斉藤 龍一郎 2005年

今日は2005年12月10日、土曜日午後0時17分。

今週火曜日、去年から今年にかけて南ア・ガーナに留学した学生が、「南アフリカ共和国で、市民運動はHIV/AIDS問題にどう対応したのか?」をテーマに卒論を書きたいとAJF事務局へ現れたので、手元にあった資料を紹介した。

水曜日には、この夏までイスラエルとパレスチナの学生を日本で引き合わせると言う交流プログラムを実施する学生グループの事務局長をやっていたという人が、AJFでインターンをやってみたいと、事務局に来てくれた。聞けば、「7月、朝日新聞の『私の視点』でAJFのことを知った」とのこと。

今日、この後、築地本願寺、代々木公園でホワイトバンド・デー3のイベントに参加する。火曜日にやってきた人は、ホワイバンドとほっとけないキャンペーンで卒論を書くことも考えたと話していた。

ほっとけないキャンペーンとの関わりで、林さんがいろんな場面に登場したことが、AJF会員拡大につながった。



今日は2005年11月1日、火曜日午後3時41分。

先週土曜日、障害学研究会関東部会で「アフリカ諸国のHIV陽性者の当事者運動に触れて考えたこと」とのタイトルで問題提起を行なった。レジュメをウェブ化したので、興味のある方は、こちらで読んで下さい。



今日は2005年10月3日、月曜日午前7時48分。

僕が事務局長を務めているAJFは、一昨日、昨日と日比谷公園で開かれたグローバルフェスタJAPAN2005にブースを出展した。土曜日に、事務局メンバーを加えないで延べ8人、日曜日には延べ7人のブース・スタッフ(両日通しての参加が4人)が、物品販売、アフリカ・クイズ、展示説明、ジャンベ演奏に活躍した。南アのビーズ細工、ナイジェリアの石けん、ケニア・ナクルのHIV陽性者グループ製作のビーズ・レッドリボンといった物品販売の売り上げはそう多くはなかったようだが、ブース内外でのアフリカ・クイズにはたくさんの来場者が応じてくれて用意した解説リーフレットがなくなっていた。

僕自身は、土曜日に1回、日曜日に2回、6月に高崎経済大学で講義をした際に使用したプレゼンを使って「アフリカのHIV/エイズ問題」のミニ・セミナーを行なった。土曜日は、販売していた資料集の説明の続きでプレゼンを見てもらい、日曜日は、午前11時、午後2時に時間を決め参加者を募ってセミナーを行った。

久しぶりに使ってみると、資料や用語法が古いことを痛感した。また、債務問題、経済開発とエイズ危機に関する問題提起がもっと必要かな、とも感じた。それでも、初めてブース・スタッフとしてAJFの活動に参加してくれたメンバ−2人や、しばらくぶりに参加したメンバーに、2001年以来の取り組みの一端を見てもらうことができたかな、と思う。また、米国・タイ・アフリカにおけるHIV/AIDSに関する取り組みをテーマに卒論を書こうとしている学生には、違った材料・視点を提示できたようだ。

2000年以来、毎年参加しているイベントであり、また去年からは機会を捉えては、国際協力に関わるセミナーやシンポジウムに参加していることもあって、グローバルフェスタ会場でもなじみの顔をたくさん見た。ケニアから帰国したばかりの神戸さん、荒川さんには会費も納入してもらった。

ルワンダ・ジェノサイド写真展の企画協力の呼びかけをくれた人もブースに来てくれたので、写真展展開についての考え方、企画書の作り方について話をした。この件で、ARCの小峯君とも話をすることができてよかった。

SUPAの野澤さんからは、改めてオリセットの問題点を追求していくとの表明を受けた。そのことを踏まえつつ、マラリア対策について総合的な研究会を開催する意義を訴え、その点については理解している一緒にやろうと、言ってもらった。

カラの村上さんには、インタビューの申し入れをして受けてもらった。今度の木曜日に吉祥寺へ行って話を聞き、会報次号に掲載する。

日比谷公園で受けた電話で、カメルーンから来日を予定しているダンジイさんの引き受け団体になって欲しいとの要請への回答を用意できてよかった。名古屋大学の和崎さんが対応してくれることになった。

何年ぶりだろうか、しばらく連絡がとれなかった友人とも、ばったり出くわして電話番号を交換できた。なかなか実り多いグローバルフェスタだった。おかげで、今日は声がかすれる、顔のあちこちがヒリヒリする、足が何となくむくんだ感じ、だ。なかなか回復しない体になってしまった。



