斉藤 龍一郎の近況です

今日は2006年12月11日、月曜日午後10時35分。

自分の部屋でウェブにアクセスできるようになりました。でも、今日は職場でメルマガ発送まですませて、これから帰ります。

先週は、金曜夜に理事会、土曜は朝からNGOワークショップ、夜はパーティー、日曜日も午後はNGOシンポジウム、と続いたので、休まりません。

それでも、一つずつ終わっていくと、ホッとします。パーティー参加者から「入会したい、資料送れ」なんていうメールがくるとうれしいです。Illustratorでテキストの回り込みもできるようになって、やっと発注できました。

福島ゼミで「希望について」を読む』というページを立ち上げました。



今日は2006年11月19日、日曜日午後4時53分。

MacBookを使い始めて初めて、モデムが付いてないことに気がつきました。やむなく事務局へ来て、メール確認とウェブ更新をしています。

12月9日に「2006年 今年のアフリカを振り返る」パーティーを開催するので、案内を送らなくてはなりません。

で、作業をしていたら、電話がありました。遺伝子組み換え作物に関する取り組みを行っている人からでした。電話で話を聞いて、12月2日に開かれるシンポジウムと親睦パーティーに出席することを決めました。


昨日「超・格差社会アメリカの真実」を読み終わりました。アマゾンのカスタマーズ・レビューを見て、これはと思い、橘木俊詔著「格差社会」、橋本健二著「階級社会 現代日本の格差を問う」と一緒に買ったのです。行間から、1975年の日本社会には、社会の半数を占める女性にキャリア・パスがないという格差社会があった、だから、私は米国での大学院進学と就業を選んだんだ、という声が、聞こえてきます。



今日は2006年10月31日、火曜日午前7時42分。

目が開いたら、いつもの起床時間。体が時間を覚えているのでしょうね。

2年前に買ったiBook G4余りに調子が悪いので、Core DuoのMacBookの一番安いやつを買いました。今回は、アップル・ケアもセットです。

昨日、事務局に届いたので、今まで使っていたiBook G4からデータ転送をしました。

MacBookを立ち上げると、一番最初の画面で、古いマックからデータや環境を移転しますか?と質問。

iBookをファイアワイアのケーブルでつなぎ、指示に従って再起動させると、データ転送の開始。

1時間半くらいで、メールのデータやアプリケーションまで移って、全く同じ環境で動き出しました。先週金曜日、事務所に届いたWindowマシンへ古い古い98マシンからデータを移すのに半日かかったのとは、違うなぁ。

そういえば、事務所で使っているWindowマシンには、スパイウェア対策ソフトもインストールする必要があることが判ってしまった。PCがないと仕事ができないから、やむを得ないですね。



今日は2006年10月28日、土曜日午後0時23分。

晴れていて暖かいです。

今朝は、人のいない事務局で、新しいPCの設置作業。ケーブル類の整理を試みたもののどうにもなりませんでした。

昨日、iPodが復活したので、データ・アップデイトと充電中。バッテリーがダメなのかなと思ったのですが、よくわからないままとりあえず動いています。

2004年6月に購入したiBook G4は、スリープから復帰できなくなったばかりか、すんなり起動しないので、何度も再起動を強いられるという状態です。しかたがないので、昨日、MacBookを発注しました。Core Duoマシンはどのくらい速いのか、楽しみでもあります。

火曜日の朝受け取って読み終わった市野川容孝著「社会」に事実誤認記述がありました。メールで伝えたところ、「落ち込んでいます」との返事が来ました。論旨に影響を及ぼす記述ではないので、これを機に事実関係をわかりやすくまとめた資料や書籍の必要性を訴える方向で働きかけができるといいかな、と考えています。



今日は2006年9月12日、火曜日午前7時19分。

今朝も雨。

先週末、金曜夜に東大先端研のワークショップで「障害者の経済学」の著者・中島さんの話を聞き、土曜日にJICA東京で南部アフリカ障害者セミナーに参加。日曜日には、AJF事務局の入る丸幸ビルで「NGO祭り in 上野」と続いた。さすがに疲れて、昨日の朝は、左足ふくらはぎがけいれんを起こした。ふくらはぎを右足かかとで押さえていると、左の太もも内側もピクピクッとするので、どうなることかと冷や汗が出てしまった。

