第二章

1
 ある日曜日、イチチリ地区のイルモログの町のゴルフ・コースで悪魔はジャキンタ・ワリインガの前に現れた、そして彼女に言った、「待て!」と。私は話しを先に急ぎ過ぎている。ワリインガのトラブルはイルモログで始まったのではない。話しを後戻りさせよう。
 不運とトラブルは、ワリインガがナイロビを離れるずっと前からつきまとっていた。ナイロビで、彼女は、ナショナル・アチーブビル近くのトム・ボヤ通りにあるチャンピオン建設会社で秘書(タイプと速記)として働いていた。
 不運はどんな聡明な精神よりもずるがしこい。そしてトラブルはトラブルを呼んでいく。金曜日の朝、ワリインガは、彼女の雇用主で会社の社長のボス・キハラの誘いを断ったためクビになった。その夜、彼女は、恋人ジョン・キムワナから、ボス・キハラの愛人だ、と責められ、捨てられた。
 土曜日の朝、ワリインガが住むナイロビのオファファ・ジェリチョの家(家というより鳥小屋?床は穴だらけで壁は傷だらけ、しかも天井は雨漏りがする)へ、家主がやって来た。家主は、家賃を上げる、とワリインガに言った。彼女は、これ以上払うのは拒否する、と答えた。彼は彼女に、すぐに貸し家から出ていけ、と命じた。彼女は、この話しは「借家法」に則って進められるべきだ、と宣言して拒んだ。家主はメルセデス・ベンツに乗り込んで去った。ワリインガが瞬きもできない間に、彼は黒いサングラスをかけた3人の乱暴そうな男たちを連れて戻った。家主はワリインガから少し離れて立ち、腰に手をあて、彼女に罵声を浴びせた。「さあ、借家法を連れて来てやったぞ。」ワリインガの持ち物は部屋から放り出され、ドアには新しい鍵がかけられた。連れの男の一人が彼女に紙を一枚抛ってよこした。それにはこう書いてあった。

悪魔の天使:プライベートな仕事屋
このできごとを、ほんの少しでも当局に報告しようとしたら、我々はあなたに神の王国もしくは悪魔の王国、天国か地獄への片道チケットを与える。

彼らは全員メルセデス・ベンツに乗り込み姿を消した。
 ワリインガはしばらく紙切れを見つめた。それから箱の上に座り込み、頭を抱え込んで、自問した。「なぜいつも私なのだろう?どんな神をあざけったというのだろう?」彼女はハンドバックから小さな鏡を取り出し、ボーッとしながら顔を見た。そして心のいろんな問題をあれこれと思いわずらった。彼女は自分に問題があると思った。産まれた日を呪った。そして自問した。「かわいそうなワリインガ、どこへ行けるのかしら?」
 彼女が両親の下へ帰ろうと決めたのはその時だった。彼女は立ち上がり、荷物をまとめ、それを隣の部屋のカンバ族の女性に預け、心の中が心配ごとのあれこれで沸き立つ中で、出かける支度を始めた。
 ワリインガは彼女のすがたかたちに全ての問題の原因があると確信していた。鏡の中で彼女自身を見るたびに、彼女は自分が非常に醜いと考えた。彼女が最も嫌ったのは、彼女の黒さだった。だから彼女は、「黒く生まれた者は白くはなれない」という格言も忘れて、アンビやスノーファイアのような皮膚の色落しクリームを身体につけて色を薄くしようとした。その結果、彼女の身体中がホロホロ鳥のような明暗の斑点になっていた。彼女の髪は、赤熱する鉄櫛で伸ばしたので割れてモールスキンのように茶色くなっていた。ワリインガは彼女の歯も嫌いだった。それらは少し色づいていた。彼女が望んでいるように真っ白ではなかった。彼女はいつも歯を見せないように努めていた。だからめったに口を開けて笑ったりしなかった。もしまちがえて笑ってしまって、それから歯のことを思い出した時、彼女は突然黙り込むか手で唇を覆ってしまった。男たちは時々、ワリインガが唇をいつもぴったりと閉めているといって、ワリインガを怒りんぼと呼んでからかった。
 しかし、ワリインガが幸せで歯の色があせていることや肌が黒いことを思い煩うのを忘れている時、彼女の笑いは人々を完全に和ませた。彼女の声は香油のようになめらかだった。彼女の目は夜の星のように輝いた。彼女のからだは人の目を引き付けずにはおかなかった。しばしば、彼女が我を忘れて道を歩く時、彼女の胸は風に揺れる熟れた果物のように軽快に揺れた。ワリインガは男たちをその場で立ち止まらせた。
 しかし、彼女は彼女のからだの完璧な輝きを判ることができなかった。彼女は他の人々の美しさを強くうらやんで、彼女自身を変えようとあがいた。彼女はいつも自分に合わせて身繕いするのに失敗した。彼女は他の女性たちがドレスを選ぶやり方をまねしようとあせった。彼女の肌の黒さをあるいは彼女のからだの形を引き立てるかどうかは別にして、流行が彼女のドレス選択を決定した。時々、ワリインガは他の女性たちの歩き方をまねようとして、自分の動き方を忘れてしまった。彼女はこの格言を忘れていた。「人まねをするものは自分を見失う」
 その土曜日、彼女がナイロビの街を両親の住むイルモログに向かうためにマタツに乗ろうとバス停に向かっている時も、常に付きまとう自己不信と押しつぶされそうな自分へのやるせなさがワリインガの背負う重荷だった。
 たくさんの日が過ぎて、彼女の生活が夢にも見なかったように変わってしまった後でも、ワリインガは、どうやってリバー通りを歩きロナルド・ヌガラ通りを渡りたどり着いたのかを正確に説明することができないが、聖ピータークラバー教会とミシン店の間にあるレースコース通りの端のカラ・ホテルバス停に立っているのに気付いた。
 1台のバスがスピードを上げて彼女の方へやって来た。ワリインガは目をつぶった。彼女のからだは震えた。彼女の胸はずしりと重く沈みこみ、彼女の心臓は祈りを刻むように打った。「苦しんでいる時、天にいます父なる神よ、どうか他に目を向けないで下さい。涙にくれている時、あなたの顔を私から背けないで下さい。今、私を受け入れて下さい」
 突然、ワリインガは頭の中でひとつの声を聞いた。「なぜおまえはもう一度おまえ自身を殺そうとするのか?誰がこの地上でのおまえの仕事が終わったと言うのだ?誰がおまえの時間は終わったと言ったのだ?」
 ワリインガは急いで目を開けた。周囲を見渡したが、声の主は見つからなかった。そして、震えがつまさきから髪の毛まで彼女の身体中を走り、彼女は一体何をしようとしたのかに気が付いた。
 その時、彼女はめまいを感じた。ナイロビは、人々も建物も木々も車も通りも、彼女の目の前で回りだした。耳は何も聞こえなかった。周囲が遠ざかって全ての音がとまり深い静寂が広がった。膝が折れそうになり、関節から力がぬけて行った。ワリインガは意識とバランスを失いつつあるのを感じた。しかし、彼女が倒れてしまいそうになった時、誰かが右腕を掴んで支えてくれたのを感じた。
 「倒れるところでしたね」彼女を掴まえた男が言った。「こちらへ来て建物の陰に入りなさい。日の光を避けなくては」
 ワリインガは拒むのも忘れて、それどころかしゃべっているのが誰かさえ判らなかった。彼女は、カラ・ヘブンリー・マッサージ・アンド・ヘアーサロンの階段に連れていかれた。サロンへの扉は閉まっていた。ワリインガは二段目に座り、壁にもたれた。その瞬間最後の力が抜けてしまい、彼女は深い暗闇に落ちて行った。静寂。それから彼女はささやくようなざわめきと、ささやきではない音を聞いた。それらは、遠くの歌声が風に乗せられて運ばれたものようだった。

