目についたことば

岡島昭浩
97.5.1-4
【半疑問】
 gooで、鼻濁音について検索したら半疑問形の基礎知識というページを発見してしまった。
 私がこの言い方を耳にしたのは、いや、耳にしたのはずっと以前から有るわけですが、頻繁に繰り返される半疑問を聞いて耳障りに思ったのは、それでも今から八年以上前に遡ります。私の九州時代、酒を飲む場所での話です。この店、私はあまり好きではなかったですし、国語学関係者はこの店のような洋酒を出す店よりは、焼鳥・炉ばた焼のようで焼酎を出す店の方によく行っていたのですが、国文学の方の人といったり、学生時代にサークルが同じだった友人などと、たまに行くことがあった店でした。
 そこの「ママさん」というのでしょうか(「ママさん?」と半疑問で言うところか)、私はこの「ママ」という言い方も苦手で、この店でも口にしたことがなかったと思いますが、その女店主が、なぜか私の友人だったか先輩だったかに対して長話を始めたのです。夜遅かったこともあって、私は次第に眠くなってきたのですが、頻繁に繰り返される半疑問の度に、ハッと目覚めさせられてしまうのでした。長い話が終って店を出たときにはヘトヘトに疲れてしまいました。飲みなおしたい気分でしたが、もう店は開いていない時間でした。
 この「半疑問」口調は間投助詞のようなものだという捉え方もあるのですが、私の感覚では、「ね」などよりも、相手に対する、問い掛け? が強い気がします。(「問い掛け?」の「け?」のところ「半疑問」で読んで下さい^_^) 「ね」だったら、「私はネ腹がへってんの」と言えますが、「半疑問」では言えますまい。「〜と言うのですか?」、という言い方がありますが、それに近い気がします。こういう風に問い掛けられると、考えて確認した上で「うんうん」と答えるわけですよね。「私がネ」程度でしたら、全然考えなくても「うんうん」と答えられるような気がします。その問い掛けに対して考えることを放棄すれば慣れたことになるのでしょうか。でも、やや慣れかけた私の耳にも馴染まないのが、おじさんたちが使った場合。若者に迎合しようとする姿勢がいやなのか、という気もしますが、他の要因として、否定の意味で使う「んんん」(○●○↑)というのがありますが、あれをおじさんが使っても同じ様な不快感を覚えてしまいます。イントネーションに頼るのがいやなのか。うまく内省できませんが。
 この言い方は、確かにら抜きほどは話題になりませんでしたが、最近はよく話題にされているようですね。言語関連以外の人では、タモリなどが早くから言及していたのを覚えていましたが、例のページでは、「半疑問」と命名したのはタモリであるとしています。《城生佰太郎『「ことばの科学」雑学事典』(日本実業出版社1994.12.30)p150によれば、「半クエスチョン」と命名したのは、『AERA』編集部。1994.7.4号》
 この「半疑問」を「相手に依存した言い方」として、現代人の性格と関連づけることが有りますが、一方「へぇ、そうなんだぁ」と勝手に納得したように発言するのとは相反するように思えて、どう理由づけするのかと思っていたら、佐竹秀雄「若者ことばとレトリック」(『日本語学』1995-11)は、これを「半クエスチョン」と呼んで、
 つまり、これらの用法が使われる原因は、自分の意見、発言の自信のなさにあり、発言、意見の不確かさ、不十分さが明白になることへの恐れや、聞き手と一緒でないことに対する不安が使用の動機となっている。……
 このように、若者ことばの言語戦略を「協調性を示すように見えるが、実際は、発言のミスや不十分さを指摘されることの回避」だととらえると、半クエスチョンについても理解しやすい。
このような考え方だと、「……なんだア」というのと並立するというのも説明可能だという気がします。会議などで、「反論は要りません。当方の意見だけ言わせて下さい」というような発言があったりするのですが、それに近いのでしょう。「これは私の感想であって、あなたの感覚は問うていませんよ」というのが、「……なんだア」と「ね」を付けない言い方なのでありましょう。
97.5.5-6
【〜やんか】
 昨日「半疑問」で触れた佐竹氏には、最近「若者ことばと文法」(『日本語学』1997-4)もあって、ここでは、「〜じゃないですか」もとりあげています。私が八年前に九州から京都に移った際、関西の若い人々の「〜やんか」は驚かされました。
「私って〜やんかー」
と言われても、
「そんなこと知らん」
と言いたくなるわけです。私の感覚では「〜じゃないですか」は、話し手と聞き手の双方に共通の前提があって、それを確認するときに使われます。聞き手が知らないことを話の前提として持ち出す場合には「私は〜なんですがね」「私は〜なんですよ」という風に言って欲しいところ、そうしたところまで、「〜やんか」が関西で使われていることに驚いたのです。つまりここでは、話の前置きであれば、聞き手が知っていようが知っていまいが気にしないのだ、と理解しました。聞き手の方でも、前提なのか、話の終りなのかが分った方が相鎚が打ちやすいですし。「ふんふん」と言わないと行けないところで「へーっ」と感心してしまったら話し手を困らせてしまいます。ラジオのインタビューなどで時々そういうのを聞くことが有って、そう言うときは聴取していて恥かしくなります。

