斉藤 龍一郎の近況です 2010年


2010年12月30日、水曜日午後5時37分。

休みに入った昨日は、いつもより1時間ほど遅く起きだして朝食をとり、洗濯をした。その後で、入浴・洗髪して気分良くなったところで、近くインターネット・カフェへ行き、10年近く前のコミックを読んだ。

アッと気付いたら午後3時だったので、部屋へ戻ってみそ汁だけ飲んで、友達の家へ向かった。

僕と同じ年の別の友達が、最近、すっかり視力が弱くなって本を読めないという話に驚いた。歩いていてちょっとした段差が見えずに、つまづくことも多いそうだ。

で、今朝、弱視の友人に電話をかけ、PCの音声読み上げソフトについて聞いた。PC-talkerというソフトが定番とのことだった。全ての操作をキーボードですることになるので、最初、講習会を受けた方がいいとも聞いた。

これからこういうことで相談する機会が増えるのかな、と思う。幸いにも、相談する先が見えるのがありがたい。



2010年12月25日、土曜日午後1時14分。

昨日、インターンに加え、あいさつに来てくれた元インターンも動員して大掃除をしたので、目の前の棚がすっきりしている。

不要になった書類や古い資料類を、今朝、資源ゴミとして出すことができた。

月曜日に燃えるゴミ、火曜日に燃えないゴミの収集が終わると、ビルの入り口もきれいになるだろう。

月曜日には、プリンタートナーとドラムの回収もやってくる。



2010年12月23日、木曜日午後5時56分。

11月26日に参加した「京大アフリカフォーラムin東京」の記録おこしをチェックした。アフリカ研究とアフリカに関わるNGOの連携をめぐる論議に参加できてよかった。他の発言者のチェックが終わったところで、京大アフリカセンターのウェブサイトに掲載される。

一昨日、昨日と、勝俣誠さんとアフリカの食料安全保障問題にどのように関わっていくのかをめぐって話した。

ブルキナファソを訪問し、同国のAAHM(Alliance against Hunger and Malnutrition)メンバーと会ったところ、日本のAAHMへの希望は「資金」と「技術」だけで、それ以上のイメージを共有する材料がなかったのが、残念とのことだった。

AAHM設立に向けてFAO・JAICAFが開催したブルキナファソ稲作セミナーなどで出た質問や意見、日本の経験をネットワーク相互の交流・連携強化に活用していかなければ、インタラクティブな関係にならない、と危機感を語っていた。

3〜4年前のJaicafセミナーで、勝俣さんが「農業者がどんどん離農している日本が、アフリカの農業支援をすると言って、一体誰が信用するだろうか?可能性があるとすれば、日本の中で農業に希望を見出して新たに就農する若者たちとアフリカの農業者との間の対話の中だろう」と語っていたことを思い出した。

1月20日にJaicafが開催する国際シンポジウムを、こうした問題意識を共有する機会にしていきたい。



2010年12月14日、火曜日午後1時29分。

一昨日開催したAJF・DPI日本会議・GCOE生存学合同学習会のために借りた磁気ループを、東京都聴覚障害者自立支援センターへ返却した後、渋谷勤労福祉会館で「遺伝子組み換え生物をめぐる国際会議報告集会」に参加している。

東京都聴覚障害者自立支援センターは、駅から徒歩10分と遠くはないが、かさばる磁気ループのセットを、雨の中、傘を差して持って行くのはたいへんなので、バスに乗った。ワン・ストップだが、途中の歩道橋で階段を上り下りしなくてもよかったので助かった。

学習会には、手話通訳を入れたこともあって手話話者が5〜6人参加していた。終了後に行ったスパゲティ屋では筆談で話していた。

もちろん、テーマがケニアのろう者の就労問題だったので興味を持って来てくれたのだろうが、手話通訳を入れます、他の情報保障についても相談します、とアナウンスしたことも大きかったようだ。

友人が教えてくれたという参加者もいたから、手話通訳が入ることを知らせてくれた人もいたのだろう。



2010年12月9日、木曜日午前6時1分。

昨日、AJFの2010年活動報告・交流会の案内と寄付のお願いの発送を終えた。開催日の一週間前の発送になってしまったが、反応があって欲しい。

夕方、赤坂のジェトロ本部会議室で、南アの政府系研究機関のスタッフとの懇談会に参加した。

ジェトロの下にあるアジア経済研究所で南アに関わる調査・研究を行っている研究員を中心に、南ア経済論に取り組んでいる西浦さん、アフリカ諸国での市民社会の政治参加等についていくつもの論考を発表している遠藤さんらが参加した。

使用言語は英語というので、どのくらい聞き取ることができるのか不安を抱えながらの参加だったが、用意されたリーフレットとプレゼン資料を見ながら話を聞いたので、話の趣旨・流れは理解できた。

進行役のアジ研・平野さんの「今日の対話の目的は?」という問いかけに対して、研究協力に関するMemorundum of Understand(MOU)を結びたい、とのことだった。参加者からの「どういったプロセスで?」という問いに対して、「今日、すぐにでも」と即座に返答があり、参加者全員が思わず笑ってしまった。

研究スタッフは基本的に博士号を持っており、一部、修士もいるという構成という説明を聞いて、「当事者団体、影響を受けているコミュニティとどんな協力をしているのか?」と質問した。現時点では協力関係がないが、HIV/AIDSの社会的影響と取り組みに関して、当事者団体も参加するワークショップを開催するとのことだった。

終わったあと、会員でもあるアジ研に、研究スタッフとして当事者を受け入れないのかと聞いてもらった。調査・研究にあたっては、リサーチャーとして当事者も参加する仕組みになっているとのことだった。



2010年12月4日、土曜日午前10時21分。

携帯電話のカメラでは飽き足りなくなって、デジカメを持ち歩いている。

iPhotoのスライドショーを使って撮った写真を友達に見せたり、facebookの掲示板に載せたりすると思わぬ反応もある。

誕生日のお祝いにもらったフレーバーティーをカップに注ぎ、手元にあったラ・フランスをカットして皿に盛り、クッキーと一緒に並べて、食べる前に撮った写真をfacebookで公開したら、「いいね」と反応があった。

僕も含め、友達のmixi日記、「今日の果物」シリーズを楽しみしている仲間がいるのを思えば、なるほどと思った。

別のマイミクの今日の食卓写真がしばらく日記にないことも思い出した。食事の支度をする余裕がないのかな、と気になった。

昨日、いくつかのNGOの広報担当者が集まって、広報について考える集まりがあった。3年前に始まってNGOラジオ(Nradio)という試みなどを行ってきた集まりだ。

しばらく会合を持っていなかったので、昨日が「再開」第1回という位置づけだった。

広報での映像、音源の活用をめぐって2時間近く、事例紹介や課題検討を行った。

「駐在スタッフの一日」というビデオを、活動報告会で上映したら、思った以上の反響があったという報告が興味深かった。ベストセラー『生協の白石さん』を思い浮かべた。

ウェブに掲載している活動報告の写真を数十秒程度の動画に入れ替えてみようと考えていると語った担当者もいた。

Nradioについては、速報性・臨場性というラジオの特徴を活かせなかったという反省が出された。

NGOの持つ映像や音源がまとまったサイトがあると、一つ見たら次という感じで見てくれるのではないか、など今後の課題となりそうな提起もあった。

僕は、朝日新聞名古屋版のコピーをもとに、10月に名古屋市営地下鉄を使って行われた国際協力NGOの広告キャンペーンの中で、「赤ちゃんの指、5本ずつありますか?」というコピーが使われたことを関して、障害者運動に関わっている人たちから抗議の声があがり、現在、名古屋NGOセンターと障害児を持つ親の会との話し合いなどが進んでいることを紹介した(こちらも参照)。また、名古屋NGOセンターウェブサイトに関連ページが開かれていることも伝えた。

初めて知ったという参加者が何人もいた。

広告代理店で仕事をしている参加者から、「プロだったらこういったコピーは使わない」「プロじゃない人が、思ったことを表現するのをプロと同じレベルで規制するのがよいかどうか、わからない」との発言があった。

使用禁止語リストあるいはあらかじめ了解を取るべき相手リストといったものがあって、「問題になりそうな」ことばは最初から使わないことになっているということのようだ。

なぜ、そういったリストが作られるようになったのか、それだけの抗議の声があがったという事実を伝えないままリストが先行しているので『表現の自由』を根拠とした反発が出ているのではないか? との指摘もあった。

昨日の時点では、関心を持って経過をみていこう、集まった機会に意見交換もしよう、という話になった。



2010年11月28日、日曜日午前8時53分。

19日の世界食料安全保障研究会報告会の際に撮った資料の写真をfacebookのアルバムで公開した。ここままではアクセスできる人が限られるので、ウェブ化する必要があるが、今、ちょっと気持ちも時間も余裕がない。

Paypalのアカウントに関するメール(?)が届き、久しぶりにAJFのアカウントを確認したところ、必要な手続きを終えたことになっているのに、会費納入のお願いができない状態だった。カスタマーサービスに電話したところ、会計責任者の個人情報書類が不十分だと言う。改めて免許証のコピー画像をFAXした。

24日、ニジェールでマラリア対策プロジェクトに従事して帰国した山形さんの報告会。参加者は5人。3月のナイジェリアの現在を伝える報告会に比べると少ないのは、ニジェールもマラリアも、日本ではそれだけなじみがないということか?

医療従事者や専門家が中心になる治療施設や検診体制を強化しようというプロジェクトではなく、コミュニティでマラリア対策を日常的な活動として行っていくための住民組織作りの話だった。

地元の人たちは、蚊がマラリアを伝播していること、蚊帳が役立つことなどについて、思った以上に知っていた、という話が興味深かった。

25日、生物多様性COP10第1回NGO連携フォローアップ会合に参加した。以下、AJF会員MLへの投稿

ABS(access to benefit sharing:遺伝資源の利益配分)とアフリカに関わる情報を得るために、一昨日、標記会合に参加しました。
基調報告者に質問したところ、ABSに取り組んだのはユース環境NGOのA Seed Japanだけだっと言っていました。
で、A Seed Japanはセミナーに参加していなかったので、どういった視点、情報ソースや枠組みに基づいて取り組んだのかは聞けませんでした。
JICAから、COP10を受けた今後の課題として2011年・国際森林年、2012年・リオから20年、2013年・TICAD(アフリカ開発会議)5に向けたNGOとの連携との提起がありました。
なぜ、TICADに向けた取り組みが課題になるのか、と質問したところ、COP10に先立ってガボンで開かれたアフリカ生物多様性条約会議で、ABSはアフリカにとって重要な問題と取り上げられたのだとのことでした。
この日、集まった人たちにとって、ABSは全く別の次元の話だったようです。

10月に発行したAJF会報「アフリカNOW第89号」に日本で薬学を学ぶベナン人神父の寄稿を掲載しました。
彼の書いた文章の中に、

「個人的に生薬を研究する人がいたとしても、珍しい生薬を欧米に売ってしまうため、その生薬は欧米の製薬会社で、欧米の人びとのための薬の開発に 使われているという現状があります。」
「アフリカに研究所を設立し、アジアの漢方とアフリカの伝統医療の橋渡しをして、アフリカ人の体質に合いかつ安い薬を開発することを目標にしています。」

と書かれています。
これを、こんな風に読みました。
1)途上国で得た製薬材料、研究資材を活用してできた薬剤を途上国に還元すべき
2)かつての植民地支配の時期までさかのぼってそうした取り組みを行うべき
 というのが、過去と現在にかかわる「遺伝資源の利益配分」
将来、アフリカ諸国が自力で製薬産業を興し、原料となる薬草や薬効成分を持つ資源の輸出を制限するようになったら、
3)途上国で開発された薬品を利用できる仕組みを作っていくべき
 という大きな課題が浮上することになります。これが近い未来における「遺伝資源の利益配分」問題

こういう読み方、おかしいでしょうか?

26日、「京大アフリカフォーラムin東京−アフリカ研究とNPO活動の連携はいかに可能か」で問題提起をした。mixiの日記にこんなことを書いた。

AJF会員で京都大学アフリカセンター長の重田さんの誘いで、9月までハンガー・フリー・ワールドの西アフリカ担当だった富田さん、今年3月までJVC スタッフとして活躍していた現あいあいネット理事の壽賀さんと一緒に、標記フォーラムで話をした。
重田さんとセンター関係者が数名、スピーカーが3人という集まりで、僕がアジ研「ワールド・トレンド」10月号に寄稿した文章を読んで発題し、それぞれの経験や考えを出し合って、研究機関とNGOが連携するにあたって課題となることがらを検討した。
この文章、声を出して読んだので、誤字(「を」とすべきところを「が」とした)1ヶ所、脱字(「閣僚会議」が抜けていた)1ヶ所、記述の誤り(2007年に採択され、2008年に発効した国連障害者の権利条約を、2007年に発効と記述)1ヶ所に気付いた。最初の誤字以外は、編集者にとってなじみのない事項なので、僕の記述ミスがそのまま載るんだ、と改めてわかった。
僕自身は、目指すもの、到達目標で重なり合えるのであれば、具体的な協力のあり方は場面場面で一緒に考えることができるのではないかと改めて感じた。
アフリカセンター在籍の研究者にはJOCVやNGOスタッフとして国際協力活動に関わった人も多く、国際協力活動の中で関心を持ったことを整理したい、もっと知りたいと論文を書いている人もいるとのことだった。そうした問題意識をNGOスタッフにぶつけ語り合う場を作ることも、お互いにとって非常に刺激になることだと思う。
互いに短期的な「連携の効果」を求めるのであれば、有能なコーディネーター、仲介機関が必要という話をできればよかったと思っている。
学習院大学への古文書返還要求闘争と五郎兵衛新田記念館建設・運営・研究者の定着の紹介、田中恵美子著『障害者の「自立生活」と生活の資源ー多様で個別なその世界』に記された「ある程度以上の接触を拒む障害者の選択」に注目する理由、がどれだけ伝わったのかは不安だ。

27日、世界エイズデー・キャンペーン代々木公園企画でブースを出展した。

暖かくて助かった。午後3時くらいに、用意されたストーブに火を入れてもらった後は、ストーブのそばを離れなかった。

コンドーム、赤いリボンのシール、無料HIV抗体検査の案内を入れたキャンペーン・グッズ、受け取りもよくて、ブースで引き受けた量をこなせた。



2010年11月24日、水曜日午前6時31分。

起き抜けに散歩しながら、前回、親の家へ来たのはいつのことだったろうか、最後に列車で熊本へ来たのはいつごろだったろうか、と考えた。

前者については、一昨年、熊本学園大学で開かれた障害学会に参加した時だったことを思い出した。母親が持たせてくれた野菜煮しめが、懇親会で好評だった。先日、東大駒場キャンパスで開かれた障害学会の際に、熊本で食べた煮しめの話が出たのだった。

後者に関連して、1989年(?)の九州横断ウォークの際に当時中学に入ったばかりだったT君と一緒に新幹線に乗ったことを思い出した。T君とは、その前年に夜の東京駅で待ち合わせ、大垣行きの夜行普通列車に乗った。

昨夜、食後の腹ごなしに歩いた際、中学生の頃、搾乳時の掃除のために通った牛舎のそばを通った。両親が酪農をやめた後、僕が大学生の時に建った牛舎は貸し出されて活用されているが、こちらの牛舎は全く使われていないようで、真っ暗だった。

畑の中にポツポツと建つ牛舎から灯が漏れているとちょっとうれしくなる。



2010年11月23日、火曜日午前11時37分。

久しぶりに親の家で朝を迎えた。

昨夜9時半ごろに布団に入ったので、5時ちょっと前に目が開いた。

1時間ほど散歩して、両親と一緒に朝ご飯を食べた。母親の作ったみそ汁を食べるのは3年ぶりくらい?