私のからだを葬る
全能の神が私に下さったからだを
私は私に聞いた
彼らが私を埋葬する時、
お墓を一緒にするのは誰か、と

そして音は歌ではなくなり、声はもう聞き取れなかった。それらは意味のない騒音の泡ぶくが弾けるような、耳障りな音の中に紛れてしまった。
 この時ワリインガは、ナクル全日制中学の生徒で、ホーリーロザリー教会に参列していた頃から何度も見た、悪夢を再び見ていた。
 彼女が最初に見たのは暗闇だった。暗闇の一方はねじれて、その先で十字架が空中に架けられていた。次いで、彼女はボロをまとった群集が光の中を歩くのを見た。彼らは悪魔を十字架の方へ駆り立てていた。悪魔は絹のスーツを着ており、たたんだ傘のような杖を持っていた。彼の頭には7つのホルンと7つのトランペットがついていて、地獄を賞賛し賛美する賛歌を奏でていた。悪魔は二つの口を持っていた。一つは顔についており、もう一つは頭の後ろについていた。彼の腹は、世界中の悪を産み出そうとしているかのように、垂れ下がっていた。彼の肌は赤く、豚のようだった。十字架の側で、彼は震え始め、彼の目が光で焼かれるかのようにして、目を暗闇に向けた。彼はうなり、彼と彼の追随者は二度と地上に地獄を建設しないと誓いながら、人々に十字架に架けないよう懇願した。
 しかし、人々は声をそろえて叫んだ。「今、我々はお前のずるがしこさを隠す全てのまやかしの秘密を知っている。お前は殺人を犯し、それから哀れみを装って、残された子どもや未亡人たちの涙をぬぐいにいく。お前は人々の店から夜中に食べ物を盗み、その後夜明けに慈善を装って犠牲者を尋ね、お前が盗んだ穀物でいっぱいのひょうたんを差し出す。お前はお前の好みを満たすために好色さを煽っておいて、規律正しさを装って、人々に悔い改めをうながし、清純な道を指し示してやるから付いて来いと従わせようとする。お前は人々から財産を奪い、その後で友情を装って盗まれた財布を探すのに加わるよう指示する」
 そしてそこで人々は悪魔を十字架に架け、勝利の歌を歌いながら去って行った。
 3日後、スーツとネクタイを締めた連中がやって来て、暗闇の壁から離れないようにしながら悪魔を十字架から降ろした。そして彼らは悪魔の前に跪き、大きな声で祈りを上げ、ずるがしこさを分けてほしいと悪魔に訴えた。そうすると彼らの腹は垂れ下がった。そして彼らは立ち上がって、世界中の悪を受け継いだ大きな腹をゆすりながらワリインガの方へと歩き、彼女を笑った。
 ワリインガは目を覚まし、辺りを見回した。遠くまで旅したようだった彼女の心はゆっくりと、彼女のからだに戻って来た。彼女は、まだレースコース通りの聖ピーター・クラバー教会近くのカラ・ホテルバス停にいることに気付いた。そして、彼女が聞いていた音は車が警笛を鳴らしたり、走る時に立てたりする音だった。彼女は自問した。「どうやってここまで来たの?風が私をここまで運んで来たの?オファファ・ジェリチョで78番のバスに乗ったのは覚えているけど。あのバスはエルサレム、バハチと通り、ジョグー通りに入り、マサク・カントリー・バス停を通過するわ、そして、おー、私は大学へ愛しいジョン・キムワナに最後に一目会おうとしに行く途中だったわ。ホワイト・ローズドライクリーニング近くのナショナル・アチーブビルの外にあるバス停で降りて、トム・ボヤ通りを通ってコーンジャ・モスクを通り越したわ。で、ジーバンジー庭園を横切り、ガーデンホテルを過ぎて、ハリー・スークと大学通りの中央警察署に面した交差点の所で立ち止まったんだ。そこで引き返したのかしら?だって、大学の建物、それも工学部の建物を見たら、私、若い頃に見た夢を、ハバリニにある小学校そしてナクル全日制中学の生徒だった頃に見た夢を思い出したんだ。そしてどうやって私の夢がンゴリカから来たあの金持ちの老人の手でこなごなに踏みつぶされたのかを、思い出しちゃった。その記憶と、昨日の夜ごたごたの泥沼に膝までぬかっている私を捨てたジョン・キムワナのこととが一緒になって、私、急に頭と心が苦しさで燃え上がりそうになるのを感じ、怒りで息ができなくなりそうだった……。私何をすればよかったの?どこへ行けばよかったの?神さま、私のハンドバックはどこ?どこに置いちゃったのかしら?イルモログへの切符代をどこで見つけれるの?」
 もう一度、ワリインガは周囲を見回した。その時、彼女の目は彼女の右腕を掴んで彼女をマッサージ屋の階段に座らせてくれた男の目と出会った。
 「ここです、あなたのバックはここです」、一方がゼブラの背革でデザインされた黒いバックを彼女に渡すために手を伸ばしながら、その男は言った。
 座り込んだまま、ワリインガは彼からハンドバックを受け取った。彼女は彼をいぶかしげに見つめた。彼は落ち着いた顔立ちだが、若々しかった。彼は小さな雄ヤギのような真っ黒い長い髪と長い髭をはやしていた。彼の黒い眼は遠くに隠された物を見る知恵の光を帯びていた。彼はカーキ色のジーンズを穿き茶色のレザージャケットを着ていた。そして、左腕の下に黒い革のバックを持っていた。彼はなぜワリインガのバックを持っていたのかを説明した。
 「君は、ティールームの近くのニェリとムランガ行きのマタツのバス停で、リバー通りの中にそのバックを落としたんだよ。で、僕が拾って君の後を追ったんだ。君は今日すごくラッキーだったね。すぐにも追い付きそうだったんだ。君は催眠薬を飲んで無謀な勇気に満ち溢れた目の見えない人みたいに通りを横切り車の行き来の中をすり抜けていたんだ。僕は君が歩道の縁石の上でふらふらしている時に追い付いたんだ。で、君の手を取ってこの日陰まで引っ張って来たんだよ。それから僕は、君が心の苦しみのせいで行っちゃったどこかの国から帰って来るのを待ちながら、することもなく立ってたんだよ」
 「なんで私が遠くへ行ってたって判ったの?」ワリインガは聞いた。
 「君の顔、君の目、君の唇からだよ」と青年は答えた。
 「私のハンドバックが戻って来てすごく安心したわ」ワリインガはそう言った。「私、落したのも気が付いてなかったの。しかも、ポケットには一銭も持ってなかったの」
 「開けて持ち物を確認してごらん、特にお金を」、青年は彼女に言った。
 「それにはたいしたお金が入ってないの」彼女は悲しみに溢れて言った。
 「そうでも、確かめたがいいよ。25セントを盗む盗人だっていつも吊るされるのを知らないわけじゃないだろ?」
 ワリインガはハンドバックを開け、中をたいして注意もせずに見た。そして、言った。「全部あるわ」。一つの謎が彼女を悩ませていた。「私が道に身を投げようとした時、この人の声が止めたのかしら?どうやってこの人は私の思いの深さを測ったのかしら?どうやって私が死のうとするのはこれが最初じゃないって知ったのかしら?」で、彼女は聞いた。「私が気を失う直前に声をかけたのはあなたかしら?」
 彼は頭を振った。「僕は君が倒れかかる時についたんだ。気分が悪いのかい?」
 「いいえ」ワリインガは即座に答えた。「疲れただけ、からだも気持ちもナイロビに」
 「君が疲れるのは当然だ。」青年は言った。「ナイロビは大きくて無情で汚れている」彼はワリインガの近くへ寄って来た。そして壁に寄り掛かり続けた。「でもこんな風に傷められているのはナイロビだけじゃない。最近植民地支配のくびきから抜け出したばかりのどの国でも全ての都市が同じなんだ。これらの国は、アメリカ人のエキスパートから経済運営を学んでいるものだから、なかなか貧困から抜け出せないでいる。人々が自尊心とは何かを教えられていたら、集団所有を称える昔の歌を忘れないように言われていたら(全ては違っただろう)。彼らは新しい歌を、お金を稼ぐことを祝う新しい賛歌を教えられてしまった。だから、今日のナイロビは

