『バリアフリー・コンフリクト争われる身体と共生のゆくえ』を読む


2014年10月17日。今年度、福島ゼミで、福島智・中邑賢龍編著『バリアフリー・コンフリクト争われる身体と共生のゆくえ』を読む。第1章のレジュメに、ゼミでのコメントを若干付け加えて、掲載する。

中邑賢龍「第1章 バリアフリーは何をもたらしたのか? 「能力」の補償・代替・増強のいま」について

【要約】

1 はじめに

ロンドン・オリンピック400メートル走に南ア代表として出場したオスカー・ピストリウス選手の競技用義肢をめぐる論争の紹介。

  • 2008年、両足にカーボン繊維製の競技用義肢をつけて陸上競技に臨むピストリウス選手が、国際陸上競技連盟(IAAF)にオリンピックへの出場を希望する要請を行った
  • IAAFは「バネや車輪など,他の選手より有利になる人工装置の利用」を禁じる規定に抵触しないか比較テストを行った
  • IAAFの比較テストでは、ピストリウスが「一般選手」と同じ速度で走る時、彼の方が約25%少ないエネルギー消費で済むとの結果
  • 上記結果を受け、IAAFはピストリウスが一般大会に出場することを禁じた
  • ピストリウスはこの裁定を不服とし、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴
  • CASは「IAAFはピストリウスの義足が,他の選手に比べ,身体的・機能的に有利となることを証明しきれたとは言えないため,彼のオリンピックへの参加を禁じる根拠は不十分」と判断

上記の経過を経て、2012年、ロンドン・オリンピックに彼は、南ア代表として出場した。

著者の問題設定 その1
眼鏡やコンタクトレンズ、補聴器の着用、あるいはレーシック手術による視力回復のケースではこういった論争が起きていない。上記の事例はどう違うのか?

著者はピストリウスによる競技用義肢使用に関わる「論議」と類似例として、以下を提示する。この提示は妥当だろうか?
日本の大学入学選抜試験に臨むにあたり、「上肢がうまく動かなったり,文字処理がスムーズに行えなったりといった理由から「書く」という行為が困難なため,試験の際に自分の手で「書く」のではなく,パソコンのワープロ機能を用いて「書く」ことを希望する者がいる.しかしかれらの要望は,満たされないことが多い.」

著者の問題設定 その2
パソコンのワープロ機能利用による「能力増強」を懸念するために、上記要望が満たされない?

著者は、上記の2つの事例は、いずれも、身体や認知機能を「補うこと」とそれらを「増強すること」のあいだにどのような線引きを行うのかという問題,そしてその問題をめぐる複数の主体間で生じるコンフリクトというテーマに関わると言う。

2 機能を「補うこと」とそれらを「増強すること」のあいだ

第1節の事例が生じる背景の一つとしての支援技術(Assistive Technology)の進展

  • 支援技術:障害や病い,加齢によって制限された身体機能や認知機能を補償したり代替したりする目的で利用される技術
  • 肢体不自由者が利用:義肢装具、電動車いす、パソコン用特殊キーボード
  • 聴覚障害者が利用:補聴器
  • 発話が困難な人が利用:携帯用会話補助装置(Voice Output Communication Aids; VOCA)
  • 弱視者が利用:画面拡大ソフト
  • 全盲者が利用:スクリーンリーダー、点字ディスプレイとソフトウェア

→ 視覚障害を持たない人の中にもスクリーンリーダーの利用が広がっている

支援技術を用いることに関わる「論争」

・電動車いす
日本では歩けない子どもに対する電動車いすの導入があまり進んでいない:「早い段階から電動車いすを利用すると歩行訓練の妨げになる」と考える親や理学療法士、医師が多い
幼少期からの電動車いすの導入が積極的に推進されている国々:「電動車いすの導入は歩行訓練の妨げにはならず,移動の意欲をマスなどポジティブな影響を及ぼす」と考えられている

・人工内耳
高度難聴等,補聴器の適用が難しい人への聞こえの補償手段として研究が進んできており,近年,その装用が広がりつつある
人工内耳の技術は,聴覚障害を否定する技術として手話利用者を中心とした障害当事者から,厳しい批判

支援技術(補償・代替の技術)なのか?「能力増強技術」なのか?

眼鏡やコンタクトレンズ,レーシック手術等での視力矯正:支援技術と広く認識されている

ピストリウス選手による競技用義肢使用:「能力増強技術」との疑念 CASは疑念の根拠は不十分としてオリンピック出場可能性を是認

「書く」ことに障害をもつ学生によるパソコンのワープロ機能を用いての受験:「能力増強技術」との疑念 多くの大学がこの疑念に基いて受験を認めず(一部大学は認めている?)

