斉藤 龍一郎の近況です 2011年


2011年12月26日、月曜日午後3時27分。

12月1日からのみ始めた薬、食後2時間以上たってから、のんだ後2時間は食べてはいけない、という条件がついている。ということで、今、のんだ。

先週末、時々使っているコインランドリーの周囲を歩いていて、ずっと空き地だったところに病院が建っているのに気がついた。「老健病院」と看板があげてある。近くにある総合病院が運営するリハビリセンター、デイケアセンターとセットの高齢者対象の病院になるのだ。

新山智基『世界を動かしたアフリカのHIV陽性者運動−−生存の視座から』(生活書院、2011年11月30日)、少しずつ動いている。どこかで手に取って見てもらえるとうれしいが、そもそも本屋に並ぶのか?



2011年10月31日、月曜日午後3時34分。

ビルの耐震強化工事も折り返し地点を過ぎ、今週末には完了する。

今日は、壁の復元作業でけっこううるさかった。

先週木曜日、愛用のMACBookProが今年2度目のHDクラッシュ。金曜日に修理に持ち込み、見積もり・見通しを待っている。

隣では、2世代前のAIRでビデオの編集作業をやっている。動きがスムーズなのに驚く。

僕のMACではあんなには動かないから、やはりリプレースすべき時なのだろうか?

見積もりが届いたら決めることになる。



2011年10月19日、水曜日午後3時40分。

職場のあるビルの耐震強化工事のため、本棚、ラック、そして普段使っている机を移動させなくてはならない。

先々週から断続的に作業をして、幅1.8メートルの7段のラックをやっと空けた。

この後、ラックを移動してもらっている間にレンタカーを受け取りに行き、荷物の一部を倉庫へ運ぶことになる。

工事が終わるまで、会議をどこでやるのか、が難問だ。



2011年9月24日、土曜日午後2時38分。

今日は晴れて過ごしやすい天気。

明日、「= 地球サミット(RIO+20)に向けた連続市民対話 =第3回アースダイアログ東京『食&農のシフトと、私たちの選択』」で、吉田太郎さんと並んで問題提起をする。

吉田さんについては、「キューバに学ぶ - 書評 - 吉田太郎による二冊」といった興味深いブログがあるので、ググってほしい。このブログで紹介されている本のうち「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」は、僕も読んだ。おもしろかった。

討議が楽しみだ。



2011年8月29日、月曜日午後4時55分。

一昨日、DPI日本会議・JICA主催で開かれたアフリカ障害者メインストリーム研修カントリー・レポート発表会でプレゼンを行い、昨日、アフリカキッズクラブ・イベントを実施した疲れ(気疲れが大きい)で、今日は職場に来たもののボーッとしている。それでも、僕以外の常勤スタッフが全員国外に出ているので、電話対応もあって出勤しないわけにはいかない。

一昨日の発表会では、2008年のTICAD(アフリカ開発会議)の際、会議場のあるフロアの移動を制限するためにエレベーターが停められたため、南部アフリカ障害者連合(SAFOD)メンバーが電動車いすで入場しようとしてたいへんだったことを紹介し、2013年にはTICADの次回会合が予定されており、来年、アフリカでの準備会合もあるので、アフリカの障害者がぜひ参加すべきだと呼びかけた。

今回、ケニア、タンザニア、ザンビア、ナミビア、マラウイから参加した障害者団体のリーダーたちから、JICAはもっとTICADに関する情報を紹介すべきだとの声も出て、僕がプレゼンを行ったかいがあった。

昨日のイベントには、小さい子どもたちが多数参加していたので、ケガをしないか、収拾がつかないほどにぐずったりしないかと不安だったが、みんな気持ちよさそうに走り回っていて、安心した。


先日、ニューヨークにいる福島智さんが、新著を出したと障害学メーリングリストに、以下の投稿をした。

福島智@ニューヨーク、です。
このほど明石書店から、拙著『盲ろう者として生きて:指点字によるコミュニケーションの復活と再生』を刊行いたしました。
http://www.akashi.co.jp/book/b92693.html

注が長く(立岩さんとよい勝負かも)、章末や巻末の参考資料も分量だけは多く(とくに巻末資料は40種類ほど盛り込んでいて、常識はずれに長いです)、全体で512ページにもなってしまいました。
ただ、お値段のほうは3千円未満(税込み2940円)となっておりますので、ページの分量、すなわち本の重量に対しては、そこそこの値段におさえてもらっております(と、こう書くと、なにかおおぶりの西瓜の販促みたいですが)。

内容としましては、私が9歳で失明し、18歳で失聴して盲ろう者となって、コミュニケーションを喪失した後、指点字によってコミュニケーションを回復する過程を日記や手紙、インタビューなどで重層的に記述した上で、その体験を分析・考察する、というようなものです。
「分析・考察」の部分がどこまで成功しているかは、はなはだ心許ないのですが、体験の記述のところは、ちょっとオリジナルな工夫もしていますので、自伝でもなく、評伝でもなく、伝記でもない、風変わりな本にはなっていると思います。
斉藤さや立岩さんのサイトをとおしてアマゾンで購入いただければと存じます。
(本屋にはあまりおいていないのではないかと思います)
*テキストデータのひきかえ可能です。

購入する際に、以下のリンクを利用してもらえるとうれしい。

『盲ろう者として生きて:指点字によるコミュニケーションの復活と再生』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750334332/ryospage03-22

また、以前書いた「家族の形も変わっていくのだろうか? 光成沢美著『指先で紡ぐ愛』(講談社)を読む」も読んでもらえるとうれしい。
「家族の形も変わっていくのだろうか? 光成沢美著『指先で紡ぐ愛』(講談社)を読む」

先週、読み終えて感じたことを書いた。

盲ろう者の東大教授・福島智さんが、3年前に学術博士号を授与された博士論文をもとに『盲ろう者として生きて:指点字によるコミュニケーションの復活と再生』を出版しました。
コミュニケーションの途切れた宇宙と他者の交わりのある宇宙とを行き来する盲ろう者が暮らす世界にとってのコミュニケーションの課題を論じた、「分析と考察 11-4 コミュニケーションを支える文脈的理解」には、難民となった人びとのあり方を「剥き出しの生」として論じることにもつながる内容があると感じました。生活のあり方に関する「文脈的理解」が全く違う状況に移行することを強いられた人びとが、権利を主張することはおろか周囲の人びととコミュニケーションすること自体がたいへん困難になるとはどういうことか、考える手がかりになります。
また、コミュニケーションが途絶えた「他者のいない世界」を体感してきた福島さんの考察を読んでいると、余りに当たり前のこととして他者との交わりの世界に生きている僕には実感することのむずかしい、立岩さんの『私的所有論』の核心的な提起である「他者がいることの快楽」をおぼろげながらに感じることができました。
より具体的な体験をめぐる考察として、ボランティアによるNHKラジオニュースの点訳郵送をめぐる考察が、強く印象に残りました。
1時間ごとに流れる短いニュースを起こすのはニュースに接する機会そのものを増やすため、点字の手紙は厚みがあるので1枚の字数を増やすためにライト式の点字タイプライターで入力して点字用紙の両面を活用した、という分析の中を通して明らかにされたこのボランティアのサポートに対する思い・感覚を、支援・援助をめぐる論議の中で、共有し検討すべきだと思います。
また、このエピソードに触れて、ほぼ30年前、弱視の高校生のために英語の教科書をサインペンで大きく書き写していた人のことがパッと頭に浮かびました。

2011年8月21日、日曜日午後8時23分。

一昨日のゲリラ豪雨の後、寒気団がやってきたおかげで、それまでの猛暑がどこへ行ったかと思うような気候になった。

昨夜、タオルケットにくるまって眠っていたら寒くて目が明き、毛布もかぶって朝を迎えた。

今朝、冷たい雨が降っていたので、カッパを着て買い物に行った。トマト、キュウリ、牛乳を買った後、ウロウロしていたらおいしそうなベーコンブロックが目に入ったので、それも買ってきた。

冷凍庫内に残っていたごはんを、朝食で食べ終わったので、お昼に胚芽米を炊いた。

昼寝の後、駅前まで出て友達と夕食を食べてきた。


2011年8月2日、火曜日午後6時9分。

天気予報では雨。今、窓の外は、曇り空。傘を用意しているので、降られても大丈夫だが、どうなるのか?

先々週末の『支援』創刊記念トークライブの際に買った定藤邦子著『関西障害者運動の現代史−大阪青い芝の会を中心に』を読んだ。

自立生活を試みて精神的にまいってしまい在宅に戻った障害者のエピソードを読んで、1980年代前半に2年間続けられたCP者Hさんとの関わりをふりかえる集まりで知り合ったCP者の言っていたことを思い出した。 施設を出て自立生活を始めて数年目だった彼は、何の機会にだったか、「この後、介護者(ママ)が来るとわかっていて一人でいる時間が、一番落ち着く」と言った。その頃、巣鴨駅の近くにあった全障連関東ブロックの事務所で聞いたように覚えている。

高崎コロニーを飛び出して東京での自立生活を追求し、ある程度介護体制が整った頃に食べ物をのどにつまらせてチアノーゼを起こし亡くなった女性CP者・Hさんと関わり合った人間たちの一部がまとめた『書けなかった介護者ノート』も、まだどこかにあるのなら、時代の証言の一つとして参考になるだろう。

また、大阪市職労(たぶん)の組合員が2人ずつ交代で介護に入ったことに関する記述も気になった。新田さんの隣に住んでいた、亡くなった猪野さんのところには、都電乗車闘争を契機に東交(東京交通労組)の組合員が介護に入るようになったと聞いたことがある。けっこう長い期間(10年以上、猪野さんが亡くなる頃まで?)入っていたようだ。

定藤さんは、立岩さん、田中さんの記述を引きながら、米国の自立生活センター運動、日本の青い芝による障害者運動の突きつけが1970年前後に平行して起きたことに触れているが、もう一歩踏み込んで、当時の日本・米国・西ヨーロッパに広がった学生運動・反戦運動との関わりにも注意を促すべきであったろう(詳しく書けと言うのではない)。

