続・サンタロガ・バリア  (第206回)
津田文夫


 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。とはいいながら、最近は正月も特別感が失われてきたような感じがする。トシのせいかなあ。

 スター・ウォーズ最終エピソード『スカイウォーカーの夜明け』を、考古学を専攻した息子に車で連れて行ってもらってシネコンで見てきた。大昔のHAMACONでR2D2がレイア姫の立体映像を投影するシーンを見て以来、まさかこんなにも長い間続編が作り続けられるとは思わなかったなあ。この最終作はひとつの作品としてはやや散漫で、フォースの力比べが見せ場としては情けないほど工夫がないなど文句は色々あるが、スカイウォーカー宣言で幕が閉じられれば、まあ満足すべきだろう。息子はちょっと長い感じがすると云っていたが、第1作へのオマージュをいっぱい挟み込んでいるせいで間延びしているのと、カイロ・レンの使い方が緊張感に欠けているのが原因か。

 『この世界のさらにいくつもの片隅に』は公開当日に地元で見て年末に福屋デパート内の八丁座で見たけれど、公開前日には片渕監督のドキュメンタリーも見ているのだけれど、いまのところ感想が言葉になって出てこない。最初の印象は、ストーリーがつながっているという意味で、「ああ普通の映画になっているなあ」というものだった。相変わらずの猛スピードで一話一話が進むので、2時間48分があっという間に過ぎる。『スカイウォーカーの夜明け』が2時間20分で長いなあと感じさせるのとは随分違う。しかし地元の映画館の椅子では、見終わったあとの尻の痛さが時間の経過を思い知らせてくれる。その点八丁座の贅沢な広いソファはちゃんと時間を忘れさせてくれるぞ。

 10月末から12月ころまでバタバタして、本が読める環境になかったので、1回お休みしたのだけれど、それまでに読んだ本の内容を早くも忘れてる。

 スティーヴン・キング&ベヴ・ヴィンセント編『死んだら飛べる』は、題名からも編者の名前からも飛行機に関するホラー短編集であることは明らかで、特に読みたいわけではなかったけれど、ヴァーリイやブラッドベリ、E・C・タブが入っているし、ちょっとSFの新刊が品切れだったので読んでみた。
 ヴァーリイの「空襲」が伊藤さんの訳で「誘拐作戦」というタイトルで収録されたのはともかく、読んでから2ヶ月後ですでに収録短編の内容が思い出せない。あらためて目次を見ながらパラパラやると半分くらいは、ああそういう話だったと思い出すけれど、思い出せない作品も多い。さすがにドイルやマシスンの古典的作品は古びることがないが、SFファンからするとそれほど印象的な作品がなかったということかも知れない。

 宮内悠介『遠い他国でひょんと死ぬるや』は9月刊で読んだのは10月。さすがにこれくらいの長編になるとその内容がまだ記憶に残っている。
 これは竹内浩三というフィリピンのルソン島で戦死した実在の詩人に強い関心持つドキュメンタリー番組ディレクターを主人公にした物語で、そのプロローグからすると割とシリアスな筋運びが期待されるが、作者はなぜがノホホンとした雰囲気の冒険小説を組み立てて見せている。冒険小説になるのは、ディレクターが辞表を提出して竹内浩三探しにルソン島にとどまるからで、なぜか現地の金持ちのお嬢さんと仲良くなって、このお嬢さんの因縁話に巻きこまれることで冒険譚が紡がれる。竹内浩三が主人公にとって何だったのかは、エピローグで明かされるが、それはエンターテインメントとしての軽やかさの中ではあまり重みとして感じられないので印象に残らない恨みがある。

 ほぼ毎日1編ずつ読んだのが、東京創元社編集部編『宙(そら)を数える』と同編集部編『時を歩く』という、創元SF短編賞正賞他を受賞した作家たちのオリジナル短編アンソロジー2冊。必ずしもテーマアンソロジーというわけでもないので、収録作品が表題に沿っているかどうかはあまり関係が無い。
 『宙(そら)』の方はオキシタケヒコ、宮西建礼、酉島伝法、宮澤伊織、高山羽根子、理山貞二の5名。『時』は松崎有理、空木春宵、八島游舷、石川宗生、久永実木彦、高島雄哉、門田充宏の6名。個々の作家のそれぞれの作品は力作揃いで、必ずしも成功作といえないものもあるけれど、レベルは高く面白く読める。宮内悠介を入れると創元SF短編賞がどれほどバラエティに富んだSF作家(専業とは云えない作家も多いけれど)を排出したか、大森望と日下三蔵の功績は大したものと云えるだろう。
 広島に住んでいると、宮西建礼「もしもぼくらが生まれていたら」はリアリティがある。

 時間がとれないと分かっていても読みたいと思い読んだのが、佐藤亜紀『黄金列車』。佐藤亜紀は小説の文章が強靱という点でもっとも読みでのある作家の一人だと思う。
 今回は帯にもあるように、ハンガリーで行われたユダヤ人の没収財産をブダペシュトからオーストリアへ運ぶ列車の運行を任された現場の役人達の物語で、列車の存在自体は歴史的事実というシロモノ。
 派手なドンパチはいっさい無いし、執拗な殺人の描写もいっさい無い。第2次世界大戦末期でユダヤ人からの没収財産を何百キロも鉄道で運ぶ話にもかかわらずほとんど血が流れず、それでいてまったく緊張感は失われず、物語のリアリティが持続する。物語に笑いはほとんど無いが、これは人間喜劇なのだ。
 佐藤亜紀がこれほど文学賞に縁遠いのは不思議だけれど、まあエッセイ類からうかがわれるキャラクターからするとなんとなく分かる気もする。