正直さより不正を
優しさよりいやしさを
愛するより憎しみを
良いことより悪を

と、教えるんだ。そして踊りの音頭はこう言っている

うるさく言うものは、人のためにうるさくはしない
けちけちするものは、人のためにけちけちはしない
旅するものは、人のために旅しはしない
人のために探し物をするものはどこにいるんだ?

こういったこと全てを君の心の中でお終いにしなよ。そして君自身に聞いてごらん。

そんな歌は、私たちをどこへ導こうとするのだろうか? どういう心が私たちを養ってくれるの? それは、私たちの子どもたちがゴミ捨て場でネコや犬と残り物を取り合って争っている時に、私たちを笑い転げさせるような心なのだろうか?

賢者はまた知恵を教わることができる
だから言わせてほしい
ギクユは、話すことは愛することへの道だ、と言った。
今日あることは明日の宝だ。
明日は我々が今日植えたものの収穫だ。
だから自らに問うてみよう。
運命を悲しみ、苦しみにうめく、そのことから利益を得るのは誰だ?
種を変えよう、ひょうたんは一種類の種しか持たないわけじゃない!
ステップを変えよう、歌にはいくつものリズムがある!
今日のムオンボコ・ダンス(太鼓でリズムを刻む)は三拍子だ!

青年は突然口をつぐんだ。しかし彼のことばと声はワリインガの耳の中で響いた。
 彼女は青年の曖昧なことばの中に暗示された全てのことを理解したわけではない。しかし、ここそこで、彼女は彼のことばが彼女自身が一度は持った考えに近いことを感じた。彼女はうなずいて言った。「あなたのことばは意味を隠している。しかし、あなたが言っていることは真実だ。今の苦しみは忍耐の限度を超えている。誰が、今の苦しみから逃れるために変化することを、望まないだろうか?」
 しゃべりながら、ワリインガは舌がゆるんでいくのを感じた。彼女は心から重い荷物を持ち上げるかのように話し始めた。彼女はたんたんとしゃべった。かんだかくもなく弱々しくもなく。息つぐひまなくでもなくつっかえつっかえでもなく。しかし、彼女の声は苦痛と悲しみと涙を負っていた。

