を建設した。また、この「四項目合意」に基づいて、足立支部は足立区に対して同和対策・人権啓発などについての交渉を要求し足立区もこれに応じてきた。
 足立支部の継続的な足立区への交渉要求、撤回させる会の行ってきた申し入れ行動、そして九三年秋に足立区西新井の日清紡東京工場で発生した就職差別事件に対する東京都連・足立支部・撤回させる会の取り組みは、足立区当局を大きく動かしてきている。
 昨年秋、足立区広報は月一回掲載している「同和問題の理解のために」という連載の中で特に「差別のない公平な採用選考」という項目を設け、連載三回分を使って就職差別が足立区内で現に起きていることを報告し、公平な採用選考を進めるよう注意を促した。
 人権週間に行っている「人権啓発講演集会」の講師も、八二年以来一〇年に渡って磯村英一・地対協会長(当時)に依頼していたのを、近年、松本峰雄・千葉県部落問題啓発センター理事長、福岡安則・埼玉大学教授といった人々を招くようになった。
 足立支部の交渉相手も、同和対策の窓口となっている総務部にとどまらず、同和教育に責任を持つべき区教委もテーブルに着くようにはなった。
 八二年の足立区「九・一四決定」が、足立支部の活動そのものを否定し足立区における部落解放運動を解体しようとするものであったことから見れば、足立区の姿勢には格段の変化があったと言って良い。
 足立区を突き動かして「四項目合意」を実現させたのは、何よりも一〇年におよぶ足立支部・支える会を軸とした足立闘争の力に他ならない。そして、足立支部・撤回させる会の継続的な足立区への働きかけが、「四項目合意」を一片の紙切れに終わらせず、今日の姿勢の変化を呼び起こしてきた。この点を、足立支部・足立闘争に心を寄せる全ての人々とともに確認しておきたい。

「区議会決定」を突き破る継続的・決定的な力の創出を!
 とはいっても、「九・一四決定」は明確に否定され撤回されるには至っていない。足立区当局は、大きな姿勢の変化を見せたものの、「九・一四決定」撤回を迫られると、「区議会決定」の壁の中に逃げ込んでしまう。
 翻って経過をたどってみると、七一年の足立支部結成、七三年末の集会所設置という足立における部落解放運動の前進に対し、七〇年代半ばから日本共産党の組織的な敵対行動が強まってきた。六六年の京都厚生会館占拠事件、六九年の矢田教育差別事件などで明らかになりつつあった日本共産党の部落解放同盟への姿勢が、七三年から七四年の兵庫の一連の衝突、特に八鹿高校事件を機に、全国的な規模での部落解放同盟に対する敵対行動組織化と激化していたのだった。この流れの中で、足立では、結成時の足立支部そして東京都連の執行部にいた日本共産党系の活動家たちが、大衆闘争の前進の中で部落解放運動の中に居場所を失っていったことに危機意識を覚えた日本共産党が部落解放運動つぶしを狙った請願を数次にわたって区議会に提出し、同対協の廃止を要求し、保育室「なかま」助成の廃止、集会所の廃止といった、後に「九・一四決定」にそのまま文面化される要求を行っていた。彼らの圧力と議会内でそれに呼応する動きがあって、七六年以降、同和対策相談員の減員やなかま助成の相次ぐ減額といった攻撃が進んでいた。その集大成として、八二年の「九・一四決定」があったわけだ。
 足立支部・支える会を両輪の輪に闘われた足立闘争は、福祉切り捨ての最先頭に立っていた足立区当局との闘いであったと同時に、七〇年代終わりから八〇年代初めにかけて全国的な闘いとして取り組まれた金井康治君の転校実現運動と同じく、日本共産党の反差別闘争への敵対との闘いでもあった。
 九一年の「四項目合意」は、足立区当局に対する闘いの前進を鮮明にした大きなステップではあったが、区議会が折に触れて明らかにする部落解放運動への反発・敵対を決定的に封じ込めるものとはなっていない。この意味で、「九・一四決定」撤回を求める運動は、未だ決定的な力を持ちえてはいない。
 今年で期限が切れる現行「地対財特法」の延長もしくは同様の法の新規立法が先日閣議で確認された。こうした条件を活かしながら、さらに粘り強く「九・一四決定」撤回の闘いを進めて行かなくてはならない。

勝ち取った前進を活かしさらに大きな部落解放の流れを創り出すために
 前述したように、「四項目合意」を踏み台に、足立支部は足立区との関係で大きな前進を勝ち取ってきている。撤回させる会も、対区署名運動・提出行動の積み重ねなどでこの前進に寄与してきた。
 その一方で、さらに具体的な場面に即した部落解放のための課題が明らかになってきている。足立支部の立てた対区要求の方針に即して言えば、一つは人権啓発・区職員研修の課題であり、もう一つは学校における同和教育そして就職差別を許さない姿勢づくりの課題である。
 足立区広報での「同和問題理解のために」の内容に変化が現れ、人権週間に足立区が主催する人権啓発講演会の講師選択に、足立支部への配慮が見られるとはいっても、これはいわば「現場の裁量」のレベルにとどまっている。これを実質的なルールとして勝ち取っていくためには、足立支部へ足立区や区内の職場・地域の部落差別をはじめとするさまざまな差別の現状が報告され、共通の課題での対区行動や交渉ルールの明確化を迫る動きを創り出していかなくてならない。
 また、足立区当局の中でも、全体の窓口である総務部はこの五年間の交渉の積み重ねを経て、「現場の裁量」のレベルではあっても具体的な努力の姿勢を見せているが、教育現場に影響力を持つ教育委員会は、足立支部との交渉にもすんなりとは応じようともしない。教育委員会への働きかけを強化することも、足立支部そして足立での部落解放運動の前進を願う仲間たちの課題になるだろう。
 こうした課題に応える運動の形態は、これまでの撤回させる会の枠組みの中だけに限定することなく、もっと広がりを持ったものでなくてはならない。対区署名の取り組みの中で、初めて接点を持った区内の労働組合や民主団体などにも呼びかけて部落解放運動前進のための大きな動きを創り出していくために、足立支部とともに撤回させる会も全力を尽くしていきたい。
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