 佐竹氏の書きぶりでは、関西に限らず広く使われているように読めますが、福井に移ってからはこうした言い方を耳にしなくなりました。福井大学は、工学部の方には他県からの学生も多くいて、関西系の言語も聞かれますがあまり接する機会が無いのです。教育学部は殆ど県内の人ですが、県内でも南の方では関西系の言葉遣いが多いので、そうした話し方を耳にしてもよさそうに思うのですが、聞きません。学生との距離が遠退いたのかとも思いますが、そうではないように思います。


97.5.7-11
【ねぎま】
 10日に、ある研究会で発表した。ここ数日、その準備に追われて、こちらの方を書くことが出来なかった。
 ともかく発表は無事終り、終了後に懇親会に行き、その二次会では焼鳥屋の様なところへ行った。それで表題の「ねぎま」である。その時食べたわけではなく、以前から気になっていたのだが、これを機会に書き留めておく。

 焼鳥屋(串焼屋)のメニューに「ねぎま」があり、葱・肉・葱・肉、という具合に串に刺されて出てくる。この肉は店によっていろんなものが使われるようで、鳥肉であったり、豚ばら(「あばら」)であったりもする。「葱間」ででもあるのだろうか、と辞書を見ると、この意味のものは載っていない。載っているのは、「ねぎまぐろ」の略、というのだけ。「ねぎとろ」のようなものだろうかと思ったら鍋物だという。つい、鮪が葱を背負って泳いでいるところを想像してしまう。
 聞いたところによると、鮪という魚は、かつては今の様には高級視されていなかったそうだ。確かに葱鮪の鍋では、あまり美味しそうな気がしない。食べたことが無いから分らないが。
 『日本国語大辞典』では、円朝あたりの例を載せている。何時ごろから鮪は高級な魚になったのだろうかな。
 そういえば「ねぎとろ」は偶然の産物だ、というのも聞いたことがある。

 そうそう。本日の話の主眼は、焼鳥屋の「ねぎま」です。この「ねぎま」が、鍋物の「ねぎま」と関係があるとすれば〈語源俗解〉でしょうか。以下は勝手な想像ですが、まず鮪が高級に成ってくる。そうすると、「ねぎま」に鮪ではない別の物を入れるようになったりする。そしてそれを「〜ねぎま」などと称したりする。あまりよい例ではないが、「みどりの黒板」というようなものか。ともかく「ま」の部分の語源意識が失われてしまう。〈葱の間から肉が顔を覗かせる〉というような語源俗解が行われたかもしれない。また、「ねぎま汁」という言い方もあったようで、汁でない「ねぎま」が、焼鳥屋のねぎまの源流である。以上、全くの想像。
 想像はともかく、辞書に、焼鳥屋の「ねぎま」の意味を載せた方がよいのではないか、ということです。