1970年代の障害者運動として印象づけられている青い芝の活動に関わった「健全者」たちとは何者だったのか?横塚さんが、片平闘争へ踏み込むことに反対し、「障害者運動は政治とは関わらない」と主張した時に念頭に置いたのは、どういった人びとの介入、政治だったのか?と思いながら読んだ。

グループ・ゴリラとして活動した僕と近い世代の二人(細井さん、石田さん)が、名前を出して語っているのは、今日も障害者解放センターや自立支援の運動体に関わっているからだとわかってみれば、1970年代後半から80年代初めにかけてドンドコ入れ替わっていったというゴリラのメンバーたちのその後が気になる。

角岡伸彦さん『カニは横に歩く−−自立障害者たちの半世紀』には、1983年に関西学院に入学した角岡さんが大学の寮で介護者オルグをする話が出てくる。ここで語られている介護者たち、健全者たちは、グループ・ゴリラとは年代的にも系譜的にも切れているのだろう。そう思うと、元ゴリラへのインタビューででは出てこない、もっと多様な介護者たち、健全者たち(少なくとも障害者の生活のどこかにひっかかったことのある)の姿を描き出すこともできるはずだ(僕の介助者仲間もそうした流れの中でないと位置付けようがないと思う)。

渡邉琢『介助者たちは、どう生きていくのか』を読んで感じた、僕はただの時代遅れの「変な人」にすぎないのか、今さら僕が「介助」に関わって思っていることを言おうとしても共通の土俵そのものがないのか、という問いが、定藤さんの本の中には、まだ入り込む余地がありそう、と思った。

定藤邦子『関西障害者運動の現代史』
http://www.arsvi.com/b2010/1103sk.htm


2011年7月22日、金曜日午後0時3分。

台風の運んだ風で、今日も涼しい。

デジカメは部屋の中にあった。

大野更紗『困ってるひと』を読んだ。久しぶりに読書ノートを書いた。


2011年7月18日、月曜日午後3時2分。

職場にあると思っていたデジタルカメラがなかった。

昨日、リュックサックのポケットから出そうとしたらなかった。一昨日の午後、カメラとケーブルを机の上に置いたところまでは覚えている。

今夜は泊まりなので、明日の夜、部屋へ戻ってからもう一度探すことになる。


2011年6月30日、木曜日午前5時49分。

2007年以来、いろんな場面で一緒に活動してきた人が、所属団体を離れ、家族と一緒に海外赴任するというので送別会が開かれた。

幹事の好みだったのか、シャンパンで乾杯し、ワインを飲みながら、サラダ、お刺し身、炊き込みごはん、みそ汁の後に、お店の看板である豚バラ肉の豚カツが出るというコースーでお腹をいっぱいにしながら、3時間余り盛り上がった。

「現場」を離れた機会に、家族と一緒に暮らす土地から見えるアフリカ紹介、ニュース・情報の翻訳・紹介などをお願いしようと思う。


2011年5月28日、土曜日午前9時8分。

明日、名古屋でAJF公開セミナ−「アフリカの女性の暮らしを知ろう」を開催するために、今日、名古屋へ向かう。

先週末、僕が弘前にいたころ、東京は29度を超える暑さだった。弘前は、長袖を着た方がいいかな、半袖でも大丈夫かなという感じの過ごしやすい気候だった。

今日、明日と傘を手放せない。来週、京都に行く時には、傘が不要だとうれしいのだが・・・

昨日、東京ミッドタウンで開かれた毎日新聞主催『南部アフリカフォ−ラム』に参加した。

来日した南部アフリカ開発共同体(SADC)ジョアン・サミュエル・カホロ事務局次長と嘉田由紀子滋賀県知事が記念講演を行った。

嘉田知事の記念講演は「京都から南部アフリカへ〜COP17への期待」というタイトルだったのですが、低炭素社会をめざす条例に基づく取り組みがこの4月に始まったばかりで内容も非常に細かいので駆け足でという知事のことばどおり、COP17に関しては琵琶湖も温暖化の影響を受けているので温暖化対策の強化を訴えるという内容にとどまった。

一方、嘉田さんが、40年ほど前、学生時代に半年ケニアの農村に滞在して考えたこと、1995年からのマラウイ湖畔の村で調査をしながら始めた取り組みの紹介は、非常に印象的だった。

中でも、知事になるまでズッと調査を続けてきたマラウイ湖畔の1万人ほどが暮らす地域では、トイレがある家は1割程度、コンクリ−トで固めたトイレを作るのに教員給与の1ヶ月分くらいの費用がかかる、そうやって作ったトイレがいっぱいになると封じて新たにトイレを作っている、という報告はショッキングだった。

1955年に熊本県の農家で生まれた僕は、トイレからのくみ取り、たい肥作りの手伝いをしていた(酪農家だったので牛の寝床にワラをまき、糞とワラが混じったものをたい肥の山に運ぶという作業も小学5年の時から高校に入るまでやっていた)。

嘉田さんの言う「し尿親和社会(し尿の循環利用社会)」である日本では、江戸時代から明治初期にかけて街場のトイレからくみ取ったし尿を近郊農村に運んで販売するという仕事があったくらいだから、基本的には同じトイレがズッと利用されていたのに対し、人間のし尿に関するタブ−がある社会であるマラウイ湖畔では、トイレはワンウェ−の消耗品という話にびっくりした。

嘉田さんは調査を始めて6年目くらいから、たい肥作りを勧めるようになり、京都に本拠を持つ国際協力NGOがマラウイで簡易トイレ普及とたい肥作り支援のプロジェクトを始めたとのことだった。

フォ−ラム後半のパネルディスカッションでは、外務省中東アフリカ局の嘉治美佐子参事官が、2013年に日本国内でTICAD5(第5回アフリカ開発会議)が開催されることになっています、いつどこではまだ決まっていません、と明言していた。

2008年の横浜でのTICAD4で採択された横浜宣言、横浜行動計画、フォロ−アップメカニズムに基づくTICADプロセス進捗報告のダイジェスト版も資料に同封されていた。外務省ウェブサイトでPDFファイルをダウンロ−ドすることができる。

もっと包括的なウェブサイトによる報告は、これから更新されるようだ。


先週、弘前大で開かれたアフリカ学会シンポジウムに関するメモは、以下の通り。

もし眠り病の特効薬ができたら−日本人研究者の挑戦」が提起するもの
先週末、青森にある弘前大学で開かれた日本アフリカ学会第48回学術大会に参加した。
今年の学会シンポジウムは「もし眠り病の特効薬ができたら−日本人研究者の挑戦」だった。
長崎大学熱帯医学研究所で眠り病の研究を進めている濱野真二郎さん、『疾病・開発・帝国医療−−アジアにおける病気と医療の歴史学』などで開発と疾病の問題について考察を進めている見市雅俊さん、そして人類学者として遊牧民の研究に携わっている曽我亨さんが、それぞれに興味深い問題提起を行った。
現在治験が進められている画期的な新薬を開発した北潔さんも会場にいて、ロンドンで新薬について発表したら「ほんとにナガナ病(牛の眠り病)の特効薬を発明したのだとしたら、これ以上牛肉の価格を安くしたくないと思う組織に狙われるよ」と言われたと、びっくりするような話をしていた。

3人の問題提起で印象に残ったのは以下。

濱野真二郎さん(長崎大学熱帯医学研究所教授)
・ギニア湾岸、南部アフリカの一部で知られていた病気が、植民地支配によって人の移動が活発になる中で各地に広がった
・アフリカが植民地支配されていた頃、薬が開発され、またツェツェバエの駆除も進んで1960年ごろにはほぼ眠り病発生の報告がなくなった
・アフリカ諸国の独立後の社会的混乱、紛争などの中で注意が払われなくなり、1980年代から発生数が急激に増えている
・ザンジバルでは、不妊化したツェツェバエを導入することでツェツェバエ駆除に成功し、眠り病を克服し、その結果、牛の成育がよくなり乳量も増えた
・沖縄で行われたミバエ駆除もザンジバルのツェツェバエ駆除も島だから成功したのかもしれない
・エチオピアでは政府がどうようの対策を取ろうと、不妊化したツェツェバエの大量育成を進めている
・発生が報告されるのは、病院へ来て検査を受けた人たちだけ
・病院へ行くことのできない貧しい人々は「眠り病」という診断も受けないまま亡くなっている
・現在の治療法は、副作用による死者もでることがある薬を使うしかない
・6時間ごとの点滴を2週間続ける治療にアクセスできる人は限られている
・効果があり安価な経口薬を作るために研究を進めている
・人類学者も参加するチ−ムで、新薬を広く利用できる治療体制構築には何が必要かという検討を行っている
・それぞれの立場から意見を出してほしい

見市雅俊さん(中央大学教授)
・マラリア対策の歴史を見ると、耕作地を求めて人々が低湿地利用を始めるとマラリア発生が増えるが、開発が進むと減少している
・マラリアの原因がハマダラ蚊の媒介するマラリア原虫とわかる前から、こうした「開発とマラリア発生そして克服の道筋」を解き明かす論考が発表されてきた
・アフリカにおいても、人々は「開発と疾病そして克服」の道筋をたどっていたはずだが、19世紀半ばから急激に進んだヨーロッパの介入によって、その道筋は断ち切られ、開発原病の発生が急激に増加した
・断ち切られた内在的な「開発と疾病そして克服」の道筋を、いまさらたどり直す術はないだろうというところから考える必要がある

曽我亨さん(弘前大学教授)
・遊牧民にとって眠り病、ナガナ病は所与の条件
 → 生活の範囲を定めるもの
・ケニア北部では、子ラクダの60%くらいが治療を受けずに死んでいる
・ナガナ病が克服されてラクダや牛が健康に育つようになると、遊牧民の資産向上につながると思われるが、一方で水場争いや貧富格差拡大が懸念される
・長崎大学のチ−ムに参加して得た新たな視点に基づく調査も開始した
 → ケニアの遊牧民を調査している人が地域の牛を調べたらかなりの牛がナガナ病の病原体(トリパノソーマ)に感染していた

