斉藤 龍一郎の2003年

今日は2003年10月14日、火曜日午前7時15分。
先日来、あちこちへメールで送っている『指先で紡ぐ愛』紹介文『家族の形も変わるのだろうか?』をウェブ化した。まだ読んでいない人はこちらで>>>

今日は2003年7月29日、火曜日午後5時40分。

来週の月曜日は泊まりの介助がないのでちょっとのんびり、と思っていたら電話がかかってきた。「仕事で遅くなるので交代よろしく」とのこと。出先から一人先に帰ってくることになるなぁ。
先日、注文した「介助犬オリーブのきもち」が入ってきた。小学館文庫の書き下ろし。先々週、文京シビックセンターで開かれたACT2003全体会の時、執筆者の本田さんが一冊だけ持っていた。
著者紹介によると『補助犬というベストパートナー』(現代書館)もあるんだ。

今日は2003年7月27日、日曜日午前9時10分。

昨日は、午後の障害学研究会を休憩時間に退出して、4時から始まる「鬼女の栖25周年パーティー」に参加した。
会場は、紅茶の店が経営するレストランで、出された料理のバリエーションは限られていたがどれもおいしかった。「紅茶党はケーキがお目当て」ということなのか、6種類くらいデザートが出てきたが、これがまたどれもおいしかった。
一週間の疲れが出たので二次会には行かずに、千駄ヶ谷で電車に乗った。まだ、7時くらいだったので、浅草橋まで出て花火を見に行った。
蔵前付近で花火を見るのは初めてだったが、ビルの上に下半分が切れた花火が見えるのは哀しい。
早々にあきらめて蔵前から浅草線に乗った。浅草は込みそうなので、一駅先の本所吾妻橋で東武線に乗り換えるつもりで歩き出したところ、桜橋で上がる花火がきれいに見える路地があった。近場の人たちばかりが座り込んでみている、という感じで、押し合いへし合いもなくのんびりした感じだった。
ここで花火を見て帰ってきた。

福島智さんからメールが届き、連れ合いの光成沢美さんの書いた『指先で紡ぐ愛 グチもケンカもトキメキも』が発刊されたことを知った。版元は講談社だ。
近くの駅の本屋へ行ったら平積みではないものの表紙が見えるように立てかけてあった。
これって、『五体不満足』大当たりのおかげかな、なんて思ってしまった。
解放書店(僕の職場)で5冊注文したが、手元にはいるのは、今週半ばになるのかな?
半分、本屋で立ち読みした。
今は、見えない、聞こえない、語って笑わせる東大助教授である福島さんが所沢の手話通訳養成学校へ特別講義のためにやってきたことから始まった文通、3度のデート、結婚、金沢へ、そして再度東京へ、というこの10年を振り返りながら、光成さんが感じたこと、気付いたことを書いている。
見えない・聞こえない福島さんにとっての最大の楽しみ、食べることに関わってくる話は、思わず笑ってしまうのだけれど、国立大学の教官としての稼ぎがあり、時には原稿料も入ってくる(以前、金沢へ行った時は、「原稿を書いた臨時収入があった」という福島さんにすっかりご馳走になった)人だから、「かくて冷蔵庫には口の開いたドレッシングが何本も並ぶ羽目になる」ですむのだけれど、年金や生活保護などで暮らす盲ろうの人たちは、どんな楽しみを味わっているのだろうか? と考えてしまう。
光成さんの書き留めるシーンの向こうには、時折、大学に入ってから光成さんと一緒になるまでの10年余りを一人で暮らしていた福島さんの生活ぶりがかいま見える。
一人でいる時は、「消すのを忘れてしまうから」と部屋の明かりは灯さない。
盲学校時代の親友が遊びに来ると、二人して指点字で話しているので、ほとんど物音もしない。
湯沸かし器の蛇口は、常に流しの真上にある。
そういえば、お湯を沸かしていたという話が出てくるけれど、福島さんは、どうやってお湯が沸騰しているのを知ったのだろうか? それとも、お湯を沸かすようになったのは、二人暮らしを始めてからなのか? 疑問がわいてくる。
昨日の障害学研究会で、提起者の好井さんは、「知らない」ことから起こる不安・対処方の無さから来る据わりの悪さを障害者に押し付ける「障害者フェビア」を語った。
福島さんの生活ぶりからほんの少し見て取ることのできる盲ろうの人たちの生活(といっても人によってずいぶんと違うのでしょうねぇ)と関わる場面をどう増やしていくのかを、社会的な仕組みの問題として整理し提起していく必要があるだろう。
ここでは違いを先に書きすぎたかもしれない。
とあるMLへ、21日月曜日に僕が投稿した文章は以下の通りだ。