弟が起きだしてきて手伝えと言うので、車で5分くらいの使っていない畑に行った。

隣の林との境近くに立っている木を5本を切った。切り分けて軽トラックに乗せ、持ち帰って焼いている。

幹の径が12〜5cmのさして大きくはない木だが、持ち帰ってみるとかなりの量だ。

何年も前に、父親に連れられて所有している山を掃除しながら歩いた。今は、弟が下草刈りや不要な木の処理などをやっているようだ。



2010年11月22日、月曜日午前7時15分。

いつもの月曜日と違い、今日はこの時間に部屋にいる。

起き抜けに若干の作業を済ませ、朝食もとった。

12日の連続公開セミナー「飢餓を考えるヒント」第5回開催から始まった怒濤の1ヶ月の最初の三分の一が終わった。

12日のセミナー、遠く名古屋、京都からの参加者もあり、次へつながるものになった。

京都から来た重田さんと26日に、京都大学東京オフィスで話をする。NGOと研究機関の関係のあり方・連携の可能性をテーマに語り合うことになっている。

名古屋大学にいる西川さんは、生物多様性条約会議(COP10)に向けて作った、伝統的食品を誰が守りどのように食べられているのかをまとめたというパンフレットを紹介していた。PRIMEにまとまった冊数届く予定なので、事務局にも送ってもらうつもりだ。

13日に、アフリカキッズクラブ・イベントに向け、打ち合わせと下見をした。イベント企画を担当する拓殖大学アフリカ研究愛好会がやる気満々であることを感じることができて安心した。

17日夜、TICADアドボカシーチームの会合で、年度内のCCFA開催可能性が高まっていることを確認できた。

18日は世界食料デー月間振り返り、19日は「飢餓と栄養不良に取り組む国内連帯(仮)」検討委員会のため、午前10時横浜パシフィコ着で出かけた。19日、途中でお手洗いを使っていたら会場に入ったのが10時ギリギリだった。

19日夜には、JICA地球ひろばで国連世界食料安全保障委員会オブザーバー参加報告会。FAO日本事務所スタッフとNGOを代表して参加した富田さんから興味深い、課題の多い報告を聞いた。

地球ひろば1Fのカフェが食べ物のラスト・オーダー21時、飲み物は21時30分、退出が22時とわかり、いろいろと使えそうだと考えている。

昨日は、アフリカキッズクラブ・イベント本番。一週間前の申し込み状況がいつもの半分以下でどうしたものかと思っていたら、先週、申し込みが相次いで安心したのも一瞬、前日・当日と「風邪でダメ」「発熱した」と連絡が4件。子どもの数よりも、企画実施側がかなり多いイベントになった。

子ども向けに用意した内容のうち、紙粘土工作と南アの国旗塗り絵以外はほとんど何もできなかったが、子どもの相手をあまりしなくて良かった分、親とアフ研メンバーの対話が弾んだ。

参加者がセネガルで撮ってきたビデオ、アフ研メンバーが南ア、ケニアで撮った写真のアルバムを見ながら、それぞれの体験を語りあっていた。

今日、久しぶりに親に顔を見せに熊本へ行く。明後日帰って来たら、夜はニジェールでのマラリア対策に関わった体験報告会を開催する。26日には重田さんとの対談(?)、27日には世界エイズデーに関わる取り組みが待っている。



2010年11月18日、木曜日午後2時40分。

桜木町で乗った電車の中で愛用のMACを広げている。これから上野駅へ向かう。

10時〜正午、世界食料デー月間の振り返り会議だった。明日、Alliance against Hunger and Malnutrition(AAHM)設立検討委員会に参加するので、また朝から桜木町だ。

世界食料デー月間振り返り会議に参加したメンバーは、みんなやってよかった、それぞれの団体にとって意義があった、とのことで良かった。

来年度に向け、年度内に取り組むべきことを検討するために、1月27日に2011年度に向けた会議を開くことになった。

会議後、明日の夜、JICA地球ひろばで開催する国連世界食料安全保障委員会オブザーバー報告会に向け、報告者と打ち合わせを行った。



2010年11月14日、日曜日午前7時57分。

先週、今月後半から来月にかけて実施する企画の日程調整、広報案文作成に追われた。以下の企画のウェブ化作業は終わった。

12月12日(日)に開催を計画している「アフリカ障害者の10年」学習会も、報告者との連絡、広報案文の確認がやっとすんだので、これから広報を開始する。これで、火曜日に作業に来る広報インターンが、ウェブ化作業できる。

金曜夜に開催した連続公開セミナー「飢餓を考えるヒント」2010年度第5回「食料への権利の視点から考える食料安全保障」では、一緒にセミナーを実施してきた富田さんが司会を務め、勝俣さんと僕が提起者として参加者と相対した。

NGOと研究機関の連携に関わる企画を計画中の会員が京都からやってきて参加し、また、「食料への権利」がテーマになっていることが気になったのか、名古屋からかけつけた参加者もあった。

僕は、2008年から、AJF/ハンガー・フリー・ワールド(HFW)/日本国際ボランティアセンター(JVC)/明治学院大学国際平和研究所共催で開催してきたセミナーを振り返り、来年度以降取り上げるべき課題を投げかけ、意見・希望を出して欲しいと呼びかけた。



2010年11月6日、土曜日午前9時28分。

国際協力NGOの広告キャンペーンの問題に関連して、稲場雅紀・立岩真也・山田真『流儀』(生活書院)に、参考になるかもしれない記述があることを思い出し、mixiの日記に転記した。また、関心を持っている人にメールで送った。

以下の記述だ。

202p
山田 全障連大会に行ったときというのは、森永のミルク中毒の被害者に関わっていて、一方で障害者の運動にも多少関わっていた。だから、公害被害者運動と障害者の運動が別々にやっているのはおかしいから、なんとか一緒にやれるようにという、後に反差別共同戦線などと言われるようになったものを構想して、乗り込んでいったんだよね。
 障害者の運動はいわゆる障害者のことについては闘っているけど、公害の被害者のことなんか知らないじゃないか、そのことを僕が啓発しなければならない、みたいな気分もどっかにあったりした。
 その頃、森永の被害者たちが立てていたスローガンが「体をもとに戻せ」だった。それを全障連大会の会場で森永の被害者が言った途端、ものすごい糾弾の嵐になって、「もとに戻せとはどういうことだ」「もとの体が良くて今の体は悪いっていうことか」と。それはもう全く僕の予想していない反応だった。そういう言われ方、糾弾は本当に初めて聞いたという感じだった。一緒に行った森永の被害者は、まだ高校生だったから、とてもその問いに答えられるような状況ではなかった。
 私もその日は一日中糾弾され続けた。『お前、医者がこれまで障害者に対してどういう悪いことをしてきたか知っているか」って言われて。
 大会は二日連続であって、私はもう本当に辛かったけれど、これはもう一日行かないといけないと思って、翌日も行って、ようやく彼らが何を言おうとしているのかがわかった。

*山田さんは、後に障害者の娘さんを普通学校に入れる運動を行い、障害児を普通学校へ全国連絡会議にも関わった。
詳しくは以下。
 山田真
 http://www.arsvi.com/w/ym01.htm

日本の公害被害者運動(薬害、鉱害、食品による被害etc)と障害者運動のあいだでも、こんなことがあったことを知って欲しい。

mixiの日記へのレスも紹介する。

企画段階で、NGO側から何も意見がでなかったのかなー。

国際協力NGOの問題意識と、障がいがあるとされる人たちに関わる人たちとの意識はそれほど遠いのかって、改めてびっくり。
うまくかけないけど。

わたしなんかたいしょうさんとか知ってるし、友人にも「障がいがあるとされる子どものおかげでがんばるのよー」ってケニアのスラムの小学校支援している人がいるし、なんか当然のように障がい者運動がこれまで培ってきた認識を国際協力NGO団体も持ってるような気になってしまってたんだけど、やっぱ違うのかなー。

でも、こういうこといっぱいあるよね。ジェンダーとか性的指向性とかでも。

その市議さんがどんな人か知らないけど、別に「障がい者差別をする団体を叩く」ことを目的にはしてないんじゃないか、と思います。わからんけど。
たとえそんな人でも、指摘された方が防衛的になって硬くなったら、ますます変な方向に行くと思う。


2010年11月4日、木曜日午後1時7分。

先週、ヤマトのメール便で送り出した会報の一部が、「転居先不明」で返送されてきた。

すでに連絡をもらっていたのに、発送先リストの更新を行っていた4通をつめなおして再送し、連絡がまだの会員には、問い合わせメールを送った。

今夜、今月後半には、スリランカへ赴任する会員がやってくる。明日は、僕が事務局長になった時に事務局で働いていた元会員が、在職証明書を受け取りに来る。1年3ヶ月ぶりと9年ぶりの再会ということになる。10年前の在職者との再会は、事務局長を10年やっているからなんだなと思う。


障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークMLで、名古屋での生物多様性会議にあわせて行われた国際協力NGOの広告キャンペーンの中で、「赤ちゃんの指、5本ずつありますか?」というコピーが使われたことを知った。

「僕らは『五体不満足』以降の時代に生きているのに」というタイトルでmixiの日記に、このことを書いたところ、「名古屋NGOセンターのウェブサイトにお詫びが掲載されているよ」とレスがついた。

名古屋NGOセンターのトップページ「What's New」に「〜地下鉄広告に関するお詫び〜」とあって、ワードのファイルがアップされていた。

お詫び

6種類の地下鉄広告のうち1種類の広告につきまして、先天性の障がいを持つ方に対する差別につながるとの抗議のご連絡をいただきました。主催者、制作団体、コーディネーターと緊急に協議し、10月28日付けにて、当該広告については取り下げることとしました。
今回の地下鉄広告に関し、配慮に欠けた不適切な表現があり、多くの皆さまにご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。

特定非営利活動法人 名古屋NGOセンター
理事長 西井和裕

上記の「お詫び」では、何が問題にされたのか、それをどう受けとめたのか、どう考えているのか、なぜそうなったのか、がよくわからない。

スポーツ用品メーカー・NIKEが、「児童労働で作られたサッカーボールを売っている」と非難された時、積極的な情報開示と工場を置いている国での児童労働を規制する法律の制定の働きかけなどを通して、逆に企業イメージを高めたという話を思い浮かべた。

国際協力活動を行っている団体の中には、障害者支援に取り組んでいる団体もある。産業廃棄物や鉱害による被害に取り組む団体もある。そうした取り組みの中で、5本の指を持たずに生まれた子どもたち、先天異常の子どもを生んだ母親たちをどうやって支援しているのか、どのような課題があるのかを、紹介し関心を高める機会に転じて欲しいと願っている。



2010年10月30日、土曜日午後2時24分。

カメルーンからの訪問者を交えて、事務局メンバーと一緒に事務局近くのインド料理屋でランチを食べた。

昨日の秋刀魚チゲとは違った辛さでおいしかった。

雨がずっと降っていて寒いが、お昼を食べたので暖まった。

訪問者がメール・チェックを終えたら、朝に引き続きアフリカキッズクラブの写真を見てもらうつもりだ。

生存学ウェブサイトにアップする本のファイルを更新・作成した。以下を見て欲しい。

高橋基樹さん公開インタビューの記録おこしも進行中だ。全文を生存学ウェブサイトに掲載し、整理した原稿をアフリカNOWに載せる予定だ。


話は変わります。

八木下浩一さんへの聞き取りを呼びかけたところ、関心があるとのメールを複数もらいました。

もらったメールに、なぜ八木下さんなんだ? 一体、八木下浩一とは何者なんだ? という趣旨の質問がありました。

僕自身にとっての八木下さんは、金井康治君の転校実現運動に積極的に関わって障害者の立場・視点からの提起をした人です。

特に、1981年3月の転校実現全国行動の後、当時の足立区議会議長の仲介で交渉を行いつつ花畑東小学校への転校の可能性を探るかどうかという会議の際、八木下さんが言った「12歳は1度しかない。(行けるとすれば)小学校へ行くのは今年が最後になる。何とか康治を小学校へ行かせたい。このまま花畑東小学校への転校を追求していても無理だから、川口へ来い。川口だったら小学校へ行ける」との発言を機に、僕は何ができるだろうかと考え、花畑における「子ども会」活動を開始したという経緯があります。

その年、金井君は城北養護学校へ通い、その一方で転校をめぐる交渉を続けられました。

僕らが始めた「子ども会」は、毎週土曜日の午後、城北養護学校での金井君の同級生と金井宅近辺の子どもたち、特に彼の弟たちの仲間を集めて、遊ぶという形で始まりました。

その年、交渉はまとまらず、とうとう金井君は小学校へは行けませんでした。

翌年3月、3度目の全国行動が展開され、花畑北中学への入学が決まりました。

この全国行動の過程で、「子ども会」をやってきた僕らと、親として転校実現運動の当事者であった金井さんの間に「溝」が生じました。

「子ども会」を実施することが一方では金井さん宅の家事支援にもつながるという関係がなくなり、僕らは金井君の中学での生活については間接的に知るだけになってしまいました。

この「溝」は、僕自身にとっては、八木下さんの呼びかけに応じていたら、いやおうなしにできてしまう「溝」だったのかな、と今も思っています。

一方で、金井闘争を契機にできた足立区在住の障害者の会と一緒に泊まりの会を持ったり、東京都の助成事業を活用した旅行を行ったりするようになりました。

そうした呼びかけを行った八木下さんは、金井闘争と関わるようになるころ、以下の通り、全障連の代表幹事を務めていました。

青い芝が綱領問題で脱退した直後の全障連の代表幹事に八木下さんが選出されたのはどうしてなのか、八木下さんはどういった背景や思いを持って代表幹事を引き受けたのか、全く聞いたことがありません。

★第4回大会
 1979年8月11日〜12日/於・明治大学和泉校舎
 代表幹事:八木下浩一,副幹事:中川一二三,荒木義昭,事務局長:楠敏雄
 (『全障連』9:8)

