内 輪   第340回

大野万紀


 奥さんと夫婦割引で映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました。評判どおりの、大変良い映画でした。
 フレディファンの奥さんは、本物じゃないからと初め消極的でしたが、見終わって大満足。
 正直、ストーリーは甘々の予定調和(?)で、すごいというようなものではないけれど、安心して見られます。本当に本物そっくりの――何しろフレディ・マーキュリーの両親まで本物そっくりです――俳優が演技していて、それに実際の音楽や映像がシームレスに重なり、特に「LIVE AID」のシーンは記録映像と今の映像とCGとが一体となっていて、本当のライブみたいで、とっても素晴らしい!
 ヒューマンヒストリーとしても、恋愛映画としても(やっぱり甘々だけど)よく出来ています。若いフレディがクイーンの前身だった学生バンドに参加し、恋をし、楽曲を作り、売れ、とっても売れ、ものすごく売れ、バイセクシャルな自分に気づき、メンバーやスタッフと対立し、自堕落になり、裏切られ、死を見つめ、復帰し、そして20世紀最大のライブでクライマックスを迎える――。
 LIVE AIDの直前に、フレディがエイズにかかていることをメンバーに打ち明けるシーンは事実と異なるそうですが、それでも感動の押し売りというより、小出しな抑えた演出となっているので、押しつけがましくはなく、わかりやすくて自然な感動があります。
 ブライアン・メイとロジャー・テイラー本人が映画のスタッフとして参加しているためか、暗い面はあっても、基本的にみんないい人として描かれており、語り口がユーモラスで、とっても可愛い。ジョン・ディーコンはもともとあまり目立たない存在でしたが、ここでは大事なところでひと言いって、みんなをまとめる役どころに描かれています。そして効果的に使われているフレディの猫の登場するシーン。その猫さんたちの可愛いこと。
 でもって、LIVE AID。これですよ。映画館で大音響のライブの気分。知っている曲ばかりだし、声を上げたくなります。さすがにジジババが多かったせいか、それはなかったけれど、体が動いている人はたくさんいました。普通の映画と違い、エンドロールが終わるまで、席を立つ人がほとんどいませんでした。

 先月ここに書いていた『理科年表』ですが、シミルボンに「『理科年表』を読んでみよう」と題して、『理科年表』2019の紹介記事をアップしました。もちろん、頭からちゃんと全部読んだわけじゃないんですけどね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『風牙』 門田充宏 東京創元社
 本書は第五回創元SF短篇賞を高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』と同時受賞した短篇「風牙」に、「閉鎖回廊」「みなもとに還る」「虚ろの座」の中短篇3編を加えて、連作短篇集としたものである。
 表題柞の掲載された『年刊日本SF傑作選 さよならの儀式』の書評でも書いたが、同時受賞のこの二編、ぼく個人としてはこちら、「風牙」の方が小説としてのできの良さ、面白さでは優っていると感じた。改めて読んでみても、やはりそう思った。「風牙」には、「ランドスケープ」のような尖ったアイデアやマニアックさはない。だからSFとしての魅力にはやや欠けるところがある。しかし、大阪弁をしゃべる少女のサイコダイバーが、自分に身近な人たちの心に強烈な共感能力をもってダイブする物語には、圧倒的な面白さがある。解説の長谷敏司さんが書いているように、こんな作者を4年間もほったらかしにしておくとは何事かと思う。
 サイコダイバーものではあるが、過去のサイコダイバーものがどちらかというと精神分析から来ていて、オカルトぽく、ホラーよりだったのに比べ、本書ではより現実的・技術的に「見える」物語となっている。現実に存在するHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という、生まれつき刺激に敏感で、周りからの刺激を過度に受け取ってしまう生得的な特性をSF的に拡張し、他人の感情や意識を読み取る共感能力が自己と他人との境を曖昧にしてしまうほど過剰な人々が存在するとしているのだ。さらに、疑似人格モジュールや共感ジャマーといったIT技術を使って、その体験を翻訳し、誰もが経験できるようになった未来を描く。
 主人公の珊瑚はまるでじゃりン子チエみたいな大阪弁をしゃべる元気な若い女性だが、HSPの度合いが並外れており、子どものころは大変だった(らしい)。そのころの記憶は失われている。彼女は不二社長――HSPの過剰な力を共感ジャマーで抑え、同時にその能力を使って他人の意識世界を普通の人にも理解出来るよう翻訳し、コンテンツ化するという事業を立ち上げた――によって救われ、彼の会社の感覚情報翻訳家(インタープリタ)となった。だが不二は若くして死病に冒され、自分の記憶データのレコーディングを依頼する。ところがそのレコーディングがいつまでたっても終わらない。異常事態に、珊瑚が彼の記憶に潜入することとなる。そこで珊瑚が見たのは――一頭のラブラドール・レトリーバーだった……。「風牙」はその犬の名前である。
 つづく「閉鎖回廊」では、珊瑚がこの会社に入ったとき、お兄さんと慕ったコンテンツクリエーターの開発した〈閉鎖回廊〉というお化け屋敷的なホラー・アミューズメント・コンテンツが描かれる。人気の高いコンテンツだが、そこには罠があった。この作品も珊瑚の活躍と、家族の暗い過去が深みを与えている傑作だ。
 その後の二編は傾向が変わる。珊瑚のインタープリタとしての活躍を描くより、彼女の過去と、母や父の物語が中心となる。「みなもとに還る」では、HSPの生きづらさを宗教的なコミュニティの中で昇華させようとする集団が描かれ、そこに珊瑚と、珊瑚の家族が関わっていく。「虚ろの座」では珊瑚は背景に退き、父と母の物語が中心となる。共感、コミュニケーションという人間にとってなくてはならないものが、過剰な力をもったときどんな残酷なものになり得るのか、ここではそれが深く重く追求される。そして珊瑚という人間にも、さらなる深みが与えられるのだ。
 しかし、ぼくの読解力の問題なのかも知れないが、これだけでは不十分に思える。何より、珊瑚がどのように今の人格を形成したのか、その物語はぜひ読みたいと思う。あの大阪弁をどこで覚えたのかも含めて。確かにヒントは提示されているのだけれど。