2

「私のような女の子のことを考えて見ましょう」と、彼女自身に話し掛けるように一点を見下ろしながら、ワリインガは言った。「あるいは、ナイロビのどんな女の子でもいいです。名前をマウア・カレディとしましょう。彼女は村か田舎のド真ん中の生まれだと仮定します。彼女の教育は限られていて、そうですね、CPE(標準テスト)に合格して中学へ行っていました。その学校は、教室に教師がいない時でさえも貧乏な人が大金を払わなくてはならないようなハラムベ学校ではなく、いい学校だとします。
 第2段階になる前に、カレディは学校を辞めました。彼女は妊娠したのです。」
 「誰のせいだ?」
 「ある生徒だとします。その生徒は1セントも持っていませんでした。彼らの交際は、お互いにジェームズ・ハドリー・チェイスやチャールズ・マングアあるいは、デヴィッド・マイルなどの小説を借り貸ししている中で進んだのです。彼らにとっては、歌う歌を、ジム・リーヴ、D.K.、ローレンス・ヌデュルのうち誰のレコードから選ぶのかが問題だったのです。カレディ、あなたはどこへ向かうことができるの?
 あるいは、彼女を妊娠させた男を村から来たのらくら者だと想像してもいいですね。そののらくら者は仕事を持っていません。彼はからだを休める場所すら持っていないのです。彼らの恋愛は村でギターを弾き、夜のダンスをする中で始まりました。彼らは借りた小屋か、暗くなった野外で愛を交わしたのです。かわいそうなカレディ、どこへ行くのかしら?赤ん坊には食べ物と着る物が必要だわ。
 多分、町でならそののらくら者も仕事があるのよ、でも彼の稼ぎは月に5シリング。彼らの愛はブルース・リーかジェームズ・ボンドの映画と、マタツでの帰り道に安いホテルで過ごした5分から始まったわ。誰がカレディの涙を拭き取ってくれるの?
 それとも、あるお金持ちをその子どものおとうさんだとしましょうか。いかにも今風でしょう?そのお金持ちには奥さんがいます。できごとは、日曜日のメルセデス・ベンツでの逢い引きでした。そして学校へ帰る前に、カレディはポケット・マネーとして少しのお金をもらいました。全ては村から遠く離れたホテルで強いお酒の力を借りながら進められたのです。
 生徒、のらくら者、お金持ち、誰だとしても、カレディが妊娠したことを伝えると、反応はみな同じ。『なに!カレディ、誰のせいで妊娠したと言うんだね?私だって?どうしてそんなことが判るんだね?どこか行ってしまえ、他の誰かをお前の妄想でこまらせるんだ、すぐに股を開くカレディ、10セントのカレディめ。お前がドラム缶をいっぱいにするくらい泣いたからって、何もかわりはしない。カレディ、お前がどこかで妊娠して来て、私がたまたま昔お前と遊んだからって、そのつけを私の所へ持ち込むわけにはいかないぞ!』
 カレディは誰に言ってもらうでもなく、そこで腰に手を当て、昨日までの恋人に叩きつけるのよ、『あんたが砂糖だって?私は砂糖なしで紅茶を飲んだ方がいいよ。あんたがバスだって?私は歩いた方がいいよ。あんたが家だって?私は外で寝た方がいいよ。それともベッドだなんていうのか?私は床を選ぶよ。私は絹みたいに触りのいいことを言うジゴロを信用しない。』でも、カレディは強がって見せただけ、心の中では、彼女の心は怒りと踊っている。
 カレディは、赤ん坊が子宮から死体になって出て来ると言う薬を飲まなかったわ。だから子どもが生まれた。彼女は子どもを便器の中に流したり、道端やバスの中に置きっぱなしにもしなかったわ。森の中やごみ箱の中に捨てたりもしなかった。カレディは、両親が望んでもなく受け入れる準備もないままにこの世に登場した子どもを育てるという重荷を、母親かおばあさんの肩にしょわせた。しかし、カレディの母親もおばあさんももう二度と繰り返さないようにと警告した。『これから注意するんだよ、カレディ。男っていうのは、犠牲者の肉から抜けようとしない毒を出す、意地悪い腐らすような毒牙を持っているのを忘れちゃだめだよ。』
 そして、カレディは、誰も他人の罪を悔やんではくれないことをよく思い知らされたわ。誰も、彼女がどうなったとしても残念がってはくれない。微笑まれることは、愛されるとは違う。だから、カレディは唇をギュッと噛んで学校へ戻ったわ。彼女は着実に勉強して第4段階になった。彼女はケンブリッジ試験つまり大学検定試験を受け、英語とスワヒリ語そして宗教のEFCE(検定合格)を得たわ。」
 「すごいじゃないか」
 「でも悩みの種は飛んで行く羽を持ってなかったわ。もう一度カレディの両親はポケットの中を探ってみなければならなかったの。彼らは最後の貯えを引っ張りだしたわ。もしも予期せぬねずみ(悪い事)に出くわした時の備えにと、とっておいた貯えをね。ちょうどその時がそうだったのね。彼らはカレディをさっさとナイロビ秘書学校に送り込んで、彼女がタイピングと速記を学べるようにしたわ。9カ月後、カレディは1分間に35語タイプできるようになり、速記でもいい腕を身に付け、1分間に80語のスピードになっていたわ。目のことばは耳のことばとは違うわ。タイピングと速記、この二つでのピットマンの資格がカレディのポケットにあるわ。
 カレディはそれからナイロビ中を仕事を探して歩き回ったの。ピットマンの資格で武装して、彼女はこのオフィスからあのオフィスへと入って行ったの。その中で、彼女はミスターボスと出会ったの。彼は楽なように椅子に寄り掛かって、彼女を頭の先から爪先まで見たわ。そして言ったの、『何が欲しい?仕事か?判った。今すぐはともかく忙しい。5時に会おう』。カレディはいらいらしながら時間が来るのを待ったの。彼女はドキドキしながらオフィスへかけ戻ったの。するとミスターボスは彼女に微笑みかけて、椅子を勧め、それから彼女に名前を聞いたの。生まれた時に与えられた名前も英語の名前も。それから彼は彼女を悩ましている問題に踏み込んで、注意深く落ち着いて聞いたわ。ミスターボスは机の上を指か手に持ったペンで叩きながら言ったわ『オー、カレディ、最近では仕事に就くのはすごくたいへんだ。しかし君のような女の子なら、君がやることを見つけるのはたいしてむずかしくはないよ。でも、こんなことはオフィスで決めきれることじゃないよ。もっと詳しく話し合うために、あのモダンラブバーアンドロッヂングへ行こうじゃないか。』 でもカレディは以前の毒牙のことを思い出したわ。一度見た人はその後のことを知っている、ひょうたんから飲んだ人はその大きさを測れるのよ。だからカレディは、古臭かろうが今風だろうが、情事を当然とするホテルでの話し合いの誘いを断ったわ。そして翌日も仕事を探して街中を行ったり来たりしてた。