70歳になる八木下さんが、話をできるうちに、しっかりと聞き取って欲しいと思っています。

* 八木下さんの後を継いで、代表幹事になった中川さんの岡山での活動、代表幹事を辞めた後のことも誰か聞き取ってくれないかな、と思います。



2010年10月25日、月曜日午後0時6分。

昨日、この近況報告を書いた後、阿佐谷へ行き、サイディア・フラハを支える会のケニア料理会に参加した。

前週、金沢では、できあがったケニア料理を食べたが、昨日は、チャパティを練り、たまねぎを刻んだ。

直径50cmのボール半分くらいのチャパティの材料を練るのに20分くらいかかった。上半身の重みを手のひらで押し込むように練っていたら、かなり汗をかいた。

たまねぎはみじん切りというので、最初、半分にしたものを2ミリ幅で切り、それを刻んでいたら、目にしみた。

普段、せいぜいが4分の1をざっくりと切ってみそ汁に入れるくらいなので、たまねぎを刻むと目にしみるというのを忘れていた。

自分で作ったものは「おいしい」、なのでたくさん食べた。

ソルガムの粉をお湯の中で練り上げた黒いウガリもおいしかった。

参加者は、みんなおなじみさんのようで、特に活動紹介や報告もなかった。

11月7日にJICA地球ひろば、10日に武蔵野市で来日するカリル園長も交えた報告会が開かれるので、活動紹介・報告はそちらでということのようだ。

金沢では、ケニアのコーヒーを受け取り、ほぼ毎日飲んでいる。昨日は、ケニアの紅茶をもらってきた。



2010年10月24日、日曜日午後3時22分。

先日、金沢で受け取ったケニア・コーヒーを飲みながら、書いている。

帰国したソンゴクさんのメールには、Terik Community Programmeウェブサイトのリニューアル、コミュニティでのSmall Business Trainingへの協力の可能性に関する取り合わせがあった。

Terik Community Programmeウェブサイトのコンテンツやレイアウト、デザインを全面的に見直すスタッフが確保できたとのこと、うれしい限りだ。

西ケニアでのSmall Business Trainingに関しては、もっと具体的にどういったことでの協力が必要なのか、連絡くれるよう、返信した。

昨日の午後、事務局となりの会議室で開催したニバルレキレ・AJF共催ワークショップに12人が参加し、この日、初めて顔を合わせるという参加者が多い集まりになった。

次回以降の実施形態についても相談した。次回は、別の会場で1月に開催することになりそうだ。

6月に開催した『南アフリカを知るための60章』執筆者座談会の続きについて、峯さんと相談した。こちらも来年1月ないし2月に開催することで、準備を進めることになった。

午後4時頃、ワークショップが終わった後、秋葉原へ移動して7時からビジネス・ブレーク・スルー大学(BBT大学)の学生たち(多くは社会人学生)が企画したアフリカ勉強会に参加した。

学生たちの中心になっている川ノ上君が、グローバルフェスタJAPAN2010で、アフリカ障害者の10年学習会に興味を示したことをきっかけに、連絡を取り合い、12月には、AJF・DPI日本会議・gCOE生存学共催学習会を、秋葉原で開催しようと一緒に準備を進めている。

一般社団法人コマン・ニジェール(Comment Niger)代表理事の福田邦子さん、協力隊ニジェール隊員OGのフォトグラファー・東海林美紀さんがニジェール紹介と、(日本で発電に使われているウランを送ることを通して)日本に電気を送っているニジェールに電気をという取り組み、具体的にはソーラー・ランタンを送る取り組みについて話を聞いた。

学生たちの他、タンザニアから一時帰国中という参加者、しばらく会う機会がなかったアフリカひろばコアグループ・メンバーの会員、アジ研開発スクール在籍者なども参加していて、興味深い質疑になった。

終了後、10人くらいで夕食を食べて解散した。



2010年10月16日、土曜日午後1時41分。

長町公民館で開かれた「異文化交流会」に参加し、チャパティとスープ、ウガリと野菜炒めを食べた後、10年の金沢散策をしている。

昨夜、2年ぶりに来日したソンゴクさん、日本は初めてというTerik Community Programmeのメンバー2人と、10年前、福島智さんにご馳走になった小料理屋で夕食を食べた。

今日は、10年前に友人と散歩中にたまたま見かけて入ったそば屋さんを探した。長町公民館近くで借りたレンタル自転車で、狭い屋敷道を行ったり来たりして見つけたお店は、「都合により臨時休業します」と案内がかけられていた。残念。

前回、金沢に来た時は、北陸アフリカ協会のイベント会場に直行して、終わったらすぐに飛行機に乗って帰ったので、金沢の街中を見るのは久しぶりだ。

アンティーク・ショップ、和装関係のお店が目につく。観光客が多く、ウォーキング・ガイド・ツアーがあるのにびっくりした。



2010年10月13日、月曜日午前5時52分。

日曜夕方に突発した腰痛は、その夜、入浴して早めに寝て、翌朝も入浴するなど、あまり動かずからだをリラックスさせたのがよかったのか、月曜夜の泊まりの介助に支障を及ぼさないていどにはおさまった。

月曜朝、22年前からお世話になっていた鍼医を紹介してくれた友人に相談したところ、周囲で評判が良いという別の鍼医を教えてくれた。行ってみたが、祭日だったので休診だった。

やはり診療所を畳んだ鍼医にお世話になっていた友人は、以前から知っている別の鍼医に行っているそうだ。その鍼医は、通勤経路から大きく外れており、はるばる行くという感じになるので、アプローチしないことにした。

泊まりの介助を、何とかこなして、昨日夕方、行きつけの鍼医に行った。左腰の張りのある部分と足を中心に施療してもらっているうちに、ホッとしたのかうつらうつらしていた。

部屋へ帰って、午後10時ごろ布団に入ったら、ぐっすり眠っていた。

その分、今朝は早く目が明き、昨日の仕事を振り返ったとたんに、緊急の会計処理だけでなく、昨日締め切りのアンケートがあったことを思い出した。遅れたが、今朝、職場へ行ったらまずアンケートを記入しよう。

今夜の理事会に向けて議案書をプリントする作業、来週の会合に向けて案内と前回会合報告を送る作業もある。

週末、肌寒いなと思いながら、先週半ばまでの入出金伝票を作成し、記帳・残高確認を終えていたので、昨日の会計処理もすみやかに終わったのはよかった。

先月末発行予定だった会報「アフリカNOW」は、印刷所への下版が来週になるようだ。できあがってくるのは、早くて来週末、月末の発送になってしまう。

編集担当が本業の合間に版下を作っている現状では、収録する原稿がそろっても印刷所へ入るまでが長くなってしまう。この件に関しても、対応策を早急に立てる必要がある。



2010年10月11日、月曜日午前8時30分。

昨夕、突然、腰が痛くなった。中腰になったり、しゃがみこんだりしようとすると左側が痛くて力が入らない。

職場の近くの行きつけの鍼医は、今日はお休みなので、別の鍼医にさきほど電話したところ、「診療院を辞めて、引っ越しました」とのこと。びっくりした。

この鍼医には、22年前に、ぎっくり腰になった時、友人が連れて行ってくれた。近くの整形外科で処方された痛み止めを服用して寝ていたところへ、友人が車で来て、運んでくれたのだった。

最初、腰が伸ばそうとすると痛くて、うつぶせ、あおむけになれなかったので、膝と腰とをまげた状態で横になって鍼を打ってもらったことを覚えている。

最初の日の治療で、からだを伸ばすのが楽になったので、翌日、翌々日と続けて通った。

二日目の治療で、うつぶせ、あおむけになることができたら、歩くのもずいぶん楽になった覚えがある。

それから数年間は、ぎっくり腰の後遺症で下半身が冷えるという症状がでていたこともあって、2ヶ月に3度くらいのペースで通った。

以前の職場が本屋で、重たいものを扱っていたこともあって、ぎっくり腰が再発しないよう、疲れて腰が重いなと思ったら迷わず鍼医に行っていた。

その後、別の友達が、別の鍼医を紹介してくれた。職場の行き帰りに通えることから、今はこちらが行きつけだ。

行きつけの鍼医とお休みが重ならないので、それでも年に何度かお世話になっていた。

今回は、まだ動ける程度の痛みなので、いいのだが、こうした時に、安心するためにも行ける鍼医やマッサージ師を探そう。



2010年10月10日、日曜日午後2時11分。

起きた時に降っていた雨は9時過ぎにはあがり、雲は広がっているものの昨日に比べるとずいぶん暖かい。

しばらく前に、翻訳を受け取っていた「「地球的な問題」、抜本的な気候危機への取り組み(Earth matters - Tackling the climate crisis from the ground up)」のウェブ化作業を開始した。

工業肥料の効率が常に減少していることは驚くにあたりません。土壌の専門家や農民は、昔から、化学肥料が有機物を破壊することで土壌の肥沃度が破壊されていることを知っています。化学肥料を使用した場合、その膨大な量の水溶性栄養素が直ちに手に入ることになって、微生物の活動と繁殖が刺激されて急増します。その後、この増えた微生物の活動により有機物の分解速度が上がり、高速で消費されて、CO2が大気中に放出されます。肥料からの栄養分が乏しくなるとほとんどの微生物は死んで、有機物が減少した土壌が残ります。このプロセスは何十年も続いてきた上に耕起によってさらに強化されているので、土壌有機物質は枯渇してしまいます。これがさらに悪化しているのは、化学肥料を奨励する同技術的手法により、作物残渣は土壌に戻されずに、廃棄されるかまたは焼却されなくてはならないものと決められているためです。
The ever decreasing efficiency of industrial fertilisers should come as no surprise. Soil experts and farmers have long known that chemical fertilisers destroy soil fertility by destroying organic matter. When chemical fertilisers are applied, soluble nutrients become immediately available in huge amounts, provoking a surge of microbial activity and multiplication. This increased microbial activity, in turn, speeds up the decomposition of organic matter, as it is consumed at high speed, and CO2 is released into the atmosphere. When nutrients from fertilisers become scarce, most micro-organisms die, and the soil is left with less organic matter. As this process has been going on for decades, and is reinforced by tilling, soil organic matter is depleted. It is made worse because the same technological approach that promotes chemical fertilisers rules that crop residues should be discarded or burnt, not put back into the soil.

というような記述もあり、土壌劣化問題=砂漠化とも深く関わる内容だ。

国際的な農業・農民問題に関する調査・研究・アドボカシー活動を行っているNGO・GRAINのウェブサイトで公開されている記事をフォローしているAJF会員が翻訳してくれた。

このサイトから、バイオ燃料問題、国際的な農地取引問題などの課題別のサイトへのリンクもあり、たいへん重要なサイトだ。

翻訳は、立命館大学グローバルCOE生存学ウェブサイトに収録する。上記の翻訳と一緒に送ってもらった「世界の食料システムと気候危機(The international food system and the climate crisis)」は、http://www.arsvi.com/i/2-food_climate01.htmというURLで掲載されている。

現在、「障害と開発」MLからアフリカに関わる投稿をピックしてウェブ化している会員、西アフリカ諸国の子ども・青少年労働者グループ関連資料の翻訳に関わっている協力者がいて、先日、新たな協力者が「Afrique De droit a l'enfance(アフリカ、子どもであることへの権利)」の翻訳に取り組み始めた。

また、すでにウェブ化したニュース・インデックスをもとに「アフリカのICT」ページを作り始めた協力者もいる。

一緒に作業できる人を求めているので、興味があればinfo@ajf.gr.jpへ連絡して欲しい。



2010年10月10日、日曜日午前1時56分。

今朝は、起きだしたら雨。肌寒さを感じる一日だった。

一昨日、昨日と進めてきた伝票整理・記帳がもう少しだったので、事務局で作業した。帳簿と通帳・現金があってホッとした。

いつも理事会に提出している会員・財政の現況報告と事業の進捗報告をまとめた。今期の資金フロー予測などの資料については、明日以降に作業することにして、部屋へ戻った。

夕方、ゆっくりとお風呂に入り、ちょっとの間と思って横になっていたら、熟睡していた。午後11時半ごろお腹が空いて起きだした。夕方用意しておいたもち米と小豆煮を鍋で炊いた赤飯を食べて、しばらく生存学ウェブサイトのファイルの作業をした。

今夜は、ここまで。



2010年10月7日、木曜日午前10時52分。

10月なのに日中の気温は25度近く、暖かい日が続いている。朝夕は長袖が必要、日中は袖をまくっているぐらいではちょっと暑いという感じだ。

昨夕、コンゴ共和国・ヌアバレ-ンドキ国立公園保全マネージメント技術顧問の西原智昭さんが、事務局へ来てくれた。

今年4月、AJFが主催した学習会で、ガボン共和国の国立公園に関わる経験を話してもらったことで親しくなった。

現在、彼が働いているヌアバレ-ンドキ国立公園は、わりに最近まで交通の便がよくなかったため、全く手付かずの自然が残っているそうだ。近年、道路が作られ森林伐採が進行しているそうだ。

春の学習会では、そうした中での、人間と自然(直接には国立公園)がどのように共存していくのかという課題について考えていることを聞いた。

その時は、次の機会には、もっと広く広報してやりましょう、という話をして別れた。

今回の一時帰国は、休暇と名古屋での生物多様性条約会議参加のためのもののでセミナーを開催する余裕はないとのことだった。なので、西原さんの体験・知見を伝えていくための仕掛け作りについて相談した。

インターネット上であれば、メール・マガジン「AFRICA ON LINE」、生存学ウェブサイトなど、投稿・掲載できるメディアがあるので、まずこれらを活用することになった。

月に1回程度、ンドキからの通信を紹介していき、テーマによってはこれまでに書いたものを再構成するなどしてAJF会報「アフリカNOW」への掲載、あるいは出版社に持ち込むことも追求しよう、ということで一致をみた。

打ち合わせを済ませて、久しぶりに、隣のビルにある八重山料理店へ行き、ラフティ、ミミガーのピーナッツあえ、じーまみ豆腐などを肴に泡盛を飲んだ。おいしかった。

おいしいものを食べながら聞いた、研究者から環境保護活動家への転身のきっかけ、共感した後輩の話も、たいへん興味深かった。

次回の一時帰国時には、AJF公開セミナーで、環境保護活動とそこに住む人びとの生活の関係について問題提起を受けたいと考えている。



2010年10月6日、水曜日午前6時20分。

昨日は、メール・チェック、事務局へ戻ってきた大荷物片づけ、何本かの電話対応をすませて、いつもより少し早めに事務局を出た。

帰宅して、あるものを食べたら、お風呂を仕立てる気力もわかず、そのまま布団に入って寝た。

土日にグローバルフェスタJAPAN2010会場でいろんな人と会えたのは良かったが、出ずっぱりの2日間はさすがに応えた。

今朝は、いつもと同じ時間帯に起きだした。

一昨日、買ったままだった小ぶりの里芋の皮をむき、下煮をしている。

今日の夕方、半年ぶりにコンゴ共和国から帰国する西原さんが、AJF事務局を訪ねてくれる。夕食は、隣の八重山料理がいいかな、と考えている。



2010年10月5日、火曜日午前8時29分。

グローバルフェスタ会場で、FAOが世界中で10億を超える人びとが飢えている状況に怒っている、という趣旨の署名を呼びかけていた。10月16日の世界食料デーに向けた取り組みなので、ぜひ署名に加わって欲しい。

○世界中で10億人が飢餓に直面しています。
 飢餓を終わらせるための政治家たちにプレッシャーをかけましょう!