「国連 砂漠と砂漠化に関する国際年」についてどのくらい書いたものか、検討中。

先月半ばに読み始めたDonna J. Haraway "Modest_Witness@Second_Millennium.FemaleMan_Meets_OncoMouse"、三分の一読んだところで小休止。

先週、アマゾンで「ぼくもあなたとおなじ人間です。―エイズと闘った小さな活動家、ンコシ少年の生涯」のレビューを書いたのに、まだウェブに載っていない。



今日は2006年8月16日、水曜日午後4時49分。

今日は、職場に一人。

一人は、明日まで夏休み。もう一人は、日曜日の代休。

AJFウェブサイト内、感染症研究会(アーカイブ)ファイルを時系列・国別・事項別の三つのインデックスからリンクする作業がほぼ終わった。

ずっと机の上に積んでおいたDonna J. Haraway "Modest_Witness@Second_Millennium.FemaleMan_Meets_OncoMouse"を読み始めた。

興味深い知的財産権に関する議論が展開されている。



今日は2006年8月9日、水曜日午前11時6分。

台風9号は、西表の南方海上を通り越し台湾に上陸した。台風8号が沖縄に近づいていて、今日は那覇へ飛ぶ飛行機は欠航している。

今朝、西表・上原港から石垣までの高速船がまだ動いているので、石垣までやってきた。今夜は、白保の民宿・船着場に泊まる。

この民宿には、白保に建設が予定されていた新石垣空港反対と染め抜いたTシャツが飾られている。



今日は2006年8月8日、火曜日午後3時36分。

西表へ来て4日目。台風が近づいているため海に入れない。

昨日は、初めての体験ダイブ。きれいな魚の群れを見ながら、青い珊瑚礁がよく見える方へ引っ張られて行った。

友達の一家は、そろって焼き物をしている。僕は、6年前と同じ部屋で、高校野球の中継と台風情報を横目に見ながら、感染症研究会アーカイブのリニューアル作業を少しした。

2001年から去年の春までアップしたものの、今年初めのウェブサイト・リニューアルの際そのままになっていたファイルを時系列、国別、項目別のインデックスからリンクするように整理している。

「The Mismeasure of Man」を読んだのは、6年前、今泊まっているところから少し先の民宿でのことだった。その年は、先に石垣島の白保で2泊して、西表へ来たのだった。



今日は2006年7月11日、火曜日午後5時10分。

今日は、昨日の夜と交代で日中の介助。

ちょっと前まで雨が降っていたが、もうやんでいる。自転車で帰る時に雨はつらいから、助かった。

5月の連休の際、タイプして電子テキスト化した「Poverty, Street Children and AIDS(貧困、ストリートチルドレンとエイズ)」というレポート集の序文の翻訳チェックをやっと終えた。

仏文、英文の序文を見比べると、英文には抜けているところがあり、仏文が原文のようだ。で、仏語ができる協力者二人に分担して翻訳してもらった。

以下のページにアップしてあるので、見比べてチェックしてもらえるとうれしい。気がついたことがあれば、僕宛のメールで教えて欲しい


昨日、届いた『エイズ感染爆発とSAFE SEXについて話します』を読んだ。国際医療センターでエイズ医療を担当している著者が、20代〜30代の女性4人とエイズをめぐって座談会をやった記録、著者が担当している20代女性の患者さんとの対話が収められていて、興味深かった。感染経路ごとの感染可能性、現在よく使われている治療薬(抗レトロウイルス薬)のほぼ実物大の写真、治療薬の副作用についての解説など、かねてから知りたかたったことが書かれていて、読んでよかった。1029円の本なので、皆さん、読んで欲しい。



今日は2006年6月29日、木曜日午前7時56分。

先々週の土曜日、AJF会員総会会場で、立岩真也著『希望について』を購入した。

著者が新聞・雑誌、学会誌などに執筆した文章が収録されており、そのうちの三分の一くらいは、著者のウェブサイト(http://www.arsvi.com/)で読むことができるが、新たに付けられた注が興味深い。

昨年、クォータリーあっと第二号に掲載された『限界まで楽しむ』には、この数年一緒にアフリカのエイズ問題にどう取り組むべきかについて考えてきた河野さんの著作が参照されている。2001年から2003年にかけて僕が中心となってまとめた『エイズとアフリカ資料集』をベースにした資料集『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ』を立岩研究室で作成・販売していることも記されている。ぜひ一読して欲しい。