 別のオフィスに入って、また別のミスターボスに出会ったわ。微笑みも同じ、質問も同じ、そしてランデブーも同じ。いつだって狙いはカレディの肢体(からだ)。モダンラブバーアンドロッヂングが女の子たちのメインの雇用窓口、そして女の子の肢体(からだ)が契約をかわすテーブルになっているのよ。少女はかつて快楽の海に溺れたわ。でも、私たちの新しいケニアは、カレディにたった一つの歌しか歌わないの『ねえカレディ、愚か者が落ち着くにはすごく時間がかかるよ。ねえカレディ、どんなごきげんとりも食べることから始まるよ。ねえカレディ、誰も空の手をなめやしないよ。ギブアンドテイクだよ物事は。今の問題は肢体(からだ)の手助けで解決するよ。眠りたいやつがベッドの準備の心配をするのさ』
 カレディはベッドをつくらないと決めたの。そのくらいなら彼女は仕事が決まらなくていい、と考えたの。そして、神さまが本当にウガリ食い(役立たず)でなかったので、ある朝カレディは、今風の愛のためにホテルへ行ったりすることなく仕事に就いたわ。ボス・キハラがその会社の社長だったの。彼は中年で、一人の妻と数人の子どもがいたわ。その上、彼は天国教会の運営委員会のメンバーだったわ。カレディは、オフィスでの仕事を細心の注意でやってのけたわ。
 1カ月が経たないうちに、カレディは彼女自身のカムーンゴイェ(ギクユの舞踊劇に出てくる貧しい青年)を発見したわ。彼は大学生だったの。彼は現代的で進歩的な考えを持っていたわ。カレディが彼に故郷には子どもがいるの、と告白した時、カムーンゴイェは愛を込めたキスで彼女を黙らせたの。彼はカレディにこう言ったわ、『子どもは人々を傷つけかねない豹じゃない。それに、子どもを産んだということは、君が不妊じゃないという証拠じゃないか!』これを聞いて、カレディは嬉しさの余りに泣いたわ。そしてそこで、彼女は心の底から彼への誠実を誓ったわ、『探し求めていたカムーンゴイェを、現代的な考えを持った若者を、見つけたなんて、すごくラッキーだから、わたしは、カレディは、彼に対しては、どんなことでも絶対に怒らず、言い争いをしないわ。もし彼が私に声を荒立てたら、私は黙っているわ。私は恥ずかしがり屋の豹か草を食べる子羊のようにただ下を向いているわ。私は彼が勉強を続けて、何のトラブルも遅れもなく教育を終えれるよう、そして私たちが一緒に足を地に付けて家庭を作れるよう、手伝うわ。私は絶対に他の男を見ないわ。』
 カレディの友達の他の女の子たちは彼女をねたんで、こう言ったの『カレディ、あなたやり方を変えた方がいいんじゃない。ひょうたんの種はどれも同じとは限らないから。』カレディは答えて『落ち着きのない子どもは、ちょうど(家で)山羊が殺されようとする時に、肉を探しに家を離れるのよ』と言った。しかし、女の子たちは、『ねえ、ここは新しいケニアよ。誰もが明日のために必要な物を取っておけるわ。食べ物を残しておいた人はお腹をすかして苦しむことはないわ。』と言った。彼女は、『食べ過ぎるとお腹をこわすわよ。』と応えた。彼女らはカレディをあざけったわ、『食べおしみは見苦しいわよ。』カレディは反論して、『ネックレスを借りてくれば、あなたのはなくなる、と言うわよ。』と言った。
 そんな時、カレディが彼女の生活がすごくうまくっていると、考えているちょうどその時、ボス・キハラは注意深く選んだことばで、彼女に誘いをかけ始めたの。ある日、彼は彼女のオフィスへやってきて、彼女のタイプライターの側に立ち、カレディが打った書類を調べるようなふりをしながら、言ったの、『ところで、ミス・カレディ、この週末の計画はどうなってるかね?君が僕の小旅行に付いて来てくれるといいんだが。どうかね?』カレディは丁寧にことわったわ。上品なことわりは、何の悪い感情も引き起こさなかったわ。ボス・キハラは、カレディが最終的に受け入れるのを期待しながら待っていたのよ。急ぎ過ぎると、ヤムイモを折ってしまう、というじゃない。一月後、彼はもう一度オフィスのカレディのところへやって来たの。『ミス・カレディ、今夜、パラダイス・クラブでカクテル・パーティがあるんだよ。』今度もカレディは丁寧なことばでことわりを述べたわ。
 そして、ボス・キハラがこんな風に考える日が来たわ、『獲物を余りにそっと追いかける猟師は結局獲物を警戒させていなくならせる。懇願するには、いつも手を変え品を替えしなくてはならない。入浴するためには服を全部脱がなくてはならない。』だから、彼はカレディに直裁にぶつけたのよ、『ところで、ミス・カレディ、私は今日しなきゃならない仕事がたくさんある。返事を書かなきゃならない手紙が山になっている、どれも重要で緊急のものだ。君が5時すぎにオフィスにのこってくれるといいんだが、会社は超過勤務手当を払うよ。』と。
 カレディは待っていたわ。5時。ボス・キハラはたぶん手紙の下書きをしていて彼のオフィスにいたわ。6時。他の人はみんな帰ったわ。ボス・キハラはカレディを呼んで、話しができるように座りなさいと言ったわ。1分か2分後、ボス・キハラは立ち上がり彼の机の端にかけたわ。彼は少し笑ってた。カレディは、やっと言ったわ、『どうぞ、ボス、手紙を口述して下さい。私は今夜出かける予定があるのです、もう暗くなってます。』
 『気にしないで、カレディ、もし遅くなったら、私の車で送って行くよ』
 『ありがとうございます、でもごめいわくをかけたくはありません。』、カレディは、苛立ちを隠しながら、平静に応えたわ。
