ロバート・L・フォワード/山高昭訳
 『ロシュワールド』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫SF
 昭和60年8月31日発行
 (株)早川書房
The Flight of the Dragonfly by Robert L. Forward (1984)
ISBN4-15-010627-4 C0197


 LCC0040〈バーナード星〉
〈太陽系〉から十一時の方角に五・九一光年すすむと、これまた有名な〈バーナード星〉がある。
 この星はじつにさまざまな視点から多くの人々の興味をひいてきた。
 まず距離が近い。〈トリマン〉を三重連星系と考えると、二番めの近距離星である。
 つぎに固有運動が大きい。三次元の相対空間速度に直すとトップではないが、天球上の移動速度では全天一といわれている。
   (中略)
 そのつぎが惑星の存在である。(中略)全天中もっともその可能性がたかいとされ、それが大きな理由となって『ダイダロス計画』の旅行目的地の最有力候補に選ばれている。また赤色矮星ではあるが比較的安定していて、閃光星ではない――という点も大きな魅力である。
(石原藤夫『光世紀の世界』総合解説 第八草「光世紀・観光案内」より)

 惑星探査の進んだ現在、現代SFは(特にハードSFと銘うたない普通のSFであっても)太陽系の諸惑星を描くにあたって、科学的でリアルな描写をせざるを得なくなっている。明暗境界線のある水星や、運河のある火星、熱帯植物が繁茂する金星を書く作家はまさか今どきいないだろうが、さらに輪のある木星、硫黄の火山のあるイオ、スモッグに覆われたタイタンなどを描かねば不勉強と非難されかねないのが現状である。この点、恒星の世界はというとまだまだ作家たちの自由にまかされている。ごく基本的な科学的常識さえ守られていれば、多少の飛躍は大目に見られるのが普通だ。なにしろ恒星まで出かけること自体が現代の物理学をもってしても非常な困難事であり、たいていの場合は完全なファンタジイとなってしまうのである。
 ところが、今や近距離星の世界は、惑星と同様に、ファンタジイから科学の領域へとしだいに移りつつある。恒星とそこにあるかも知れない惑星の研究が進み、さらにそこへ行く手段についてもSF的というよりは科学的な考察がなされているからである。先に引用した石原藤夫氏は、太陽から百光年以内の恒星の世界を〈光世紀世界〉と呼び、従来の架空の星々を舞台にしたSFとはまた違った、〃新しいワンダーランド〃がそこに開かれるのではないかと提唱しておられる。氏の非常な労作である『光世紀の世界』は、この〈光世紀世界〉に属する星々の最新のデータを星図の形でまとめあげたものだが、その序文で氏は次のようにいっておられる。

 一般的にいって、私がデビューした当時までの精密な〃宇宙ハードSF〃の舞台といえば、そのほとんどが太陽系の内部にあったといえる。
 アーサー・C・クラークの『火星の砂』とかスタニスワフ・レムの『金星応答なし』とか、いまでもその名場面が脳裏にうかんでくる。
 そのような太陽系内の諸惑星を舞台にしたSFにおいては、当時としては知りうるかぎりの天文学的データが作中に活かされ、それが作品に迫真力をもたせる原動力となっていた。
 ところが、舞台がいったん太陽系をはなれて他の恒星の世界になると、それがいくら近距離の星界であっても、とつぜんのように、実際の状態とはかけはなれた架空の世界ばかりが登場するようになるのだった。(中略)
 むろん私は架空の恒星での〃ハードSF〃を認めないわけではない。それはそれで興味ぶかい。また、完全に架空の世界での冒険物語もとてもおもしろいと思う。
 しかし、地球上でのこれまでの冒険物語が、アフリカの奥地や南太平洋の孤島や、未踏の北極地帯に舞台を設定して、われわれをワクワクさせてくれたように、宇宙空間においても、〃わかっている世界〃の内部にある〃未知の領域〃に舞台を設定することによって、過去にはなかった種類の迫真力のある物語が創造できるのではないか――と考えたのである。