FAOが中心となって、飢餓を終わらせるための政治的意志を持った行動を求める署名を呼びかけています。
以下をご覧下さい。

飢餓を終わらせるべく、政治家たちにプレッシャーをかけましょう。申し立てに署名し、あなたの住む場所から行動を起こしましょう。
http://www.1billionhungry.org/

ぜひ、署名に参加してください。
※ 国際的な署名なので、ローマ字で署名してください。居住地についても、Tokyo, Yokohama, Nagoyaといった書き方でお願いします。



2010年10月4日、月曜日午前5時9分。

昨日の午後は雨との天気予報だったが、幸い、昨日一日好天気だった。一昨日ほどには暑くもなく、午後の遅い時間には、フェスタ会場で秋の気持ちの良い午後を味わうことができた。

一昨日、「フェスタ会場に来る機会があると、AJFのブースはあるのかなと思って探したのだけれど、今年、初めて見つけました」とかつてAJFの取り組みに参加していた人と会うことができた。僕の前任者が事務局長の頃に何度が顔をあわせて以来だから、10数年ぶりの再会だった。

海外で活動していたので、会うのは2年ぶり、3年ぶりという会員も3人ほどブースを訪ねてくれた。家族の転勤で、久しぶりに首都圏在住という会員が子どもと一緒にブースにやってきた。

一昨年、アフリカひろばの高尾山企画に参加した、他NGOのインターンだった人と久しぶりに会うことができた。今年7月までは、他のNGOのインターンとしてセミナー・スタッフとして活躍していた学生が来てくれたので、フランス語の資料の翻訳を依頼した。

9月4日にやった高橋基樹さん公開インタビューの記録おこしに取り組んでいる学生も、横浜フェスタに向けた準備作業の合間を縫って来てくれた。フェスタ直前に、まだ半分しか終わってませんと作業したファイルを送ってくれた。開発経済学では耳慣れないことばが頻出するインタビューだったので、何度も聞き返しながら丁寧におこし作業を進めていることがよく判る。

この春、かねてから気になっているウガンダの児童施設に行ってみたいが協力してくれる人はいないだろうとかと相談の連絡をくれた人もブースを訪ねてくれた。初めて訪問・滞在したウガンダは、予想とは違って、食べるものもあり、危険でもなかった、と話していた。ちょうど、ケニアとザンビアに計7年、家族と一緒に暮らしたことのある国際協力機関職員の会員が居合わせたので、体験・知見を話してもらった。「中国、インドを含むアジアの国々を、アジアと一括りで語る人はいないのに、54カ国あるアフリカの国々を、アフリカの一言で語ろうとすること自体がおかしい」と話していた。

ジンバブエの教育について調べたいと言う学生に、居合わせた会員が、ついこの間までジンバブエで3年間国際機関スタッフとして活動していた人が今はNGOで働いていると紹介してくれた。

南アの教育について調べているという学生には、アジア・アフリカと共に歩む会(TAAA)のブースを訪ねるよう勧めた。



2010年10月3日、日曜日午前6時6分。

昨夜、お風呂の中でしばらく寝てしまっていた。目が明いたところで布団の中に入り、そのまま寝てしまった。

昨日、AJFブースにフェスタ会場のあちこちで配布されている資料を詰め込んだ袋を下げた2人組がやってきた。

一人がアフリカ大陸パズルに挑戦している間、もう一人に『視覚障害学生支援技法 増補改訂版』を見せながら、スーダン障害者教育支援の会の活動を紹介し、ブラインド・サッカーの話をした。

DPI日本会議、立命館大学グローバルCOE生存学と共催で行っている「アフリカ障害者の10年」学習会を紹介したところ、一緒にやってみたいという話になった。秋葉原にある在籍する大学の教室を使い、関心を持っている学生たちに呼びかけてやろうというのだ。

具体的な計画はこれからということになるが、11月に次回を実施できるよう調整を進めたい。

夕方、警備員が「今日のプログラムは終わりました」と巡回するのに急き立てられながらブース内を片づけていたら、「アフリカ日本協議会はいつできたのかね?」と質問をくれた人がいた。「1993年に東京でアフリカ開発会議が開かれたのを契機に1994年にできたんです」と説明したところ、「僕は1973年からしばらく国連の仕事で南スーダンのジュバにいたんだよ」と話しだした。そそくさと片づけを済ませ、フェスタ会場の出口まで並んで歩きながら聞いた話では、1962年に米国の大学を卒業し、その後国連(多分、UNDP)の仕事をするようになって南スーダンに赴任したとのことだった。その頃、南スーダンには日本人はほとんどいなかった、スーダン北部のアラブ系の人びと含め外国人自体が少なかった、第一次内戦が終わったもののスーダン政府は南部に物資を送ったりしなかったので、国連の援助が唯一の援助だった、とも話していた。

「今は、どちらにお住まいですか?」と聞いたところ「目の前の帝国ホテルに宿泊していて、散歩に出たらこのフェスタをやっていたんだ」とのことだった。日本にしばらくぶりに「来日」したという感じだった。



2010年10月2日、土曜日午後6時57分。

グローバルフェスタJAPAN2010が始まった。

今年は、販売する物品を大きく減らした。配布する資料と会員が関わった本を何点か並べた。

アフリカンフェスタとは違い、アフリカングッズに関心を寄せる人も、アフリカ大陸パズルにチャレンジする人もあまり多くなかった。

ガーナにいるものと思っていた会員、サモアへ行くというので送別会で見送った友人がブースに現れてびっくりした。

アフリカから学ぶ』が4冊売れた。

暑くて長袖のシャツを脱いで、ノースリーブのシャツでいたら、「ワイルドですね」と言われた。

明日は雨が降りそう、とのこと。たいしたことなければうれしい。



2010年10月1日、金曜日午前6時50分。

昨日の朝、以下の資料へのリンクをつけて緊急署名を呼びかけるメールをあちこちへ送った。

来週、発行するアフリカNOW第89号に、9月4日に開催した上記シンポジウムでの報告、世界基金の資金拠出によって命をつなぎ活動しているヴィカスさんインタビュー、グワバさんのストーリーを掲載する。また、ヒューマン・ライツ・ウオッチのジョセフ・エイモンさん/土井香苗さんによる「外国人に対する保健への権利 迅速な実現を」も掲載する。

先週、録音をもとに3本の記事をまとめ、概括的な課題提起の文章も書いたので、今週中にできあがるかと期待したが、20pの予定だったものが24pになり、版下作成もたいへんだったのだ。

このところ原稿執筆者は増えているので、次は、編集作業要員の増員を目指さなければならない。


明日、明後日、日比谷公園で開かれるグローバルフェスタJAPAN2010に向けて、誘いのメールを送っている。ブース・サポート・スタッフとして土曜日午前に一人、午後は広報インターン、日曜日に一人を確保した。土曜の午後にもう一人か二人、日曜日にあと二人欲しいところだ。

ブースを訪ねるとの連絡も3件ほどあった。二人はそれぞれの所属機関・団体の取り組みで会場にいるとのこと。一人は出張帰りなので、いけるかな?という感じ。

仕事や予定があって行けないとの連絡もあった。次の機会を考えたい。



2010年9月29日、水曜日午後10時57分。

会報「アフリカNOW」第89号版下データが、今夜にも印刷所に送られる。できあがってくるのは、来週になるので、特集した来週の世界エイズ・結核・マラリア対策基金第3次増資期間会議の課題、市民社会の取り組みを、会報とは別の形で、会員に伝える必要がある。

すでに、AJFのウェブサイトに関連する資料、署名呼びかけを掲載しているので、それらをひとまとまりのものとして紹介するメールを送り、ウェブページを用意するのが妥当だろう。明日一番の作業だ。

第89号に、関連する記事として以下を掲載する。

  • グローバル・エイズ危機は終わっていない 編集部
  • グローバル・エイズ危機と世界基金 9月4日シンポジウムでの稲場さんスピーチ
  • 世界基金と市民社会 9月4日シンポジウムでのキャロルさんスピーチ
  • ヴィカスさんインタビュー 9月5日丸幸ビルでのインタビュー
  • 私はここにいる Here I amサイト、ザンビアのマイケル・グワバさん
  • 外国人に対する保健への権利 HRW

他に、ベナンに関する寄稿が2本(+α)、CD紹介で24pになるとのことだ。



2010年9月26日、日曜日午前0時34分。

東大駒場キャンパスで開かれている障害学会の一日目が終わった。

一番最初の発表を聞くために、雨の中を出かけたら、お昼には晴れ上がり、汗ばむ陽気になった。

会場で、数年ぶりに今は車いすを使っている昔なじみと会った。

朝一番の発表は、最近、出版された本にほぼ書かれていることをまとめた報告であった。どういった問題意識を持って、課題化したのかと質問したところ、施設職員の果たした役割の両義性、時代的背景について考えたいとのことであった。

夜、懇親会後に行った居酒屋で、立岩さんがこの発表者に、資料のウェブ化作業をやらないかと誘っていた。すでにやりかけているとのことで、順次、生存学ウェブサイトで公開されることになる。



2010年9月22日、水曜日午後6時14分。

2010年9月30日までに50万を目標とする「世界基金第3次増資期間会議にむけた緊急署名」が開始された。あと一週間しかないので、ぜひ署名して欲しい。

直接、署名ページに行く人は、下のリンクを使って欲しい。
http://www.globalfundreplenishment.org

周囲の人への呼びかけ、働きかけもよろしく。日本語の資料は、この記事最初の行のリンクをたどって欲しい。



2010年9月20日、月曜日午前10時39分。

金曜から昨日までスタンドアップ テイクアクションのために、車を運転して資材を運び、行動に参加した。

スタンドアップ開始前日の木曜日、いくつかの県でまだ事前登録が全くないことが報告された。該当する地域にいる会員、協力者にメールで呼びかけと資料を送ったところ、2ヶ所からは事前登録をしたよと連絡が返ってきた。

金曜日、倉庫に保管した組文字、Tシャツなどを運び出すためにレンタカーを借りた。事務局から持ち出すものもかなりあった。倉庫から必要なものを出して車に積み込み、車は部屋の近くのコイン駐車場にいれた。去年使った一番近くて、他と比べて割安な駐車場に空きが無かったので、駅の近くの駐車場に向かった。駅からまっすぐ入っていく道は、駐車場の直前で進入禁止になっていた。一方通行の道をぐるりと回って反対側から駐車場に入った。

土曜日、朝6時半に駐車場を出て、事務局に向かった。3連休の初日だからか、けっこう混んでいた。事務局にいあわせたスタッフと一緒に青山へ向かった。都心部は混んでいなくて、予想よりも早く会場近くまで行ったが、会場に入るルートが限られているため、またまたぐるりと回って反対側からアプローチすることになった。すでにスタッフが来て準備を始めていた。

この日は、夕方のパレードまで、国連大学前で開かれているファーマーズ・マーケットの一角で、スタンドアップを呼びかけた。僕が呼びかけた人も3人ほどスタンドアップをしていった。ファーマーズ・マーケットでは、野菜・果物が販売され、軽食を出す店が出ていた。お昼に、チリドッグ、とろろごはんを食べた。おいしそうなブドウが並んでいたので、一房買って食べた。パレードの前には、小さめのなしも1個食べた。どれもおいしかった。

パレードには200人近くが参加した。国連大学前から原宿を抜けて渋谷ハチ公前へ出るコースだった。僕自身は予定が入っていたので、渋谷駅でパレードから抜けて地下鉄に乗った。パレード自体は、国連大学前へ戻り、そこでトークショーなども開かれた。

日曜日、事務局近くで駐車している車を倉庫へ移動させ、組文字とTシャツの残りを倉庫に保管した。事務局近くのレンタカー営業所へ車を戻して、一件落着。その後、築地本願寺で開かれている動く→動かす・半貧困ネットワーク共催のイベントに参加した。雨宮処凛さんがモデレーター、稲場雅紀さん、村田修一さん、湯浅誠さん、吉岡逸郎さんの4人がパネラーのパネル・ディスカッション、相互のやり取りが興味深かった。会場からの質問にも共感するものがあった。

夜、事務局へ戻り、世界エイズ・結核・マラリア対策基金第3次増資期間会議に向けた緊急署名の呼びかけを、ML、mixiを使って各方面に投げた。9月30日までに全世界で50万人が目標だ。この会議の目的と意義については、「世界エイズ・結核・マラリア対策基金 第一回第3次増資期間会議」を見て欲しい。



2010年9月14日、火曜日午前5時1分。

昨夜、職場からの帰り、最寄り駅から外へ出たら路面が濡れていた。歩き出したら、雷が鳴り始め、小雨が降ってきた。たいして濡れずに部屋へたどり着いて安心した直後、窓の外が雷光で何度も明るくなり窓から強い風が吹き込んだ。ラッキーだった。

日曜日、領収書を整理し会計ソフトへの入力をすませた。いつものことだが、出てきた数字と銀行口座、郵便振替口座、現金の残高が合致しているのを確認できるとホッとする。

2000年、AJFの事務局長になって最初の仕事が、複式簿記の導入だった。振替伝票の書き方を覚え会計ソフトの動かし方になれると、ソフトが総勘定元帳作成も決算処理もやってくれるので、手作業でそれぞれの帳簿を作っていた頃に比べると、会計作業はずいぶんと楽になったに違いない。

今年、ズッと使っていたエクセルのマクロを利用した会計ソフトから、別の会計ソフトに切り替えた。エクセル97用のマクロが、エクセル2007以降では動かなくなったのだ。

新しい会計ソフトに切り替えたおかげで、事業ごとの収支を整理するのが簡単になった。



2010年9月12日、日曜日午前7時34分。

伝票整理、記帳など会計業務をやるつもりで、昨日、事務局へ行ったら、絵筆を持った人でいっぱいだった。

今度の土曜日に実施予定の、MDGs達成を訴えるパレードに向け、横断幕を作成中だった。

7月末に、パレードの先頭を飾る横断幕を作った後も、パレードをどういったスタイルで実施するのか検討を進めてきて、昨日の作業になったわけだ。

パレードの際、僕が担当する役割も決まり、さあやるぞ、という気分になった。

伝票整理は日を改めることにして、昨日は、シンポジウムの録音を聞き、資料をチェックした。



2010年9月11日、土曜日午前7時46分。

昨日、横浜の薬科大学で漢方薬について学んでいるベナン人神父と彼を支援するグループ代表の寄稿が届いた。

世界エイズ・結核・マラリア対策基金第3次増資期間会議に向けて、先週土曜日に開催したシンポジウム記録をもとにした特集記事をまとめると、アフリカNOW第89号の原稿はそろう。

今日、資料と録音を参照しながら原稿をまとめる予定だ。

アフリカNOW第90号では、一昨日行った亀井伸孝さん公開インタビューをもとに、「アフリカ子ども学」を特集する。

子どもに注目した論考が増えていること、社会の変化と子どもたちの遊びの関係、学びと遊びについて考えるべきこと、調べるべきことetcがたくさんあって、ぼう然としている。