電卓受容の歴史を振り返れば
電卓の登場時:「(電卓を用いると)子どもの計算能力が落ちてしまう」「計算プロセスがわかるそろばんの方が望ましい」との意見
現在:電卓を用いての試験も珍しくない

3 ICT化がもたらしたもの

とりわけわたしたちの暮らしを一変させた携帯電話の諸機能

  • 通話
  • メール
  • インターネットアクセス
  • 情報保存:レコーダー、カメラ
  • スケジュール管理:時計、タイマー

→ 部分的な認知機能の補償・代替
「記憶すること、注意を払うこと、集中すること」にとどまらず、「計画すること、思考すること、判断すること、実行すること、問題を解決すること」にも寄与している

知的障害者による携帯電話使用で可能になったこと

Kさん:IQ60 知的障害との診断あり
対面では人と上手に話すことができず、漢字混じりの文章を上手に書くこともできない

著者は、Kさんが携帯電話から送ってきた漢字混じりの文意明確な文章のメールに驚く

Kさん、曰く

話をしていて,その場で難しい言葉が出て来ると,考えているうちに話の流れがわからなくなってしまう
メールはゆっくり考えて人に伝えたり聞いたりできるので楽しい
わたしでも漢字変換ソフトがあれば漢字を使うことができる

ICT社会(情報氾濫社会)の困難

「さまざまにある選択肢の中からどれかひとつを選ぶこと」が著しく困難な人たちにとってみれば,むしろ「生きにくい」社会

→ 人工知能を有したロボットへの期待:重度の認知障害をもつ人たちのコンパニオンとして,周辺環境への注意を促し,コミュニケーションを補助し,わかりやすい情報提示などで支援する

→ 機能補償を前提としないコミュケーション・アプローチの模索:重度障害者の介助場面

4 ルールをどう作るのか?

著者の問題設定 その3
高度な人工知能を搭載した小型ロボットができ、そのロボットとともに小さい頃から生活してきた認知に障害を持つ学生Qが、ロボットとともに大学入試選抜試験を受けたいと言い出したらどうなるだろうか?
Qの認識:ロボットを通して得られる「能力」も込みで自分の「能力」
Qがロボットを使いこなすことで大学に合格したことで不合格になっと思う「一般学生」の不満:能力増強装置を使うのは不公平

参考事例

2011年に実施された電子教科書使用の実験

  • 普通学級で学ぶ障害のある子どもを対象とした電子教科書使用の実験を計画
  • 学校側から他の子どもとの不公平さを理由に全生徒へ提供することを求められる
  • 同じ教室で学ぶ全生徒に電子教科書を配布
  • 10時間後、デジタル教科書(電子教科書)を使っていた子どもは3分の1
  • 自分が抱えている読み書きの困難さに気づいた子どもたちは,デジタル教科書の文字を拡大して読んでみたり,行間を広げて読んでみたり,あるいは音声読み上げ機能を使ってみたりと,自由に調整して学んでいた

→ 生徒全員に電子タブレットを配布することで,子どもたちがそれぞれ自分に合うやり方を模索し選択するという自由が担保された.その結果,大きなコンフリクトを生じさせることなく,柔軟に技術を受け入れる状況が実現した

5 環境を調整する

著者の当面のまとめ:以下を念頭に置いて、「能力」というものに対するわたしたちの考え方も変わっていく必要がある

  • 知能は一様に高かったり低かったりするのではなく凹凸が存在している
  • その凹凸が生活上・学習上、あるいは職務上の問題に結びつかなければ凹の部分は問題として認識されない
  • 知能も含め社会的に必要とされる「能力」は産業構造のあり方に応じて変化する
  • 第三次産業が主流となった現在の日本では、必要に応じて自らの判断や行動を変えること,多様性に対して柔軟に対応することが強く求められるようになっている
  • こうした変化に対応できない人たち(そのうちの多くが認知機能に困難を抱えている人たちなのだが)はますます行き場を失っている
  • このような状況を変えるためには、機能を補うことで個々人の凹を埋めるのではなく、ある人の凸と別の人の凹を組み合わせるといったような発想が必要
  • 個々人の自己調整能力に限界がある以上、情報強度の調整や情報量の制限を図る、情報を構造化する、情報のモダリティを変更するなどいった対応を通して、周りの環境を調整することが望ましいのではないか
  • 支援機器に代表されるような「技術」にとどまらず、周囲がどのような人たちに対してどのような配慮を提供すれば、ともに教育を受け、ともに働き、そしてともに生きていくことができるのかに関わる「技法」を生み出し、実践を
  • 重ね、「知」として蓄積していくことも求められている

【論点】

◯アファーマティブ・アクションをめぐる論議を参考に

・事実に関して
日本の大学入学選抜試験に臨むにあたり、「上肢がうまく動かなったり,文字処理がスムーズに行えなったりといった理由から「書く」という行為が困難なため,試験の際に自分の手で「書く」のではなく,パソコンのワープロ機能を用いて「書く」ことを希望する者がいる.しかしかれらの要望は,満たされないことが多い.」とある。「要望が満たされたことは全くない」ということなのか?