「逆数宇宙」 麦原遼 ゲンロン(Kindle版)
 第2回ゲンロンSF新人賞の優秀賞に選ばれた作品。電書で購入できる。中編だが、中身は濃く、なかなかすんなりとは読めない。
 タイトルからもわかるように、いわば宇宙論SFで、そこを語ればいきなりネタバレとなってしまう。でもこういうハード・アイデアSFだと、そこを論じたくなってしまうよね。もっともアイデアそのものはシンプルで、解説の大森望はバリントン・ J・ベイリーを引き合いに出しているが、そのバカバカしいくらいの奇想は、確かにベイリーを思わせる。ついでに大森は、後半がイーガンだといっているが、ぼくはそこもやっぱりベイリーだと思う。その後半の、謎が解けるクライマックスの描写で、ぼくはあれ、次元が足りないのかなと悩んでしまった。もちろん作者はそれも承知の上で、読者へのわかりやすさのためにそう描写したのだろうが。
 というのも、この小説、なかなかイメージが掴みにくいのだ。これでもずいぶん改稿されてわかりやすくなったそうなので、作者の頭の中ではもっとすごくとんでもないイメージがぐるぐるしていたのではないかと思ってしまう。
 物語は遥かな未来、自らを光に変換し、宇宙の果てをめざす旅に出たノアとアナンドリの二人が、地球を出て4億年後、ある惑星にぶつかってその地下の迷宮に閉じ込められてしまったところから始まる。旅を続けるため(その目的はこの宇宙の終末とからんでいる)、彼らはこの惑星の生物に文明を発達させ、十分な技術力をもつようになるまで育成しようとする。おお、『火の鳥 未来編』や『神様はつらい』や、そういった話を思い浮かべるのだが、1億年以上もかけてもなかなか苦労が報われない。そのうち二人の思惑も異なってきたりして……。
 この、何というか膨大な時空のスケール感と、元は人間だったはずの主人公たちのドラマが、どうにもレベル感がマッチせず、ぼくには読みにくく感じた。1億年も人間性を保持していくなんて、どうよ。このあたりもっと割り切ってあっさりと書けば、もう少し短くて切れのいい話になったのではないかと思う。人の言うことをあまり気にせず、思うがままに書いた方がすごかったかも。まあそれじゃあ読んでもらえないか。とはいえ、作者の冒険には拍手を送りたい。もっと違ったタイプの作品も書ける作者だということであり、期待は大きい。