今日は2005年9月26日、月曜日午後4時8分。

手話でいこう−ろう者の言い分聴者のホンネ」第三章「ねこ、大学へ行く」を再読しながら、僕は大学に何を求めたのだったろうか、なんてことを考えた。

「ねこ」こと秋山さんは、プール学院短大を卒業し、米国のろう者大学ギャローディッドにも留学している。その上で、「その年に応募できる大学を探し」て、いくつかの大学に受験時や入学後の配慮について訪ねるFAXを送っている。その中の一つの大学からは受験自体を拒否されたが、そのことに対する抗議の声をあげるひまもなく、受験できる大学で受験し、入学式での手話通訳要請、入学後の講義保障(ノートテイク、パソコン要約筆記、手話通訳etc)を求める取り組みをすることに追われている。

秋山さんが大学に対して要請し続けてきたこと、その結果、「ほぼ満足して卒業することができた」ことは、理解できたし、よかったな、がんばってくれたな、制度ができたことで助かる人が多いだろうな、と感じている。その一方で、秋山さんが大学の講義に何を求めたのかな、と考えたとき、もう一つピンとこないでいる。

ひるがえて、僕自身にとって大学とはどんな場所・空間だったのかを考えた。

大学に行ったことで、今もつきあいのある仲間とのつながりができたこと、あの時、あの大学で、あの先生に会わなければ知らなかっただろうことを知ったこと、そのことが少なからず僕の現在を規定していることを感じている。

教育学部のゼミで、出席者が順番にやる発表を聞いたこと、一緒にゼミ旅行に行って松本の開智学校を訪ねたこと、もそれまでにない体験であり、その体験を通して、自分のことばで話さなくては、と感じたことを思い出す。

もう一方では、クラス合宿で飲んだスプライト割りの安ブランデー、寮の部屋で麻雀をしている時に流れていたかぐや姫、サークルの合宿のために行った大学の寮で、宿泊登録をしていない学外者がいると入寮拒否をされて急きょ誰かが探してきた宿、のことなどが思い浮かぶ。

そんな中で、「お前、ちゃんと話を聞かないで、ウンウンうなずくんじゃない」と一喝された場面が、僕のとって、大学へ行ったことで得た一番大きな経験と感じている。

一昨年、昨年と、福島さんが開講しているゼミに参加した。

一昨年は、参加の仕方が中途半端だったせいか、きちんと聞き取れない状態で、なおかつ口だけは動かしたがった。

昨年やはりゼミに参加しようとした、福島さんが心配して、たいして大きくもないゼミ室にマイクとスピーカーをその都度持ち込もうかと提案してくれた。

幸い、ウォークマンサイズのテープレコーダーで録音しながらイヤホンで聞き取ることができたので、マイクとスピーカーは不要だった。

今のところ、大学の単位取得を前提とした資格が欲しいと言う気分はないが、違ったタイプの人と興味あるテーマで論議をする機会としての大学のゼミには、参加したい、と思う。

秋山さんが、大学に求めたこと、求めていることって、ちょっと違うような気がする。



今日は2005年9月24日、土曜日午前4時19分。

タオルケット一枚では寒くて目が開いた。毛布もかぶって横になっていたが、水曜日に参加した東大バリアフリー・シンポジウムのことや、読んだ本のことを書き留めておこうと思い立ち、iBOOKに向かっている。

jsds(障害学メーリングリスト)に投稿したシンポジウムの感想を、「斉藤 龍一郎:投稿・発言です。」に収録した。藤木久志著「刀狩り 武器を封印した民衆」(岩波新書)、浜野佐知著「女が映画を作るとき」(平凡社新書)については「読書ノート」に書いた。

連休の中日の今日は、「アフリカひろば」第一回を早稲田奉仕園セミナーハウスで開催する。直前になって参加申込メールが2本ほど入っているので、予定数以上の参加がありそうだ。

先日入会したばかりの会員もつくばからやってくる。年度内にあと25人の新規入会に向けて、働きかけを工夫しなくてはならない。

今さらながらだが、選挙の結果には驚いた。小泉人気、ほんとにすごいんだ。

先週末、参加した障害学会の懇親会で、代表の石川さんが「僕のように政治的に鈍感な人間でも、今の流れには警戒心が高まる」と話していた。障害者の生活保障、発言の場、活動の場をどのように広げていくのかを考え、行動しなくてはならない(といっても、余り肩肘はると息切れしそうだし、加減が重要かな?)。