2011年5月4日、水曜日午後9時24分。

3〜5日に予定していた外出が、受け入れ主の風邪でドタキャンになり、昨日も今日も近場を散策した後、昼寝をした。

昨日は洗濯を済ませた後、いつもより一駅分歩いて電車に乗った。通勤路途中のターミナル駅で降りて駅前ビル内の本屋へ行った。

文芸書と文庫本のコーナーを一回りした後、駅前の「かつや」でカツ丼を食べて帰り、その後、昼寝。

2時間くらいで目が覚めるかと思っていたが、起きたら夕闇が迫っていた。夜は、餅を焼き、納豆とサラダと一緒に食べて、23時ごろ布団に入ったら、そのまま寝ていた。

今朝は、出勤の日と同じくらいの時間に目が明いた。

起きだして、近所を一回り歩き、朝食にうどんを食べた。

メ−ルのチェックとウェブ更新作業をしに職場へ行ったら、窓ガラスの交換作業が進んでいた。AJF事務局の窓ガラス交換は昨日行われていた。

1時間半ほど作業をした後、御茶ノ水まで歩いた。駅前の本屋で、講談社文庫の棚を見たら高橋克彦『天を衝く』が目にとまり、手に取った。

何年か前に読んだことがあったが、書き出しを見ていると読み進めたくなるので棚に返して、近くの博多ラ−メン屋へ行った。

昼をすませた後、線路沿いに秋葉原へ降りた。歩行者天国かと思ったが、違っていた。通行人の多さと、ところどころで見かけるコスチュ−ム喫茶の客引きに驚いた。

いつもの駅で電車に乗って、座席に座った途端に眠くなった。うつらうつらしながら、部屋へ帰って布団に入った。

今日も目が明いたらもう暗くなりかけていた。

炊いておいた小豆を練り、水に浸けておいた糯米を炊いて、おはぎを作った。あまり甘くしないで、たっぷりの餡でくるんだおはぎに、満足した。

かつては、濡れふきんの上で餡をのばしていたが、ラップを使うときれいにつつむことができて簡単だ。


2011年5月4日、水曜日午前10時54分。

田坂歩さんの卒論『飢餓人口削減に向けた活動における組織の連携のあり方―ケニアの事例を横浜国際フェスタの事例から考える―』を、立命館大学グロ−バルCOE生存学創成拠点ウェブサイトに掲載した。

彼女自身もスタッフの一人として関わったよこはま国際フェスタにおける多セクタ−連携の分析を参照軸に、ケニアにおける飢えをなくすための多セクタ−連携の課題を検討しており、アプロ−チが興味深い。


2011年4月26日、火曜日午前7時53分。

ケニア手話を覚えて、市場や街頭で働くケニアのろう者と直接話をしてまとめられた、原山浩輔君の卒論『途上国における手話言語集団としての生計獲得−−ケニアのろう者の事例に基づいて−−』を、立命館大学グロ−バルCOE生存学創成拠点ウェブサイトに掲載した。彼が昨年12月の学習会で話してくれた際のプレゼンもダウンロ−ドできるようにした。

アフリカにおける障害者自身の活動を知る手がかりとして、活用して欲しいと思う。


2011年4月24日、日曜日午後9時13分。

"Witness to AIDS"を読む仲間が増え、「南ア憲法裁判所判事でHIV陽性者のEdwin Cameron著 "Witness to AIDS"を読もう!」の「参考訳文」を更新した。

この前の水曜日に、連続セミナ−「アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観」(全3回)を終えた。全回参加者が5人、2回参加した人が4人というのは、西原さんの話が興味深い内容だったからだ。

セミナ−を通して始まった質疑を順次、紹介して行く。以下、今日、ajf-infoおよびP-Africaに送った質疑の紹介。

ワシントン条約で国際貿易が禁止された象牙で作られる三味線の撥

コンゴ共和国から象牙調査のため一時帰国中の西原さんを講師に迎えて開催した連続セミナ−「アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観」は、こじんまりとした空間で発表者と聴衆との間であまり隔たりがない状態で開催されたこともあって、全回参加者も多く興味深い質問がとびかうセミナ−になりました。
第2回で紹介された森で暮らしてきた人々が手にした現金をお酒に使ってしまう状況に関して「彼らにとって、貨幣文化はまだ浸透していないのでしょうか?」との質問がメ−ルで届き、第3回で改めて、森で暮らしている人々について詳しい説明がありました。
現金収入が得られる伐採区のある森には
・森でずっと暮らしていた狩猟採集民
・伐採関連の仕事を得て/求めてやってきた他地域の人々とその拡大家族
が暮らしており、大多数は後者とのことでした。
前者は、伐採区が設けられガイドなどの仕事を得るまでは、お金と縁のない暮らしをしてきたので、お金を計画的に使う、いざというときのために蓄えるといった貨幣文化はまだまだ身に付いていない、とのことでした。

セミナ−第3回「日本の伝統的自然観とアフリカの自然のあり方」では、象牙需要が世界で最も大きい中国と日本の象牙利用の現状の一端(全体像は現在調査中で、調べるのはなかなか困難とのことでした)が紹介されました。
中国の象牙利用について調査を進めている西原さんの同僚によれば、
・中国の象牙利用は、ほとんどが装飾品
・材質は問わない
とのことです。
それに対して、西原さんが調査している日本では
・印鑑と三味線の撥の材料としての需要が大きい
・いずれも、日本の業者が「ハ−ド材」と呼ぶマルミミゾウの象牙が適していると言われている
・かつてはアジア象の象牙が使われていたが、象の頭数があまりにも減ったのでマルミミゾウの象牙需要が高まった
・印材需要は近年減少しており、印鑑業者は、彫り技術を活かして生き残りを追求している
・三味線の撥としてどれだけの象牙が使用されているのかの調査は非常にむずかしい
・業者は在庫があると言っているが、その在庫がどこにあるのか、どのくらいあるのかもまだ不明
だそうです。
第2回セミナ−の際、ワシントン条約による国際貿易の例外として2回南部アフリカ諸国から象牙が輸出された際に、南部アフリカ諸国にいないマルミミゾウの象牙が混じっていたことが判明していることが報告されていました。
西原さんが所属するWildlife Conservation Society(WCS)は、アフリカの熱帯林にいるマルミミゾウの象牙が日本で三味線の撥として珍重されていること自体が知られていない状況を課題ととらえており、そういった状況を知らせ考えるきっかけを提供するための情報ネットワ−クの構築をまず目指しているとのことです。
コンゴ共和国でのマルミミゾウ保護の取り組みを知り教材にしようと考える人々を対象としたスタディツア−などの構想も語ってくれました。

セミナ−後、参加者から
1)(象牙の)違法取引の需要側の問題について
2)購入した人への罰則をどのように現実的に行えるのか
3)そこに生活する人々が違法な伐採等をしなくて良いような代替手段へどのように移行することができるのか
との質問があり、
2)については、
コンゴの例ですと、相当金額の罰金か禁固刑が待っています。しかし、当の処置をすべき人々の汚職が多く、仮に違法者が刑務所に入っても早々と刑務所を出てしまうというのが実態です。日本の場合、もし違法に象牙を所持していたあるいは移入した場合は、「種の保存法」に基づき、罰則があります。ただおおがかりな違法取引は、その方面のプロの方等が関わっているかもしれないという話があり、そうなるとややこしいですね。
3)に関しては、
地元民が必要なのは、生活の安定のための食料と金銭(最小限の日用品を買うため)。食料は、長い伝統のある野生肉ではあるが、どこまでが合法的な行為なのか理解できるよう教育を進めなければいけない。それと、魚食への移行あるいは家畜などの導入には、長い視野でゆっくりやっていくしかないですね。文化の押し付けになってはいけない。金銭獲得については、就職できればよいにしても、それだけでは不十分である(たとえば象牙違法取引にかかわった方が効率的な収入になる!)場合もあることを考えると、たとえば、小規模でもよいから森の産物、農作物、家畜の肉、あるいは地元の民芸品などを売買できるよう仕組みが必要です。でもこれも長期戦です。
と回答したとのことです。

セミナ−時の質疑についても順次紹介したいので、記録起こしなどで協力してくれる人を募っています。
関心のある方は、AJF事務局(info@ajf.gr.jp 03-3834-6902 斉藤)に連絡下さい。

2011年4月14日、木曜日午前5時58分。

大学を休学して、児童労働に対する取り組みを行うNGOでインタ−ンをするためにト−ゴへ行った学生が、日本でやらなきゃいけないことがあると思う、予定より早く帰国してNGOの日本支部を起ち上げるつもりだというようなことを書いてきた。mixiの日記にも、ト−ゴで感じたことを書き込んでいる。

ケニアに本部のあるアフリカのNGOでインタ−ンをした学生たちが起ち上げたHIV/AIDS問題に取り組むNGO、ウガンダでワ−クキャンプに参加した学生たちが独自に起ち上げたエイズ孤児支援NGOがあることを伝え、NGOを起ち上げるにあたってどんなことをやったのか、何が課題だったのか、その後の活動をどのように展開してきたのか、を聞くように勧めている。

青年海外協力隊員としてアフリカの国々で活動した人たちが、帰国後に出会った子どもたちの学費や文房具を支援しているという話を聞くことも多い。そうした個人としての取り組みが、顔を見知った範囲からもう一歩進む時にNGOとしての活動が始まるのかな、と感じている。


3月初めから今月末まで、コンゴ共和国から一時帰国している西原智昭さんを講師に連続セミナ−「アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観」(全3回)を開催している。以下、第2回終了後にまとめた印象記。

連続セミナ−「アフリカの自然環境保全と日本人の伝統的自然観」第2回「アフリカ熱帯林地域での開発業と先住民・地域住民」
4月6日(水)夜に開催した第2回には、第1回を上回る参加がありました。
4月20日(水)に開催する第3回も、丸幸ビルが会場です。ご注意下さい。

第1回では、熱帯雨林ではなく熱帯林、そこで暮らす人びとと動物、実際に暮らしてわかったこと、感じたことを話してもらいました。
昨夜の第2回では、国立公園が設けられた後、周囲がほぼ全て伐採区に指定されている状況の中で、何が起きているかに関する報告を受けました。

