気になって読んでしまう本がたくさんある!!

ずいぶん以前に書いたものです。読み返すと、あの頃、あんな本を読んでいたんだ、なんて思ってしまいます。

一番最近のことは
1999年4月26日。です。よろしく。

1998年5月26日
今日、宮本昌孝の中編小説集「青嵐の馬」を読み終わった。
「紅蓮の狼」がちょっと尻切れトンボの結末だったけれど印象に残っている。
この間読んだ同じ著者の「こんぴら樽」という短編集より、こちらの方が全体におもしろかった。
こうやって短編・中編をいくつか読んでいると、以前読んだ「剣豪将軍義輝」みたいな長編を書いてくれないかな、という期待が募ってくる。
「夕立太平記」というのもまあまあ長くておもしろかったが、五味康祐や柴田練三郎の向こうをはってもっともっと長編も書いて欲しい。

もう一冊、「ジンバブエ」という本も読み終わった。こちらは、しばらく前の日本経済新聞に著者のエッセーが掲載されていたのを読んでおもしろそうだな、と注文した本だ。期待以上におもしろかった。ジンバブエに住んで10年という著者のジンバブエ歴もさることながら、ボブ・マーリイにはまっちゃってジンバブエへ行ってしまったと言うだけあって、実にノリがいい。こちらは、ちょっと意識して注文しないと手に入らない本なので、出版社と著者を紹介しておきたい。高橋朋子著、長征社発行です。近くの公立図書館に希望してみてください。よければ本屋さんに注文してください。(僕も本屋に勤めてますので、僕宛に注文メールをくれてもいいです。→2004年5月で辞めました。注文は、このページからリンクしているアマゾンでどうぞ)


1998年6月15日
昨夜、一度布団に入ったのだが、うつらうつらしていたところへかかってきた電話で目が開いてしまった。
で、ワールドカップを見ようとテレビのスイッチを入れたところ、ちょうどゲーム終了の場面だった。
パソコンのスイッチを入れて、ずっとやりかけの作業を少し進めながら、読みかけの「レディ・ジョーカー」を手に取ったらズポッとはまってしまって、下巻の三分の二、300ページ弱を一気に読んでしまった。
同じ著者のシリーズで「マークスの山」「照柿(てるがき)」も読んでいるので、シリーズを通して登場人物である合田雄一郎の描き方の変化が気にはなるけれど、この著者の作品の主人公というか、描こうとするものは、なかなかスケールが大きくておもしろい。
グリコ事件をモデルにしていると言われる作品で、グリコ事件であった社長誘拐、商品への異物混入などをなぞる事件が出てくるが、こうした事件の背景として著者が描いたさまざまな関係・できごと・人物は当然フィクションだろう。
そのフィクションが、現実のさまざまな関係・できごと・人物を「あっ、そういえばこれは…」「うーん、そうだなあれは…」という風に思い起こさせるところでのリアリティが、この作品の命と云えそうだ。
もう何年も前に読んだジョン・ル・カレの「Smiley's People」というスパイ小説のことを思い出した(読み返していたら、この本をケニア・マサイマラ国立公園のサファリの合間に読んだことを思い出した)。ジョン・ガードナーの「裏切りのノストラダム」から始まる三部作(タイトルは出てこない)のことも思い出した。

書いているうちに、先週読んだ重松清「ナイフ」という短編小説集が頭に浮かんできたので、ちょっと触れておきたい。
短編小説が5編入っている小説集のうち、3編は書き下ろしというのがなんだか不思議だ。
4編は「いじめ」を切り口に子供と学校と大人を描いたもので、最後の小説は「熱心な教師」と「熱心な親たち」の衝突をきっかけに働くこと、家族と暮らすということ、への思いの揺れを描く作品だった。
描かれている「いじめ」の手口というか、ありようというかに、けっこう驚かされたが、安易な解決策を採りようのない子どもと学校と大人の関係をきちんと見据えていくことを、小さな声で語りかけるというよりはつぶやいているような、語り口調が印象に残っている。