「ラゴス生体都市」 トキオ・アマサワ ゲンロン(Kindle版)
 第2回ゲンロンSF新人賞の、こちらが受賞作だ。未来のナイジェリアを舞台にしたサスペンスSFで、確かに読みやすさでは「逆数宇宙」よりずっと読みやすい。文体はよくあるハードボイルド調の、スピード感とユーモアのあるもので、ありきたりといえばありきたりだが、新人の作品とは思えないくらいすんなりと読み進められる。大森望の解説では「サイバーパンク流」とあり、岡本俊弥は田中光二『幻覚の地平線』を思い起こさせるといっていたが、なるほどね。
 未来のナイジェリア、首都ラゴスは「遺伝子操作技術、クローン技術、ヴードゥー死者蘇生術の粋を結集して生み出された」〈貯蔵体(ネオモート)〉を核とする〈生体都市〉となった。そこでは出生から天気、食事、仕事、人間関係や感情まで全てが制御され、セックスも禁止されている。主人公のアッシュは焚像官(リムーヴァー)と呼ばれる、ポルノを摘発し、反政府活動を取り締まる保全局のエージェントだが、実は裏世界とつながりがあった。彼はある店で、謎めいたディスクを発見する。そして……。
 と物語は管理社会側と、それに対抗する側との、いわば魔術的な闘争を描いていく。エキゾチシズムに溢れる魔術的なところは面白いのだが、何というか、これぞディストピアでございというような戯画的な社会の描き方にはちょっと白ける。管理者側と裏世界の側の人々は生き生きと(現代のわれわれとさほど変わらぬ感性で)描かれているのに、普通に生活しているはずの大多数の人々の姿が見えてこない。
 それは、この物語の設定にかなり無理があるからではないかと思う。〈生体都市ラゴス〉が世界の他の国々とどう関係しているのか、いや、ナイジェリアの他の地方とどう関係しているのか、そういうダイナミズムが捨て去られているように思う。だから、まるでサイバースペースの、いちドメインの中での物語のように読めてしまうのだ。いや、その限りにおいては完成度は高く、とても面白く読める。この世界の外側に何があるのか、それはきっとまた別の物語なのだろう。

「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」 高野史緒 Kindle Single
 kindle singleの短篇。現代の日本で、グラーフ・ツェッペリンの幻影を見る。ノスタルジックで幻想的なファンタジーかと思ったら、まぎれもなくとんでもない傑作SFだった。もちろん、過去の記憶、子どものころ見た田舎の町や祭、地方都市(ここでは高野さんの思い入れのある土浦)の街並や路地裏の臭いまで、ノスタルジックで幻想的な要素はたっぷりとある。というか、その描写がすばらしい。そして同時に、量子コンピュータや並行宇宙のテーマをからめた現代SFとなっているのだ。
 主人公の女子高校生、夏紀は、従兄で量子コンピュータの研究をしている登志夫の実験につき合っている。夏紀が子どものころ、母親の故郷の土浦で見た、あり得ないはずの飛行船の記憶を探ろうというのだ。それは90年前、1929年に実際に土浦の霞ヶ浦海軍航空隊基地に寄港したグラーフ・ツェッペリンの姿に違いなかった。1960年代に祖母が残した日記にも、30年以上も前の巨大な飛行船の姿を見たとの記載がある。登志夫は、そこから何らかの事実があるだろうと想像し、ぼんやりした記憶をもつ夏紀に実験を依頼したのだ。夏紀は登志夫の作った量子コンピュータとつながるVRゴーグルをつけ、記憶をたどりつつ土浦の町を歩く。そして彼女は、〈世界の小さな「開け口」〉を見ることになる……。
 現代SF的な物語としては、宇宙論にまでかかわる一つの仮説が語られるが、この小説の魅力は、何といっても特殊な拡張現実ゴーグルをつけた夏紀が、土浦の町でしだいに入り込んでいく過去への道のりであり、その生き生きとした描写である。そこに暮らす人々の声、息づかい、生活の臭いである。記憶と時間、今と過去の混交。それがとても魅力的だ。
 大森望はこの小説をフリッツ・ライバーの「あの飛行船をつかまえろ」の日本版だと評したが、ぼくはそれに、キース・ロバーツの「ケイティとツェッペリン」をつけ加えたい。飛行船って、どうしても失われた世界のノスタルジーを誘うよね。

