京都SFフェスティバル2021レポート

大野万紀


 今年の京都SFフェスティバルも昨年と同様、DiscordとZoomを併用するオンラインで、10月23日の夕方から開催された。参加費は無料。今年も本会にあたるものはなく、合宿企画にあたる各企画が、時間割に沿って別々のZoom会議室で開かれ、参加者はDiscordの掲示板を確認しては、見たい企画に参加するという形である。
 最初に参加申し込みして送られてきたメールの招待リンクがなぜかつながらない不具合があり、会場に入れなくて困ったが、ツイッターに再申し込みしてメールではなく画面上のリンクから入ればいいとのアドバイスがあり、少し遅れて何とか会場に入ることができた。当日にこんな想定外のトラブルがあると、IT関係のプロでもドタバタしてしまうところだが、学生のスタッフがちゃんと対応していたのは立派だった。
 以下は、記憶に頼って書いています。もし間違いや勘違い、不都合な点があれば、訂正しますので連絡してくださいね。

 最初に参加したのは柞刈湯葉さんによる「地球外生命はどこにいるのか」
 「SFにやたら出るけれど誰も実物を見たことがない存在、それが地球外生命。NASA はどんな探査をしているのか、「珪素生命」はいるのか、液体の水は必要なのか、重油ラーメンは売れるのか、といった点について、Twitter にやたらいるわりに誰も実物を見たことがない作家・柞刈湯葉が解説します」という企画だ。科学者作家としての柞刈さんにとても興味があるので視聴する。
 柞刈さんは顔出しはなく、共有したスライドでの説明で、声も機械を通した合成音声だった。途中、機器障害が発生したということで何度か中断したが、とてもストレートな宇宙生命発生条件の話だった。
 地球外生命はどこにいるのかという話から、まず生命とは何かという話につながる。生命は見た目では判断できない。生きている魚と死んだ魚は見た目はほぼ同じだけど、化学反応の複雑な流れがあるかどうかが違う。逆に多様な物質が混ざり合い、相互に複雑な反応をすればそこから生命が生まれる(といいなあ)ということになる。そこで生命を探すには複雑な化学反応を探す必要があり、それが起こる場としては液体の水が最も都合がいいのだ。SFでは炭素生物以外に珪素生物もあるが、珪素は水と相性が悪い。珪素も複雑な化合物を作るが、それはたいてい岩石になってしまう。いっそ岩石が液体になる高温のマグマの中ならいいかも。その場合、反応速度が大きい超高速な生命がいるかも知れない。一方遅くてもいいならメタン生命も可能だ。ただ温度が低いので何かするのにものすごく時間がかかってしまう。
 というわけで、やっぱり液体の水を探すのが良さそうという普通っぽい結論になった。RNAワールドの話もあって、面白かった。

草野原々 柴田勝家

 次に参加したのは、「柴田勝家と草野原々がサブカルチャーについて話す可能性がある。」
 柴田勝家と草野原々のサブカル対談。「柴田勝家と草野原々がなにかを話します。なにを? サブカルチャーについて、キャラクターについて、フィクション化された人間について、しかし、これらすべてを話さない可能性も同時に存在します」ということだった。
 柴田さんがゲンゲンにしきりとオタク話を振ろうとするが、もう一つ反応が弱い。聞いているとどうやら柴田さんが積極的にサブカル・オタク文化の中に入っていこうとする人なのに対して、草野さんはアイドルとかアニメとかサブカル・オタクの世界を外側から見るのには興味があるが、積極的にその中に入っていくタイプではなく、自分でライブに行ったりメイドカフェに行ったりする人じゃないらしいことがわかって興味深かった。柴田さんが自分はサブカルに入り込むオタクだが、作品に取り入れることはないというのに対し、草野さんはサブカルへの思い入れはさほどないが、作品にはどんどん取り入れていくなど、サブカルへのつき合い方と小説への出力の仕方が真逆だといえる。
 全体的に細かくてぼくには良くわからない話題が多かったが、サブカルとメインカルチャーの上下関係など今や重要ではなく、重なり合う小さなバブルが多数あるだけだとか、柴田さんの話では、大好きなものを好きと思っているうちにニヒリズムに陥り、虚無的になってしまう。秋葉原にはそんな好き過ぎてニヒリズムになり虚無におちた目をした人たちが集まっていて、秋葉原ブッダと呼ばれるという話など、何だかよくわからないけれど面白くて聞き入ってしまった。