97.5.12-14
【たいこめ2】
 古本屋に行ってみると、落語関係だとか、言葉遊び関係だとか、私の好きそうな本が並んでいる。でも落語関係などは結構高いし、集め出したら切りが無いので困るのだが、それでも見て行く。値段のついていない一画を見ていると『たいこめ辞典』が目に飛込んできた。先日触れたあれである。最近の複刻ではなく元版である。定価は650円。めくってみるとあった。何と我がペンネームの稚拙なこと。ま当時のラジオ上のペンネームなどみなそういうものだったとは思うのだが、……。やはりここには書かないことにする。
 値段を聞こうかと思いながらも、先日「この辺の本は定価の半額でいい」と言われて喜んで目ぼしいのを捜して帳場に持って行ったら、「あれ? この本もあそこにありましたか」などと言われて、ちょっと悲しくなったりしたので、同じ様なことはいやだな、と思っていた。と、丁度店の人が近くにやってきたのでやはり聞いてみる。
「この辺のは値段ついてませんけど」
「ああ、新しい物ばかりだから定価の半額でいいですよ」
 聞いてみるものである。今回の場合は目前で聞いたのだから確かだ。しかし、半額となるとこのタイコメだけで引下がるのはもったいない。そこで落語関係の物なども購入。結構な出費になってしまった。店内の別の箇所には私の専門に関わる本も有って、高いと思い買わなかったのだが、それを越える値段になってしまった。

 ともかく、『たいこめ辞典』は手に入った。
 山本厚太郎著・たいこめ辞典 TBSパックインミュージック編 八曜社
 昭和53.3. 1第一刷発行。
 昭和53.4.20第四刷発行。
 新書判205頁。
 ということで、B6 222p 翔泳社という、複刻版とは異なる。複刻版も欲しくなる私であった。


97.5.15-16
【ケレン】
 よく分からないことばなのだが、工事というか塗装というか、そうした作業をしている時に、「ケレン中」と表示してあることを見ることがある。
 けれん味のある状態にしているのであろうか。歌舞伎などで俗受けを狙うような行為のことを「けれん」というらしい。関連が有るといえば有るようだが。
 しかしまたこの「けれん」という言葉も由来が分らない。「外連」などと書くことも有るようだが宛字である。いろいろと語源説もありそうだが、演劇などの「通」の言葉は難しい。

【あの】
 よろずやさんが、「あの若狭得治」と書いておられるが、「あの」から想起するものが、よろずやさんと私で同じかどうかは、心許ない。私の場合は、荒船清十郎氏の呼び上げる、ロッキード事件の時の証人喚問を思い出す。


97.5.17-18
【一統敬礼】
 町内運動会のパンフレットを見ていたら、このような文言が書いてあった。私には耳慣れないことばである。「一同、礼」というようなものであろうかと思われる。福井でよく使うのか、単に私が無知なのか。
 「町内運動会」と書いたが、「区民運動会」と称されていて、「区」は学区・校区の謂である。小学校の春の運動会も兼ねているようであって、小学生は全員参加である。それで、娘に「イットーケーレーって知ってる?」と聞いたのだが、知らないという。音声化することがないのか、単に我が娘の耳が節穴なのか。そういえば「イチドーレー」ってのも、音声化するのはそんなには聞いたことがないような気がする。単に「レー」と言っていたような。(レイとレーの話は抜きね。)
 開会式や閉会式に出れば答えが分るのだが、開会式からわざわざ行くことはないし、娘も参加する競技が終れば帰っていいことになっているし、親の参加する競技も終ったので、閉会式を待たずに帰った。私自身は競技に出損なった。別に出たいわけではないのだが、出ることになっていた競技の始まる少し前、まだ集合せよとの声を聞かぬのに、なんだか集まっている様子なので行ってみると、「足りなかったので別の人に出てもらうことにした」のだそうだ。どれほど私を捜したのかはしらないが、ちょっとヤナ感じ。自治会のテントが満員で、すこし離れた所の日蔭にいた私が悪いのかも知れないが。
 ともかく「一統敬礼」の場には居合せなかったのである。《その後、学生に聞いてみると、やはり音声化するそうである。「一統敬礼。礼」という感じだそうだ。ただし県南の人は知らぬ様子だった。》