『六つの航跡』 ムア・ラファティ 創元SF文庫
 R・A・ラファティとは関係ない73年生まれの作者の、2018年ヒューゴー、ネビュラの候補作となったSFミステリーである。
 設定がいい。宇宙空間で、閉鎖された宇宙船の中での殺人事件である。それも登場人物全員が殺されてしまった後の、その登場人物たちによる犯人捜しと新たな犯行の物語。というのも、登場人物全員がクローンなのだ。それも殺されるずっと以前の記憶をインストールされてよみがえったクローン体。だから、自分たちの中に犯人がいるのは確実なのに、誰も(犯人すらも)その記憶を持たない。でも犯行の動機は変わらず存在している。さらに宇宙船の(かなりウザい)AIまでからんでくる。AIもハックされていて、事件のデータは消去されている。すごく魅力的な設定だ。
 まさにSFでしか書けないSFミステリー。ところが、疑心暗鬼のサスペンスが高まってくるにもかかわらず、物語は彼らの過去へさかのぼっていく。まあ、誰が、どうやってという謎も大事だが、再度同じことが起ころうとしているわけで、なぜ、どうしてという動機の解明が重要なことはわかる。そのため、物語は、この世界でのクローンという存在の位置づけ、その社会的な意味といったことに深く入り込んでいく。彼らはみんな、そこに強く関連付けられた存在なのだ。
 ポストヒューマンの社会を電脳側でなくクローンの側を中心に描く視点は興味深い。しかしまあ、それ自体は大変面白かったのだが、話がもたつくことは否めない。もっと整理すればこの半分の分量で済んだはず。そして、困ったことに作者はわりと大ざっぱなのね。細かいところは適当というか、すごいテクノロジーにおまかせというか、ほとんど魔法の世界かも。未来人の倫理感なんて、かなり不可解だし。だから、しだいに明らかになってくる黒幕が、いったいどういう人物で何を考えているのか、ちょっと理解に苦しむところがある。いやそれでもキャラクターは立っていて、エンタテインメント作品としては面白く、大満足だ。
 それにしても謎テクノロジーのすごいこと。本書の真の主役は、実はもの言わぬ3Dフードプリンターのビヒモスくんに違いない。ホントにすごいんだから。

『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』 三方行成 早川書房
 第6回ハヤカワSFコンテストの優秀賞受賞作。もともとがネット小説として書かれたということと、童話や昔話をSF的に再話するという、いかにもSFファンがやりそうな(ファン創作では山ほど書かれている)内容だけに、ちょっと偏見をもって手にしたのだが、ごめんなさい、傑作でした。
 「地球灰かぶり姫」(シンデレラ)、「竹取戦記」(かぐや姫)、「スノーホワイト/ホワイトアウト」(白雪姫)、「〈サルベージャ〉VS甲殻機動隊」(さるかに合戦)、「モンティ・ホールころりん」(おむすびころりん)、「アリとキリギリス」(アリとキリギリス)の6編が収録されているが、初めの方は昔話のストーリーを追っているものの、後半では昔話はモチーフのみで、独自の物語となっている。最後の1編ではそれまでの話をつなぎ合わせる要素も含まれている。
 何といっても「竹取戦記」が大傑作。ゆるくてコミカルで、いかにも今どき風の文体に、ハイテクSFやハードSF的な用語と描写がうまく溶け合い、楽しくて胸ときめく、SFファン大喜びなお話となっている。かぐや姫や竹取の翁もいいけど、この話を盛り上げているのは脇役の竹たちでしょう。知能をもって竹取の翁と攻防戦を繰り広げている竹たち。何か愛おしくて可愛いのだ。
 ずっと未来、人類は肉体を離れて(必要な時には〈具体〉にダウンロードする)トランスヒューマンとなった世界。不老不死が実現し、何でも思うがママの世界。昔クラークが、進歩した科学は魔法と区別がつかなくなるといったが、それはおとぎ話が現実になるような世界かも知れない。そんな世界でも、人々の間には昔話を思わすような差分があり、ドラマがある。また、トランスヒューマンの上にはポストヒューマンという、どうも人間には理解出来なくなった存在がいるようだけれど、その違いはよくわからない。いずれの話でも、宇宙の果てから地球を襲い、大きな被害をもたらすガンバ線バーストが背景に描かれている。
 実をいうと、このガンマ線バーストの話がちょっとピンと来ない。あまり効果を上げていないように思うのだ。作者にどんなこだわりがあったのかはわからないが、何しろトランスヒューマンの世界であって、大きな事件ではあっても、ガンマ線バーストが人類絶滅というような致命的なことにはつながらない。それと、いくつかの話ではガンマ線バーストを事前に感知していたような描写があって、超光速の存在しないこの世界では、それはガンマ線バーストそのものではなく、その前兆が捉えられていたのだろうと思うが、それならもっとずっと前から準備ができていたのじゃないかと思う。まあ童話集なので、そこを突っ込んでも大して意味はないが。
 コンテストの選評を読むと、小川一水を除き、この作品が選者たちにあまり高く評価されておらず、あんたらはアホなのかと腹を立てたが、冷静になって考えてみると、まあそういう評価もあるだろうと思うようになった。ただ、それ以上の広がりはむずかしいとか、自分の力を見切る才能が必要とか、求心力がなくなるのが惜しいとか、そりゃ批評としては正しいけれど、ほっとけと思う。そんな言葉を気にして、きれいにまとまった作品など読みたくない。作者には自由に思うがまま、破天荒なままに書き続けて欲しい。まあそれで売れなくても、知らんけどね。
 ぼくはガンマ線バーストや昔話から離れても、この世界をもっと遠くまで旅してみたい。それだけの魅力はある作品だと思う。