印象に強く残ったことをいくつか紹介します。
・木材を運ぶための道路は、人の移動→人口増加につながるだけでなく、銃器、密漁によるブッシュミ−トや象牙の運搬路にもなっている。
・輸出商品としてコンゴ共和国の国庫を潤す木材を切り倒し搬出する過程で、たくさんの「雑木」も切り倒され、あるいはなぎ倒され熱帯林が急激に縮小している。
・その結果、伐採区の象の密度が減少し国立公園内の象の密度が高まっている(象以外の動物でも多分同じことが起きている)。
・西原さんが活動する国立公園の面積は東京都の約2倍。周辺の伐採区はその国立公園を3つ合わせたくらいの広さ。そこで密漁を防ぐために活動するパトロ−ル隊の人数は数十人。
・お金を使う習慣がない熱帯林で、ガイドや調査助手の報酬としてお金を手にした森の人々は、そのお金でお酒を買って飲んでいる。
*在宅障害者が年金振り込みの記録のある銀行通帳を見せられても、何のことか理解できないという話を思い浮かべてしまいました。お金を持つと欲しいものが買えることを理解すると今度は、手にしただけすぐに使ってしまうとも聞いたことがあります。
・ガボン共和国の国立公園環境保全のために中国企業の石油探査調査に半年同行して監査を行った経験から、中国人はやってはいけないと指摘されたことはきちんと守る人びとだと感じた。
・第一次探査隊の時はブッシュミ−トを食べていた中国人労働者たちは、野生動物の狩猟を禁じられた第二次探査の際には動物を見て楽しむ余裕も持ったようで、マルミミゾウを背景に写真を撮ってあげたら喜んでいた。


2011年4月3日、日曜日午前10時36分。

机の上に積み上げた本の下から、25年ほど前に入手してちょっとだけ読んだHans Fallada "Kleiner Mann - was nun?"が出てきた。池田浩士さんは、この本のタイトルを「おっさん、どうする?」と訳している。デキチャッタ婚で新生活を始めようとする主人公たちを表現するに「おっさん」はあんまりかな、と思う。

僕が持っている本は、1980年10月にリプリントされた1万部のうちの1冊で、この時までのrororo叢書での総刷部数は62万部となっている。

著者は、第一次世界大戦後、ドイツ革命の試みを圧殺して誕生したワイマ−ル共和国が、ル−ル返還問題、シュレ−ジェン帰属問題の中で揺れている時代を描きとって、当時のベストセラ−作家になった人で、戦後、"Jeder stirbt fur sich allein"(人はみな、一人で死んでいく)という、ナチス支配下のドイツで、反戦ビラを密かに配布しているところを逮捕された人と取り調べ官のやりとりを描いた作品も書いている(池田浩士『ファシズムと文学』)。

1980年だったか、池田さんの講演を聞き、『ファシズムと文学』を読んで、"Kleiner Mann - was nun?"を近くのドイツ語図書を扱っている本屋に発注した。その本屋は、もう今はない。

rororo叢書に収録されている同じ著者の他の本は、友人がウィ−ンで仕事をしていた時の同僚に頼んで、一揃い用意してもらった。用意してくれた人は、日本へきた時、僕の部屋に1ヶ月いたこともある。彼も亡くなって10年余りになる。

今年、彼の墓参りと骨休めにウィ−ンへ行こうと考えている。



2011年4月1日、金曜日午前4時51分。

昨日の夕方、今月6日、20日にセミナ−開催を予定していた会場から電話があった。

4月は17時に閉館することになったので夜間に会場として使用することはできない、と言うのだ。

直近の連絡で驚いたが、事務局隣の会議室が使用可能かチェックしたところ大丈夫だったので、6日についてはそこで開催することを決め、講師、前回参加者はじめ各方面へ連絡を入れた。

20日の会場については、もう少し余裕のあるところにあたってみてダメなら、またまた事務局隣の会議室を使わざるをえない。

事務局隣が会場というのは便利だが、狭くて15人を超える参加者があると、机を置くことができない。

4月28日に開催予定のセミナ−に関しても、会場使用が可能かどうか、現在、確認中との連絡があった。

昨日は、4月13日から授業を行うことになっていた大学から、「【重要】学部の春学期授業開始日の変更について」という連絡もあった。

平穏な生活を襲った自然の猛威は広範に及び、震災の影響は予想をはるかに超えて深刻です。被害の全貌はまだ明らかになっていませんが、復興の道程は険しいと言わざるを得ません。また、原子力発電所の連鎖的な事故も重なり、さらなる不安に私たちの生活が晒されています。本学でも800名近くの学生および家族が被災地に居住しており、授業環境としましても、横浜校舎では計画停電が実施され4月中の授業は実施できない状況です。
本学はこの事態への対応として、入学式典を中止し、また授業の開始や新入生向けのオリエンテ−ションなどを遅らせることにいたしました。また、刻々と変化する状況に即応した大学の決定を速やかにお知らせするため、大学ウェブサイト等を活用した伝達手段を立ち上げております。
春学期授業期間とします。この措置により、夏季講座(第一期)の期間が8月5日(金)〜12日(金)と短縮せざるを得ませんでした。

そんなに大きな大学ではないのに、「本学でも800名近くの学生および家族が被災地に居住」というのに驚いた。

東京と東北は近いのだな、と改めて感じた。



2011年3月21日、月曜日午後3時3分。

福島県郡山市で高齢者・障害者サポ−トの仕事をしている遠藤さんのメ−ルを、とあるMLで紹介したところ、阪神・淡路大震災後の神戸でボランティア経験のある東京外国語大学の舩田クラ−センさやかさんが自身のブログで紹介し、また緊急に必要と連絡のあった紙おむつや粉ミルクの支援につながる取り組みが起ち上がりました。

現在、物品の到着状況や現地での利用状況などを確認しつつ、継続的な取り組みのあり方を検討しているようです。

舩田さん、出身地である兵庫県の猪名川町の協力者やゼミの学生たちと一緒に、関西疎開プロジェクトも立ち上げています。



2011年3月17日、木曜日午後2時26分。

東京海洋大学の小松美彦さんが、以前書いた文章を「自由に使って戴いて結構です。」と、僕も参加するMLに送ってくれたので、紹介します。

「科学技術先進国であるはずの日本の実態――JCO東海事務所の臨界事故」(99.10.30号)

 スリ−マイル島やチェルノブイリでの巨大原発事故が起こる度に、科学技術庁や通産省は、それらを日本では絶対に起こりえない事故だと断定し、日本の原子力技術の安全性を強調してきた。ことに後者の事故の場合、原発推進論者は、科学技術後進国ソ連だからこそ勃発した人災であることを力説した。だが、周知のように、去る九月三〇日、日本でもスリ−マイル島のものと同レベルともされる事故が起きてしまった。茨城県東海村の核燃料加工会社「JCO東海事業所」による臨界事故である。しかも、その直接源因は、違法な「裏マニュアル」さえも逸脱した作業工程で、沈澱槽に違法に開けた穴から、合法量の七倍ものウラン溶液を一度に注入したためであるという。これが、科学技術先進国であるはずの日本の原子力現場の実態である(ただし、合法ラインの根拠も検証すべきだ)。

 原子力政策を補完してきた新聞各紙も、今回は批判的な記事を継続させてはいる。しかし、事故直後は現場の作業員に、「裏マニュアル」発覚以降はJCO本体にといった具合に、考えるべき諸問題を事故の責任問題に、しかも特定の一部分に帰着させ、問題の拡張を封じるかのような姿勢が感じられる(警察のすみやかな捜査の意味も検証すべきだ)。むろん事故原因は徹底究明されるべきだが、問題をそこで縁取ってはならない。

 考えるべき問題の第一は、事故への対策準備がおざなりであり、実際の対応の杜撰さはその反映だということだ。JCOや政府の対応の遅さはマスコミの指摘するとおりだが、事故の質と規模からして、近隣の人々には「屋内退避」ではなく、「逃げろ」という指示がすぐさま出されるべきだった。いかなる放射性物質が飛散しているのか不明なのだし、特に中性子線は“暴漢”と違って、雨戸につっかえ棒をして家の中で息を潜めていても、防げるわけではないからである。被爆者の実数は公表よりも遥かに多いのではないか。また、人体への吸収が早いヨウ素131(一〇日以上経って検出された!)への対抗薬であるヨウド剤は、家庭や学校に常備されていなかったばかりか、配布もされなかった。防護服はJCOにも消防にも少なかったようだ。殊に目を見張ったのは、救助にあたった救急隊員の中には、帽子とマスクと白衣だけの者が多数存在し、その姿で被爆者に肩を貸している者さえいたことである。こうした愚かさのすべては、人命よりも原子力政策の存続を重視してきたことの賜物だろう。この問題での安全保障とはパニック制御に他ならないのだ。

 第二は、今回の事故を機に、すべての原子力関連施設に対して調査を実施すべきだということである。これまで原子力行政は、野球の中畑やバレ−の川合などの原子力に無知なはずの有名人をCMに使うなど、無知な一般人を愚弄してきたといってよいだろう。二月の中川元農水相(ダイオキシンのホウレンソウ、クロ−ン牛)につづく小淵首相による安全宣言のパフォ−マンス−現地のメロンと魚を頬張り「おいしいですよ」と宣わった−も、同様の愚民政策でしかない。今後の調査に関して重要なのは、アリバイ的な形だけの実施ではなく、その構成員である。高知赤十字病院以来の移植への検討委員会がそうであるように、専門分野は多岐にわたっても推進論者だけからなるのでは真の検討は実現しないだろう。また、山陽新幹線の安全宣言の実態に象徴されるように、当事者による検討も信頼性に乏しい。それゆえ、原子力資料情報室やグリ−ンピ−スのような外部の批判機関が調査の中心を担うべきであろう。そして調査の対象は、安全性と事故対策に留まってはならない。「ホ−ムレスが狩り出される原発現場」(『週刊宝石』10月28日号)が一部告発したように、最深部の労働実態や、産廃問題と重なる被差別問題にまでメスを入れるべきであろう(森崎東監督「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」[一九八四]も参看されたい)。さらには、対象領域を拡張して、同種の事故をもたらしかねない「遺伝子組み替えP4施設」などにも調査の手を及ぼすべきではあるまいか。