 そして〈光世紀世界〉の科学的研究の現状については、第二章「『光世紀星表』のすべて」で次のように述べておられる。

 ところで、この〈光世紀世界〉の宇宙像は、だいたいのところをいうと、一九三〇年から一九五〇年にかけての太陽系内の像と同じレベルで明瞭になってきていると考えることができる。
 ということは、一九三〇年〜五〇年代の太陽系内を舞台にしたSFと似たレベルの科学的正確さで、〈光世紀世界〉を舞台にしたSFが創造しうるということである。
 宇宙飛翔体の技術にも似たことが言えるだろう。当時の宇宙ロケットについての知識と現在の銀河旅行――恒星間飛行――についての知識とはほぼ同じレベルにあると考えられるのだ。

 そして、本書こそ、まさにそのような意味で〈光世紀世界〉を描いた 〃宇宙ハードSF〃だといっていい。
 バーナード星といえば太陽からわずか五・九光年。地球に最も近い恒星のひとつである。そこへ行くために、これだけの規模の空想科学的テクノロジーが必要とされるのだ。これがつまり、かつての太陽系と同程度の科学的正確さでもって恒星の世界を描くということなのである。本書の著者ロバート・L・フォワード博士は、本書で用いたレーザービームによる宇宙船の推進法――と減速法――を専門の雑誌に論文として発表している。これはすなわち、SFと科学が同時進行しているといっていいような分野なのである。レーザービームによる宇宙船の推進は大変効率のいい――なにしろ宇宙船側に燃料がいらないのだから――推進法として以前から考えられていた(SFではラリイ・ニーヴンの作品などにその例がある。また、ディテールについては、石原藤夫氏の『銀河旅行と特殊相対論』に良い解説がある)。しかし、この方法の欠点として、加速しかできないため、行き先にあらかじめ同様なビーム発生装置を備えておくか、宇宙船内に別の減速手段を用意する必要があった。フォワードは発想を変えて、太陽系からのビームのみで減速する方法を考えたのである。
 しかし――科学性ばかりを強調するのはフォワードの意図に反することになるだろう。フォワードが本書で書いたのは科学論文ではなく、あくまでもSFなのだ。バーナード星に大質量の惑星が存在するというのは、科学的に根拠のあることである。しかしロシュワールドのような惑星は空想の産物であり、もちろんそこに生息するすてきな異星人たちもそうだ。本書における〃科学性〃は、様々なレベルのものが重なり合っている。場合によっては非科学的どころか論理的整合性すら無視したような部分も存在している。しかしそれらは物語が要求するものであり、決して否定すべきものではない。サーフィンが大好きな不定型生物との楽しいコミュニケーションは、もはやそれが科学的にあり得るか否かといった論議を超越したものだといっていいだろう。彼らはとても魅力的であり、ロシュワールドは〃わかっている世界〃の中の〃未知の領域〃、〃新しいワンダーランド〃なのである。
 フォワード博士に関しては、前作『竜の卵』(ハヤカワ文庫SF468)の解説を参考にしていただきたい。以前にもましてSF界との接触を活発にしており、自らSF作家となった今も、他のSF作家たちに貴重な科学的アイデアを提供したり助言したりしているようである。最近、彼の息子もSF作家としてデビューした。ますますの活躍が期待される。
 最後に、海外SFの情報に詳しいファンジン〈ばらんてぃあ〉八三年十二月号より、本書に関わるエピソードをひとつ紹介しよう。チャールズ・シェフィールドといえば、わが国にも何冊かの長篇が訳されているハードSFの中堅作家である。彼の『星ぼしに架ける橋』は、アーサー・C・クラークの『楽園の泉』と同時期に書かれ、偶然同じようなアイデアを用いていたことで話題となった。その彼と、『竜の卵』を書き終えたところのフォワードがある所で一緒になった……。

 ……シェフイールドが、「『竜の卵』は評判がいいね。ところで次の長篇は?」
「それはできてからのお楽しみさ」(と自信ありげ)「ところできみは最近なにか書いたかい?」
「ああ。今度出る雑誌にロシュの限界よりも中心距離の短い双子惑星の話を……どうしたんだ?」
「いま書いている長篇は『ロシュワールド』というんだ」とフォワード。
「……まさか、距離が近すぎるために一方の星の海の水がもう一方の星へすいあげられるなんてシーンは……」
「出てくるんだ、それが」

1985年8月


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