「修礼」

【ケレン2】
 「けれん」につきましては、いろいろ情報をお寄せ頂きました。「けれん味」の方のご情報は、ことば会議室をご参照下さい。工事現場の「ケレン」については、メールにて情報をお寄せ頂き、〈削る・滑らかにする・汚れを落す〉という意味で使っているとのことです。塗装の場合は、古い塗装を剥がすことをそう呼ぶのだそうです。haruyuki shigenoriさん、有難うございました。
 さて、こういう情報を得て考えてみますと、この建設業界のケレンは、「けれん味」の「けれん」ではなさそうですね。外来語ではないか、という気がして参ります。英語で言えば、cleanse。クレンザーの元の動詞。これか、これと同系のことばが元ではないか、ということです。ドイツ語では glaenzend (aeはaウムラウト)というそうですが、オランダ語は今ちょっとわかりません。
 クレンではなく、ケレンになる、というのもありそうな話です。オランダ語の glas が、グラスでなくガラスになったのは、l の後の a が、 g をもガと聞えさせたからです。クレオソート(オランダ語 creosoot)が、かつてケレオソトと表記されたことがあるのも参考になります。ポルトガル語からであれば、ケレドとかゲレシアとかエケレジアとか、吉利支丹資料で見ますね。(クリスタンでなく、キリシタンになるのも同じ原理)
 荒川惣兵衛『角川外来語辞典』には、オランダ語からとして、チョークの意のケレイト(岡山方言でケレーというらしい)、ゲレイン、ケレップ、というのを載せていて、ケレップのところには、参考文献として、磯村秀策『工業俗語蘭語の研究』1929というのが載っています。面白そうな本です。でもケレンは載っていないのかな。
 東京堂の楳垣外来語辞典は、今手元に置いていないので参照出来ません。


97.5.19-20
追記有り。
【ダチョウ】
 妻が以前は好きでよく見ていた『料理の鉄人』であるが、最近はあまり面白くなくなったそうで見ていないようであった(子供に合せて早起きせねばならぬこともあるが)。
 その『料理の鉄人』を、先週は久しぶりに見ていた。途中からであったし、わたしは横目で見ているだけなので、いい加減なのだが、オーストラリアの料理人を迎えて、テーマはダチョウということのようであった。あれ? という気がする。
 福井アナがゲストのアズマ知ったかぶりちずるにダチョウの肉を食べたことが有るかと尋ねる。「はい。オーストラリアで」。
 ほらやっぱり。オーストラリアにはダチョウはおらんっちゅうに。駝鳥科の鳥なら居る。エミューとかね。ニュージランドだけどキウイも駝鳥科のようだ。他にヒクイドリというのも居て、江戸時代に「駝鳥」といえば、アフリカに居る駝鳥ではなくて、このヒクイドリを指したのだと言うことが、荒俣宏『図鑑の博物誌』(集英社文庫1994.6.25)p309に書いてある(「駄鳥」とあるが)。中央公論社『日本の近世12』にも秋田藩主の「駝鳥」をかいた絵が載せられていて、「食火鶏」とある。
 『日本国語大辞典』を引いてみると、貝原益軒『大和本草』ではヒクイドリのことを指しているのだが、小野蘭山『大和本草批正』では、別の鳥、現在言っているダチョウのことを指すようである。

 したがって、アズマチヅルは小野蘭山以前の人間であることがわかる。
 しかし、たしか石鍋名誉鉄人が、オーストラリアの料理人も駝鳥は扱ったことがないのでは、と言っていた(と思う)のに、アズマチヅルは、味は互角だったが、オーストラリアの人である挑戦者は駝鳥を知っているので鉄人に入れた、などと言っていたようだ。うーむ。

【5.22追記】
 失礼しました。オーストラリアには駝鳥が持ち込まれて沢山養殖されているそうです。持ち込み、という視点が私には全く欠けていたわけで、小野蘭山以前と人を馬鹿にすることはとんでもないことでした。大航海時代以前の私の大後悔でした。
 なんでもオーストリッチというものがあるそうで《駝鳥の皮製品》、私には現代人としての常識が欠如しているようです。