 第三は、「プルサ−マル計画」をはじめとして、原子力政策総体を再考することである。週刊誌やスポ−ツ紙にあっても、まるで報道協定をかわしたかのごとく、この核心問題に踏み込んだ記事は今のところ見当たらない。今回の事故から最低限押さえるべきことは、科学技術には製作から運行まで人間が関わる以上絶対的な安全などありえないこと、しかも原子力関係では“この程度の施設”ですらこれほどの事故が起こってしまうこと、そして誤魔化しがきかなければ地域経済も簡単に破綻しかねないことであろう。因みに、JCOのウラン加工の目的は世界中で日本だけが固執する高速増殖炉の(実験炉の)燃料精製であったが、仮に高速増殖炉が実現したとして、そこに飛行機が墜落したとしたら、日本がどのような状態になるのかは今こそ想像しなければならないだろう。太陽発電からバイオマス発電まで代替エネルギ−がうまくいかないのなら、私たちは生活水準を落とし、人口の制御に慎重に取り組むより他はないように思える。生活水準の低下とは何も縄文時代に戻ることではない。凍えるほどの冷房や、過剰なネオンサイン…、やるべきこと、やれることはいくらでもある。


「利権構造こそ臨界事故の原因――写真を採用して労働者の惨状を告発(『噂の真相』1999年12月号)」(1999.12.4号)

 村上陽一郎・市野川容孝「安全性をめぐって」(『現代思想』10月号)は、河本英夫・佐々木正人「あらゆる場所に同時にいる」(『現代思想』9月号)や辺見庸・高橋哲哉「1999を問う」(『東京新聞』99.16〜10.1)とともに、論題の重要性はもとより、射程の広さと洞察の深さの点で、一九九九年における珠玉の対談といってよいだろう。村上と市野川は、今なぜ「安全性」が問題とされるべきかといった状況認識から議論をおこし、古代ギリシアから現在に至るまでのさまざまな社会で「安全性」をめぐる問題が人間精神や社会編成の基底をなしてきたことを抉り出し、安全性を軸に歴史を見事に再構成してみせる。また、安全性の対象としての個人と国家の関係、逆に安全性の責任主体としての国家と個人の係わり、安全性と自由の相克、ナチズムに象徴される安全性の破壊とその徹底をめぐる問題などについて、大胆かつ慎重に議論を繰り広げる。そしてその最後部分で市野川は、「周辺事態法」と「国旗・国歌法」の制定を、安全性の対象が個人から国家へと大きくシフトしたものとして捉え、憲法九条の意義を安全性の点から肯定的に位置づけなおし、さらには国家の壁を低くすることを提起する。他方、村上も市野川の提起に共振し、「国」や「公」といった言葉が指し示す内実を問い詰めていくことの肝要さを、自身の戦争体験を背景に顕揚するまでに到る。

 だが、このアクチュアルにしてラディカルな対談は、誠に残念なことに、ある場面では安全性の責任主体となるべき日本国家の構造の検討、すなわち政府・官僚・企業の関係の検討までには及んでいない。対談の上梓直後に勃発した東海村臨界事故は、正にこうした構造に係わるのではないのか。

 前回の「科学時評」でも指摘したように、臨界事故の責任はJCOに押し着せられる傾向にあるが、高木仁三郎「東海村臨界事故とはどのような事故か」(『世界』12月号)は、現場の乱暴な作業に事故の直接原因はあるが、事態の収拾は政府の管理下で行われるものであるため、安全宣言と避難解除の早すぎる決定など、その過程での乱暴さは政府−科学技術庁と原子力安全委員会、原子力委員会、そして内閣全体の責任として問われなければならない、とする。『技術と人間』編集部による「責任は誰にあるか」(『技術と人間』11月号)も同種の弾劾を行っている。しかし、これらにおいても、原子力政策をめぐる政府・官僚・企業の関係への言及はない。

 この点からして、第五福龍丸乗船員としてビキニで被爆した大石又七の言明−起こるべくして起こった事故だ。核物質や原子力を商売として扱っては危険すぎる(「九月三十日に起こった東海村臨界事故に思う」『批判精神』第三号)−は、今回の事故原因の中心を射抜いているだろう。こうした認識を敷衍したのが、西村功生「東海村大臨界事故報道が“黙殺”した原発推進の背景に隠された巨大利権」(『噂の真相』12月号)だ。西村は、「政官財一体となった利権構造こそが今回の事故を生み出したといっても過言ではない」と言明し、政治家・官庁・電力会社・ゼネコン・マスコミの実名を多々挙げて、安全対策をおざなりにしてきた利権構造を具体的に論難する。また、フリ−カメラマンの水本圭亮は、労働者として東海電力浜岡原発に潜入し、利権構造下の原発労働と安全管理の実態に関するルポを『サンデ−毎日』誌上(11月28日号から)で開始している。同様に『噂の真相』12月号はその巻頭グラビアで、フォトジャ−ナリスト・樋口健二の写真を援用し、前回の時評でも触れた原発内の労働者の惨状を告発している。

 『世界』12月号では、川田龍平・高橋哲哉「責任不在社会をどう変えるか−薬害エイズと戦争責任」なる対談も組まれている。そこにおいて両者は、薬害エイズ民事訴訟と従軍慰安婦問題のいずれにあっても、「謝罪」ではなく「お詫び」という言葉が用いられたことの意味を、責任を認めて謝るか、責任をはっきりさせずにおくかの決定的違いだとする。また、さらに川田は、「そもそも厚生省は何のためにあるのでしょうか。国民の命や健康を守るためにあるのではないでしょうか。それが産業育成ばかりに力を注いでいる。これはすべての行政に言えることですけれども、官庁が企業と一体となって利潤を考える、追求することはあってはいけないんじゃないか。これは薬害エイズだけの問題ではないと思います」と訴える。川田の言うとおり、臨界事故もこの体制に起因するのだ。

 安全性の問題に関しては、守ろうとしているのは「誰の何か」を常に検証するとともに、ひとつひとつの具体的問題の責任を、殊に国家や企業の責任を、執拗に追及しつづけることが肝腎だろう。と同時に、利権構造をはじめとした安全性にまつわる国家機構を剔出し、白日のもとに曝さねばならない。こうした実践・検討作業が徹底されないとき、蔓延する日本のアパシ−状態は程度を深め、また、安全性をめぐる議論は、国家主義に回収されるか、新保守主義に着地するに留まるだろう。
(『図書新聞』「科学時評」掲載。後に『黄昏の哲学−脳死臓器移植・原発・ダイオキシン』に収録。)

上記で紹介されている市野川容孝さんの「安全性の論理」に関する考察は人権との関係でまとめられ、「安全性の論理と人権」のタイトルで『人権の再問』に収録されています。同書に、僕も「グロ−バルな人権の課題」を書きました。

雑誌『技術と人間』への言及を読んで、1976年から購読した雑誌が今はないことに改めて思いが至りました。



2011年3月16日、水曜日午後2時52分。

障害学メ−リングリストに転送されていた、福島県郡山市在住で、障害者・高齢者のサポ−トをしている遠藤さんのメ−ルを、以下に転記します。

遠藤さんに問い合わせたところ、全文そのまま紹介してもらってけっこう、とのことでした。書き方に不十分な点があるかもしれない、とのことですので、そのつもりで読んでください。

ご無沙汰をしております。(以前、サポ−トセンタ−にっこりハウスをやっていた遠藤 正一です)

今、私は、制度のすき間を埋めるサポ−トの専門会社をはじめました。(昔から、思いは変わっていなくて、どうしてもこれがやりたくてはじめました)
障がいのある人、高齢者問わず、制度外で困っていることに何でも対応するサ−ビスです。
今、障がい分野は専門ではありませんが、福島でも海の方は壊滅的被害プラス原発でとんでもない状況だと思います。

以下、今回の地震の報告です。
私の場合、とにかく困っているのは水とガソリンです。(今、困っている方のところに行きたくても行けません)

まず、しばらく電話も、インタ−ネットも不通でした。
我が家の場合、インタ−ネットは有線のものはダメで、パソコンに直接取り付け(モバイル?)ものでようやくつながりました。
携帯(au)も、メ−ルのやりとりはできますが通話はダメです。

【地震当日】(2011.3.11)
地震の数分前に、たまたま自宅に忘れ物を取り戻っていて、自宅で強い揺れを体験しました。(震度6強)
30年前の宮城県沖地震、阪神淡路大震災(滋賀県で)を体験しましたが、比べものにならない揺れでした。
自宅はマンション5階建の1階で、潰れるかもしれないという恐怖に襲われました。
その日は、中学校の卒業式で、中学1年の息子は早く帰っていました。
地震が終わって、息子から「お父さんが帰ってきてくれて本当によかった」「一人だったら・・・」と泣き顔で話ししていたことが、地震の凄さを物語っています。
自宅のマンションは比較的新しく、避難指示はでませんでしたが、隣りのマンションは土台がダメで避難指示が出ています。
電気は大丈夫ですが、水がダメで、生活に不自由しています。
余震が5〜10分置きぐらいにあって、その都度不安を感じています。
数百メ−トルのところにあるビルは完全に倒壊しています。
室内はぐちゃぐちゃです。

【2日目】(2011.3.12)
お客様である一人暮らしのお年寄りのお宅を訪問
片づけを手伝ったり、水汲みをしたりの1日でした。(回れたのは郡山市内の5人のみ)

ガソリンが手に入らず(1人5リットル〜10リットル:スタンドによって違う)、車で移動したくても困っています。
水も困っています。トレイは外でと思い、コンビニ行ったら、すべて使えない状況。

【全体として】(2011.3.12)
海の方は壊滅的状況です。知り合いに連絡を入れていますが、未だに連絡が取れません。

現地の実感としては、今、発表されているのは1/10、いや1/100ぐらいの数字かも知れません。
町がまるごとなくなっていて、現地の役場の建物も、人も一緒に被災されているので、把握できないので数字に上がっていないだけです。