今日は2005年9月5日、月曜日午後9時15分。

憲法9条という争点

保坂展人さんが東京の比例区で社民党から立候補しているというので気になって、昨日、午後3時半〜4時過ぎに新宿紀伊國屋前で開かれた社民党・ホコテン討論会を聞きに行ってきました。

社民党党首の福島瑞穂さんは、学生時代、一緒に反原発ゼミをやっていた頃からの仲間です。昨日も福島さんの後ろをつかず離れずチラシ配りをしながら歩いていた福島さんのパートナー・海渡君ともその頃からの付き合いです。

保坂さんとは、僕が大学4年目の年、内申書裁判の傍聴に行ったことから何度か会って話した覚えがあります。1977年の前半、何度か会っただけだったのですが、特になんと言うこともなく大学生になってしまっていた僕にとって、彼は実にまぶしい人間、気になる人でした。

半年間の熊本暮らしに飽きて、1978年1月に大学キャンパスに戻ってからは、文学部長室座り込みに参加してほぼ2年近く大学の中でだけ暮らすようになってしまい、保坂さんと会う機会はなくなりました。

5年前、ケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電所の問題に関わり始めてから、議員会館の保坂事務所を訪ねるようにもなり、20数年ぶりに話をしました。

昨日、保坂さんが司会をして、漫画家の石坂啓さん、映画監督の森達也さん、ルポライターの斎藤貴男さんが問題提起をし、福島さんが社民党としての方針を明らかにする、というホコテン討論会が開かれたのです。

幸いに、直前まで降っていた大雨もやんで、紀伊國屋前にはけっこう大きな人だかりができていました。

問題提起をした3人は、それぞれの視点から、憲法9条が今回の総選挙の大きな争点であることを語っていました。

朝鮮半島、中国そして東南アジア諸国との関わりをテーマにしたマンガ「安穏族」を描いたことのある石坂さんは、すでに日本が米国の言いなりになって自衛隊を派遣していることへの注意を促し、憲法9条による歯止めがなくなったらすぐにも戦闘行為に従事するようになることへの恐怖を語りました。

「人権と平等をあきらめない」という著書のある斉藤さんは、スタートラインを同じにして初めて競争をと言えるのに、恵まれた環境で育てられた人々と困難な境遇にある人々との「自由競争」を語る小泉さんや竹中さんを支持することはできない、と語っていました。

前日は大阪へ行って辻元清美さんの応援演説をしてきたと話し始めた森さんは、盗聴法問題、共謀罪問題で一緒に闘ってきた福島さん、辻元さん、保坂さんにもっとがんばってもらわないと不安でしょうがない、と訴えていました。

土曜日の夜、水道橋で開かれた保坂さん支援の決起集会で聞いたところでは、自民党・公明党の与党連合も民主党も憲法改正を方針に掲げており、国会では憲法改正調査会がずっと活動しているそうです。この総選挙後の臨時国会で、憲法改正を前提とした国民投票法案が上程される動きもあり、憲法9条をめぐる動きは非常に切迫しているとのことでした。

一昨日、昨日と耳にしたことばかりで、きちんとした裏付けになる資料が十分ではありませんが、ぜひこの点にも注目して欲しいと思って書きました。保坂さんのウェブ・ページ(http://www.hosaka.gr.jp)、福島さんのウェブ・ペ ージ(http://www.mizuhoto.org)にもっと整理された主張、資料が掲載されています。

保坂さんには、再度、国会の質問王として活躍して欲しいと願っています。

東京比例区で投票する人は、オレンジ色の投票用紙に、社民党、と書いて下さい。

参院選の比例区と違い、個人名を書くと無効になってしまいます。



今日は2005年8月24日、水曜日午前9時20分。

へまをしたため、まだ部屋を出れないでいる。

先日、高野雅夫さんから「チャリップ」を送ってもらった。30年近く前、大学キャンパスから外へ出ることができないでいた頃に読んだ本だ。

現在、夜間中学で日本語を教えている友人に見せながら話しているうちに、昔のことをいろいろと思い出した。

僕が夜間中学のことを知ったのは、進学した教育学部教育行政学科の教授だった持田栄一さんに、松崎運之助さんの本を紹介されたのがきっかけだった。一年後だったか、二年後に、教育学部のサークル・KYKのメンバーと荒川九中夜間部(高野さんの母校)を訪問した覚えがある。