 情報を頂いたthomasさん、有難うございました。


97.5.21-26
【書痴】
 先週末は金土日と学会が大阪であった。金曜日の朝福井をたった私は京都で下車し近鉄電車に乗る。西大寺の奈良近鉄百貨店で行われている古書市に行くためである。京都から福井に引越したときには、特急で1時間半程度だしちょくちょく古書市には来ることも出来るかな、と思っていたのだが、全然出来ていないので、こういう機会は逃せない。ちょうど今日が初日という幸運さもある。この近鉄奈良の古書市は結構和本もでるので楽しみであった。
 会場に着いたのは11時。10時開店だろうから目ぼしいものは売れているであろう。目録に載っていた『鼇頭古事記』は注文があったのか誰かが買ったのかは分らぬが店頭にはない。目に止ったのは『和字正濫鈔』元禄版5冊で16000円である。虫が食ってはいるが結構やすい。欲しくなる。
 わたしの自戒として〈書痴にはなるまい〉というのがある。〈持っているのが嬉しいだけ〉という本はなるべく買わないようにしよう、ということである。その本を買うことに依ってどれだけの情報が得られるのか、を考えようとするわけだ。例えば複刻版を持っていれば、オリジナル版を見付けた時、そのオリジナル版が珍しいものであっても買うのを我慢するわけである。これもかなり安ければ心が揺れる。そういう時は、〈いやいや、今持っているのは複刻版といいながら、どうもオリジナルとは違っているようだ〉などと言い分けをしながら買ってしまうこともある。今回も『音図及手習詞歌考』4000円というのがかなり安く感じたので、〈複刻版は縮刷している〉とか〈複刻版よりも写真がきれいなようだ〉とか〈ちょうどこの学会でこれに関連する発表がある。縁だ〉とか思って買おうとしたのだが、大学図書館にそれがあったことを思い出して踏みとどまることが出来た。
 いや全く金とスペースさえあれば、古書店での所要時間はぐっと減るのではないかと何時も思うのだが、ともかく古書を見るときは本への思いと財布との闘いでとても時間がかかる。勿論天を仰ぎつつ考えるのではなく、本をパラリパラリとやるのであるから勉強になっているはずだ、と自分を慰めてはいるのだが。
 なやみつつ本棚を見回していると、『詞のまさみち』5600円という本も欲しくなる。江戸時代末期の文法書だが、私好みの音韻のこともかいてある。欲しい。でもこれは複写を持っている。我慢しようか。
 先程の『和字正濫鈔』のことも考える。これは活字本しか持っていない。そもそも版本の写真版などないではないか。複写もとっていないし、買うべきか。ちょうどこの『正濫鈔』元禄版に言及してある亀井孝「音便名義考」(元禄の刊記があるものは初刷ではなく初訂版と記す)のコピーを手元に持っている(発表を聞く準備)ことも何かの縁だし買おうか。学会の夜の楽しみである飲み会をサボればこれぐらいの金は浮く。
 しかしそこで思い出した。版本の写真版は書籍の形では出ていないが、マイクロフィルムに入っている筈だ。よし我慢しよう。『正濫鈔』を我慢するなら他も我慢だ。
 しかし本当は、和本というのはこんなに簡単に諦めてはいかんのだ。私の本の扱い方の師匠である中野三敏先生は、現存の和本に全く同じというものはない、とおっしゃった。そっくりでもどこかが違う。表紙がちがう、刊記がちがう、広告がちがう、綴じ方がちがうなどは勿論のこと、中身がちがうことも多い。刊記が全く同じでも中身が大きくちがう、ということもよくあるのである。その違いは2冊を突き合せてはじめて見えてくる。だから和本は買わないといけない。
 わかっている、でも金がない。だから悩む。

