2002年9月30日

I gatta Warp4 with VoiceType

27日に、プロジェクト管理ツールを探しに秋葉原をさまよってきました。Laoxに行ったんですが、 やっぱりというか予想通りというか、MS Project 2002のキャンペーン中で他のものは見あたりませんでした。 MSKKのお姉さんが ブースを構えていたので、根ほり葉ほり初心者の質問をしてたら、フルパッケージの評価 版を出していたので、ありがたくちょうだいしてきました。当然、アンケートを取られました。 「ご使用のオペレーティングシステムは」、「OS/2」!。おいおい、MS Project 2002の評価はどうするんだ。

ここから本題です。見つけたんです。「Warp4 with VoiceType」棚に1個だけ有りました。当然、げっとーーーーー!です。 でも、悲しいかな「特別奉仕品」て値札がついてました。ちなみに、\32,250.-(悪税別)です。いとおしくて、シュリンクラップを 破けません。IBMにOS/2のユーザーの存在を知らしめたいし、悩みが又増えました。

おまけです

Warpを購入したら、店員さんが「S/Wを一万円以上お買い上げの方は、あちらで福引きをやっております」とのこと、はいはい、 やってみました。2等賞!「筆王2003」\4,980.-を頂戴してきました。「これで今年の運は使い果たしたかな」 などど、担当の方と笑い話をしてきました。

2002年9月23日

お久しぶりです。 半年が過ぎてました。 怒涛の様に時間に流されてしまった気がして。 年だからかな。

JustArk

JustsystemのJustArkを購入しました。 OS/2で動かしてます。 JAVAは、Developers Kit 1.3です。 メモリーを 大量に消費します。 でも、メモリーが96MBしかなくとも、「一太郎Ark」「PrezArk」「CalcArk」を一度に立ち上げる事が出来ましたが、 さすがに、実用的な速度が出ませんでした。 で、320MBに増やしてあげました。 これで、実用的な速度を確保できました。 Windows 2000より約2/3程度のリソースで動いてることになるかな。

MC6809

9月21日、久しぶりに秋葉原をさまよってきました。結構な収穫が有りました。なんと本物MotorolaオリジナルのMC68B09が 手に入った。 店のおじさんも「有るとは思わなかった」と一言。 セカンドソースだけど、MC6840、MC6850も入手出来ました。 これで、ASSIST-09 BaseのOne Boardを作るのに弾みが付きそう。

DECのKeyboard

ヒロセ無線の前で放出品を漁った後、ふらふらと、若松の前を通るとおいしそうなものが山積みされていました。 あの「digital」 のロゴが入った106Keyboard。 メカニックな感触が指に心地よく、じゃまなWindows Keyも付いていない。 無条件に二つGETしました。 だって、\980.-なんだもの。 本当はもっと欲しかったけど、事情があって我慢しました。

2002年5月6日

あっと言う間に、ゴールデンウイークの最終日になってしまいました。どっかで書いたフレーズだ。

Cable Broadband (その4)

Red Hat Linux (7.2 FTP版 Linux Japan 2002/1のおまけ) でJ-COMにつなげられるようになりました。 ケーブルモデムに接続するNICをeth0として、ずいぶん 前に買ったAcerの10Base-Tのものをあてがいました。これでもPnP仕様。あの頃はまだ3000円ぐらいしていた。 もう一方の家庭内LAN に接続するNIC、eth1は仕事場で拾ってきた3Com Ether Link IIIです。こんなものを捨てるなんて、 もったいない。っていうか、刺せるマシンが無くなっているし、On-Board Etherが常識だし。時代だね。 そういえば、作り上げたBOXは、ISAのカードしか刺さっていない。化石だ。

さて、J-COMとはDHCPで接続するのですが、接続しに行くほうがHOSTNAMEを送る必要があります。これは、 OS/2の時と同じで、Linuxのdhcpdの"-h"オプションのパラメーターにどうやって"cjxxxxxxx-a"をくっ付け てやるかがキーポイントでした。network-scriptsやdhcpとかを読んでいけばわかるように、dhpcdの パラメーターをつくり込むところがありますので、それに併せてifcfg-eth0の中身を書いてやればいいのです。 実際に使っているifcfg-eth0です。