持田さんには、内申書裁判の資料も紹介してもらい、当時、東京地裁で続いていた裁判の傍聴に行ったことも思い出した。保坂君に誘われて同じ年頃のメンバーが3人集まる会にも時々行った。

その後、大学4年目の夏から冬にかけて、熊本にいたために、付き合いがとぎれてしまった。

保坂君のお父さんがその頃出版した本を、熊本まで送ってくれた。保坂君のブログによると、何年か前に亡くなって、お墓は仙台にあるという。


僕が進学した時、教育学部教育行政学科の同学年の学生は、ほとんどが文転組だった。16人の3年生のうち、文系から来たのは2人だったような覚えがある(一人は学士入学の人だった)。

学科主任が、教育学部希望者で、希望学科に進学できなかった学生を拾っていたのだろう、と思う。

この学科に進学したおかげで、伊藤悟君と一緒に自治会選挙をやったし、当時出版されたばかりの「アジア・アフリカ公教育論」を読み、パウロ・フレイレを知って"Pedagogy of the Oppressed"を読んだ。振り返ってみると、フレイレを知るきっかけになったという意味では、すごく大きなことだった。



今日は2005年8月13日、土曜日午前11時47分。

昨夜9時半頃、部屋へ帰り、買ってきた総菜を食べながらワインを飲んでいたら、開けていた窓から雨が降り込んできたので、窓を閉めた。その直後に、突然、電気が消えた。窓の外も真っ暗なので、これは停電なんだな、と判ったが、久しぶりのことでびっくりした。何時のこと以来だろうかと思い返しているが、よく判らない。幸い10分も経たずに復旧した。そのまま眠ってしまい、喉が渇いて目が開いた時にも灯りは点いていた。

雷がビカッと光っては、余り遠くないところでガラガラッと音がするのを聞きながら、30年前に、駒場の学生会館の軒下でやった「雷見」を思い出した。7月の七夕の頃だったから、当初の予定では、天の川を見ながらビールを飲む、という企画だったはずだ。ちょうど、京都からも敬明も来ていて一緒だったような気がする。寮の大石君の部屋に集まってくる仲間数人と、大雨が降る音を聞きながらビールを飲んだ。

今朝のニュースによると、通勤に使っている東部伊勢崎線・日光線は落雷のために電車が止まり、最終の日光行き快速はなんと6時間遅れの今朝4時半に日光着だったそうだ。最終に近い普通電車も駅と駅の間で立ち往生して乗客は2時間缶詰だったとも言っていた。早く帰って「正解」だった。

今日は、予定していた遠出がなくなったこともあり、溜まっていた洗濯物を片付け、返す本を持って図書館へ来た。図書館の窓口で指定された席でこれをタイプしている。



今日は2005年6月19日、日曜日午前9時47分。

2001年以来、アフリカ日本協議会で一緒に活動している林達雄さんが、岩波ブックレットで『エイズとの闘い 世界を変えた人々の声』を出版した。A5版64p、税込み504円のブックレットなのでぜひ一冊買って読んで欲しい。

先週水曜日(15日)、リレー講義「グローバル化と人間の安全保障」のために高崎経済大学へ行って、「アフリカのHIV/エイズ」について話をした。2時20分から3時50分までの授業で、70分ほど話をして質問を受ける、ということになっていたが、しゃべりすぎて5分ほど時間オーバーしてしまった。そのせいか、質問も出なかった。もっと用意したプレゼンの範囲に限定して話をすべきだった。

高崎駅で乗り換えた覚えはあるが、高崎の街を歩いたことがなかったので、この日、駅から大学まで歩いた。朝、上野で高崎行きの電車に乗った時は雨だったが、お昼時に到着した高崎では雨が上がっていた。駅からちょっと歩いた商店街でお蕎麦を食べ、北高崎駅を目印に歩いた。雨上がりに気温が上がったのでベターッと汗ばむ陽気だった。思ったよりも時間がかかり、正味一時間ほど歩いてちょうど予定の午後2時に大学に到着した。

高崎経済大学の学生数3900人だと聞いた。県外から来ている学生が多いそうだ。すぐ側に学生向けのアパートが何棟も並んでいるのが見えた。



今日は2005年5月20日、金曜日午前8時12分。

サイードの「Culture and Imperialism 」をやっと読み終わった。

最近、「アフリカに関わる本」ページを利用して、アマゾンから本を買ってくれた人がいた。「アフリカンドレス」をリストアップしていなかったことに気が付いた。同じシリーズの「アフリカンキッチン」と一緒に紹介します。