何よりも原発が怖いです。
原子力安全・・・の人の発表と振り回されている住民の方との間にあまりにも温度差があって、いてもたってもいられない気持ちです。
(現地に来て発表しろ、直接作業に携われ!と叫びたくなります)
福島の県民性(人がよく、まじめ実直)もあるのかもしれませんが、行政の方(地元では”おかみ”という言い方があり)から、何かを言われたり、指示があると、自分の気持ちはさておき、まずは実直に従うのです。(原発地域の方々の避難所がすぐ近くにあり、先ほど、顔を出してきました)
いろいろと言いたいこと、やって欲しいことがあるだろうに、じ−っと黙って、寒い夜を迎えようとしていました。
今回の避難と被爆の関係は、もっと早めにちゃんと伝わっていれば、被爆された方はもっと少なかったと思います。
現場はもう手がつけられない状態だと思います。東京のレスキュ−隊も退散しました。

1号機、3号機の大爆発よりも2号機の方が危機的状況という情報が流れています。
メルトダウンが現実なものになると思います。一般市民の被爆も進んでいます。
私のところは50キロ離れていますが、我が家の子供たちのことを考えれば、一刻でも早く遠くに離れて行きたい気持ちです。

2回目の報告です。(2011.3.16)
原発が深刻です。
今となっては、逃げたくてもガソリンがなくどうしようもありません。
チェ−ンメ−ルとかの情報じゃなくても、これは、素人が見ても、”ただごと”ではありません。
何で、それを早い段階から伝えられなかったのでしょうか?
報道で伝えられているかと思いますが、原発地域の方々の1回目の避難場所として川内村(10キロ以上20キロ以内)に約5000人が移動しました。
元々、人口が少なく、お店もない、何もない村に5000人。それが、2回目、3回目のときは20キロ以上へ避難。ところが、受け入れ場所が見つからず、そのままです。そうしている内に被爆の可能性があります。(見捨てられた感じです)
(今、行われているスク−リングは一見、本人さんのために被爆量を計っていますが、ある量を超えた人は受け入れない行政の基準でもあります。)
被爆をしてしまった人は、行く所がない。道路は寸断されていて救援物資が届かない。連絡も取れない。村民が自分のところの米と野菜を持ち込み、みなさんでしのいでいるそうです。昔の”兵糧攻め”が現実なものになっています。
どなたか辻本議員に連絡を取れる方はいらっしゃいませんか?
ボランティア何とか大臣になったと聞きましたが、早い段階で、対策本部を立ち上げ、被災地に人とものを送る仕組みが必要です。(福島の場合、原発のこともあって、ボランテァが動けないとう悲惨な状況です)
私も神戸のとき、いろいろと関わらせていただき、そのノウハウを経験しました。そんな人がたくさんいるはずです。
ただ、動くに動けません。(ボランテァの緊急扱いを取り決め、ガソリンを供給してもらい、対策本部に集合させ、みんなの力を結集させる。・・
・・等の方法はいくらでも考えられると思います。⇒緊急扱いだとガソリンはOK)
この手の話は止まらなくなるので、この辺で。

一つ、動画を送ります。(これは、チェ−ンで回ってきたと言えば、そうですが、心動かされたので、みなさんにもお届けします)
これを見て、なぜか涙が出てきました。ダメなところだけを見ているよりは、捉え方を変えれば、不思議と勇気と元気が湧いてきます。

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc&sns=em

以上、よろしくお願いします。
遠藤 正一

ご用聞喜屋 「ハイッ!喜んで」
〒963-8041
郡山市富田町字下双又14-112
TEL:024-953-6481 FAX :024-953-6482
携帯:090-2028-7163
PCアドレス:saeche@nifty.com
携帯アドレス:saeche@ezweb.ne.jp
代表 遠藤 正一


2011年3月15日、火曜日午前7時25分。

日本経済新聞2011/3/12 19:58「IAEA、日本に情報提供求める 福島原発事故」等を見ると、日本からの適切な情報提供がないことに国際原子力機関(IAEA)がいらだっているようです。原発・核技術管理に関して、国際的な視線は、日本を北朝鮮やイランと同じ「状態」と見ていると言えるかもしれません。

こうした状況を受けて、仏では日本への渡航延期と在日仏人へ関西以西への避難を勧告しているそうです。在日米国大使館もすでに機能移転している聞きました。

というようなことを思っていたところに届いたメ−ルの一部を転記します。

 ついに、福島第一原発第1号機に続き、第3号機も水素爆発を起こしました。第3号機は燃料にMOXを使用しているプルサ−マル発電です。MOX燃料とは、「プルサ−マルは原発の使用済みウラン燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜて混合酸化物(MOX)を作り、発電に再利用する。」という奴です(朝日新聞 2010年9月17日)。
http://www.asahi.com/national/update/0917/TKY201009170481.html
 猛毒のプルトニウムが拡散する可能性があります。

 mixiのコミュ『理科教育』で放射線量を測りましょう、と呼びかけました。お知り合いの理科教師にも声をかけて下さい。
******************************************************************************
 昨日、福島第一原発 第1号機、第3号機が水素爆発しました。
 福島第一原発 第2号機も水素爆発する可能性があります。
 来年度、中学校の学習指導要領の全面実施で、教科書が変わります。中3で放射能を教えることになります。さいたま市の全中学校には、これに伴い、簡易放射線測定器が配布されています。
 「政府や原子力安全・保安院の言うことはうそだらけ」「これは自分で調べるしかない」と思い立ち、このラデックスを使ってみました。 
 2011年3月14日 ホワイト・デ− 
さいたま市が全中学校に配布した「携帯型デジタル放射線測定器ラデックス」を使用単位はマイクロシ−ベルト(毎時)
10:00 0.16μSv/h (マイクロシ−ベルト毎時) さいたま市内中学校理科室ベランダ 13:00 0.12μSv/h (マイクロシ−ベルト毎時) さいたま市内中学校理科室ベランダ 16:51 0.16μSv/h (マイクロシ−ベルト毎時) さいたま市浦和区 自家用車内 20:03 0.15μSv/h (マイクロシ−ベルト毎時) 川口市自宅ベランダ
 「まぁ、こんなもんだろう」と思っていました。文科省の「簡易放射能測定器 はかるくん」の取扱説明書を改めて、読んでびっくり。
 この0.12〜0.16マイクロシ−ベルト毎時って、通常の4倍の値なんです。埼玉県の平均値は 0.035マイクロシ−ベルト毎時。東京都でも 0.036マイクロシ−ベルト毎時。文科省が「はかるくん」を貸し出しした、平成2年〜10年度の平均値だそうです。僕の学校や自宅では、0.12〜0.16マイクロシ−ベルト毎時。これは明らかに大きすぎます。
 現在、福島第一原発の正門まで、広瀬隆さんらが放射線量を測定しています。あの3月12日に第1号機のベント作業により、内部の水蒸気の圧力が下がった直後、400マイクロシ−ベルト毎時に跳ね上がっていることがわかります。
 1〜2シ−ベルト毎時(10000〜20000マイクロシ−ベルト毎時)の被曝では大部分の人が回復しますが、3シ−ベルト(30000マイクロシ−ベルト毎時)の放射線量を短時間に全身被曝すると約半数の人が数ヶ月以内に死亡すると言われています。
 この400マイクロシ−ベルト毎時って、一体???
 昨日、2011年3月14日 夜19:30〜 からユ−ストリ−ムで「第4回 原子力情報資料室の記者会見」が見られました。まだ、録画がUPされていないようです。第1回〜第3回までは録画で見られます。
 是非、全国で簡易放射線測定器をお持ちの理科教師のみなさん、放射線量を測り、交流しませんか?政府だけに任しておくには、現実はあまりに深刻です。子どもたちの命がかかっています。                                                           2011年3月15日 0:35AM
原子力資料情報室記者会見 録画
第3回(2011/3/13 19:30)※日本外国特派員協会にて
videonews.com
http://www.ustream.tv/recorded/13295291
第2回(2011/3/13 17:00)
videonews.com
http://www.ustream.tv/recorded/13293527
第1回(2011/3/12)
videonews.com
http://www.ustream.tv/recorded/13269582


2011年3月13日、日曜日午後4時20分。

福島第一原発で起きた爆発、第二原発でも発生した放射能流出事故、地震が起きたらどうなると懸念されていた事態になってしまった。

福島原発は、東京電力が首都圏に電力を送るために建設し稼働させている。原発事故の被害が、福島県と栃木県の県境となっている那須塩原の山塊、茨城県北部の山地よりも北部に発生するという事態に胸が痛む。



2011年3月1日、火曜日午後1時5分。

先週末に開催した「Workshop YINI?」で、ニバルレキレ事務局・小山さんが話してくれたことを、いくつかのMLで紹介したところ、問い合わせが相次いだ。

以下、投稿を再録する。

先週末、(特活)アフリカ日本協議会・ニバルレキレ事務局共催のWORK SHOP YINI?第1回を開催しました。
この日は、南ア・聖フランシスコ・ホスピスでのボランティアを経て、2003年からホスピスの子どもたちの作品展とHIV陽性者・HIV/AIDSの影響を受けている人々の支援活動を始めた小山さんが、エイズで家族を失った人々の生活・想いを紹介してくれました。
HIV陽性者、エイズ遺児といった支援対象としてカテゴライズされた人々だけでなく、エイズで家族を亡くして途方に暮れる人々、家族構成が大きく変わって生活そのものが変わってしまった人々に支援の手をさしのべる必要があるのではないかとの問いかけがありました。
お父さんをエイズで亡くした子どもが引き取られたおじいちゃんの家で、この子はエイズ遺児を支援しているNGOからイベントへの招待状が届き、フ−ドパ−セル(食料支援)や学用品支援もありますが、同居しているおばさんの子どもたちはおじいちゃん・おばさんの限られた収入で手にすることのできる食べ物や学用品しかありません。
また、頼りにしていたお兄さんたちをなくしたおじさんは、エイズに対する不安と招来に対する不安を感じて、一時期はケミカルのドラッグにもはまっていました。
そんな家族の一人一人がかかえている問題を一緒に考える取り組みが必要、と小山さんは呼びかけていました。
この日のプレゼン、関心がある方は、連絡下さい。
次は4月に開催する予定です。