ジブリ版『ゲド戦記』公開が近いせいか、このサイトを経由してアマゾンでアーシュラ・ル・グインの作品を買ってくれた人がいる。ル・グインの作品が売れるのはうれしい。



今日は2006年6月22日、木曜日午前7時56分。

小雨が降っていて涼しい。

昨日は、午前10時からのスタッフ・ミーティング、午後1時からの事務局会議、続いて食料安全保障研究会公開セミナー打ち合わせ、最後に11年目研修でNGO訪問をしたいという千葉県の教員との面談と続き、帰る頃には、それぞれの課題で頭の中が整理のつかない感じだった。

で、今日の仕事をどう進めるのか、手順と課題の整理だ。

  • ボランティア希望者へ返信
  • 理事会MLへ日程確認表を送信
  • 新役員へリマインド・メール
  • 東京都提出書類の作成・確認
  • 7月15日開催公開セミナー案内
  • アフリカ・プチ辞典増補改訂に関する連絡

先週土曜日にコピーをもらった、ケニアの園芸作物輸出と英国スーパーマーケットのコードの関係を論じた卒業論文を読んだ。ニュースなどで、ヨーロッパ諸国向けの切り花、野菜、果実輸出が、ケニア・エチオピア・ジンバブエなどで増えているらしい、と感じていたので興味深く読んだ。モロッコとケニアが特に大きなシェアを占めていること、英国のスーパーマーケット・チェーンとの取引拡大で、近年急速に輸出が増えていること、購入者の要求(コードが定めるさまざまな規定)を満たすことができる一部の生産者の輸出が大きいことなどが、分かりやすくまとめられており、なるほどと感じた。

読書ノートの整理、障害者に関わる本、エイズ関連本の紹介ページ作成が、当面の課題だ。



今日は2006年6月9日、金曜日午後3時49分。

「今日、梅雨入り」とニュースが伝えている。今、窓の外を見ると、曇り空だけれど歩いている人が傘をさしていない。

先週末は、長野県上田の長野大学で障害学会、その前の週末は大阪大学吹田キャンパスで日本アフリカ学会に参加した。明日・明後日と明治学院大学で平和学会がある。南アから来日しているビクターさんも登場するので、会いに行く。

学会で二世代くらい若い人たちを見かけると、その年頃に出くわしたシーンがフッと思い浮かんだりする。目次しか用意できないまま臨んだゼミの発表のシーンは覚えていない。Paulo Freireが書いた「被抑圧者の教育学」の英語版ペーパーバック(Pedagogy of the Oppressed)を生協の書籍売り場で見つけたことは覚えている。

障害学会では、「障害学生の就学支援」というシンポジウムが行われた。昨年の東大バリアフリーシンポジウム会場で入手した報告書で名前だけ知っていた末森さんも登場し、ユーモアあふれる話をしてくれた。「大学に入学して一ヶ月くらい経ったら、五月病で学校を休んでいた。ということになっている。ほんとは、大学生になって東京へ出てきてうれしくて遊び歩いていた」。そりゃそうだ、と思いながら、思い返すと、その頃の僕は割にまじめに授業に出ていたようだ。仏語、生物実験(前期、後期は化学実験だった。2年生の前期が物理実験)、体育はほぼ皆勤だった覚えがある。英語、解析、物理化学には割合出てる。教科書があった線形代数は数えるほどだったような気がする。

教養のクラスで行った旅行で飲んだスプライト割りVOの味など覚えていないが、北鎌倉から歩いたハイキングのずっと後になって仲良くなったお茶大の学生のことは覚えている。



今日は2006年4月5日、水曜日午後2時23分。

一度入院させて戻ってきたiBookがほとんど機能していないので、調べがつかないメールアドレスがある。早く、修理に出さなくてはならない。

Witness to AIDS」(Edwin Cameron著)の日本語版希望者を募ることにした。早速、希望票が届いている。興味を持った方は、「南ア最高裁判事でHIV陽性者のEdwin Cameron著 "Witness to AIDS"日本語版出版に向けて」を読んで下さい。