 などといいながら活字本の研究書(戦前の)を買ってしまったりする。これは多分実物を始めてみた(と思う)ので、悩みつつも買ったのだ。カールグレンの日本語版『支那言語学概論』。Sound & Symbol in Chinese. と Philology and Ancient China. が入っている。英文のは持っているし中国語訳のも多分持っていたとは思うのだが、ええい買っておこう。5300円、高いかなあ。いやそうでもあるまい。

 さて、話はとんで学会終了後のこと。マイクロフィルムの目録を見てがっくり。入っているのは元禄版ではなくもっと後の元文版。がっくり。買っておけばよかった。


97.5.27
【ちんぷんかんぷん】
 ある方からメールを頂き、日本語の“ちんぷんかんぷん”というのは中国語のting bu dong kan bu dong が語源なのだろうか、と問われました。「聴不[心董]、看不[心董]」ですね。聞いて分らない、聞き取れない、と「ちんぷんかんぷん」は意味的には通じるところがありそうですね。
 しかしこれを語源と考えるのは無理だろうと思います。「ちんぷんかんぷん」あるいは「ちんぷんかん」という言葉は江戸時代ぐらいに見えるものです。江戸時代においては「聴」の字は「テン」と写されるのが普通でした。長崎に居た唐通事以外には生の中国語を耳にする機会は殆どなかったと思われますので、これが「チン」に変ることは難しいかと思います。また「不[心董]」も「プウドン」か「ブウドン」と写され、これが「プン」と短くなってしまうのはあまりありそうにありません。
 ではこの「ちんぷんかんぷん」の語源は何なのか。これが実ははっきりしません。撥音が連続するところがこのことばのミソだと思うのですが(語源は解らぬまでも今に残っている)、もともとの日本語である和語に較べて中国伝来の漢語の方が撥音が多く含まれ、難しいことを言うときには漢語が多く含まれやすいので、撥音を連ねているのでしょう。長崎で中国語に触れた人が、という説もあり、もしそうだとしても「聴不[心董]」に直接関連するものではなく、当時の中国音も従来の漢語よりはずっと撥音が多いことと関連するものでしょう。しかしそれが何故チン・プン・カンなのか、これは今のところは解りません。

 「アンポンタン」の語源についても、中国での罵りことばである「忘八蛋」から来た、ということをいう人もあるようですが、苦しいです。江戸時代にも「忘八」「王八」という形は見えるのですが。
 ひところよく使われた「ワンパターン」(VSOPでヴェリースペシャルワンパターンなんても言ってましたね)は、中国語を解する人を驚かせる言い方でありました。特にこれを初めて聞くのが「おまえワンパターンやなあ」などと非難する言い方であった場合には大層驚いたようです。


97.5.28
【字引書也】
 一昨日の続きになるが、奈良から大阪に入った私はふらふらと別の古本屋に行ってしまう。近鉄を上本町でおりたのである。ここは翌日の学会会場の近くなので、今日行っておかなければ先を越される虞がある。ところでここに長崎ちゃんぽんの店があり、久しぶりにちゃんぽんが食べられたのは嬉しいことであった。なにせ福井ではまともなちゃんぽんを食える店を知らないのだ。
 さて上六の古本屋はなかなか面白いのである。同系列の店が二つあるのだが、新しい研究書が何気なく安く売っていたり、古くて良い研究書も馬鹿高くなく売っていたりするのである。平凡社『大辞典』のルーペ付きが9000円であったり、『方言学講座』が9000円であったりする。私はともに持っている(悔しいことにこれよりも高い値で買っている)ので買わないが、これらはこの学会で売れてしまうことであろう、と思う。
 この店で私が目を付けたのは専門には関係ないかに見えるが、記憶術関連の本二冊である。ともに明治28年刊。和田守菊次郎『和田守記憶法』(M28.8.17 東京)と、島田伊兵衛『島田記憶術』(M28.11.28 大阪)。まずはこの年代に引かれたわけであるが、島田の方は、速記者の名が書いてあり、話し言葉で書かれていて、そういう意味でも面白い。和田守の方は文語だが詳しそうで、外国語の例も書いているようだ。
 両方とも買う。見ると和田守の方の外国語記憶法はあまり面白くない。しかし島田の方に、
Dictionary(ジクシヨナリー)字引書也
というのがあった。この「字引く書なり」ってのは何時ごろからあるのだろうか。