1998年6月16日
仕事帰りに本屋でたまたま群ようこ著「アメリカ居座り一人旅」を見てしまった。
新刊で買うのはもったいないかな、なんて思ってその後図書館によって探したらなくって、仕方がないから図書館の近くの古本屋で買ってしまった。
で、部屋へ帰ってお風呂を沸かして、お風呂の中で読んでたら止まらなくなってしまった。
しかも、解説を岸本葉子が書いていて、なるほどなあ、とお風呂の中で一人相づちを打ってしまった。
ということで、大きな満足感と、もうちょっと読みたいぞ、という気分とにひたひととひたっている。

98年6月17日
そろそろかな、と会議も終わって帰り道の本屋さんの棚を見たら、グイン・サーガ外伝14が4冊並んでいた。
帯には、7月・8月に本編・外伝と発行が続くことが予告されている。
今年のはじめは月刊グイン・サーガだったが、今月からまた3カ月連続で出てくれる。
数年前の、待てど暮らせどの時期がウソのようだ。
今年のはじめの反動でしばらく出ないんじゃないか、と危惧していたのが、杞憂に終わってよかった。うん、よかった。
といっても、話は今回もシルヴィアの姿が見えるところまでは行き着かない。
まだまだ、外伝のこのシリーズだけでも長い。


1998年10月1日
しっかりと日が経ってしまいました。
グイン・サーガはその後本編が62「ユラニア最後の日」、外伝が15「ホータン最後の戦い」まで出ています。
昨日は、ひさびさに登場八木啓代「危険な歌」(最近のしている出版社の文庫だが、会社名を忘れた)にしびれてしまいました。彼女の書いた「喝采が待っている」は光文社文庫だそうなので、注文してあります。
忘れてはいけないのが、昨日の朝ついつい読んでしまって職場に遅刻した「ジョルシャゴル」。インドはカルカッタのベンガル語文学の人気作家(といってもちょっと前の人ですが)タラションゴル・ボンドパッダエの短編小説集です。出版しているのは「財団法人大同生命国際文化基金」というすごい名前の団体です。
この小説集を読んでいたら、グギの言う「アフリカ固有の文学」っていうのも、ここでボンドパッダエがベンガル語で書きつづったような言い伝えや日常の生活を基に、まずそこで暮らす人々にとって「読みたくなる文学」なのかな、なんて思ってしまいました。

1998年11月10日
インディクスページも、ホームページ作成日記も本のことしか書いてないというのに、このページにも書いてしまいます。
グイン・サーガはまだ来月にならないと次が出ません。
やっぱし、十二国記を買ってしまいました。もちろん古本屋で。一揃い1600円でした。
こちらは待てども待てども次が出ない。
著者はつい先日「屍鬼」なる大長編を出したことだし、次は十二国記の新刊、と期待しています。
あと、まてどもまてども出ないのは氷室冴子の新刊。
最近、部屋にない常備すべき本について考え始めると「海がきこえる」「海がきこえる2 愛があるから」を思い浮かべます。いや、順番が逆で、「なぎさボーイ」「多恵子ガール」「北里マドンナ」「冬のディーン 夏のナタリー」「雑居時代」とそろったのに何か足りないという連想から「海がきこえる」を思い出し、これは常備本だ、と思っているようです。

1998年11月12日
12日といっても11日の夜の続きです。もうすぐ午前2時。
先日読んだ重松清「定年ゴジラ」「ビフォアラン」、どちらもおもしろかった。僕の好みからすると「ビフォアラン」の方がなじみます。
「定年ゴジラ」はタイトルの通り、定年を迎えたおじさんたちが出てきます。彼らが生活の場そして日常の活動の場とするのは、新宿から私鉄の急行で40分、駅を出てから徒歩20分圏内に広がるニュータウンです。
定年を迎え、これまでは自宅から駅まで(そして職場まで)の往復だった生活から一転し、ニュータウン内の散歩を始めた主人公が、同じような定年後生活をおくるおじさんたちと出会う、というところから話は始まります。
「ビフォアラン」は青春小説です。
高校3年生になった主人公が、街角のマクドナルドでかつて同じクラスにいた女の子を見かけます。この女の子は、主人公と1年生の時に同じクラスだったのだけれど、学年途中で姿を見せなくなりそのまま月日が経っています。そして、主人公と彼の仲間たちは、いなくなってしまった彼女をだしに「思い出」をつくり育てるという遊びを始め、ついには彼女の「お墓」までつくっています(もっとも蒲鉾板を造成途中で放り出されている住宅用地にたてるというものですが)。
月日を経て姿を現した彼女は、主人公とつきあっていたという「記憶」を持っています。ここで「思い出」と「記憶」が出くわして何ともいえない奇妙な関係が始まるのです。