菅浩江 大森望

 「大広間」の雑談を覗いたり、風呂に入ったりして、次に参加したのは、「シラス 菅浩江 SF創作講座(仮)体験入学」
 「シラス」はゲンロンがやっている有料の配信プラットフォーム。菅さんはそこで「菅浩江のネコ乱入!〜創作講座と雑学などなど」というチャンネルをやっている。
 ぼくは少し遅れてPCにつないだので、企画はもう始まっていた。菅さんがパワポを使って小説講座をやるのかと思ったら、それはさわりだけで、後は小浜さんや大森さんとの雑談、昔話などが中心だった。
 菅さんによると、シラスのSF創作講座では物語の構造から説明しているが、まだ有料会員はとても少ないとのこと。大森さんが、いや東浩紀は菅さんがいれば大丈夫と、とても気に入っているようだと話す。
 大森さんが国立美術館の庵野秀明展に行った話をし、すごく立派なところでみんな真面目に見ていて、昔のウルトラマンなんかも真剣に見ているのが面白かったというと、菅さんは、昔、庵野ちゃんがアマチェアのころ、女の子ってお茶碗をどう持つのって聞かれたという話をする。大森さんが、菅ちゃんがまだ高校生なのに、ゼネプロみたいなところに行ったらヤバイだろうと京大SF研では心配していたというと、確かにエラいとこだったとの答えが……。
 それでもゲンロンの若手たちが入ってくると、真面目に編集者との接し方や作品応募などの質疑応答がはじまる。
 編集者とのコミュニケーションはどうすればいいんですかとの問いには、編集者の出るパーティに行ってあちこち顔を売ること。わたしがデビューした時は大森望にパーティに連れて行ってもらったと菅さん。今ならSFのコンベンションに参加するとか。大森さんはツイッターのアカウントにメールを送ったり、30枚くらいの短くてちょっと面白い原稿を送っておくと何かあったときに使ってもらえるという。でも百枚以上あると使いどころがない。小浜さんが出来の悪い原稿を送られてきたらどうするのと聞くと、菅さんは、書き直してもらう。無視されるのが書き手としては困るのでと答える。
 落選した応募作を改稿して他の賞に送るのはどうかとの問いには、落選作を別のところに応募するのは応募規定による。空気としては再応募はダメとなりつつあると大森さん。菅さんは構成がダメだったのなら書き直しという手もあるが、方向性がダメなら書き直してもダメ。小浜さんも、自分が一度書いたものを財産と考えるのはもっとうまくなってからでいい。当面は古い作品を書き直すより新しい物を書け。使い回しをうまくやるのは宮内悠介と高山羽根子だけだ、との答えだった。
 ちゃんと若手指南をやってますね。それにしても、菅さんの、一本木蛮ちゃんと互いに還暦になったらラムちゃんのコスプレしようねと話しているとの話に、あの菅ちゃんもついにそんな歳かと思う。しかしエライコッチャねえ。

手書きの図

 最後に参加したのは夜の11時から、下村思游さんによる「円城塔作品を語る部屋」
 下村さんは東北大SF研出身で、東北大の大学院博士課程で物理学を研究している物理の人かつSFの人。企画の内容紹介は「しばしば“難解な作家”として語られる円城塔。本企画では、作品に登場する概念をなるべくわかりやすく整理して紹介し、“わからないけどおもしろい”から“おもしろくてよくわかる”への転換を試みます。楽しみながら円城塔作品の理解を深めていきましょう。」とある。なお、資料は公開されている。
 円城塔作品を数理論理学・物理学的に分析し、そこに隠されている真のテーマを露わにするということで、これがとても面白かった。確かに円城塔作品(特に短篇)では文学的・SF的な内容が、数理的な構造の中に描かれているということは一見して明らかなのだが、ぼくら一般の読者にとって、それを漠然と面白がることはできても、その構造を実際の物理の言葉で分析するのは荷が重い。というか、とうていできそうにない。
 下村さんがまず指摘するのは、円城塔作品の重要概念として、「内部観測」があるということ。「内部観測」とは物理学用語で、下村さんによれば「観測者が見たい系の中に入っていて、対象と相互作用しないと情報が取って来れない。相互作用するので見る・見られることにより自分も相手も変化する。また距離も考えないといけない」というもの。これはぼくも聞いたことがある。対する「外部観測」は「観測者と対象が完全に分離していて、対象を全体に一瞬で情報を得る非破壊的な観測。どれだけ距離が離れていても全部一瞬で情報を取得する」というもので、日常世界では「見てるだけ」ということであり、普通にあり得るが、物理学的に厳密にいえばあり得ないものだ。「内部観測」では誰かを見ることは見られることであり自己言及につながる。
 具体的に、円城塔の作品で内部観測が出てくるものには以下のような作品がある。
 「バナナ剥きには最適の日々」脳みそがバナナ星人について話している。皮を剥かないと本質がわからないが、それは不可逆的である。
 「ドルトンの印象法則」読書によって人の心は変化するがテキストは変化していないように見える。ところがテキストもまた人の中にあるものだ。
 円城塔の重要概念としては他に「自己言及」、「補集合的記述」、「決定不能性」、「双対性」といったものがある(詳しくは上記の「資料」を参照してください)。
 Discordのチャットでの質問に答えたり議論したりしながら話を進める(というかなかなか進まない)。この議論もとても刺激的で面白かった。
 「φ」に関する話も興味深かった。150字から始まって0になって最後は空白になるのだが、この最後の空白(φ)が重要だという。全てがφに落ち込む。φは空集合だ。0は集合に含まれるから空集合じゃない。φからは何も出てこず、ここで宇宙が完成するのだ。なるほどと思う解釈だが、ぼくはまた違う読み方をした。『シャッフル航法』の書評で書いたが、記号で表現されるものである小説についての、自己言及的なお話であり、ここで記号=文字列の操作、演算、解釈を行っているのは一体誰かという問題がテーマになっていると思った。それこそが〈テキストワールド〉の執筆者なのだろうと。おそらくどちらが正解ということはないだろう。
 下村さんの、普通に小説を読む以上に、いくぶん過剰に数学や物理学に引き寄せて解釈するのもありだと思う。おそらく円城さん自身、それを意識して書いていることは間違いない。どの作品だったかは忘れたが、作品の「幾何学的」な構造を考えながら執筆したという話を本人から聞いたことがある。このような下村さんの作品分析を「異常論文」ならぬ「異常読解」だといった人がいたが、これは最上級の褒め言葉だろう。
 企画の終了は24時だったが、終了後も夜中の1時半ごろまで下村さんたちのボイスチャットを聞いていた。頭のいい若い人たちの会話は年寄りの頭を刺激してとても気持ちがいい。

 今年もいつもながらの楽しい京フェスを堪能しました。実行委員長はじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。また来年もよろしくね。

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