2011年2月27日、日曜日午後8時5分。

久しぶりに電車に乗らなかった日曜日。午前10時から入れると思っていた銭湯の開店時間が正午になっていて、びっくりした。

洗濯を済ませて、お風呂に入り、ちょっとお昼寝と思って横になっていたら、もう5時を回っていた。

夕食後、気分転換もかねて駅前のインタ−ネット・カフェでメ−ル・チェックをしている。



2011年2月19日、土曜日午後4時21分。

パッと動き出せばよかったのだが、職場の机に向かっているとやらなければならないことが次々と押し寄せて、アッと気付けばこの時間。

先週、会報「アフリカNOW」第90号発送時に同封した「会費納入のお願い」と郵便振替用紙に反応があって、今日は6件の振り込み通知が届いていた。それぞれの顔ややっていることを思い浮かべながら、受領確認のメ−ルを送らないと落ち着けない。



2011年2月19日、土曜日午後1時23分。

案内をよく見たら、国際シンポジウム「人と人との間のバリアフリ−」がすでに始まっていることを知ってどうしようかと考えたが、パネルディスカッションの途中から参加できそうだ。休憩時間に、2〜3の人にあいさつするだけでもした方がよいかな、とも思う。

障害学会の理事に立候補した。2月9日に立候補者リストが公示されたのを見ると、全員男性。選出された理事の推薦による理事という仕組みがあるので、そこでいくらかでもジェンダ−・バランスを回復させる必要がある。

立候補者の年齢も、50代半ばがやがて半分、残りは40代と30代。新しい学会で、他の学会に比べれば理事立候補者全体の平均年齢は若い方だろうが、前回に比べて平均年齢が上がっている。

初代会長は盲人で、現会長は脳性マヒ(CP)者。今回の立候補者にも盲人、CP者、中途障害で電動車いすユ−ザ−、弱視者、精神障害者がいて、一人は家族が知的障害者、僕とももう一人は1980年代からの介助者仲間。ということで、当事者そして障害者との関わりの深い面々が立候補しているとは言えるだろう。

「学会」だからか、僕以外はみんな大学院に在籍したことがある。前期の理事会には、学生の理事が二人いた。

僕が、1980年以来、介助で関わっているCP者は就学猶予で学校に行っていない。1979年の「養護学校義務化」で就学するのが普通になった世代が、やっと40歳にさしかかろうかという現状を見ると、当事者視点からの研究を推進することを目指す学会の運営体制としては、検討すべきことがあるように感じる。

自分で理事に立候補して、考えなければならないことがいくつもあることに改めて気付いた。



2011年2月14日、月曜日午後8時16分。

夕方、降り始めた雨は、白いボタボタの雪になった。

雨に弱い靴なので、つま先が濡れている。まだそんなに冷たくないので助かった。

この1週間、エジプトでのデモ報道、そしてムバラク辞任の至る過程のニュ−スを追いかけつつ、アフリカNOWの発送準備をしていたので、他のことに手を付けられなかった。

今朝、少しだが、"Witness to AIDS"のテキストをタイプした。

TICAD IVフォロ−アップ進捗報告ウェブサイトに関する案内」、「会費納入のお願い」を送らなくてはならない。あて先不明、転居先不明で返送された会報の送付先確認作業もある。

1月16日、目白駅でホ−ムから転落して亡くなった盲人につながりのある人たちが、早急な対策を求めるネット署名を呼びかけている。以下、見て欲しい。

友人には、盲人も弱視者もいます。
標記のネット署名、たいへん気になる取り組みです。
他のMLに投稿されたメ−ルを転記します。
読んでみて、よければ署名してください。
可能な範囲で紹介・転送もしてもらえるうれしいです。
--------------------------------------------------------
目白駅で全盲の知人が転落死したことについて触れましたが、彼の死を無駄にしないために監督官庁等に対するネット署名が始まりました。ご賛同いただける方は是非お願いいたします。

http://www.tenpitsu.com/proclamation/

*以下は、僕が追加しました。
【関連記事】
分かりづらい点字ブロック 目白駅転落死 全盲男性と歩く
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011012202000025.html

ブラインドテニス普及に力 目白駅転落死 視覚障害者・武井さん
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011011802000176.html

視覚障害者テニスの普及に情熱 JR目白駅転落死の武井さん 
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110119/crm11011923410389-n1.html

ホ−ム転落事故 目を閉じて歩けるか
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011012402000009.html

2011年2月5日、土曜日午後3時19分。

部屋で遅い朝食をとっていたら、かすかに聞きなれない音がしたので、あちこち見回した後、部屋の扉を開けてみた。誰もいなかった。

ちょっと出かけて部屋へ戻ったら、扉の郵便受けに宅配便の不在時配達通知が入っていた。配達時間を見ると部屋にいたはずの時間だった。

宅配便のドライバ−に連絡をとり、夜、再度配達してもらうことになったが、補聴器を着けて呼び鈴が鳴るのを待たなければならない。

聴力減退が進行中で、先日までは聞こえていた音が聞こえない、という人たちはどんな工夫をしているのだろうかと? と思った。


AJFと協力関係にある立命館大学グロ−バルCOE生存学創成拠点のウェブサイトで公開しているアフリカ関連情報デ−タベ−スの更新作業に追われている。チュニジア、エジプトの事態に関しては、日本語のニュ−スもたくさん発信されているので、びっくりしている。

以下参照。
チュニジア共和国 http://www.arsvi.com/i/2tns.htm
エジプト・アラブ共和国 http://www.arsvi.com/i/2misri.htm
アフリカ 2011 http://www.arsvi.com/i/2-2011.htm
* リンク、紹介、大歓迎。



2011年2月3日、木曜日午後4時35分。

人権の再問』に書いた「グロ−バルな人権の課題」の中で、IMFが2004年に出した「Macroeconomics of HIV/AIDS」に触れて、次のように書いた。

社会的なサ−ビスを実施するにあたって、受給者団体や関係者と協議の場や説明会などを設けることになじんでいない政府・自治体・医療機関にとっては、「うるさい外部者」しか受け止められないことも考えられる。

先週、AJFスタッフが参加したタイ・バンコクでの国際保健医療従事者の育成に関するワ−クショップのある分科会で「people living with HIV/AIDS」は「 people with problem」という趣旨の発言があったと、現在HIV陽性者グル−プ中心に事態の究明と主催者への申し入れなどが行われていることが判り、「やっぱり」と思いつつ、「どうしてなんだ」と腹立たしい気持ちが収まらない。

そのことを何人かに買い送ったところ、次の返信があった。

ですが国内においても、特に介護分野では同様の傾向があるようです。
専門知識を有する閉鎖的な業界ほど、そのような「うるさい外部者」扱いがなされるのでしょうね。

当事者が見せる怒り、不満は、「私たち抜きで私たちのことを決めるな!」という声であること忘れてはならない。

【追伸】バンコクのワ−クショップでの発言は、HIV陽性者を「people with problems」「victims」として触れるだけで、HIV陽性者運動が果たしてきた/果たしている役割に全く言及がないものだったそうです。HIV陽性者たち、またグロ−バルなエイズ問題に取り組んできた機関からの抗議の声を受けて、こうした発言がHIV陽性者運動の主体的な取り組みを否定しているものであることを、発言者が理解したことで、一応の決着を見たとのことです。



2011年1月31日、月曜日午後9時53分。

一昨日、開催された日本国際ボランティアセンタ−(JVC)の30周年記念シンポジウムに参加した。

200人を超える人びとが参加した大きなシンポジウムだった。

記念講演者として、「がんばらない」で有名な鎌田實氏(チェルノブイリ原発事故被爆者、イラクの劣化ウラン弾被害者の支援でも有名)が登壇した。

氏は、2005年にイスラエル兵に頭を打ち抜かれた12歳のパレスチナの少年の心臓が、イスラエルの12歳の少女に移植され、昨年、氏がパレスチナを訪問した際に、少年の父親と一緒に少女の家を訪ねたと話していた。訪問者を迎えた少女の家族と一緒に撮った写真の背景に、訪ねた家の玄関には、少年はなぜ死ななければならなかったのか?と問いかけるイスラエル批判のポスタ−が貼られており、亡くなった少年の父親は17歳になった少女を抱きしめて「息子が生きているようだ」と言った、と氏が語るのを聞き、周囲で涙ぐむ気配が広がっていましたが、僕自身は、岩波ブックレット『いのちの選択』に書かれているのことが頭に浮かびこの話のまま終わって欲しくない、と思いながら聞いていた。

結局、講演の中では、心臓移植そのものをどう考えるべきなのか、少年が頭を打ち抜かれて亡くなった直後に、どうやって少女への移植という話が出てきたのが全く語られなかった。

休憩時間に、氏の席へ行き、「感動したでは終われません。心臓移植についてはどう考えているのですか?」と聞いた。

鎌田氏は、臓器移植に反対しており移植拒否のドナ−・カ−ドを持っている、との言った。そのうえで「35分間という時間の中では触れることができなかった」と話していた。

今日、上記シンポジウムでの鎌田氏の講演の、僕が気になった部分をほぼ文章化した読売新聞のサイトがあることを教えてもらった。

息子の臓器提供したパレスチナ人の父、レシピエント家族と対面

あわせて以下のコメントも受け取った。

E・W・サイ−ドは、『パレスチナとは何か』(岩波現代文庫)で、次のように書いています。「今日、イスラエルの管轄下にあるパレスチナ人労働者の大半は、賃金労働者階級の最下層に集中している。彼らは、建設工事の労務者、技師、家具製造者、木工職人、室内装飾師などであり、そうした業種は、すべて、従来、二次的とか労働集約的とか呼ばれてきた労働市場の内部に位置づけられてる。この場合、一次的な市場とは、主として戦略的・軍事的な諸産業のことであり、それらはユダヤ人労働者に対してしか開かれていない。……占領地区からきたパレスチナ人に対して支払われる給与は、ユダヤ人よりもかなり低くなっている。しかし、何より際立っているのは──どこの職場であろうと──労働条件の相違にほからならない」(161−2頁)。