ご存知の方も多いと思いますが、新刊書の紹介です。
福島智さんの連れ合い、光成沢美さんが書かれた「指先で紡ぐ愛 グチもケンカもトキメキも」(講談社 1500円+税)が書店に並んでいます。
羽織袴の福島さんと文金高島田の光成さんのイラストが表紙です。
半分くらいしか読んでいないのですが、思わず笑ってしまう場面の連続で、この辺で一度「紹介」しときたいなと思って書いています(読み終わったらまた書きます)。
先日、福島さんが熊本学園大学社会福祉研究所の研究会で講演する日に、僕も熊本へ行きました(親に顔見せに行ったのだから「帰りました」かな)。
飛行機が午後一の便だったので(2カ月前に予約した一万円チケットだったのです)、僕が会場に着いた時は、すでに休憩時間で、後半の質疑だけ聞きました。
父親、妹夫婦は話を最初から聞いていて、「すごく面白かった」「奥さんが本を出すという宣伝もしていた」と言っていました。
で、楽しみにしていたところ、福島さん本人から「かみさんが本を出しました」というメールが届き、「かなり私のことがこき下ろされていて戦々恐々ですが」とまで書いてあるので、興味津々で本屋めぐりをしたところです(僕の職場も書店なんですが、これから発注しないと入らないので、自分の店で買うためにはもうしばらく時間がかかります)。
手に取って読み始め、光成さんが語る二人のなれそめから、思い立って「運動を始める」と宣言してはおいしいものを食べるという福島さんの発作的行動までを読んだところです。
たくさんの服があるのだけれど、今ちゃんと着れる服は3着という話など、友達のお母さんのお通夜に行こうとして引っ張り出したズボンもシャツもかろうじて着ることができたというついこの間の体験に重なって、ウ〜ムとうなってしまいました。
ということで、前半を読んだところでの紹介でした。

この時も、今も、どちらかと言えば、僕は彼とは共通の体験があって、だからウマが合うんだな、という感じが先に立っている。
近くの本屋になかったら、僕にメールをくれるか、このページからつながっているアマゾンで注文してね!!

今日は2003年7月21日、月曜日午前4時55分。
一時間ほど前に目が開き、トイレに行って、ついでにブドウを一房(デラウェアです)食べた。布団に横になって一度目を閉じたが、思い立って起き出してMACに向かっている。
今月12日(土)、午後の部の南部アフリカ研究会総会後、「このあいだ話したグールド・ファンの矢島さんの文章のコピーを持ってこようと思っていたのに忘れちゃった」と声がかかった。島根大学で開かれたアフリカ学会レセプションでの話の続きだった。
「スティーブン・J・グールドについて僕の知ること」を少し更新した。オンライン書店BK1にグールド特集ページがあるのを発見したのだ。で、リンクをつけた。
そういえば「人間の測りまちがい 増補版」(「The Mismeasure of Man」の日本語版)が、BK1でもアマゾンでも出版社在庫切れになっていた。あの厚さに手が延びない人も多いのだろうが、教育とか政策とかをやっている人たちは、そもそもグールドを知らない、読んだことがない、ということなのだろう。教育書の棚に並べてあると、もっと売れるかもしれない、とも思う。
出版元の河出書房新社への問い合わせ、書店への注文が増えると、増刷されるかもしれない。これを読んだ人は、まず僕の紹介ページ、BK1の特集ページを読んで、周囲の人にも勧めて欲しい。

去年11月30日、福岡で大倉さんが声をかけてくれて集まってくれた人たちと話をした際に用意したレジュメをhtml化した。>>>

今日は2003年6月15日、月曜日午前11時25分。
6月10日に書いた文章にタイプミスがあるのに気付いて手直しをした。
気疲れしているせいか、古本屋の前を通るとフラフラッと入っていって本棚を見ている。
最近はハードカバーばかり買っている。
昨日までに、宮本昌孝『ふたり道三』全4巻、松井今朝子『非道を業ずるべからず』、ヒキタクニオ『消し屋A』と読んだ。どれもおもしろかった。
先日は、森福都を2冊買ってきて読んだ。