 『いや、たいしたことじゃないよ、私の運転手に言って君を送らせることもできる。』
 『私はバスが好きなんです。どうぞ、手紙はどこですか?』
 ボス・キハラは、ちょっとカレディの方へ身を傾けてきたの。彼の目には、ある種の光が光っていたわ。彼は声を落して言った。
 『カレディ、かわいいね、僕の手紙は心にあるよ。』
 『心の中といいますと?』、カレディは、彼のことばのほのめかしをわからないふりをして、すぐに聞いたの。『そういう手紙を使用人に口述させるなんて、よくないではないですか?あなたの心の秘密が予期せぬ人に読まれないように、その手紙は、あなたがご自身でタイプした方がいいのではないですか?』
 『素晴らしいカレディ、私の心の花よ。他の誰でもなく君こそにタイプして欲しいんだよ。というのは、私はそれらを君の心のポストを通して、君の心の居場所に向けて送りたいのだからだよ。そして君の心の目が読んでくれたら、君の心の中に永遠にしまっておいて欲しいのだよ。だから、君が手紙を受け取ったら、お願いだから《返送》だなんて書かないでおくれ。カレディ。僕の心の花、私が君への愛でどんなにまいっているのか判るだろう?』
 『ボス、お願いですから』、カレディは何とかことばで切り抜けようとしたわ。彼女は一面では、ボス・キハラがどれだけのぞんでいるのかを見せられて、傷ついていたの。でも、もう一面では、ボス・キハラの口から震えるように出て来たことばと、彼の頭にある明るく輝く禿とを比べて、笑いたくなっていたわ。カレディはこの老人を恥じ入らせるようなことばを探したの。『おくさんが、あなたの言っていることをお聞きになったら、どうしますか?』
 『あいつは気にやしないよ。だれも、踊りに行くのに香りのしない香水なんか使わないさ。それより、カレディ、いい子だから、私の言うことをよくお聞き。私はおまえにフハラ・レオ・エステートか、街の中心部に家を借りてやるよ。お前の好きなフラットか家を選べばいい。そこをパリ、ロンドン、ベルリン、ローマ、ニューヨーク、東京、ストックホルム、香港から運んだ家具、絨毯、ベッド、カーテンでいっぱいにしてやる。輸入物の家具と家庭用品だぞ。服も買ってやる、お前が最新のファッションを身にまとえるよう、ロンドンのオックスフォード通りか、パリのオート・クチュールからだ。イタリアのローマからはハイヒールとプラットホーム・シューズ(厚底の婦人靴)だ。この世間じゃ“あてもないしどうしていそがなきゃならないの?”と呼んでる靴を履いてお前が出かける時、私はナイロビの誰もが振り返ってうらやましさで口笛を吹き、あれがボス・キハラの彼女だぜと言うのを聞きたいんだ。この楽しみが続きさえすれば、お前が私をこの地上の全ての喜びで幸せにしてくれ続けるなら、お前に小さなバスケットを買ってやる、それで買い物に行ったり、日曜日にちょっとした旅行に行ったりすればいい。私が思うに、アルファ・ロメオが花嫁にはふさわしい車だな。カレディ、かわいい果物、かわいいオレンジ、私の心の花よ、私の所へおいで、そして貧乏にはバイバイしな…』
 そこで、カレディは、たいへんだったけれど笑いで応えながら、聞いたの、『ミスター・ボス、一つ聞いていいですか?』
 『何でも聞きなさい』
 『あなたは私と結婚したいと言っているのですか?』
 『オー、何でことのなりゆきを理解していないふりをするんだね?わかるだろう、かわいこちゃん、さあ私のものになりなさい、私の愛人になりなさい。』
 『いいえ、私は上司と恋愛しようと考えたことはありません。』
 『かわいこちゃん、何を怖れているんだね?』
 『それに、私はあなたの家庭を壊したくはありません。借り物のネックレスをしているうちに自分のものをなくすかもしれませんよ。』
 『踊りに行くのに、誰も古くなった香りのない香水など使わない、と私は言ったろう。カレディ、私の新しいネックレス、うち捨てられた家庭の豊かな土壌に育つトマトよ。何を怖れているんだね、何が問題なんだ?』
 『私にはカムーンゴイェが、若い恋人がいます。』
 『ハッ!カレディ、笑わせるんじゃない。お前はほんとにそんなに古風なのか?お前は、一人前の男のふりをしているやつらのことを言っているのか?あいつらは割礼だって受けてないだろうが。』
 『自分のために引き抜いたヤムイモにはかびたところはありません。人が折り取ったさとうきびには熟れてないところはありません。人に愛されている人たちは横目を使ったりしません。あなたが割礼を受けてないと言い張っている若者は私の選んだ人です。』
 『カレディ、聞くんだ。私はお前に言うことがある。』ボス・キハラは息をあらげながら言いました。彼はテーブルから立ち上がり、カレディに近づいてきました。『最近じゃ、毛むくじゃらの胸をしたワイゴコと若い恋人カムーンゴイェのどちらを選ぶかという問題はもはや意味がないじゃないか。ワイゴキの毛むくじゃらの胸はお金で剃ることができる。しかし、心が選んだ者だけにしか向かわないというのは真実だから、私はお前が私の愛人になることを押し付けはしない。お前は良い家を拒んだ。お前は高価な服を拒否した。そしてお前はバスケットもいらないという。よろしい、好きなようにしろ。しかし、私にこれだけは望ませて欲しい。私を拒むな。』
 『あなたは天国教会の会員ではないのですか?聖書を読んだことがないのですか?家へ帰ってローマ人への手紙の第8章14行目を読んで下さい。そこには、こうあります〈霊に寄ってキリストに従う者は全て神の子である〉』
 『その同じ本にこうもあるじゃないか〈求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。戸を叩け、さらば開かれん。なぜなら求める者は与えられ、尋ねる者は見出し、戸を叩く者には開かれるから〉と。かわいこちゃん、私たちはどこで寝るかなんて心配しなくてもいいんだよ、このオフィスの床で結構。このオフィスがしゃべれたとしたら、きっとたくさんの話しをしてくれるよ。つるっとしたセメントの床はファンタスティックなベッドになるよ。このベッドは背中から首までの関節を全部伸ばしてくれるよ』