 → 福島さんコメント:東大ではまだ実施されたケースがないが、受験時にパソコン使用を認めている大学は日本もあるだろうし、海外にはいくつもあると聞いている。また、読字障害を持つ人に朗読者をつけて試験を受けさせている大学として、米国ではハーバード大、イェール大、英国ではオックスフォード大などがある。

・大学入学選抜試験とは何か
米国公民権運動後の公務員・大学への黒人受け入れ政策(人口比率を一つの目安とした)、米国企業をモデルに日本の一部企業でも実施されている女性管理職比率目標設定と達成努力、国連本部も行った女性上級職員登用の努力、一部の国々で設けられている女性議員比率目標と達成努力etcを見ると、「関門」としての選抜試験以上に重視されるべき「価値」があるとの確信がある

◯民主党政権下での障がい者制度改革推進会議の経験を参考に

会議のルール

  • 障害者を交えた会議だということもあって、ゆっくり休憩も入れて
  • イエローカードが出たら進行をストップして理解を促す努力

→ 上記のように、現に試みられたことを全く参照しない、この章の著者の問題設定そして議論の進め方そのものに問題があると感じる

座談会「視覚障害者が高等教育機関で学ぶ スーダンと日本の経験を語る」から

アブディン: 自分の兄は先に同じ大学の法学部に入っていましたので、もうそれに沿っていくように勉強していましたので、どっちかというと兄の方がロールモデルがなかったっていうわけですね。だから、兄に話を聞くと、もっとおもしろいネタが出たかもしれませんけども。僕は兄を見習うようにずっとやっていました。
 やっぱり、(就職を希望する時)見えないとなると、…じゃあ、どっちが先なのか、健常者なのか障害者なのか、っていうことで、どっちが先なのかって言われたときに、僕が思うには、高等教育を必要としない、例えば重労働といった就職先もあるのですけれども、そういった面では障害者は競争できないので、どちらかといえばやっぱり高い教育を受けて、そこで差別化を図る必要性があるんじゃないかなと思うのです。

健常者に対する比較優位を確保する手段としての高学歴、資格取得を目指す障害者の希望をきちんと受け止めるところから、大学入学「選抜」試験を問い返すべき

→ より一般的に考えても、学びを保障することと選抜試験を行うことの間には明らかに矛盾がある。そのことをどう考えるのか、論議が必要

→ 現在、さまざまな形で試みられている、多種多様な学生を受け入れる高等教育機関(初等教育・中等教育機関における試みにも注目)の取り組みを参照しながら、「ともに教育を受け、ともに働き、そしてともに生きていくことができるのかに関わる「技法」を生み出し、実践を重ね、「知」として蓄積していく」ことが可能
 Ex. 受験:点字受験、別室時間延長受験、推薦、AO
    大学等での環境整備:バリアフリー推進室等の設置、スロープ・エレベーター・対面朗読室等の整備、ノート・テイカーの配備、点訳サービス、ボランティア斡旋

→ 困難を抱えた当事者が研究に関わることの意義:外部の研究協力者にとどまらず、同じ研究室の研究仲間として参加することから見えてくるものもあるはず

◯この著者の人工知能への過大な期待への疑問

現実に実用化されようとしているのは、身体機能の補償・代替・増強につながるロボット
 Ex.  ロボット・スーツ「HAL」

携帯電話、電子タブレットなど種々のツールが、認知機能を部分的に補っているのは例証されているとおりだが、総合的な補完を行う人工知能が近い将来に実現するのか?

障害者の学びを支援するアプリ開発をめざすゼミ参加者からのコメント:関係する学会の報告や研究書を見ている限り、人間ができること以上の人工知能が近い将来に出現すると考えている人はいないのではないか。

◯第三次産業が優勢となった日本で求められる「能力」

「必要に応じて自らの判断や行動を変えること,多様性に対して柔軟に対応する」能力とは、対比的な「熱中し煩瑣な作業をいとわずかすかな可能性に向かって突き進む」能力(「オタク」的能力)も求められており、こうした能力を持つ人々は多くの場合、人付き合いが苦手で社交性がないと言われている。
特定の「能力」にのみ注目し目標化することが問題であり、多種多様な「能力」を発現されている場・機会を適切に注目・評価し、「能力」に関わる選択肢を増やしていく努力こそが求められている。


トップペ−ジへ

僕のお薦めリンクはこちらです。

僕がこれまで書いてきたことは
近況
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年まで

読書ノ−ト です。


Follow @saitoryoichiro

アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティ−ブン・J・グ−ルドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きました。


by 斉藤龍一郎
僕あてのメ−ル