Stephen J. Gouldについて僕の知ること

THE MISMEASURE of MAN

2002年5月20日、スティーブン・J・グールド Stephen J. Gould が亡くなった。まだ60歳。死因は肺ガンだという。

職場でとっている新聞(日本経済新聞)の夕刊に小さく載った死亡記事で、彼の死を知った。その夕刊を読んだのが、発行日の2日だか3日後のことだったので、インターネットで追悼記事を探した。日本語の追悼文は、早川書房が逐次刊行している彼のエッセー集の翻訳者である渡辺政隆さんのものだけだった。友人に電話をしたところ、「岩波の科学の次の号に誰か書くんじゃないかな?」と言っていた。フォローし切れていないので、何か知っている人があれば教えて欲しい。(2003年6月24日、オンライン書店BK1にグールド特集ページがあることを発見した。http://www.bk1.co.jp/s/gould/。渡辺政隆さんの追悼文、著作一覧などが収録されている。参照して欲しい)

彼が死ぬまで在籍していたハーバード大学の学内新聞が追悼特集を組んでいる。一緒に仕事をしていた動物学教室や天文学部の教授たちは、口を揃えて、「複雑なことを簡単にしないで明確に表現する力を持っている人だった」と言っている。なるほど、と思う。また追悼特集冒頭の「outspoken and often controversial (ズケズケとものを言い、しばしば論争を引き起こした)」という評は、punctuated equilibriumが引き起こした進化をめぐる論争、「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスとの論争、そしてまた進化論を否定する宗教的原理主義との粘り強い論争を見ると、よくわかる。

今、目の前にある「THE MISMEASURE of MAN」(ペーパーバック: 444 p ; W W Norton & Co ;1996/06/01) も、人間を測る(19世紀には、頭の大きさ、顔の長さと幅、脳の重さを測り意味づける行為が「人類学」・「犯罪学」の方法論の中で位置付けられた)ことへの問い返しから始まって、知能テストの問題点を論証し、こうした測定法を根拠とした人種主義を批判する、きわめて実践的な意義を持つ論争の書と言える。米国では、こうした本が必要となる状況が、1970年代後半そして1990年代初頭にあったことを記録しており、これからも「優生思想と人種主義」が「有効な教育投資のあり方」論の形を取って現れるだろうことへの警告も発している。

1996年のREVISED AND EXPANDED版の邦訳が河出書房新社から「人間の測りまちがい 差別の科学史 増補改訂版」(4900円+税)のタイトルで発行されている。

僕がこの本のことを知ったのは、友達の本棚でだった。まだ、友達の子どもたちが小さかった覚えがあるから、多分、1980年出版の初版の翻訳だったのだろう。

目の前にあるペーパーバックには、UNIVERSITY BOOK STOREのラベルが貼ってあるから、妹の中二だった上の息子を連れてシアトルに行った時に、ワシントン州立大学のブックストアで買ったものだ。西表の民宿でころがって読んだ覚えがあるから、読んだのは2000年の春から夏にかけてのことだった。ということは、買ってきてから2年くらいは積んだままだった計算になる。

読み始めたら面白くて一気に(といっても、英文で400pを超える本なので一カ月くらいかけて)読んだ記憶がある。移民として米国にやってきた貧しい人々を振り分けるために知能テストが活用され「知能神話」ができていく過程と、白人を最上位に置く「人種階梯」を科学的に創り出すために行われた「仮説提示」を論じた章が印象に残っている。

読みながら、そして、この文章を書きながら、繰り返し頭に浮かんでくるのは、僕が学生だった頃に起きた北海道大学人類学教室へのアイヌの遺骨(頭蓋骨)返還運動のことだ。最近読んだテッサ・モリス・鈴木著『辺境から眺める』(みすず書房刊、3000円+税)、小熊英二著『単一民族神話の起源』(新曜社刊、3800円+税)のいずれもが、アイヌを日本人との関係でどう位置付けるのかという19世紀後半から20世紀初めにおける日本の人類学・民族学の論議を紹介している。日本の人類学者も、アイヌの遺骨を墓所から掘り起こし測定し論文を書いていた。そして、それらの遺骨を研究室のガラス棚に陳列して1970年代を迎えたのであった。アイヌを測る、という行為が、「とある人類学者の思いつき」というようなものではないことを、グールドのこの本と前述の小熊英二の本は明らかにしている。

こうした人間測定の延長上で誕生した「知能テスト」批判と人種主義批判が明確な関連性を持つのは米国特有の歴史・状況のせいかもしれない。かつて、僕が触れた知能テスト批判論は、1970年に出された中央教育審議会答申批判と強く結びついたものだった。書いていると思い出す。ちょうどそのころ埼玉県立浦和高校が血友病の受験生を「体育の授業を受けることができない」からと受験そのものを拒む、という事件があった。これに関連して渡部昇一が『神聖な義務』という文章を書いている(2014年12月2日・記 最近読んだ北村健太郎著『日本における血友病者の歴史』に詳しい記述があった。僕のこの部分の記述、誤っているので、ぜひ、北村君の本を読んでほしい。彼の本には、浦和高校は血友病者の大西赤人さんの受験を受け付け入試成績が良かったことを認めたものの内申書を参照すると入学は認められないとしたこと、また、赤人さんの弟の野人さんも血友病者であり病状が厳しかった時期に多額の医療費が発生したことをとりあげた週刊誌のの記事を根拠に渡部昇一が『神聖な義務』を書いたことが記されている)。この件に関して、
★ さっそく4月5日(土曜)
1)北村健太郎(1回生)「神聖な義務」について。
2)大谷いづみ(1回生)「死の尊厳」をめぐる言説の変遷。

1):渡部昇一という人が1980年に『週刊文春』に書いた「神聖な義務」という文章がありました。cf.
http://www.arsvi.com/0y/hmp.htm
 そのことを巡って。報告者の北村さんの研究テーマは「血友病」。
患者会の活動にも関わった家族(父親)への聞き取り調査で修士論文を書いてから、こちらの大学院に入学。これからより広く深く血友病をめぐることを調べていきます。今回の報告は5月17〜18日京都の龍谷大学で開催される日本保健医療社会学会大会での報告の準備も兼ねます。
という研究会が予定されている。興味のある人は、この研究会を主催する立命館大学大学院先端総合学術研究科の立岩真也さんのページhttp://www.arsvi.com/を見て欲しい。

優生思想と人種主義そしてアフリカについていろいろと考えているという人は、ぜひ一読して欲しい。

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