今日は2006年2月15日、水曜日午前8時14分。

入院させたiBookが「これで大丈夫だと思うよ」と送り返されてきた。ソフト的なチェックだけで済んだと、入院費は無料だった。データも保全されていたし、数日間は入院前の症状がでなかったので安心していたところ、パタッと落ちる、再起動すると起動画面から進行しない、という症状が出はじめた。ウーム。システムDVDでハードチェックをかけたら戻ったので、当面、この手で動かしてみるしかない。

先日いくつかのメーリングリストに「Witness to AIDS」(Edwin Cameron著)紹介を投稿した。早速、「今、読んでいるところです」とメールが来た。紹介文中のリンク先・アマゾンでも4冊売れている。反応があるのはうれしい。次は、第6章、第7章の翻訳分担だ。


小森陽一、ニホン語に出会う」に、彼が北海道大学で送ったビラ、タテカン、アジテーションの日々のことが書かれている。帰国子女だった彼は、高校の生徒総会で文章語による発言が支持されたことから「活動家」になった。そして、大学では「政治的な課題をめぐるビラを書くようになってから、日本語の文章を書くことがあまり苦にならなくなりました」と書いている。

僕自身(彼より3歳年下)も、大学4年目にビラを書くようになってから、文体だけでなく書き文字が変わったことを思い出してしまった。何よりも一文が短くなった。一つ一つは短い文を、並び替えて文章を書くことを覚えた。升目いっぱいに文字を書くようになって、「読みやすい字だ」と言われるようになった。



今日は2006年1月23日、月曜日午後6時4分。

iBookが、先日来、フリーズ・起動エラーを繰り返している。やむなくHD再フォーマット・OS再インストールを行ったものの、エラーが頻発している。病院入りが必要なようだ。

OS再インストールを行ったら、OS9.2.2が無くなってしまった。NeoOfficeやOSX用のFTPソフトを探しているうちに、2週間近く経ってしまった。

ともあれ、今、読んでいる「Witness to AIDS」(Edwin Cameron著)の紹介ページを作成するつもりだ。

新しいFTPソフトにもなれる必要がある。



今日は2006年1月6日、金曜日午前5時10分。

昨日の夕方、突然、iBookの調子がおかしくなった。久しぶりにリストア・ディスクを取り出して、ディスク・エラー修復を行なった。

年末年始を親の家で過ごした。父親の本棚にあった朝日新聞社刊「松前重義の語る昭和史」を取り出して読み出したら、おもしろかった。特に、断片的には読んだり聞いたりしていた松前懲罰召集の一件は、今、改めて広く知られる必要があると感じた。

1941年12月3日、無装荷ケーブル開発チームの指導的研究者、多数の官庁勤めの技術者たちが参加した技術者運動の指導者、そして大政翼賛会有馬会長を支えた実務者として一部では著名だった松前重義氏は、逓信院工務局長に任じられた。直後、真珠湾攻撃、マレー侵攻で米英ほかとの戦争が始まってしまってから、当時の海軍首脳部の意向も受けて、松前氏ほかの技術者が日米経済力の比較研究を行った。松前氏は日米の経済力は比較にならないという結果を、高松宮も参加する場で報告し、さらに高松宮を通して天皇に東條首相退陣・和平交渉の早期開始の必要性を訴えた。この事実を知った東條首相は、退陣直前、逓信院工務局長の松前氏を陸軍二等兵として召集しただけでなく、所属部隊ごと「間違いなく死ぬ」ように爆雷・爆薬輸送船に乗船させてマニラに向けて送り出したというのだ。

松前氏は、運良くマニラへ到着し、待ち構えていた反東條派の南方軍司令部参謀によって前線部隊から司令部付きに異動になった。その後、マニラから脱出する司令部に同行してサイゴンへ、さらにはシンガポールを経由して国内へ戻ってきた。そして、敗戦直後、東久爾内閣の逓信院総裁に迎え入れられて、郵政・電信職員の待遇改善の努力をしている。

松前氏は、マニラで、東條首相に異議を唱えたため、飛行機が一機しかないニューギニア航空軍へ送られた陸軍少将と出会ったことも語っている。反対派の徹底的な抹殺をはかった東條路線が陸軍そして戦争開始時の内閣を掌握していたことは、忘れてはならないことだ。


トップページへ

僕のお薦めリンクはこちらです。

僕がこれまで書いてきたことは
近況
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年まで

読書ノート です。


アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティーブン・J・グールドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きます。



by 斉藤龍一郎

僕あてのメール