イスラエル国内にとどまったパレスチナ人は、逃げて難民にならなかった分、イスラエルの外にいるパレスチナ人よりも、一層、隷従的な状況に置かれている。外にいる人(難民)は、生活基盤がイスラエルの内部にない分、イスラエルとユダヤ人に対して強い態度に出られますが、中にいる人はそうではありません。少年の父親の一家も、一層、弱い立場にあるパレスチナ人に相違ないでしょう。

上記シンポジウム会場の雰囲気は、こうした状況の中で、子どもが射殺されるという悲劇に遭遇したパレスチナ人に、臓器提供を求める仕組みがあって、その結果として移植がなされたというプロセスに十分、注意を払っているとは思えないものだった。

国際協力活動に関心のある、JVCを支持しているような人びとへ臓器移植めぐるさまざまな問題(臓器提供者となっている脳死の子どもの中には、DV犠牲者が少なからずいることetc。詳しくは岩波ブックレット『いのちの選択−−今、考えたい脳死・臓器移植』参照)を知ってもらうための働きかけ、さらに重要と思う。



2011年1月29日、土曜日午前10時26分。

一昨日から昨日にかけて、職場のデスクトップPC3台のメンテナンスをやってもらった。

あるPCでは、不要ファイルのチェック作業にすごく時間がかかったと思ったら、5ギガもあった。

別のPCでは、内蔵HDのファイルがほとんどデフラグできないとの結果が出てびっくりした。もっともこのPCは内蔵HDが小さいので、メ−ル・ファイル以外のデ−タは外部HDに置いて作業をしているので、特に問題はなさそうだ。

遅いと不満が出ていたPCでは、不要ファイルを削除し、ファイルシステムをチェックした上で、デフラグをかけるのと合わせて、重たいアンチ・ウイルス・ソフトを今一番軽いと言われているものに交換した。

とはいえ、今のスペ−スに移る前から使っているPCは6年目を迎えるので、近々、HD交換も考えなくてはいけない。

そんなことを改めて考えた2日間だった。


昨年10月から刊行が始まり、今月、全5巻が完結した法律文化社の講座「人権論の再定位」第1巻『人権の再問』に「グロ−バルな人権の課題」のタイトルでHIV陽性者運動から見た人権の課題について書いた。

2002年当時、全ての人にエイズ治療が保障されるまでは自分も治療を受けることはできないと明言していた南ア・Treatment Action Campaign(TAC)議長のザッキ−・アハマットさんを、ネルソン・マンデラ元大統領が訪ねて治療を受けるよう説得を試みたことをどのように受けとめるか? HIV陽性者運動の「生きさせろ」という声が、どのようにして「地球規模課題」になったのか? そして始まった大転換の意味をどう考える?

について、簡略に記した後、なぜ日本で人権を論じる人びとも、アフリカを研究する人びとも、HIV陽性者運動の提起した課題に応えてこなかったのか?

と問いかけ、ではどうすればよいのか、を論じた。

今年の日本アフリカ学会で、このテ−マに関わる発表の申請をした。

事実関係のチェック、問いかけや提起に関するコメント、批判をもらえるとうれしい。

以下が書誌情報・目次だ。

講座「人権論の再定位」1 人権の再問
市野川容孝編 法律文化社 A5判・274頁・3150円(税込) [amazon]
第 I 部 現実から/現実を問い直す
 グロ−バルな人権の課題・・・・・・齋藤龍一郎
 障害と人権・・・・・・金 政玉
 老いと人権・・・・・・天田城介
 セクシュアリティと人権・・・・・・風間 孝
 貧困の犯罪化・・・・・・西澤晃彦
第 II 部 思想から/思想を問い直す
 フェミニズムと人権・・・・・・岡野八代
 国境と人権・・・・・・杉田 敦
 保守主義と人権・・・・・・宇野重規
 生命倫理と人権・・・・・・田中智彦
 安全性の論理と人権・・・・・・市野川容孝

*講座「人権論の再定位」については、以下参照。  http://www.hou-bun.co.jp/01main/01_05.html



2011年1月15日、土曜日午後5時42分。

昨日、銀行で振り込みや払い込みをすませて職場へ行ったら、点灯しない蛍光灯があった。

予備の蛍光灯に交換したところ、2本組みのもう1本もかなりへたっていた。

予備が1本しかなかったので、歩いて7〜8分のヨドバシへ行って蛍光灯を購入し、交換した。

2本とも新しくしたのに、しばらく点滅を繰り返していた。蛍光灯の本体の方が不調というか寿命が近いようだ。

時間がかかったが、点灯したのでよかったと、机に向かっていたら、インタ−ンが使用しているPCがインタ−ネットにもLANに接続できないという。

一昨日まで、問題なく機能していたのにと思って、隣のPCを立ち上げたら、こちらも接続できない。

インタ−ンには、接続可能なPCで作業をしてもらい、ケ−ブルに問題があるのか、ハブが不調なのかわからないので、ヨドバシで両方買ってきた。

順繰りにつけかえてみたがダメ。

夕方、気持ちを切り替えたところで、ハブからハブではなく、モデムの空いているポ−トからハブへつないでみたらOKだった。

一体、何が問題だったんだろうか?



2011年1月10日、月曜日午後1時34分。

昨夜、持ち歩いているMacを落としてしまった。あわてて拾い上げて開いてみたら、ディスプレ−の左上が歪んで、液晶のガラス面が少し剥落していた。それだけで特に問題なく動いてくれて、ホッとした。

Macのノ−トを持ち歩くようになって15年くらいになる。並行輸入のDuo230を安売りショップで見て、衝動的に買ったのが最初だった。それ以降、Duo2300、iBook、iBookG4、MacBook Proと使ってきた。

OS10の移行ツ−ルのおかげで、それまで使っていたMacのハ−ドディスクがあれば、辞書や各種設定までまとめて移行してくれるのが、助かる。

それでも、動かなくなっていたらどうしよう、とかなりあわてた。よかった。


2011年1月3日、月曜日午後2時09分。

年末に綾屋紗月・熊谷晋一郎著『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』(NHK生活人新書)を読んで、びっくりした。世界が全く違って見える人びとと共に生きることを考えることは、簡単ではないと改めて感じた。

「つながらない身体のさみしさ」「つながりすぎる身体の苦しみ」「仲間とのつながりとしがらみ」に関わる体験をもとにした考察、今年も持つことになったNGO論の授業で一緒に考えてみたいと思っている。

借りて読んでいたHA-JOON CHANG "BAD SAMARITANS: The myth of Free Trade and the secret history of Capitalism"に「日本の生産額あたりのCO2排出量の少なさは世界でトップ」と紹介されていた。1トンのCO2を排出する際の生産額が米国の2倍、中国の10倍というのには改めて驚いた。中国がこの水準に達すると、地球温暖化対策も大きく進むことになるだろう。そういった技術の中国や他の途上国への導入を可能にする世界のあり方も、今年の授業の中で考えてみたいと思う。(同じ著者の本が翻訳されています。『はしごを外せ−蹴落とされる発展途上国』『世界経済を破綻させる23の嘘』)

cf. 266p
In 2003, China produced $1,471 billion worth of output while emitting 1,131 million tonnes of CO2. This means that, for every tonne of CO2, it produced $1,253. Japan produced $4,390 billion, while emitting 336 million tonnes of CO2, which translates into $13,065 per tonne of CO2. This means that Japan produced more than 10 times the Chinese output per each tonne of CO2. Admittedly, Japan is one of the most energy efficient economies, but even the notoriously energy-inefficient (for a rich country) US produced more than five times Chinese output per tonne of CO2 - it produced $6,928 for every tonne of CO2 that it emitted (it produced $10,946 billion worth of output and emitted 1,589 tonne of CO2).

2011年1月1日、土曜日午前4時50分。

昨夜11時ごろ寝入ったせいか、午前3時20分ごろ目が開いた。

近所をちょっと歩いて部屋へ戻り、新年のあいさつメ−ルを何本か書いた。

しばらく会っていない人の名前を見ると、どうしているのかな、と思う。

昨夜、友達と3人で夕飯を食べながら、1年を振り返った。

僕にとって、去年一番のできごとは、西原智昭さんとの出会いだった。

高橋基樹さんに、かねてから気になっていたハンナ・ア−レントとアフリカに関わる話を聞いて、新たな課題と向かい合うことになったのも、大きなできごとだ。

亀井伸孝さんが書いた『森の小さな〈ハンタ−〉たち』をきっかけに、稲泉博己さん、山田肖子さんらと「アフリカ子ども学」について話す機会を持ったことが、アフリカNOW第90号の特集につながった。これをきっかけに、さらに、関心を持つ人の輪を広げていきたい。

ナイジェリアで女性支援の活動に関わっていた甲斐田さん、ニジェ−ルでコミュニティ・ベ−スのマラリア対策プロジェクトに関わった山形さんの報告を聞く場も作ることができた。

グロ−バルフェスタJAPAN2010がきっかけで知りあったBBT大学アフリカ・スタディ・フォ−ラムの川ノ上さん、亀井さんらのネットワ−クに乗っかって開催したAJF・DPI日本会議・GCOE生存学合同学習会には、手話話者、難聴者の参加も目立ち、情報保障の必要性を改めて感じた。

2005年に日本語版出版を求める呼びかけを行ったことのあるEdwin Cameron "Witness to AIDS"を、まずは日本語にしながら読んでいこうという取り組みに着手できたこともうれしい。一緒に読む人を募っていきたい。



トップペ−ジへ

僕のお薦めリンクはこちらです。

僕がこれまで書いてきたことは
近況
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年まで

読書ノ−ト です。


Follow @saitoryoichiro

アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティ−ブン・J・グ−ルドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きました。


by 斉藤龍一郎
僕あてのメ−ル