アフリカの人びとの記録、自伝・評伝の子ども時代の話などなどを集めること、整理していくことといった作業を進めながら、まとめられることを文章にしていくことになるだろう。

アフリカ子ども学シリーズ、次回は、コンゴ民主共和国から日本へ来て10年になる大学院生に、子ども時代の話とNGOの描く「アフリカの子ども」に関する問題提起をしてもらうことになった。



2010年9月8日、水曜日午後11時39分。

今日のシンポジウム「MDGsと報道を考える」の会場は、大学の正門からちょっと奥まった建物だった。

道案内を3人立て、案内板も5ヶ所に立てた。

よりによって今日、日本海をさまよって消えたかと思っていた台風9号が、富山に上陸し関東に近づいてきたので、大雨になった。

風が余り強くなかったのは幸いだったが、道案内に立った3人はかなり濡れていた。

加えて蚊に足首の周りを相当刺された人は、ほんとに踏んだり蹴ったりだった。



2010年9月8日、水曜日午前6時11分。

昨日、今月から事務局で勤務するインターンへの研修を行った。午前中に、担当スタッフによるガイダンスの後、AJFの歴史と特徴について紹介し、午後、実際に担当する業務の一部であるTICADアドボカシーチームの背景・現状・課題について、現在の担当インターンと一緒に説明した。

昨日は、TICADアドボカシーチーム担当、広報担当、スタンドアップ担当の3人のインターンが勤務する日で、狭い事務局で人がいっぱい、どこに座るの、という感じになってしまった。

それもいい機会なので、インターン3人と一緒にお昼を食べに行った。

インターン同士の会話も弾んで、幸先のよいスタートになったかなとうれしかった。

夕方、隣のNGOのインターンが、NGOまつりの際にAJFが拠出した物品の返却にやってきた。

NGOまつり実行委員会たんびに顔を合わせていたので、けっこう、丸幸ビルに来て勤務しているのかと思っていたら、週に1回〜2回の勤務と話していた。英国の大学を卒業して帰国し、来年4月からの就職が内定している、といった話も聞いた。

12月まではこのペースで丸幸ビルに通うとのことだったので、AJF・アフリカ文庫の利用法を紹介した。早速、"Witness to AIDS"を借り出していった。



2010年9月6日、月曜日午後3時27分。

昨日、「NGOまつり in Ueno 2010」で一日ハイテンションだったせいか、背中が張ってだるい。

プラン・ジャパンのサポーターが、アフリカ大陸パズルをやりながら、「ここにあったのね。ここの子どもを支援しているの」と話していたのが、うれしかった。

インドのHIV陽性者ネットワーク代表のヴィカス・アフジャさんインタビューの際、話してくれたことの6割くらいは聞き取れたように思う。質問をどういえばよいのか、パッと出てこない。通訳がうまくて助かった。

この夏、車いすを使う障害者と一緒にアフリカを旅した会員に、「アフリカNOW」のために体験記を書いてくれるよう頼んだ。3200〜3300字書いてくれることになった。

AJFが担当したキャンドル・ナイト、屋上での開催だったので風に吹かれてキャンドルがすぐに消えていた。

打ち上げで出てきた炊き込みごはん、サラダなどなど、どれもおいしかった。



2010年9月4日、土曜日午前4時40分。

2時半ごろ、暑くて目が開いた。シャツが汗びっしょりだったので着替えて横になったが、寝つけないので、近くの公園のテーブルとベンチで少し作業をした。

そよ風が吹いていて気持ちが良い。が、蚊や虫に刺されてかゆい。部屋へ戻ってかゆみ止めを塗り、しばらく横になっていよう。

昨夜、コインランドリーで洗濯機が回っている間、近辺をブラブラした。2年前に動き出したモノレールの駅の近くに「本・cd・ゲーム買い取ります」との看板が出ていた。入ってみると、棚の三分の二くらいはコミック。残りの7割ぐらいがCDで、本は目立たないコーナーに少しだけあった。50円、60円と値札のついたハードカバーがあるなと想ったら、鷺沢萠の小説だった。数年前に若くして死んでしまった彼女が書いた『ウェルカム!ホーム』、収録された2作とも面白いので、時々、読み返している。文庫本のコーナーにも3冊ほどあったが、こちらの方が高い!なので、ハードカバーを2冊買ってきた。



2010年9月1日、水曜日午前9時27分。

今朝も電車の中で書くことができた。

昨日、インターン2人と事務局スペースをかなりふさいでいた荷物を片づけた。レンタカーで30分ほどの倉庫へ荷物を運び、ついでに倉庫の中を整理したのだ。

倉庫内で眠っていた南アの子どもたちの工作物が入ったケースを見つけ出して、事務局へ持ち帰った。

昨日は、3人でやったので、たいして時間がかからなかった。しかし、倉庫からいったん荷物を運び出して積み直す作業、一人ではとても手を付ける気になれなかった。

事務局から電車で10分弱の駅近くで、東京メトロが貸し出しているトランクルームが1.7畳分で月額12,000円余り。事務局で借りている足立区内の貸倉庫は2.5畳分で月額7,000円弱。場所につく値段が大きいことを実感する。



2010年8月27日、金曜日午前9時45分。

座れたので電車の中で書いている。

出張で南アへ向かう途中という会員からのメールに「「進化論」に興味があっていろいろ調べているのですが、機中で読もうと思ってグールドの文庫本をいくつか持参」「科学者はおおむね「利己的な遺伝子」の方を支持するのかな。でもあれはいやらしいですよね。」とあった。

返信に、

ドーキンスの"The Selfish Gene"、けっこうドキドキしながら読んだ覚えがあります。2006年に日本語訳が出た増補改訂版では、遺伝子で全てが決定されるわけではないと強調しているところを見ると、「俗流化」される過程(日本では、たとえば竹内久美子の一連の著作)で「遺伝子決定論」ばかりが注目されたことに危惧を覚えたという側面もあると思いますが、当然のことながら科学者の中でもけっこう批判があったのでしょう。

と書いた。

ドーキンスを読んだのは10年以上昔のことで、増補改訂版の記述は、誰かの引用からの類推なので、大丈夫かな、これ?

【追記:2010年9月3日】高橋基樹さんの『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』265pに以下の記述があった。

遺伝子の包括適応や血縁淘汰の概念の、民族論への単純な適用を否定するには、指導的な生物学者のひとりであるドーキンス(Richard Dawkins)が、遺伝子決定論の人間社会への機械的適用を厳に戒めていることを想起すれば十分だろう。彼によれば、人間の特徴とは利己主義のもたらす悲惨な結末を予想し、それを乗り越えるための「意識的な先見能力」を持つことであり、自らのうちにある利己性を克服する集団行動をとれることである。したがって、社会の運命は、遺伝子の利己性によって宿命的に決まるわけではない(ドーキンス[2006: 291-311])。


2010年8月25日、水曜日午後6時55分。

今週、僕が担当するインターンの3ヶ月目面接を実施した。

二人とも、「意思は尊重されていますか?」にA回答だったので、安心した。

来月半ばで期間を終えるインターンには、現在取り組んでいる作業の合間を見て、引き継ぎの準備を進めてくれるようお願いした。

国際協力活動に関心があると相談に来たことをきっかけに、「やってみた上でお互い考えましょう」と広報作業(主としてウェブサイト更新)に従事してきたインターンとは、「NGOまつりin上野」実行委員会、世界食料デー月間参加団体会合に一緒に参加すること、会報「アフリカNOW」掲載記事のウェブ化作業の進め方について話をした。



2010年8月23日、月曜日午後8時54分。

昨夜、土曜日に教わってきたやり方で野菜を甘酢に漬けた。用意した野菜の量が多くて全部は漬け込みきれず、カットした蕪の葉っぱやセロリを別の容器に保存して寝た。

一夜明けてみると、野菜から水が出て縮んだので、昨夜は漬け込みきれなかった野菜を漬けた。明日の夜には食べることができるだろう。

最近、山形の「秘伝豆」という青大豆が気に入って、水煮を冷蔵庫に常備している。噛んだ時の歯ごたえがよく、ほんのりと甘味を感じる。煮汁もおいしい。

先週末、小豆も煮た。秘伝豆を煮る時は一晩水煮浸しておく必要があるが、小豆はそのまま煮ればよいので簡単だ。

今夜は泊まりなので、桃を1個買ってきた。明日の朝、冷やして、出勤の前に食べる予定だ。



2010年8月22日、日曜日午前7時21分。

昨日、6月20日に開かれた南アフリカ・チャリティ・コンサートによるAJFへの寄付を受領するため、カトリック赤堤教会へ行った。

午後4時からコンサート運営委員会の最終会合が開かれ、コンサートの感想と反省が出された。

AJFの会員総会と重なったため、僕自身は参加できなかったが、当日、会場にいた人たちからは、プログラム内容、ステージの演出に関する課題提起が積極的に出された。

出演して津軽三味線を弾いた土生さんが「次にやる時も声をかけてください」と語っていたことも紹介され、今年の反省を踏まえて来年もやることが決まった。

企画の参考として、赤堤教会の近くで、日本キリスト教団の牧師夫妻が開催しているキックバック・カフェ、三軒茶屋のカトリック教会信徒の米国人が指揮するゴスペル・グループなどが話題にあがった。

カトリック教会なので、まず来年のイースター期間が確認され、イースター後で4〜6月の祝日ないし日曜日を候補にあげて検討することになり、4月29日(金、祝日)と5月8日(日)を候補日に、今年の出演者および会合で話題になったプレーヤーに依頼をすることになった。

年末までに、出演依頼への反応を見て開催日を確定し、来年1月から準備作業を開始することが確認された。

運営委員会終了後、教会内で開かれた打ち上げの時、「プロテスタントでは、こういう時にもビールが並ばないんだそうですよ」と話題になっていたのがおもしろかった。

また、「今では、修道尼をシスターと呼んでいますが、かつては童貞様と呼んでいたんですよ」「童貞様には、お祈りをする童貞様と庭の掃除や子どもたちの相手などいろんな仕事をする童貞様とがいらして、それぞれにまとっている修道服が違っていたんです」という話を、興味深く聞いた。

今回のチャリティ・コンサートを呼びかけた、元修道士は、「南アフリカ、クワズールー・ナタールで参列したお葬式は一晩中お通夜が続き、翌日の告別式までまるまる1日半がかりだった。結婚式の方は、1週間かかった。」と、南アでの体験を語っていた。

1967年のヒット・チャートを飾った「Oh! Happy Days」は、米国のカトリック教会が宣教用に育てたグループの持ち歌で、真っ正面から「洗礼を受けよう」と呼びかける内容だ。という話に続き、韓国の教会でも、礼拝時に、教会出身者の歌手やグループの歌が入るという話も出ていた。



2010年8月19日、木曜日午前5時48分。

一昨日の火曜日、ボツワナでNICEのワークキャンプに参加して広報インターンが、3週間ぶりに事務局に姿を見せた。先週は、TICADアドボカシーチーム担当のインターンも休みだったので、火曜日は久しぶりに事務局に人がいっぱいという感じだった。

広報インターンが、AJFウェブサイトの企画・イベント案内および What's New を作成し、TICADアドボカシーチーム担当インターンは現在、活動記録のウェブ化作業を進めている。

昨日は、6月の会員総会をサポートしてくれた協力者から、立命館大学グローバルCOE生存学ウェブサイトで公開しているアフリカ関連情報データベース更新作業にとりかかりたいと連絡があった。来週から事務局に来てもらって、具体的に作業を進めながら仕組みとやり方を説明する。9月には少し時間が作れるとのことなので、作業が進むだろう。

ベナンで安心して使える薬を作りたいと横浜薬科大学で学んでいるベナン人神父のアフリカNOWへの寄稿も実現しそうだ。ベナンでNGOインターンを体験した人のレポートと組み合わせて掲載したい。

アフリカNOW次号の内容を煮詰めて、世界エイズ・結核・マラリア対策基金第3次増資期間会議に関して紹介・報告すべきことを整理した。来月初めにインド、ザンビアからやってくる当事者たちの声も盛り込んで、わかりやすい特集にしたい。


『開発と国家』に関する公開インタビューに向け、峯陽一著『現代アフリカと開発経済学 市場経済の荒波のなかで』も久しぶりに読み返している。この作品は、最初に買ったものを2006年のインターンに貸し出したら戻ってこず、次に買った本は林さんの手元にある(はずだ)。ということで、またまたアマゾンで買った。

手元に届いた本は、2007年の4刷。タイトルの英語訳が"The Economics for an African Rebirth"となっていることに、今回、初めて気がついた。

公開インタビューに向けて読書ノート「『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』を読む」も作り始めた。



2010年8月17日、火曜日午前8時45分。

思った以上に、高橋基樹さん公開インタビュー参加連絡が多い。昨日も2件、連絡があった。

今朝、mixiのいくつかのコミュニティに、9月9日(木)に開催する『森の小さな〈ハンター〉たち 狩猟採集民の子どもの民族誌』著者・亀井伸孝さん公開インタビュー案内を書き込んだ。メール、ML、mixiで案内してきたが、まだ不十分なようだ。



2010年8月16日、月曜日午後3時58分。

先週、発送した「アフリカNOW」第88号の一部が、「転居先不明」で戻ってきた。

転居・移転の連絡をもらったものの発送用リストの変更を怠っていた送付先もあった。前号の発送後に引っ越した会員もいた。送付先が判明したものを再送した。



2010年8月13日、金曜日午前6時50分。

11日(水)、AJF会報「アフリカNOW」第88号の発送作業を終え、その夜、外房の友達の家へやってきた。

昨日は、朝、5時半ぐらいから友達の犬と一緒に散歩した。戻ってきてから朝食。その後、お風呂に入ってからお昼まで眠っていた。

午後、ちょっと買い物に出かけたりしたが、台風の影響で、昨日一日風が吹き、夕方には雨も降ったおかげで、歩くものも苦にならなかった。


10日(火)、9月から英国の大学院へ行くボランティア(サンカラに関する資料、仏語雑誌の国際女性デー特集記事の翻訳などをやってくれた)と一緒に事務局近くのインド料理屋でランチを食べながら、ENDA-GRAFの本の話をした。

9月4日の高橋基樹さん公開インタビューには、『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』を読んで参加するとのことだ。

神奈川学園からは、エイズ文化フォーラムで会った教員と生徒二人がやってきた。

南アでのワールドカップをきっかけに南アについて調べており秋の文化祭で発表する、エイズ問題について調べるためにエイズ予防財団に連絡を取ったところAJFを紹介されたとのことだった。

林さんが書いた岩波ブックレット「エイズとの闘い 世界を変えた人々の声」、AJF会員でもあるシェアの青木さんが書いた「ぼくは8歳、エイズで死んでいくぼくの話を聞いて。―南アフリカの570万人のHIV感染者と140万のエイズ孤児たち」を紹介し、質問に答えた。