 『背中なんか伸ばしたくない』カレディはもう怒りを隠しきれず声をあらげて言い返したわ。
 それでボス・キハラはカレディを抱きしめようとしたの。二人は椅子をひっくり返すところだった。カレディは立ち上がり、ハンドバッグを肩にかけ後ずさりし始めたの。ボス・キハラは彼女に迫ったわ。彼らはオフィスの中をぐるぐると、まるで狩人と獲物のダンスを踊っているように回って行ったの。ボス・キハラは尊厳を取り繕ろおうとするのをすっかり止めてしまったわ。
 そして急にボス・キハラはカレディに跳びかかったの。一方の手でカレディの腰をつかみ、もう一方の手で彼女のからだに触れようとしたの。カレディは男が掴んでいるのから逃れようとして、彼の胸を握り拳で叩きながら、ハンドバッグからいつも持ち歩いている折り畳みナイフを取りだそうとしてうまくいかなかったの。彼らの激しい息づきはオフィスを充たし、カレディはもう負けそうだと感じたの。突然、彼女はこれがボスだということを忘れ、叫んだわ。『私を離さないなら、大声で助けを呼ぶわ』
 ボス・キハラは動きを止め、妻と子どものことを思い出したの。自分が日曜日には天国教会の回廊に立って聖書を読む人間の一人で、けっこう結婚式に呼ばれてはスピーチをして、新婚夫婦に愛と協調の中で両親と子どもたちが暮らすことの必要性を説いてるということもね。これら全てのことを一瞬のうちに彼は思い出したの。彼は、秘書をレイプしたと告発された時に国中で起こる彼への侮蔑を想像したの。欲情の炎は突然消え、突き上げる思いも引いたわ。彼はカレディを放し、ポケットからハンカチを取り出し、汗を拭いたの。カレディを見て、何か言おうとして止めたの。体面を保つためのことばを探していたのよ。笑おうとしても、笑いは消えていくばかり。ことばに詰まって聞いたの『カレディ、親しくなるとからかったりするものじゃないかね?ともかく、早まった結論を出さないでくれ。これは父親と娘の間のジョークだよ。もう、お帰り。手紙は明日の朝早くに書いたがいい。』
 カレディは家へ帰ったわ。けれど、父親と娘の間のジョークについて考えていたの。彼女はこのジョークがどんなものかよくわかったの。それは豹と山羊の間のジョークだったの。
 朝になって、カレディはいつものように仕事に行ったの。彼女は5分遅刻したの。するとボス・キハラはもう来ていたの。ボス・キハラは彼女を部屋に呼んだわ。カレディは行ったの。前夜の争いを思い出して彼女は少し怯むような気持ちだった。しかし、ボス・キハラは目を新聞から上げもしなかった。
 『カレディさん、このところあなたは気ままに動いているようですね。』
 『すみません。バスが遅れてしまったのです』
 すると、ボス・キハラは新聞から顔を上げて椅子にふんぞりかえりました。彼はカレディを厳しさに満ちたまなざしで見つめました。
 『なぜ、問題が若い男たちと遊び回っているせいだと認めないのですか?カレディさん、あなたは仕事に熱心ではないようですね。私は、あなたを心のおもむくままにさせた方がよい、と感じてます。しばらく家に帰った方が、あなたのためでしょう。もし、あなたが仕事が必要だと感じたら、他の女の子たちと同じ様にして下さい。私はドアを閉めはしませんよ。事前通告の代わりに今月と来月の給与を取りなさい。』
 これでカレディは仕事を失ったわ。もう一度彼女は仕事を求めて通りを行ったり来たりしたの。彼女は部屋に帰り悲しくて沈んでいたの。夜までそのまま座り込んで、恋人が来るのを待っていたわ。彼の声の響きを思い出すと彼女の心臓は幸せのリズムを刻み始めるの。誰しも愛する人のことが気になるわ。彼女のカムーンゴイェは、愛のことばでこの悲しみに耐える力を彼女に与えてくれるはずよ。ついにカムーンゴイェはやってきたの。カレディは、お金で胸毛を剃り上げたワイゴコの話しを全部吐き出したの。だって、カムーンゴイェのために現代女性がワイゴゴのお金を拒んだなんて、こんなすごい愛情はないでしょう。カレディは話しを終えたの。彼女は親愛に満ちたうなずきを待っていたの。涙をすいとってくれるキスの嵐を予期していたの。
 でも、違ってた
 カムーンゴイェは、恥ずかしがりやの豹か草をはむ小山羊のように目を伏せている人だった。しかし、彼はねこかぶりやだった。彼はカレディに向かってしゃべり始めたの。カレディがワイゴコ・キハラのベッドをくしゃくしゃにした、カレディの体を弄んだのはキハラが初めてじゃない、お金の楽しみをすすりはじめた女は飲むのをやめられない、ことをよく知っているんだ、と彼は断言したの。楽しみを覚えた者は楽しみたい思いを育てていく。カメレオンはいつまでたってもカメレオンだ。学生の頃、父親ほどの歳の男と子どもを生むところまでいった女は、自分を止められない。『言ってみろよ、誰とでも寝るカレディ、もしワイゴコにおまえの体の上にすすを落とさせれたら、俺に言ってきたか?違うだろう、おまえが俺にそうやって絡みついてくるのは、ワイゴコが現代的な恋愛のためにホテルにベッドを用意することをおまえに拒んだからだろうが。』
 カレディは、何も言えなかった。
 涙だけが、頬をつたっていった。彼女はそれを拭いもしなかった。苦い思いだけが心の中にこみ上げてきた。
 カレディは心の中で自分にいろいろと問いかけたが、答えはなかった。雌牛は乳を出すのをやめてしまった。すると、もう屠場に行くほかに道はないのだろうか?
 カレディにとって、剣は両端に火がついていた。彼女は最初の出発点に戻っていた。
 だから、教えて、私がもう一度倒れないように手を掴んでいるあなた、これは、現在のケニアの多くのカレディたちはたった一つの器官しか持っていないということを意味しているのかしら?何がカレディが伝説に言うカインの姉妹であるかのように通りから通りへと彷徨(さま)ようのをやめさせてくれるのかしら?
 今日カレディは次のことの違いを知らないことと決めてしまったから、