重松清の小説は、本の雑誌で北上次郎さんが触れていたのにひかれて読み始めました。
そういえば氷室冴子の小説は、彼女が本の雑誌の座談会に出ているのを読んで読み始めました。
鈴木輝一郎の小説も、高野史緒の小説も「本の雑誌」で知りました。
最近けっこう重宝しています。本の雑誌。

1999年1月11日
昨年秋からぼちぼちとEric Hobsbawm 'The Age of Extremes: A History of the... ' を読んでいます。1917年のロシア革命から1992年のソビエト連邦解体までの、著者が「小20世紀」と呼ぶ現代史の本です。もっとも、ほぼ同時代を生きた著者自身に言わせれば、これを歴史として語るのはまだ難しい、という意味では「この時代を生きた一歴史家の歴史記述の試み」と言うことにでもなるのでしょうか。
鶴見俊輔の本を読んでググッと惹かれたり、もう本棚の奥でほこりまみれになっていた武谷三男や羽仁五郎の本を引っぱり出してしまったのは、どうもホブズボームを読んでいるせいのようです。
改めて、この20年なり30年なりもっと長いスパンで70年なりとはどんな時代だったのか、と気になってきたのです。
その気分の根っこには、最近「世界」の広がり具合が違う、という感覚があります。
この何年かアフリカに関する新聞記事(主として日経新聞)を集めるようになり、インターネットなんて言う便利なもののおかげで南アの新聞とセネガルのダカールからアフリカのニュースを発信している通信社の記事が読めるので、それらを読むようになった、というのは、かつての僕の持っていた「世界」イメージを大きく広げているのは間違いありません。
もう一方では、昨年秋、八木啓代さんの書いたものが立て続けに文庫本になりました。「危険な歌 世紀末の音楽家たちの肖像」(幻冬社文庫)「喝采がお待ちかね」(光文社文庫)。この2冊を読むだけでもキューバがぐっと近くなります。
そのうえ、年末年始にキューバへ行った友人がCDをお土産にくれて、「キューバはよかった!!」と言うのを聞くと、そうかキューバも近いんだ、なんて思ってしまいます。
そういった広がり方の感覚が変わるってのは、気分がいいものですね。
あと、歴史の本を読んでいると、常に新しいことが起きている、ということはわかります。
最近、「現在の世界は30年代とよく似ている」という人たちがいます。世界恐慌の危機が迫っているところがよく似てるということらしいのですが、この「世界」とはどういう世界なのかな、と思ってしまいます。
こんな風に反語的に、疑問形で書いていてもなかなか話は進まないので、今日はこれでやめます。

1999年4月26日
アフリカはブルキナファソから、AJF翻訳グループの連絡メールがやってきた。セネガルから送ってもらった本を受け取りに行くように、メンバー全員に行き渡ったかどうか確認するように、と。
英文が 
THE FUTURE OF COMMUNITY LANDS: HUMAN RESOUCES
仏文が avenir des terroirs: ressouces humanes
英文の方は通読して、実におもしろかった。いいとこどり、成功談というのではなく、失敗の記録が今の我々の財産だ、というスタンスがいい。また、「失敗」を「成功」へと転換していくプロセスは、コンセプトの立て方といい、着目点の的確さといい、ビジネス・ケースワークにも使えそうな本だ。そういうノリを生かせるタイトルをかんがえなくっちゃ。

go to Page Top
Front Pageへ戻る

アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティーブン・J・グールドの本を買ってもらいたいと思っています。このページで紹介した(何と4年も前に書いたきりだった!)本も注文できますよ。下のアマゾンのロゴをクリックしてください。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きます。