「HIVに感染している人が多いのは、予防のための広報などが不十分なのでは?」という質問に、南アではエイズに気をつけよう、きちんとコンドームを使おうというメッセージが日本以上に明確にまたあちこちで発せられているそうだと答えながら、改めて、「予防のための広報」って何だろうと考えた。



2010年8月10日、火曜日午前7時31分。

沖縄の北、九州のはるか西の海上を朝鮮半島に向かって進む台風の影響で雲の動きが激しい。

9月4日に開催する『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』著者・高橋基樹さん公開インタビューへの参加連絡が7件になった。日を決めて広報すると反応がある。

再読しながら気付いたこと、印象に残ったことをiPodでメモを取っている。片手で操作してメモをとることができるのは便利だ。



2010年8月8日、日曜日午後5時25分。

昨日の朝、エイズ文化フォーラムで、6月20日に開催されたチャリティ・コンサートに関する報告を聞いた。このコンサートは、AJFも共催者に名を連ねた企画だったが、同じ時間帯に会員総会を開催したため、参加することができなかった。

報告会自体は、文化フォーラム運営スタッフとコンサート関係者が3人、明後日、AJFに生徒がやってくる神奈川学園の教員が一人という小さな集まりだった。その分、参加者一人一人の声を聴くことができ、また、集められたお金は何に使われるのか?という質問に答えることができた。

来場者の一人は、ベナンから横浜薬科大学に留学しているベナン人神父を支援していると自己紹介した。ベナンの人にあった安心して使える医薬品を作りたいと、薬学を学んでいる神父の生活を支援するグループを先月立ち上げたばかりとのことだった。

9月発行予定のAJF会報「アフリカNOW」第89号に、ベナンの医療状況、医薬品の問題について、この神父に寄稿してもらうことにした。この号には、一昨年から昨年にかけてNGOインターンとしてベナンで1年をすごした榊原さん(今年6月、アフリカひろばでその時の体験を話してくれた)にも寄稿してもらう予定だ。

お昼に、今週、印刷所から届く「アフリカNOW」第88号の発送準備への協力を要請していたボランティアから連絡が入り、「今日の夕方だったら作業できる」とのことだったので、午後の予定を変更して事務局へ戻った。

夕方、来てくれたボランティアと一緒に事務局で発送用シール貼りと封筒印刷作業を行った。



2010年8月7日、土曜日午前6時27分。

今日は、横浜へ。駅から遠くない神奈川県民活動支援センターで開かれる横浜エイズ文化フォーラムが開かれる。

午前中に、南アフリカ・チャリティ・コンサートを中心になって担った韓君の報告。夕方、ニバルレキレ事務局・小山さんのワークショップがある。

夕方のワークショップと同じ時間帯に開かれるNGO・労組協働フォーラムHIV/エイズ感染症グループのセミナーにもちょっと顔を出したい。



2010年8月3日、火曜日午前4時47分。

土曜日のアフリカンキッズクラブ・イベント最後に、扉に足をぶつけて小指を腫らしていた子どものお母さんから、「事務室でもらった湿布薬を貼ったら歩けるようになった。病院には、行かなかったので、レクレーション保険の適用は不要。次回から救急箱、湿布薬、アイスノンが必要ね」と連絡があった。

昨日になっての連絡なので、帰宅後、だんだんと腫れも引いて回復しつつあるのだろう。よかった。

このイベントについて、ムビラを演奏したハヤシエリカさん、5歳の子どもと一緒に初参加だった小山さんがブログを書いている。

 ハヤシエリカさんのブログ 元氣メグル日々 エリカのブログ

 小山さんのブログ ニバルレキレ

「(会合であったりして知っている人たちと)いつもと違うシチュエーション(=子連れ)でお話しできたのも楽しかったです。」とメールに書き添えてくれた参加者もあった。

そういえば、1980年以降、僕が関わってきた運動は、基本的に子連れだった。会議の最中にとなりでおむつ交換をしたり、眠たそうにしている子どもを交代でだっこしたりするのが普通のことだった。指示に従って保育園のお迎えというのも何度かやった。

自立障害者が集まりを持つとなると、たいていの場合介助者が必要だから、よくわからない人間がそこいらへんにいるのが集まり、という状態だった(それじゃ、本音が出せない、と考えて、会議の際に介助者は別室待機というルールを設けた人たちもいたと聞いたことはあるが・・・)。

土曜日のイベントに、1歳児の双子連れの参加者がいた。双子用の乳母車から降ろすと、片割れが母親にしがみついているので、母親をじっと見ているもう一人を、僕が抱き上げてサポート・スタッフの女性に抱かせたら、受け付けをやってくれた別のサポート・スタッフに、「子どもをよいしょと抱き上げちゃうのね」と感心されてしまい、世の中そんなふうにはなっていないんだ、と改めて感じた。



2010年8月2日、月曜日午前5時59分。

2時40分ごろ、フッと目が開いたら暑くて寝つけなかった。近くを一回りし、コンビニでスパークリング・ダカラを買って飲み、もどって布団の上に横になったら眠っていた。

今日、事務局へ行ったら、一昨日のアフリカキッズクラブ・イベントの写真を参加者に送らなくてはならない。撮影した動画のコピーがうまくいかなかったのに気付かず消してしまったのが残念だ。

初めてのムビラを中心にしたイベントで、打ち合わせ段階では、子ども向けには退屈かもしれないという不安の声が出ていたが、マイクを通して増幅されたムビラの刻むリズムを聴きながら、広い会場を子どもたちが走り回っていたことに、演奏したパシチガレ・ムビラズの皆さんも満足していたようだ。

初めての参加で、最初の参加者紹介の時、声をかけられて泣きそうになっていた男の子が、同じ年頃の初めて出会った男の子と一緒に走り回っていたのが印象に残っている。一緒に転んだのに、この子だけ泣いていた場面もあった。そんな時間を過ごして、最後に笑顔で帰っていけるのが、子どもたちの力なんだろうと、改めて思った。

入り口の扉近くに集まってくる子どもたちもいて、外へ出ないように立ち番をしていた。入ってすぐの手すりを目印に、グルグル回るのと、扉の前に立っている大人が面白かったようだ。

小学生たちが手すりでけあがりをし始めたので、さすがに止めた。

「私たちスタッフ」と自称する中学生と小学校高学年の女の子二人連れ(サポート・スタッフの子どもとその友達。キッズクラブ・イベントに参加したことがある)が、小さい子どもの相手をしたり、リズムにあわせて飛び回ったりして、雰囲気を盛り上げていた。

10人のサポート・スタッフのうち、キッズクラブ・イベントのサポート経験者は1人で、ミーティング時の保育経験者が2人、あとはこの日が初めてというメンバーによるサポート体制だった。それでも、一度はみんな会ったことがあって僕の指示で行動すること、何か会ったら僕に連絡することは伝わっていたので、特に問題もなかった。ムビラの音もリズムも楽しんでもらえたようだ。

1歳3ヶ月の双子の片割れがお母さんにしがみついていたので、もう一人を僕が抱え上げてサポート・スタッフの大学生の女の子にだっこしてもらった。演奏が始まった頃には、スタッフがそばについているだけで安心していたようだ。

スタッフとして会場を盛り上げた2人連れをのぞいて、0歳児から小学5年生までの参加があるイベントが、よくわからないが盛り上がり、最後に扉に足をぶつけて小指を腫らした参加者がいただけで、収拾がつかなるくなるほどの問題もなく終えることができて安心した。

忘れずに、保険の代理店にレクレーション保険の手続きについて聞かなくてはならない。



2010年8月1日、日曜日午後11時17分。

今日も一日暑かった。部屋で作業していると汗がボタボタと落ちてくるので、近くの区立図書館へ行った。

新刊コーナーに、黒田日出男著『江戸図屏風の謎を解く』があるのが目に入り、手に取った。歴史推理と銘打ち、しかも論争をしかける感じの書きぶりにひかれ借りてきた。

図書館で、先月半ばに送った原稿が長すぎたので800字ほどカットする作業を済ませた。これ以上、何をやる気にもならないので、借りた本を少し読んだ。

今日は、朝、洗濯をして一寝入り、午後2時に起き出して原稿整理、夕食を済ませてボーッとしていたら、こんな時間だ。

高橋基樹さん、亀井伸孝さん公開インタビューを9月4日、9日に開催することが決まった。二人の本を再読し、準備を進めたい。



2010年7月30日、金曜日午後4時6分。

午前中はNGO−労働組合協働フォーラム合同企画委員会、午後は同フォーラム主催「NGOと労組の連携事例報告会/MDGs学習会」に参加。

午後の報告会では、MDGs達成をめざすNGOネットワーク「動く→動かす」事務局として、9月17〜19日に実施するスタンドアップの呼びかけを行った。AJFの活動についても紹介する時間があったので、世界食料デー月間2010も案内した。

AJF/HFW/JVC/明治学院大学国際平和研究所共催連続公開セミナー「飢餓を考えるヒント」についても触れたので、明学のOBですという参加者がブースまでやってきてくれた。

御茶の水駅近くの会場だったので、お昼に事務局へ資料を取りに行くことができてよかった。

御茶の水駅ホーム一番東京駅よりの朝しか開かない改札口を初めて使った。30年以上前、通学で使った駅の周りは、また変わっていた。

聖橋を背に坂を下りながら、大学に入った頃、駅の近くの本屋で、サルトル『ユダヤ人』とアイザック・ドイッチャー『非ユダヤ的ユダヤ人』(いずれも岩波新書)を買ったことを思い出した。あの頃、駅前の建物を抜けると並んでいた中央大学の校舎内の生協にも何度か立ち寄ったことも思い出した。明大生協の入っていた校舎は、今はどんなビルになっているのか、思い浮かばない。



2010年7月28日、水曜日午前5時15分。

監督あいさつもあると案内をもらったので、昨日午後、急きょ予定を変更して、コンゴ民主共和国(DRC)キンシャサの障害者たちのバンド・ベンダビリリのドキュメンタリー映画の試写会に行った。

6月12〜13日、横浜で開かれたアフリカンフェスタ会場で、彼らが使っているのと同形の手漕ぎ3輪車を使ったデモンストレーションが行われていたことや、一部では話題になっていることから、試写会会場はいっぱいだった。

彼らの歌っているシーン、昨年初夏にCDをリリースしたことから始まるツアーの様子を交えた映像は、キューバの高齢者バンドを追ったドキュメンタリー『ブエナビスタ・ソーシャル・クラブ』を思い出させた。

元DRC大使だった高倍さんの監督への質問が、興味深かった。2004年以降、大統領選挙時の衝突を含む大規模な暴力が3度あった中で、カメラが回し続けられたことに注意を促しつつ、1)大統領選挙が及ぼした影響はどうだったのか、2)国家にとって「マイナス」イメージにつながりやすい障害者、ストリートチルドレンの生活にカメラを向けたことへの政府や警察などの反応はどうだったのか、3)繰り返されてきたDRCの有名バンドの分裂という事態がベンダビリリにも起きそうか、と問いかけていた。

監督は、1)大統領選挙時の暴力は大問題だったがベンダビリリに直接の影響を及ぼさなかったので映像の中ではほとんど触れなかった、2)政府や警察以上に、当初は、白人と見れば「金よこせ」という行動があるのに悩まされたが、ベンダビリリに守られたのと、長いことキンシャサで撮影してきて人々に知られようになったので問題はなくなってきた、3)現在、ベンダビリリはヨーロッパ各地でツアーを行っており、今年10月には日本にもやってくるというようにスケジュールに追われているし近々2枚目のアルバムもリリースできそうだ、こうした状態の後でずっと同じバンドでやっていけるかどうかは、彼ら次第だ、と答えていた。

2006年に国連障害者の権利条約が採択され、2007年には発効しているが、そういったことを、ベンダビリリやキンシャサの障害者たちは知っているのか、と聞いたら、「全く知らない」「障害者だろうがストリートチルドレンだろうが、自分のことは自分でやる、という強さがあったから、彼らの音楽がありバンドとして成功がある」との回答だった。

9月には各地でロードショーが始まる。10月には彼らが来日する。宿題がいくつも出された試写会だった。



2010年7月27日、火曜日午前6時35分。

昨日も一件参加連絡があって、週末のムビラ企画の参加者数が30人近くになった。今年4月、5月に生まれた赤ちゃん連れの親子も2組ある。

9月に計画している『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』著者・高橋基樹さん公開インタビューの参加希望の連絡もあった。亀井伸孝さんへの『森の小さな〈ハンター〉たち』に関する公開インタビュー日程も、もうすぐ決めることができそうだ。

いくつものことが平行して進んでいるので、日程を入れたカレンダーをiPodで持ち歩いている。日程を書き忘れないようにしなくてはいけない。



2010年7月26日、月曜日午前7時58分。

今日の午後、雨雲がやってくるらしい。昨夜は、夜中に暑くて起き出す、というのがなかった。それでも、8時前なのに少し歩いたら、汗だくだ。

昨日、今週末のイベント案内を再度あちこちに送ったので、今朝までに3件申し込みがあった。せっかくの機会なので、もっと申し込みがあるとうれしい。

これから朝食をとって出勤。今日は、お昼に横浜だ。



2010年7月25日、日曜日午前7時50分。

天気予報によれば、今日の最高気温は昨日より2度低い34度。それにしても、注意しなければ熱中症になってしまう暑さに変わりはない。

昨日、あせもの薬を買った。近くの薬屋で、汗が出るとかゆくなると言ったら、2種類の薬を出してくれた。何が違うのかと聞いたら、一方は昔からある塗ると白くなるタイプで、もう一方は最近のよく効くジェルタイプの薬だ言う。予防的に使うのであれば、昔からあるタイプの方がよいだろうとの勧めにしたがった。

顔、首、腕を洗い、薬を塗ったら、少し白っぽくなって清涼感がある。昨日は、暑い時間に出歩かなかったので、大汗をかかずにすんだ。何日か使ってみないと、薬が効くのかどうかはわからない。


編者の舩田さんから了解が得られたので、『アフリカ学入門―ポップカルチャーから政治経済まで―』を著者割引で買い取って販売できることになった。会員・協力者向け割引価格販売の案内を送ったところ、ボチボチと注文が返ってきている。

執筆者の一人でもある高橋基樹さんへ『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』に関する公開インタビュー、ぜひ来て欲しいと考えていた「私、斉藤さんの紹介を読んで買いました」と言っていた学生は、この夏からしばらく海外に出るそうで、インタビューの時期に日本にいないことがわかった。残念!