一昨日、修学旅行生6人を相手に、「国際協力」「アフリカ」「国連ミレニアム開発目標」の話をした。午前10時に来るとのことだったので、朝早めに事務局に行って資料を用意した。
幸い、「アフリカNGOダイレクトリー」「世界エイズ・結核・マラリア対策基金レポート」「国連ミレニアム開発目標一覧」など、最近常備している資料のおかげで、途中に休憩を入れて100分近く話をすることができた。
話をしている最中に、引率教員が写真を撮りにした。同じビルの6FのJVC、5Fのシェアにも別のグループが話を聴きに来ているとのことだった。
おとなしく話を聴いてくれたが、予備知識があまりなく、また特にこれを聞きたいという質問も用意していない中学生に、反応を見ながら話をするのはむずかしかった。
午後、同じスペースで、JVCのスタッフが愛知県から来た中学生グループに民族衣装の着方を実演しながら話をしていた。通りすがりに見て、うまいなと思った。

昨日、AJF会員総会資料・アフリカNGOダイレクトリー発送作業の最中に、社会事業大学の学生から、グループで訪ねてエイズに関する話を聴きたい、との電話があった。角川書店から出ているワン・テーマ・ブックス「エイズを知る」(エイズ&ソサエティ研究会議編 2001年刊、680円+税)を読んだか、と問い返したところ、読んでいないと言う。まずは「エイズを知る」を読み、エイズに関わるどういう分野(医学・医療、社会、HIV/AIDSと共に生きる人々、経済etc)について話を聴きたいのか、メールを書くようにと、返事した。



今日は2005年1月25日、火曜日午前8時10分。

古本屋の一冊50円、3冊200円といった棚で買ってきた本を持ち歩いている。昨夜は、泊まり先で塚本青史「霍光」を読み終わった。その前の週末は久しぶりにどこにも出かけず、洗濯をしながら北方謙三「ガラスの獅子」を読んだ。

近々、レポートを書くために、立岩真也著「自由の平等 」も持ち歩いている。一人だけで読むのと違う視点からの読みに触れながら読んでいるので、最初に読んだ時よりもことば一つ一つ、文章のつながりが気になる。

昨年亡くなったサイードの「Culture and Imperialism 」も半年くらい持ち歩いている。植民地発の思想・意識と帝国本国の思想・意識の相互浸透というテーマは、鶴見良行が「東南アジアを知る 」(友達の部屋で手に取って読み始めたら止まらなくなって、何年かぶりに全文を読み返してしまった)の中で論じている植民地知識人の視線・意識を考える際にもいろんなヒントを与えてくれる。

本の雑誌の編集後記で話題になっていた高橋克彦の書いたものを読み始めてしまった。おもしろい。講談社文庫の新刊で「天を衝く」1、2、3が並んで平積みになっているの見て手に取ってしまったのがことの始まりだった。集英社文庫の「完四郎広目手控」、新潮文庫の「鬼九郎鬼草子 」くらいしか読んでいないが、たくさんあるんだ、彼の作品。



今日は2005年1月6日、木曜日午後3時15分。

今年は、年末年始を東京で過ごした。

年末年始のうちに片付かないかな、と心のどこかで願っていた資料集の編集作業はやはり終わらなかった。それどころか第一次案から分量が5割増くらいになったので、配列と解説を考えながら少し減らす必要がありそうだ。

アマゾンのアソシエイツ・サイトをチェックしたところ、Buchi Emechetaの小説を買ってくれた人がいた。The Slave Girl: A NovelSecond-Class Citizen だった。どちらも僕の部屋のどこかで未読のまま眠っている。よまなきゃ、と思った。

昨日は、待っていた本が届いたので、猫の世話にも行かず読んでしまった(今朝、行ったらエサが無くなっていて、猫砂の袋をひっくり返していた)。秋山なみ・亀井伸孝著「手話でいこう―ろう者の言い分聴者のホンネ 」だ。ろうの秋山さんがきちんと講義保障をして欲しいと訴え続けながら大学へ行く話が柱になっているエッセイ集である。彼女の連れ合いである亀井さんとは、以前、障害学研究会関西部会で顔を合わせたことがあった。一昨年からは日本アフリカ学会の大会に行くと会場で出くわす。アフリカにおけるろう教育について研究している人類学者だ。


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読書ノート です。


アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティーブン・J・グールドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きます。



by 斉藤龍一郎

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