昭和 56年、ドラマで池中玄太を演じた西田敏行の歌。
阿久悠さんはいう。
この頃あたりから男のタイプが変化してきたように思う。
もてる男の主流ははっきりと、背も高く、顔もよく、明るく、楽しく、軽やかでという条件になり、
それまでの男が心の支えにしていた誠実さも、重厚さも、謙虚さもすっかり旗色が悪くなる。
それは同時に、生き方に関しても言えることである。
不器用の奥の真の強さもやさしさも、パフォーマンスがないと感じてもらえない世の中の薄さに、少し寂しさを覚えていたのである。
「ピアノ」は、ピアノであってピアノでない。
少しばかり器用なサービス精神と解釈してもらってもいい。
一言でいいのになぁと思いながら、その一言を飲み込んでしまういじらしい男が、ちょっと前までいたのである。
...
西田敏行が演じる鶴を映すカメラマンの池中玄太は、それほどまでに禁欲的ではない。
むしろ饒舌にしゃべり、滑稽に振る舞うところもあるのだが、しかし、よく見ると、心のいちばん深いところには頑固さ、不器用さもあって、僕はそれに「願い」を託してみたくなった。
ただし、それらを旗印にして時代錯誤にはなりたくないので、「ピアノが弾けたら」という言い方を選んだのである。
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