2010年7月24日、土曜日午前9時54分。

10年近く前、セネガルで入手してきたと手渡されたENDA-GRAF"Pauvrete, decentralisation et changement social; Elements pour la reconstruction d'une Societe Politique"(貧困、分権化、社会変革;政治的社会再構築のための諸要素)を読み始めた。

貧困を、pauvrete economique、pauvrete relationnelle、pauvrete culturelle、pauvrete symboliqueで定義しているのを見て、派遣村の村長を務めた湯浅さんによる貧困の定義・5つの排除を思い浮かべた。pauvrete symboliqueと「自分からの排除」の重なり方と違い(集団へのこだわり)が興味深い。

貧困は権力の集中と深く関わっており、政治的な分権化にとどまらず、上記4つの領域で分権化(脱中心化と言った方が良いかもしれない)を進めることが貧困問題の解決には重要という指摘はたいへん重要だと思う。



2010年7月23日、金曜日午前7時22分。

今朝は、いつもより1時間早く散歩した。

犬と一緒に散歩している人、公園の釣り堀で釣り糸を垂らしている人、けっこう多くの人を見かけた。

いくらかでも涼しいうちに、と動き出す人たちがそれだけいるのが、よくわかった。

一方、駅前のコンビニには、明らかに朝帰りの人もいる。朝から自転車で動き回っている高校生たちも、どこかで夜明けまで遊んでいたのだろうか?そういえば、もう夏休みなんだ。



2010年7月22日、木曜日午後5時32分。

猛暑日が続いている。今朝7時ごろ、友達の犬と散歩していたら、シャツが汗だくになってしまった。戻ってきたら、TV番組が、ペットが熱中症になったらどうするのか、を放映していた。

昨日、今期最後の授業で、レポートを提出してもらった。12時20分の2限終了まぎわに提出しに来る受講生もいて、受講登録者の大多数が提出した。

これで点数をつけて教務課に送れば終わりだなと思っていたら、夜になって学生から2通メールが届いた。一人は急用で実家へ帰ったために提出できなかったという内容で、もう一人は高熱を発したため提出できなかったと書いていた。

「授業の時に提出という指定なのだから、せめて2限の終わりまでにメールくらいよこせ」とは書かずに、来週の月曜必着で、事務局に送るよう伝えた。

提出されたものを読むと、ワールド・ビジョン・ジャパン、ハンガー・フリー・ワールド、Plasなどなじみのある団体の名前が目についた。

この授業を取らなかったら国連ミレニアム開発目標(MDGs)について知らなかっただろうと書いている受講生も多い。



2010年7月20日、火曜日午前5時7分。

泊まり先の僕が寝ている部屋が暑くて、何度も目が明いた。4時ごろ起き出して、冷たいお茶を飲み、メールチェック。5時には、家主も起き出したので、ベッドからトイレまでの移動を介助。

昨日、請求書・領収書を整理し、通帳を確認しながら振替伝票を書き、パソコン会計で入力した。今年から新しいソフトに替え、事業ごとの資金の流れをより判りやすく記載することになった。なれるのにもうしばらく時間がかかりそうだ。



2010年7月19日、月曜日午前7時20分。

昨夜は、来月初め、国連ボランティアとしてサモアへ赴任する友人の送別会だった。

事務局で、メールの返信、先週末の理事会に提出した報告の整理などのあと、領収書・通帳類と引き合わせながら帳簿付けをやっていたら電話がかかってきた。

「アッ、まだいる!」と言われて、送別会に参加するはずだったことを思い出した。

急いで、事務局を出て、20分ほどの会場へかけつけたら、40人近い参加者でギュウギュウ詰めだった。

自己紹介を聞いていると、友人が先月まで在籍した職場のスタディツアーでスリランカ、ネパールへ行ったという保健医療の仕事についている人、学生が多く、参加者の平均年齢は30歳に達していなかったと思う。

僕が着いたテーブルでは、国際機関のスタッフとして働いている人の話を、国際協力に関心のある若い女性たち(話していたのも女性たちでした)が熱心に聞いていた。

同じビル内の別の店へ移動しての2次会にも、15人ぐらいが参加した。

支援先の事務所をまず整理整頓しましょう、という働きかけをしている。整理されてきれいになると働いている人たちは、気分を良くして、普通のこととして整理整頓をするようになるのだけれど、そのことが支援にどのように好影響を及ぼしているのか、どういった成果につながっているのか、と聞かれると、返すことばに困ってしまう。

という話に、中央アフリカ共和国でエイズ診療所を運営しているアフリカ友の会・徳永さんが「薬はあるのに、必要な時にパッと出てこなかったり、有効期限切れが近いからと急に大量に配られたりするのが困るのよね」と話していたことを思い出した。


連続公開セミナー「飢餓を考えるヒント第3回」で紹介した佐久間智子著『穀物をめぐる大きな矛盾』(筑波書房、2010年)が、アマゾンで少し動いた。史上最高の食料生産が達成された2008年に世界規模で食料価格高等による食料危機が起きたのはなぜか?をわかりやすく説明している本だ。本体価格750円のブックレットなので買いやすいのだろう。



2010年7月18日、日曜日午前8時39分。

7時をちょっと回ったところで起き出し、洗濯をしに行った。

今日の予想最高気温は34度。まだ、涼しい朝のうちに、作業の一部を片づけたい。

これから朝食。冷凍しておいたごはん、冷たいみそ汁、小松菜煮付け、丸干しイワシ、納豆を食べる。



今日は2010年7月18日、日曜日午前5時46分。

目が覚めてTVを付けたら、コンニャクづくりに関わるドキュメンタリーをやっていた。

まだ、寝ててもいいんだ、と横になっていたが、to doリストが目の前に浮かんでくるので、起き出して散歩した。

まだ日ざしも柔らかく、iPodでメールをチェックしながら、気持ちよく20分ほど歩いた眠くなった。これから、もう一眠りする。

昨夕届いていた、英国留学中の友人からのメッセージに、「シェアメイトたちから、東アジアには肥満体形の人が少ないね、と言われています」とあるのに、昨夜夕食をご馳走になった友人宅での会話に出てきた「ルポ貧困大国アメリカ」が連想された。



今日は2010年7月17日、土曜日午前10時39分。

鍼の予約を入れた。首の付け根、背中の一番上のあたりが重い。今朝は、いつもより2時間ほど余計に布団の上にいたが、そのくらいでは、疲れが抜けない。

今朝、じゃがいもとベーコンを焼いて食べようかとじゃがいもの皮をむいているうちに気が変わって、みそ汁をつくった。じゃがいもとキャベツ、麩のみそ汁だ。

冷凍しておいたごはんをあたため、黒豆納豆、トマト、みそ汁、丸干しの朝食をとった。週の初めに煮たトラ豆も一皿分。これでトラ豆が終わったので、青大豆を水に浸した。甘くて柔らかいトラ豆もよいが、最近のお気に入りは、山形産の青大豆だ。大粒の豆で、ほんのり甘くてかみごたえがあるのがよい。

昨夜は豆腐。冷蔵庫の常備品がトラ豆水煮、納豆、小松菜と油揚げ煮付け、と毎食、何かしら豆を食べている。

昨夜、6月の会員総会で選出された新しい理事会の最初の会合だった。今期、初めて理事になった津山さんが、遺伝子組み換え作物・生物多様性条約COP10に関わる日本・アフリカの社会運動・NGOとの連携を作っていく作業を中心になって担うことを確認した。

また、南アフリカへ英語図書と移動図書館車を送り、移動図書館車の運行支援、学校図書館・菜園づくりの支援活動を行っているアジア・アフリカと共に歩む会の活動実績を、SAPESI & Sapesi-Japanが自分たちの実績であるかのように広報している問題、そしてソニーがCSR活動の一環としてSAPESI & Sapesi-Japanの広報をそのまま受け入れて広報している問題についての提起があった。ソニーへ、SAPESI & Sapesi-Japanが行ったものではない活動の写真および報告を削除し、この問題について説明を行うことを申し入れているとのことであった。適切な時期に、NGOの広報とCSRにあり方に関する問題提起をする報告会を行うことを確認した。



今日は2010年7月16日、金曜日午前6時13分。

昨日、神戸大学大学院で国際協力を教えている高橋基樹さんが、事務局に立ち寄ってくれた。『開発と国家 アフリカ政治経済論序説』に関する公開インタビューの日程と会場について打ち合わせ、9月初めもしくは9月最後の月曜日に東京で開催することになった。関心を持っている会員、学生にどちらの日程がよいか聞いた上で、最終決定し、場所を確保することになる。

本に書かれていることについて著者に質問したい人、読もうと思うのだけど本の厚さに躊躇している人、などなど関心のある方は、事務局へ連絡下さい。

事務局が、現在のスペースに移る前、同じフロアの反対側にいた時にも、丸幸ビルに用があると立ち寄ってくれたことがあった。打ち合わせの後、6FのJVCへ行くと席を立った。小一時間後、事務局隣のオックスファム会議室で、数人の研究者と一緒にオックスファムのアドボカシー担当・山田君に話を聞いていた。NGOに関する研究会に参加しているのだろう。

以前、立ち寄ってくれた時は、『アフリカ経済論』のエイズ危機に関する章の記述について話をした。「ハイ・リスク・グループ」という表現が、「感染源」をイメージさせることから、「ヴァルネラブル・グループ(感染の危機にさらされているグループ)」という表現が使われるようになったことを話した覚えがある。



今日は2010年7月12日、月曜日午後1時59分。

先月半ば、元インターンと会員の結婚式に参列しました。挙式から参列するのは、しばらくなかったな、と思いながら行った国際基督教大学(ICU)礼拝堂で、久しぶりに歌った日本聖書協会版讃美歌第312番、なつかしくて時々歌っています。

mixiの日記に書いていたら、転記しようと思ったのですが、書いていませんでした。

三鷹には、大学の3年目(1976年)から1980年末まで5年近く住んでいたのですが、同じ三鷹市内にあるICUに行ったのは初めてでした。広くて高い建物のないキャンパス、すごいですね。

挙式を司祭した牧師が、カトリックの儀礼服みたいなかっこうしているのに、驚きました。

礼拝堂内の挙式は、それなりになじみのあるものでしたが、礼拝堂を出たところで参列者が二人に向けて花びらを蒔いたし、新婦がブーケ投げをするなど、けっこう楽しむ結婚式でした。

披露宴は、吉祥寺のホテルが会場でした。

参加者は、二人の学生時代の友人たちと親族がほとんどで、僕の肩書きは「新郎・新婦友人」となっていました。

二人が知りあうきっかけとなった、AJFアフリカひろば担当スタッフがケニアでJICAの仕事に携わっており、後任者は、今年入学した看護学校の用事で参加できない、ということだったので、僕が乾杯のあいさつをしました。

もうしばらくすると生まれてくる子どもも一緒に、一家そろってアフリカキッズクラブに参加して欲しいとあいさつした後、乾杯の音頭を取りました。

新郎の劇団仲間によるパフォーマンスが楽しい披露宴でした。

ああいう集まりだと、機会があったら参加するのもいいなと思います。



今日は2010年7月12日、月曜日午前6時3分。

昨夜は早くに横になった。午前1時半ごろ、一度、目が覚めたのでTVを付けたが、まだ、ワールドカップ決勝戦は始まっていなかった。

雨が降っていて強い風が吹いていたので、窓を閉めて、もう一度横になった。

4時半に起きたら、決勝戦後半だった。0-0のまま、延長に突入した。

6時ちょっと前、延長戦の後半、ロスタイムに入るところでスペインがゴール。スペインの初優勝が決まった。昨日、たまたま目にしたクライフ(最初に書いたベッケンバウアーは記憶違いでした)の予想通りの結果だった。

参院選の開票結果もほぼ確定した。民主党は大幅に議席を減らし、自民党が13議席増、みんなの党が10議席、自民離脱組も改革、立ち上がれ日本が各1議席と、何と言えばいいのかというような結果だ。

福島さんは当選したが、保坂君はダメだった。



今日は2010年7月11日、日曜日午前6時3分。

昨日は、久々の休日で、お昼ごろまで布団の上に転がっていた。それでも眠たくて、夜10時に寝ついた。

今年は7月に入ってからも、夜は涼しいので、よく眠れる。それでも、睡眠パターンが変わったせいで、朝はこんな時間に目が覚める(昨日も、一度、このくらいの時間に起きだし、冷蔵庫の中にあった大豆の水煮とヨーグルトを食べ、入浴してからもう一寝入りした)。

天気予報によると、午後の降水確率は50%、夕方、雨が降りそうなので、朝、投票したらそのまま用事を済ませに事務局まで行ってこようと考えている。

先週木曜日、連続公開セミナー「飢餓を考えるヒント」第2回「アフリカの食料安全保障と国際的土地取引」を開催した。AJF、ハンガー・フリー・ワールド(HFW)、日本国際ボランティアセンター(JVC)、明治学院大学国際平和研究所(PRIME)共催セミナーで、今年が3年目のシリーズになる。シリーズごとに作成しているリーフレットのPDFをウェブサイトにアップロードすることも、今日の用事の一つだ。

「食料価格高等がアフリカ諸国におよぼす影響」というシリーズから始まったセミナーで、アフリカと食料安全保障が共通のキーワードということになる。このキーワードを共有するNGOに企画・運営への参加を呼びかけていこうともしている。

セミナー終了後、平和研に移動して、ピザをつまみながらの話の中で、NHKがこの春から毎月1回放映しているNHKスペシャル「アフリカンドリーム」のことが出た。同じ取材班が制作したドキュメンタリーでも45分の「アフリカンドリーム」と90分枠のBS番組では、かなり印象が違うそうだ。この日、セミナーで取材体験を話してくれたNHKの記者も、「取材したことの15%くらいしか番組に反映できない」と話していた。どうしても「単純化」されるそうだ。

ニュース番組で、国際ニュースになるととたんに視聴率が下がるという話も、気になった。国際的な課題と日本国内の問題との共通項(直接のつながりというよりも、同じ構造上の問題)があることにもっと注目したら、関心を呼ぶニュースになるのではないかとも思う。

最近、読んだ本に、途上国の直面している食料危機と、米国や日本の貧困層だけでなく高齢者や障害者・子どもなど食料アクセスが困難な人々の直面する問題とは、共通する食料生産・配分の構造に起因していることが書かれていた。以下、本の紹介文をそのまま転記する。

2008年の世界食料危機を契機にまとめられた"Food Rebellions! Crisis and the Hunger for Justice"の最後は、米国のFood Desertに関わる取り組みを紹介しています。
この本によれば、世界最大の食料輸出国である米国には、2種類のFood Desertがあります。
一つは、米国中西部から南部にかけての「穀倉地帯」で、人口密度の低いこの地域に住まざるを得ない農業労働者や失業者たちは、車がなければ日々の食料を購入することもままならず、燃料価格そして食料価格の高騰は、彼らの生活を直撃したと言うのです。
もう一つは、都市の低所得者居住地域です。購買力の弱い低所得者を主要な顧客とする小規模店舗がなくなっただけでなく、かつては進出したスーパーマーケットも撤退して、新鮮な食料を入手できない地区が広がっているそうです。
そうした地域では、食事にバランスが良くないことに起因する疾病の発生率が、そうではない地域に比べかなり高いそうです。
郊外にショッピング・モールが作られるごとに、市街地から店舗がなくなっていく状況は、日本でも同様に進行しており、「買い物難民」問題として注目されています。
食料危機と買い物難民、もっとつなげて考える必要がありますね。

以下、"Food Rebellions! Crisis and the Hunger for Justice"の目次です。

Foreword by Walden Bello
1 Introductio to the Global Food Crisis

Part One - The Real Story Behind The World Food Crisis
2 Hunger, Harvests and Profits: The Tragic Records of the Global Food Crisis
3 Root Causes: How the Industrial Agrifoods Complex Ate the Global South
4 The Overproductio of Hunger: Uncle Sam's Farm and Food Bill
5 Agrofuels: A Bad idea at the Worst Possible Time
6 Summining Up the Crisis

Part Two - What We Can Do About It
7 Overcoming the Crisis: Transforming the Food System
8 Africa and the End of Hunger
9 The Challenge of Food Sovereignty in Northern Countries
10 Epilogue

7では、世銀・UNDP・FAOほかのジョイント・イニシアティブであるthe International Assessment of Agricultural Knowledge, Science and Technology for Development (IAASTD) が準備し、2008年4月、南ア・ジョハネスバーグで採択されたレポートが小規模農家による有機農業を含む取り組みを重視したために、無視されている状況を伝えています。

the International Assessment of Agricultural Knowledge, Science and Technology for Development
 http://www.agassessment.org/

上記の本は以下で購入することができます。

Food Rebellions! Crisis and the Hunger for Justice
Eric Holt-Gimenez and Raj Patel
Food First Books (2009/7/21)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/093502834X/ryospage03-22


今日は2010年7月8日、木曜日午前5時23分。

スペインがドイツに勝って、初の決勝進出! 今回のワールドカップでは、ブラジル・ドイツ・イタリア・アルゼンチン・ウルグアイ・フランス・イギリスに続く(?)新たな優勝国が生まれる!