真っ直ぐであることと曲がっていること
飲み込むことと吐き捨てること
昇ることと降りること
行くことと戻ること

そう、今日から彼女は次のことが見分けられなくなったから

曲がったものと真っ直ぐなもの
愚者と賢者
暗闇と明るみ
笑いと涙
地獄と天国
悪魔の王国と神の王国

地上にすむ人間の人生にはたった二つの日しかないと、誰が言ったのだろう?

蜂蜜と酸の日
笑いと涙の日
出生と死の日

現在のケニアのカレディたちにとって、どの日もほかの全ての日と全く同じではないのだろうか?なぜなら彼女たちが生まれたちょうどその日こそがたった一つの器官を除いて彼女たちの体が葬られた日にほかならないから。彼女たちには一つの器官しか残されていない。だから、現在のケニアのカレディたちが顔から涙をぬぐい去れる日はいつなのだろう?いつ彼女たちは笑いを見いだすことができるのだろう?」

3

 ワリインガは話しおえて、若者の顔を良く見るために目を上げた。そして、彼女はレースコース通りをずっと見通した。人々は忙しそうに仕事のためにかけまわり、車は互いに追い抜きをかけながら警笛をならしあっていた。ナイロビは彼女がオファファ・ジェリチョの部屋から放り出されてからほんの少しも変わっていないことを感じた。
 ちょうどその時、日暮れ前のお告げの祈りを信者たちに思い出させるように、セント・ピータース・クレイブァー教会の鐘が鳴りはじめた。ワリインガと若者は鐘楼に顔を向けた。鐘が歌っているかのように、ワリインガは次のことばを聞いた、

おいで、おいで
お前のすきをしっかりとつかみ
後ろを振り返ることなく
おいで、おいで

 彼女は自問した「私の聞いているこの声は、どこから聞こえてくるのだろう?どこへ私を導いていくのだろう?」と。彼女は長い間教会に入ったことがなかったけれど、自分が祈りをつぶやいるのに気づいた。

聖なる処女マリアよ、神の母であり私たちの母である人よ
聖なるヨセフよ
私の守り主たる天使よ
聖なる全ての人々よ
私のために祈ってください
私が、地上での勤めを全うすることなく
自らの人生を絶とうと願った罪を捨てることができますように
今日の私を見守り下さい
そして私の生きる全ての日々を見守り下さい
アーメン

 セント・ピータースの鐘が鳴りおわって静かになった時、ワリインガは若者に向かって言った。「辛抱強く私の話しを聞いてくださってありがとう。ちょうど、カトリックの神父さんに懺悔をしたみたいに、気持ちが軽くなりました。」
 「たぶん、私は叙任されていない神父なのかもしれません・・・。しかし、私が従うのは、ケニアの人々の貧しさゆえに任ぜられたもっと別の任務なのです。あなたが語った物語、カレディの、そしてワイゴコとカムーンゴイェの物語は、私の心を槍のように突き刺しました。あなたが言うように、ケニアには数知れないカレディがいるのです。でも、私は、私たちの子どもたちが笑いを知らないだろう、とあなたが言うのには同意できません。私たちは絶望してはならないのです。絶望は許すことのできない唯一の罪なのです。絶望したら私たちは、次に来る国と世代から決して許されることはない、そんな罪なのです。これから、あなたはどちらへ行かれるのですか?どこへ向かっているのですか?」
 「イルモログ」
 「イルモログ?そこからあなたは来たのですか?」
 「ええ、イルモログはふるさとです。でも、どうして?」
 「それは・・・、特別な理由はありません。聞いてみたかっただけです。しかし、イルモログ行きのバスはここには停まりません。このバス停、カカからは、キアンブ、ヌヅンベリ、ティアンガ、ヌゲムワ、イキヌ、カリアイニそしてギツングリ行きがでます。イルモログ行きのマタツはその先を行ったニャマキマにあるナクル行きと同じバス停に停まっています。」
 「知っています。実は、そこへ行こうとしていたのです。どんな悪い風に吹かれて道路のこちら側へ来てしまったのか、私もわからないのです。」
 ワリインガは、死を呼び寄せる白昼夢から抜け出てきた人間のように立ち上がった。そして、ハンドバッグを一方の肩に掛けた。「どうも、お気をつけて」、彼女は青年に言った。彼女はうれしかったが、一方では少し恥ずかしかった。
 「気を付けなさい。もうめまいがしないよう願っています。」
 ワリインガがニャマキマに向かって向きを変えた時、その男は彼女に声をかけた。「少し待ってください・・・」
 ワリインガは立ち止まり振り返った、そして自問した。「彼は、すぐに股を開くカレディを見つけたと考えている別のカムーンゴイェなのかしら?」
 その男は持っていたバッグを開けた。彼はその中を探し、一枚のカードを取りだしワリインガに渡しながら、説明した。「私は、あなたの話し、というかカレディとワイゴコとカムーンゴイェの話しが、私の心を突き刺したと言いました。もし、あなたが、現代のカレディとワイゴコを生み出している状態についてもっと詳しく知りたいのであれば、イルモログについてからこのカードに書かれている祭りに行ってください。」
 その男は立ち去った。ワリインガはレースコート通りを歩き、エッソのガソリンスタンドの敷地を抜けて、リバー通りを渡ってニャマキマに向かった。彼女は一度だけ振り返って、男がつけてこないかどうか確認した。彼は見えなかった。「彼の名前を一度も聞かなかった」、とワリインガは考えた。「彼がくれたカードに載っているかもしれない。でも、男はどんな男もみんな、吸血鬼の機嫌をとっている。彼は、私にパーティに行け、と言った。私はどんなパーティにももう行きたくない。私は、歳とった毛むくじゃらの老人のワイゴコとであろうが、若い恋人のカムーンゴイェとであろうが、もう恋愛はたくさんだ。」
 ニャマキマには、イルモログ行きもナクル行きもマタツは停まっていなかった。ワリインガはニャマキマ・バーの近くのタマネギとじゃがいもを売っている店の壁に寄り掛かった。
 しばらくして、ワリインガは渡されてカードを指でつまんでいた。彼女はそれを読んでさえもいないことを思い出した。彼女はためらった。そして、それをポケットから取り出してよく見た。こう書かれていた。

悪魔の祭典!

来なさいそして自分で見なさい
悪魔が主催するコンペ
盗人と強盗のエクスパート7人を選ぶ
賞金、多額!
さあ運試しをしよう
7人の最も狡賢い盗人と強盗を選ぶイルモログ・コンペ
賞金はすごい!
地獄の天使バンド出席!

署名:悪魔
地獄の王
盗人と強盗のすみかにて
イルモログ・ゴールデン・ハイツ

 ワリインガは、胃を剃刀で切りつけられたような気分になった。彼女は回りを見回した。右から左へ、前から後ろへと見回して、ほんとに彼女の体がニャマキマにいるのか、それともまた夢を見ているのかを確めた。数々の疑問が、心の耳の回りを蜜蜂の群が飛び交うように襲いかかってきた。そしてある時他の蜜蜂たちに置いてきぼりをくらった一匹の蜜蜂のように、一つの質問が特にワリインガの心に残った。「私の手を引っ張ったあの青年は一体誰だったのだろう?そしてこれは私のハンドバッグが盗人によって取り戻されたということを意味するのだろうか?」。彼女は震えた。彼女はもう一度カードを手探りした。彼女は、倒れないためにタマネギとじゃがいもの店の壁に寄り掛かった。
 しかし、彼女の心臓は速く打っていた。イルモログでの悪魔の祭典!イルモログでの盗人と強盗たちのコンペ!明日、日曜日?誰がそんな奇跡が起こるなんて信じるだろう?

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アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティーブン・J・グールドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずはアマゾンのサイトでのグールドの本の紹介を読んでください。
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