今日は2003年6月10日、火曜日午後4時3分。
4月に開いた「スティーブン・J・グールドについて僕の知ること」を読んだ人から声をかけられました。
5月31日、アフリカ学会のレセプション会場で、知り合いから「グールドのこと追っかけている高校の先生がいますよ」と声をかけられました。「アフリカのことより、こちらの方が僕の専攻には近いな」とも話していました。
先週末、感染症研究会集中討論の後でビールを飲んでいた時には、「何で進化論学者に興味があるんですか?」と質問されました。「進化論学者って、人間をスケールの中に押し込めて測定値を出すような扱いしかしないじゃないですか」と言われて、なるほどと思いました。
で、「The Mismeasure of Man」の初版が、1980年、レーガン政権の下で進められていた社会福祉切り捨て政策に「理論的背景を与えようとする試み」に対する批判の書であり、グールドが「みんな違うからこそかけがえのない存在なんだ」と題材を換え手法を変えて繰り返していることを話しました。
「Wonderful Life」のことを早く書かなきゃ、とも感じています。

今日は2003年4月6日、日曜日午前10時55分。
今日は、お昼の12時半から夜9時まで新宿西口のイベント・スペースで皮革フェアの当番。
行く前に宿題を片付けました。
先日、「スティーブン・J・グールドについて僕の知ること」というページを開きました。まずは「The Mismeasure of Man」の紹介。といっても440pもある本の内容を要領よくまとめて紹介するなんてできないので、どうやってこの本のことを知ったのか、いつどこで買ったのか、どんな風にして読んだのか、連想したこと、などを書きました。

今日は2003年1月3日、金曜日午後2時25分。
先週末からの年末年始のお休み、洗濯と宿題に追われています。
宿題の一つ目は、ランセット誌掲載「公衆の健康:ブラジルにおける抗エイズ薬治療」。12月29日に訳文を仕上げて、チェックのお願いを回しているところです(7月21日追記、AJFで読むことができます)。
宿題の二つ目は、AJF感染症研究会のページの整理。去年の取り組みを整理して使える形にしていくために、新しくAJFというページを作りました。
三つ目は、休みに入ってパラパラとめくったジュヌ・アフリクの年末年始号に南アフリカ共和国の経済とエイズをめぐる記事があったので、これの翻訳。昨日、ほとんど部屋も出ずに仕上げ、これまた訳文チェックのお願いをしているところです。
一番大きな宿題は、11月27日に報告を聞くことのできたマルコ博士のプレゼンテーションのコメント翻訳。これはまだ手がついていません。

その一方で、よく寝ています。
元旦は、午前中一度起き出して散歩。部屋へ戻って餅を焼いて食べたら眠たくなって布団の中。夕方、もう一度起き出して散歩。夜もお餅と、豆とほうれん草を食べて、少しお酒を飲んで眠ってしまいました。
昨日は、朝一番にお風呂に入り、そのお湯で洗濯。
次いで、年末に雑誌から書き写した記事を辞書をくりながら翻訳。3時間くらいかかってしまいました。
夕方から「辺境から眺める」を読み始めたら、夜は10時半くらいに寝付いてしまいました。
11月30日、福岡へ向かう飛行機の中で読んだ森巣博+姜尚中「ナショナリズムの克服」(集英社新書)が面白かったので、最後に載っていたお薦め本を何冊か買い込みました。テッサ・モリス=鈴木著「辺境から眺める」(みずす書房)もその一冊。この著者は、森巣博著「越境家族」(集英社文庫)に出てくるテッサさん、つまり森巣博氏の連れ合いなのですね。ペンネーム「森巣博」氏は、どこから話のネタを拾ってくるのか、と思えば、連れ合いの仕事に注目している人だったのだ、と判って、ちょっと安心(プロの博打打ちがいつどこでどんな形でナショナリズム論の本を何冊も読んでいるのか不思議でした)。


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アマゾンのアソシエイツになりました。
昨年、亡くなったスティーブン・J・グールドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きます。



by 斉藤龍一郎

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