『NOVA 2019年春号』 大森望編 河出文庫
 帯に「小さなSF専門誌」とあるが、もちろん雑誌ではなくて不定期刊の日本SFオリジナルアンソロジーだ。3年前に第10巻が出た『NOVA』の新たな出発となる。
 本書ではベテランから新人まで、10人の作家の10編が収録されている。いずれも個性的で面白かったが、とりわけ社会批評的な作品が心に刺さった。
 新井素子「やおよろず神様承ります」は、日常生活にいっぱいいっぱいになっている39歳の専業主婦が、「順番順番いっこっつ」(順番順番一個ずつ)の神様を勧められるというお話。この神様が面白い。いや、神様は出てこないのだが、ボコノン教と同じくらい「都合のいい」神様で、ぼくも本気で信心したい。物語は実際とても生きづらい今の世の中を描いているのに、ホワホワと読める。
 小川哲「七十人の翻訳者たち」はプトレマイオス朝での旧約聖書のギリシア語翻訳にまつわる奇怪な事件と、量子コンピューターを使って物語の「ゲノム」を解析しようとしている研究者との関わりを描く本格SF。意識、言語、物語、時間といった現代SFのテーマが、知的に、エキゾチックな舞台で展開する。特に物語ゲノムという発想が刺激的だ。
 佐藤究「ジェリーウォーカー」はノンストップ・モンスター・ホラー。実際の生物から迫真的なモンスターを作り出すというCGクリエーターが、本物のモンスターと遭遇することになる。いやあこのドキドキ感、迫力満点。
 柞刈湯葉「まず牛を球とします」はまずタイトルが秀逸。人工肉を巡る物語が、意思疎通のできない異星人によって次第に滅ぼされていく人類の物語を背景に、淡々と語られる。このそんな大きなことはあまり気にしない感がとてもいい。
 赤野工作「お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ」は長いタイトルだが、逆に小さなことをとても気にする話。格ゲーで数フレームを争う対戦をしていたライバル二人が、老人となってまた戦おうという話なのだが、自分がもう老人なだけに、オタクな老人の愚痴をえんえんと聞かされるのはとても辛い。そんなイヤな老人への作者の愛ある視点が何かチクチクと刺さる。
 小林泰三「クラリッサ殺し」は、作者の「~殺し」シリーズを思わすタイトルだが、殺されるのはレンズマンのヒロイン、クラリッサだ! でもパロディというのじゃなく、現実と仮想の重層性をホラーSFの手法でネチネチと描く、作者お得意の傑作SFである。最後のひと言がとてつもなくすばらしく、ぞっとする。
 高島雄哉「キャット・ポイント」は猫SF。街の中の癒やし猫のいるスポットを分析して広告に使えないかと研究する話だが、実在の物理学者たちと猫のエピソードが面白い。
 片瀬二郎「お行儀ねこちゃん」も猫SFだが、これはとんでもない(イヤな)傑作だ。猫好きは絶対に読んではいけない(と書くと読みたくなるでしょう)。ぼくは猫より犬派なので大丈夫、大爆笑したが、ほんと、ヤバイ小説だ。とても内容は書けません。絶対化けて出るよ。
 宮部みゆき「母の法律」は、国家が親権を管理する〈マザー法〉ができて、虐待から保護された子供たちが養父母の元で平和に暮らしていると、そこに……という物語。近未来社会の設定を詳細に描きつつ、その中での人間の心の動きを鋭く衝撃的に描き出す。まさにベテランの筆だ。
 トリは飛浩隆「流下の日」。これも近未来ディストピアSF。現代の歴史がどこかで大きく変わった並行宇宙の日本だと思われるが、水害に見舞われた地方での復興の物語と、見方によってはユートピアのようにすら思える、テクノロジーによって人の心も支配する強権的な首相の政治とが、ある時点で交差し、表裏が逆転する。心を支配されることへの反攻の物語だが、地方の風景と風物、そして嵐の夜の恐怖、はっと目に染みる色彩がとても美しい小説である。


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