 林譲治『星系出雲の兵站-遠征-2』は、中継ぎ編ということでなんとなく地味な感じがするけれど、登場人物がそれぞれ何かを構築中で、それはそれで読める。ガイナスの素性もだんだん分かってきて、次は序破急なのか起承転なのか、どっちだろう。

 神林長平『レームダックの村』は『オーバーロードの街』の続編ということで、街から村へ視点人物が強制的に連れ去られるところからはじまる1編。
 「レームダック」という言葉を久しぶりに見たなあ。昔はアメリカ大統領の2期目の終わりのことだったが、これをタイトルにしたという言うことは、村の命運は尽きていることを意味しているわけだ。作者は前作であらゆるネット環境をダウンさせた人類の敵を作り出したが、その起点となった少女の存在は今作では情報だけの存在となり、国家権力を利用しつつ国家権力の支配下から外れている巫女を中心とした村を視点人物がレポートする形になっている。そして前作にも登場し、今回視点人物が村に拉致されるきっかけを作った進化情報戦略研のリーダーが、国家権力の代表として視点人物に呼ばれて村にやってくる。
 ということで、村の中での様々な登場人物と視点人物が絡むてんやわんやが物語を進めていく。早川書房から出した『先をゆくものたち』の思念的なスタイルとは違った、エンターテイメント的なドタバタが楽しく読める。レームダックの村は終末を迎えたけれど、まだ先がありそうだ。

 第7回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作という春暮康一『オーラリメイカー』は受賞作ともう1編の、受賞作とは独立した中編を収めた作品集になっていた。
 遠未来の銀河系にいくつもの知的種族(もはや宇宙人とはいえないか)が生物系と非物質系にに大別して存在し、そのうちの人類系種族が様々な太陽系に非自然的変更を施したナゾの種族を追いかける話のように読めたが、ハードSFとしては面白く読めるものの斬新さという点では先行作を大きくはみ出るような感じではない。なぜか六冬和生『みずは無間』を思い出した。併録の『虹色の蛇』はタイトルが覚えられないけれど、ストーリーもアイデアもよく出来たエンターテインメントSFで、作者の手腕が楽しめる。

 ついに出たという意味では、『三体』と並んで2019年翻訳SFの目玉だったと云えるのが、テッド・チャン『息吹』ということになる。
 まあ、表題作が圧倒的なのは誰しも認めるところで、昔メリルが「SFに何が出来るか」と云っていたけれど、これはその回答になり得る作品だろう。
 とにかくこの作品集の骨とも云うべき作品群はどれも面白くそして倫理的である。鏡明さんがよく書いているようにSFは本質的に倫理的な物語だということをこの短編集ほど雄弁に語っているものは少ないだろう。
 とはいえ読後感を転がしていると、「倫理的な」物語はある意味余計なお世話またはお説教と捉えられることがないでもない。あまり「倫理的」な面からここに収録された作品群を眺めるとちょっと憂鬱になるかも知れないなあ。
 そういう点では、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」と「不安は自由のめまい」は長いだけあってやや冗長かも。「商人と錬金術師の門」は何回読んでも楽しいが。

 2ヶ月かけてぽつぽつと読んでいたのに結局大いなる失望と共に読み終えたのが、新☆ハヤカワ・SF・シリーズから出たフォンダ・リー『翡翠城市』
 一番の原因は600ページも読んだ後で、これがシリーズ物のプロローグ編に過ぎなかったことだろう。基本的に新人作家の作品は前情報を入れずに読み始めるタイプなので、ぱっと見に「SFアジアン・ノワール!」以上の予断はないまま400ページくらい読んだところで、ストーリーの構成上よっぽどのドンデン返しがないと、これってもしかして終わらないんじゃないかと気づいた。帯に「SFアジアンノワール開幕編!」とでもあれば、そう思って読んだろうし、または最初から手を出さなかっただろう。しかしこれがシリーズ物の第1巻であることは、裏表紙にも書いてない(帯に隠れた部分に書いてあった!)。せめて岡本俊弥さんの書評をちゃんと読んでいれば良かったのだが、前述の通り読み終わってから岡本さんの書評を読むことにしているので、どうしようもない。
 作品自体は、マフィアの縄張り争いがほぼ地球と見分けが付かない異星の街で展開し、マフィアの長たる資格は、超人的パワーをもたらす「翡翠」をどれだけ身につけられるかによって決まるという設定。これではマフィアの抗争ものとしては楽しく読めるが、SF/ファンタジーとしてはまったく退屈な設定だ。どんな話だってSF/ファンタジーにできるが、SF/ファンタジーにしなくても面白く書ける物語が面白く読めるのは当然で、だからといって面白いSF/ファンタジーかというとそれは違うのだ(SF原理主義者の主張だな)。

 ノンフィクションは何冊か読んだけれど、今回は藤崎慎吾『我々は生命を創れるのか 合成生物学が生みだしつつあるもの』だけ。ブルーバックスの1冊で昨年8月刊。
 この本はすでに大野万紀さんのレビューがあるので、内容についてはそちらで的確に紹介されています。とはいえ、今回この本を読んだのは大野万紀さんの書評以前に、化学を専攻した方の息子と昨年9月頃に電話で雑談していたところ、最近読んだ面白い本ということで息子に勧められたいたからだった。
 まあ、実際はなかなか読む時間が無くて、大野万紀さんのレビューを読んだ後に読むことになったけれども、藤崎慎吾はやはりSF作家的な感性があって読んでいて嬉しいところがあるなあ、というのが内容の面白さとはまた別の感想だった。
 それにしても生命のおおもとを人工的につくるやり方がこんなにもバリーションに富んでいるとは驚きだ。


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