 私は英単語は「連想式」でも随分覚えた。レンタンと称していた。ちなみに、同じ青春出版社の『試験に出る英単語』はシケタン(福岡ではデルタンとは言ってなかった)。


97.5.29
【記憶術】
 昨日の記憶術だが、それをとりあげた本があった。岩井洋『記憶術のススメ—近代日本と立身出世—』(青弓社1997.2.5)である。
 昨日の二冊は、「東の和田守、西の島田」と並び称されるものらしい。他にも記憶術の本は出ていて、渋江保の名なども載っている。そこで横田順彌氏を思い出すわけだが(『日本SF古典こてん』)、横田氏の『明治不可思議堂』あたりにも、こうした記憶術関係のことが載っているかもしれない。買ったはずなのだが見当らない。

 また、岩井氏の本に載せられた記憶術関係の広告類によれば、「記臆」と書かれることも多かったようだ。私の手元にある和田守の本は「記憶」であるのに『万朝報』の広告ではつねに「記臆」とある。岩井氏が表記を「記憶」に統一しているので「臆」と「憶」のどちらが多いかなどは分らない。伝統的な表記としては「記憶」であるようなのだが、「臆」も「憶」に通じる。

 話は変るが、岩井氏の本の中に、明治からの教育は、寺子屋での個人教授から一変して一斉教授になった、とある。これはよく聞く話であるが、江戸時代においても、寺子屋だけが教育の場ではなく、たとえば漢学系の塾などでは、先生が読み上げて生徒がそれを書き取る、というようなことが行われていたはずである(ノート提出もあったらしい)。国学の方でも平田篤胤などは口語体の書を出版しているし、心学道話もそうだが、これらは講義の再現を意図している筈である。
 また、先日触れた音読から黙読であるが、宮島達夫「黙読の一般化—言語生活史の対照—」『京都橘女子大学研究紀要』23(1996.12.20))というのがあるそうだ。

 ところで『新明解』の第五版が11月に出るそうだ。
 しかし、石井研堂『明治事物起源』が文庫本になるのには驚いた。でもかなりの冊数になるから結構高くなりそうだ。


97.5.30-31
【「うなぎ」「失楽園」「Shall we ダンス ?」と、ことば談義】
 先週土曜日の国語学会公開講演会での講師奥津敬一郎氏の紹介の時に、「最近うなぎが世界的に有名だが、ずっと以前にうなぎを有名にした『「ぼくはウナギだ」の文法』の著者」というようなことを言っていた。
 ずっと以前の欽ドン(ラジオ)の本に、
「おーい大将、おれタヌキ」
「あ、そういえば似てますね」
というようなものが載っていた。「ああ勘違い」というやつだろう。「私はオカメよ」なんていうのもある。

 妻が見に行った映画「失楽園」のパンフがあり、それに、〈左遷による視点の移動〉というようなことが書いてあった。「左遷で支店を異動」という話ではなく、「視点の移動」とあったのである。言語学でつかう用語であったのが、文芸評論から映画評論へ行き、さらに映画の内容紹介にまで使われるようになった、ということであろうか。

 「Shall we ダンス ?」で思ったのは、この「we」は、中国の北方方言(北京を含む)にいうところの「[口自]們zanmen」なのだろうな、ということ。中国北方方言では、聞き手を含まぬ我々「我們women」と、聞き手を含む我々「zanmen」を使い分けるのだという。
 しかし聞き手を含む/含まぬといっても結構難しそうだ。この映画の最後みたいな「我と汝とで踊らむ」という緊張のある聞き手と、「わしら、ちと踊るか」という馴れ合いのような聞き手とで、違いはないのだろうか。いや、馴れ合いとかいう問題よりも、聞き手と向かい合っている場合と、聞き手と話し手をそれ以外のものと区別する場合との違いと考えた方がよいかもしれない。


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