昨日、今回の参議院選挙に関して思うことを書いたら、以前書いたことをいくつか思い出した。で、以前の日記を読み返していたら、2001年12月に「フランス語も読む努力をしています」なんて書いていた(同じ年の日記に、矢井田瞳のコンサートをNHKの深夜放送で観て、気に入ったことも書いていた。CDから取り込んだアルバムが1枚、iTuneストアで購入したアルバムが2枚、このところ繰り返し聴いている)。去年、"Le Monde selon Monsanto"をなんとか読み通せたので、先日、ズッと机の上で眠っていた"LA POPULATION DANS L'HISTOIRE DE L'EUROPE"を読んだ。刺激的な本だった。買っておいて良かった(1999年にブリュッセルへ行った時に買った。ユネスコのアフリカ史第8巻も、同じ店で買った記憶がある)。

部屋には、20年近く前に、アルウィン君が見つけてまとめて買っておいてくれたハンス・ファラダの作品も一揃いある。紙が変色したりもしているが、こちらもボチボチ読みたい。



今日は2010年7月7日、水曜日午後5時7分。

参議院選挙に、昔なじみが2人立候補している。2人とも、僕と同じ1955年の生まれで、なおかつ2人とも同じ政党から同じ選挙区に立候補している。
というので、11日、投票所へ行って、どちらの名前を書いたものかと迷っている。

保坂展人君と出会ったのは、20歳になったばかりの頃だ。
所属学科の教員に教えられて内申書裁判の傍聴へ行って知りあった。
彼が同じ年の仲間と立ち上げたばかりだった青生舎で、一緒に学習会をやったことを覚えている(何を読んだのかは忘れてしまった)。
10年ほど前、日本の援助で作られるケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電所の環境破壊問題を国会でとりあげた彼に久しぶりに会った。
国会質問の回数で一、二を争う彼には、国会へ戻って活躍して欲しいと思う。 (2005年9月の総選挙時に、彼の主張に触れて、こんなことを書いた「憲法9条という争点」

もう一人、同じ年生まれの福島みずほさんは、この間、メディアに登場することも多いので皆さんご存知と思う。
ちょうど30年前、まだ学生だった頃、反原発ゼミを一緒にやった仲間の一人だ。
その時の仲間とは、数年前まで、年に一度は合宿をやっていた。
一昨年、久しぶりに合宿をという声があがったが、日程調整にもたついているうちに日が経ってしまった。
10年前のモザンビーク大洪水後の被災者支援活動の中でクローズアップされた、モザンビークに日本から援助物資として送られて使われないまま放置されているオブソレート農薬(使用期限切れ農薬)の処理問題の際、福島さんはモザンビークまで足を伸ばして現場を見てきた。

こんなふうに書いてみると、単に昔からの知りあい、友人というだけでなく、アフリカに関わる問題での取り組みも注目すべきものがある2人だ。
どちらの名前を投票用紙に書くのか、当日まで悩むことになりそうだ。



今日は2010年7月5日、月曜日午後4時7分。

昨日の京都大学アフリカ地域研究センター東京公開講座「アフリカ研究最前線」、会場に遅れて到着。品川駅前すぐのビル内が会場だが、ホームについて改札を出るまでに2分、改札からビルの入り口までは3分ほどだが、エレベーターで27Fへ行くのも同じくらい時間がかかった。

月曜にメールをもらった時には、申し込み数が17であせっているとのことだったが、会場内はほぼ満杯。やはり直前に申し込みが相次ぐという傾向があるのだろう。顔ぶれを見ると、AJFのMLや同報メールでの案内を見たのだろうと思える参加もあって、よかった。

山越さん、太田さんの話はいずれもたいへん興味深かいものだった。

山越さんは、近年、チンパンジーの行動研究からチンパンジーと共存する村のあり方に関心が移っている、研究をしている村に近年設けられた政府機関に対する抗議行動として村人たちがチンパンジーが暮らす森を切るという事件が起きて、「科学的」な環境保護に関する考え方と村の人々がチンパンジーもいる村を作ってきた中で培ってきた考え方とがぶつかるという経験をして、これまでとは違ったアプローチが必要ではないかと考えている、と話していた。

山越さんの、トトロの森とギニア・ボッソのチンパンジーの森を対比させながら『里山の思想』につながるアフリカのローカルな知の可能性を提示するプレゼンが、たいへん刺激的で、この間、考えていたことや以前から気になっていたことがいくつも頭に浮かび、ついついしゃべりすぎてしまった。

懇親会の会場へ移動したら、学生2人組に声をかけられた。

質疑で何度も発言したので、関係者と思ったようだ。

懇親会では、食べるのも忘れて話している参加者がいた。アフリカ研究の方法や課題について、具体的に語り合う場を求めている人が少なくないことを実感した。



今日は2010年7月3日、土曜日午前5時36分。

目が覚めたので、ガーナvsウルグアイ戦どうなっているかとTVをつけた。ウルグアイがフリーキックを直接決めて同点に追いついたところだった。

どうなるのかと気になって、横になっていても眠れないので、起き出して、このページを更新している。

昨夜、久しぶりに会った昔からの仲間が、「ホームページ、ほとんど更新されていないな」と言った。時々、見ているとのことだった。

「NGOの事務局長の日常に関心を持っている人はいるんじゃないの」と言われると、更新しなきゃという感じになる。

と思って、自分の書いたことを読み返すと、会報の内容、インターン修了式、NGO論の授業と、書いていることは、仕事に関わることばかりだ。AJFの企画案内、内容紹介は、AJFウェブサイトに掲載しているから、こちらでは、僕が何をやったのかを書き留めておくと、参考になるのかな、と思う。


6月は、週末ごとに企画があり、年に1度の総会もあってたいへんだった。

昨日、6月5日に開催したアフリカひろばの報告に写真を追加した。

先月から、週1日勤務している広報インターンがウェブサイト更新作業のかなりの部分をやってくれている。

3月に募集をかけた時には「HTML文書を扱えること」という条件がネックになって応募者がいなかった。先月から勤務している学生も、HTML文書は扱ったことはないとのことだったが、TICADアドボカシーチーム担当のインターンに、タグの見方を教わり、エディターでHTMLを書き直しては結果をブラウザーで確認しながら作業を繰り返しているうちに、HTML文書の扱いにすっかり慣れたようだ。

会員に活動を報告し支持を得る場であり、また特定非営利活動法人として東京都に提出する活動報告を確定する場でもあって、きわめて重要な会員総会を、今年は6月20日に開催した。

仕事で滞在中のブルキナファソ、ボツワナから「書面による表決」を送ってくれた会員もいて、書面参加も含めて過半数の参加があった。

会計報告に記載された5つの事業分野ごとの支出の総計はいくらになるのか、2009年度の支出が数十万円だったのに2010年度には数百万円の支出が予定されている事業分野があるのはどうしてか、といった質問はあったが、やっている事業そのものを問題にする議論はなく、2009年度事業報告・決算、2010年度事業計画・予算が承認されてホッとした。

2年に1度の役員選挙は、立候補者が定員内だったので信任投票となった。全員が信任され、前期に引き続き、代表理事・林達雄、副代表理事・小島美佐、事務局長は僕で行くことになった。

東京都への事業報告書・決算書・役員変更届の提出は終わり、新たに理事になった津山さんの理事就任承諾書が届くのを待って、東京法務局に変更登記申請書を出す。

その後、会員総会での質疑をまとめた報告を作成し、会員に送り出すと、総会関連の作業は一区切りつく。

ワールドカップ開催中にと26日に企画したAJF公開座談会「私にとっての南アフリカ」、会員総会が終わって参加申し込みを確認したところ、思ったよりも少なく、あわててAJFの企画に参加したことのある人たちにbcc同報メールを送ったり、イベント案内に投稿したりした。

当日、事前申し込みのなかった人も含めて24人の参加があり、質問もたくさん出たので、よかった。

今日は、在日アフリカ人家族の生活を考える会、明日は会員が関わっている京都大学アフリカ地域研究センター東京公開講座参加と続くが、今月は、週末の予定に余裕があるので少しのんびりできそうだ。



今日は2010年4月21日、水曜日午後7時43分。

今朝、乗った電車が地下鉄へ乗り入れる駅で10分近く停車した。やっと動いたものの、地下鉄駅でまた停車。「お急ぎの方は、2番ホームの到着の電車が先に発車します」のアナウンスがあって、乗客の波に流されるように移動した。

早めの電車に乗ったので、今日が今学期2回目の授業には遅刻せずにすんだ。

去年は配布できた国連開発計画(UNDP)の国連ミレニアム開発目標(MDGs)のリーフレット、もう在庫がないとのことで、pdfをプリントアウトした版下を使って印刷した。授業で声を出して読んでみると、なるほど2008年のリーフレットなので、進捗報告・課題の書き直しが必要なところがあるのかな、という感じだった。

1995年にコペンハーゲンで開かれた社会開発サミット公約と読み比べてみると、誰しもが反対しない内容にするために、人権に関わる記述がほとんどないことに改めて気がついた。社会開発という用語に込められた権利主張も避けられたようだ。

それでも、国連ミレニアム・サミットで全会一致での採択、グローバル・パートナーシップの明記は、現在のNGOの活動にとって大きな意義を持っていることも、感じざるを得ない。



今日は2010年4月4日、日曜日午後0時4分。

3月31日に、2009年度NGO研究会報告書・会計報告提出、原稿提出、インターン修了式開催とこなしたら、脱力してしまい、ボーッとしているうちに4日になってしまった。

昨日になって、まだ残っている宿題がそれなりの量ということが判明し、今日も職場でMACに向かっている・・・


忘れないうちにインターン修了式について書かないと、宿題に取りかかる気分にもなれないので、まずこちらから。

2009年度のインターン修了者は計5人で、この日、修了式に参加したうちの2人は4月〜3月の1年間、1人は12月〜3月、最後の1人は2月〜3月の勤務だった。1人は、去年の11月にインターンを修了し、青年海外協力隊員としてエジプトに赴任したはずだ。

職場の隣の会議室で、午後5時半から修了証書授与式を行い、若干のアルコールとスナックを囲んで歓談した。

「これまでアルバイトも1年続いたことがなく、不安だったけれど、1年間やれてよかった」という感想もあった。

2008年度の修了式では、年度途中にインターンのサポートを担当する職員が退職してこともあって、「インターンを取るなら最後までサポートできる体制でやらなくてはダメですよ」というきついアドバイスがあったことを思い出し、「よく1年ちゃんとやってくれた」と感謝したい気分だった。

その後、職員3人・インターン修了者4人計7人は、六本木のナイジェリア・レストランに会場を移して感謝パーティへ、職員1人は仕事のつながりの飲み会へ。

2軒あるはずのレストランのうち、ファースト・チョイスのお店が見つからず、2年前と同じレストランへ(後で、ファースト・チョイスのお店を勧めてくれた人のメールが、スパム・ボックスで眠っていたことが判明した)。

まだ早い時間だったせいか、注文への反応も素早く、ナイジェリア料理を楽しむことができた(選択の重要な指標として、注文してからどのくらい待たされるのか、というのがあり、このお店はその点が最大の不安だった)。

感謝パーティがもりあがった勢いで、六本木交差点近くの立ち飲みショップに移って二次会。

「つきあうのならどんな人?」「どんな恋愛をしたい?」「14歳年上の女性ってどう?」と話が盛り上がっているところへ、赤坂での飲み会に参加していた職員も合流してさらにヒートアップ。

すでに脱力気味だった僕は、直通電車に乗れる時間にと、先に帰りました。

翌日、聞いたところでは、みんなして午前1時過ぎの帰宅だったようです。



今日は2010年2月10日、水曜日午後8時27分。

今月末発行予定のアフリカNOW第87号に、「顧みられない病気のための新薬イニシアティブ(Drugs for Neglected Diseases initiative: DNDi)」に関するインタビューおよびDNDiのこれまでの成果をまとめた特集を掲載する。(地球規模の)疾病負荷(Global Burden of Diseases)に対する取り組みの一つとして、もっと知られるべきだと思う。


腹筋・背筋、毎日やっているので、10回ずつなら大丈夫になった。


8日の日曜日、三軒茶屋から祐天寺・中目黒・目黒と歩き、一息ついた後恵比寿まで歩いた。サッポロビール工場跡地を再開発した周辺は、僕の住んでいるあたりと比べると、高級住宅地という感じがする。置いてある車が違っているのもあるが、何よりも一軒あたりの大きさが違う(松濤周辺で見かける大きな門と高い塀に囲まれた大邸宅ではないけれど・・・)



今日は2010年2月3日、水曜日午後7時12分。

「農業と経済」臨時増刊号用原稿、「現代思想」3月号用原稿、アフリカNOW第87号用原稿と、年末から抱えていた宿題を終わらせた。
けっこういろんな場面で使われて(地球規模の)疾病負荷(Global Burden of Diseases)ということばになじんだ。
来月末が締め切りの文章に盛り込むべきことがまたクリアになった。


昨年秋、区から案内をもらって受けたメタボ検診で、肝臓の数値に問題があることがわかった。
で、MRIを受けたし、明日は採決、再来週に胃カメラで内蔵を見ることになっている。
そんなこともあって、昨年11月21日から断酒している。
先々週末、久しぶりに会った友達がダイエットしているというので、僕の方は、腹筋・背筋を朝夜にやることにした。
1年くらい前にやった時は、一度にがんばったせいでおなかの筋肉が痛くなってしまった。
今回は、7回ずつのセットを朝と寝る前に1セットやるようにしている。




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アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティ−ブン・J・グ−ルドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きました。


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