DEVICE=eth0
ONBOOT=yes
BOOTPROTO=dhcp
DHCP_HOSTNAME=cjxxxxxxx-a
BOOTPROTO=dhcpDHCP_HOSTNAME=cjxxxxxxx-a が肝でした。

こんな感じでネットワークの設定は終わっていますが、まだ、家庭内LANとJ-COMの繋ぎ込みをしていません。 これでも、コンピュータエンジニアの端くれですから、セキュリティーをきちんとしなきゃね。というわけで これから、Firewallの設定です。のっぽさんとゴンタ君と一緒に「でっきるかな、でっきるかな、さてさて、 ほほーーー」と。

2002年5月1日

あっと言う間に、5月になってしまいました。鯉のぼりが泳いでる。 頭の中は、連休ぼけ状態。

Cable Broadband (その3)

なかなか、手強くて、苦労してます。OS/2をつなぐのは「こつ」をつかみました。 \MPTN\ETC\DHCPD.CFGに「option 12」を書いて、


# 次は,明示的な要求を必要とするサーバーの場合に,相互運用性のために
# 必要とされます。
 
#option 1                             # サブネット・マスク
#option 3                             # ルーター
#option 6                             # ドメイン名サーバー
option 12 "cjxxxxxxx-a"             # Host Name Option
#option 15                            # ドメイン名
#option 28                            # 同報アドレス
#option 33                            # 静的経路
option 60 "IBMWARP_V3.1"             # ベンダー・クラス
option 77 "IBMWARP_V3.1"             # ユーザー・クラス

こうすれば良さそうです。当たり前の解決策かあ。

2002年1月27日

もはや、1月も終わりに近づいております。 時間が矢のように過ぎていく感じがします。

いにしえの、、、、、

初めの一歩になった、Programの紙Tapeが出てきました。 これが、そうです。 穴が開いているのがお解りでしょうか。 20年も前のことが、先程の事のように思い出されます。

最近は、Text Editorもそんなに重要視されなくなってきましたね。 いわゆるVisual Programmingの 影に隠れて、重要度が低くなってきたのでしょうか。 紙TapeのEditだって、元になる紙Tapeを読み込ませながらコピーを 造って必要なところを継ぎ接ぎしたりしたし、パンチドカードだって、おんなじ様な原始的なEdit作業をしたものです。

それがOn-Line端末になって、Line Editorで編集できるようになり、随分楽になったのです。そして、IBMのSPF Editor には驚きました。Full ScreenでEdit出来たんです。 今の常識では、考えられないでしょうね。

Cable Broadband (その2)

前回、ご報告しましたがCable Broadbandが開通し、繋ぎっぱなしで使ってます。今のところ快調です。

OS/2で繋がらなくて苦労しましたが、Linuxでは比較的簡単に繋ぐことに成功しました。 使用したディストリビューションは、 「RedHad」「Slackware」の2つです。 どちらも、同じやり方で出来ませんでした。 しかし、キーポイントは、dhcpcdに J-COM@homeが指定してきたHOSTNAMEを与える事です。 その与え方が、2者とも違うのです。後日、整理してから報告します。 しばらく、お待ち下さい。

2002年1月3日

明けまして、おめでとうございます。 今年も、お体をお大事になさり、日々お過ごし下さい。

SoftwareChoice Vol8

やっと、出てきました。 今回は、

  1. SoftwareChoice Vol8 CD-ROM 1,CD-ROM2 (前回より一枚減った)
  2. Convenience Package for OS2 Worp 4 Version 4.51
  3. Convenience Package for OS2 Worp 4 Version 4.52
のセットが入っていました。
SoftwareChoice Vol8 CD-ROM 1,CD-ROM2

早速、「IBM Web Browser」を入れてみました。 例のMozillaをベースに作っているやつです。 うぅ、重い。 正直言って、Start Upに時間がかかります(お前のCPUがトロイんや!)。それに、今までため込んだ URL Objectが使えないみたい。 本当?!。 なにや、かにや作っていたのに。

そうそう、「SoftwareChoice」の Nvigation用HTML FileはBugっていて、IMG TAGのSRC Optionで指定されたGIF Fileを表示できないんですよ。 前回のVol7のときも、同様だったんでよっぽど、馬鹿なテスターがテストしてるんでしょうね。

ついでに、Vol7ではJAVA1.3をInstall出来ないBugがあったけど、今度のは直っているのかな。

Convenience Package for OS2 Worp 4 Version 4.51

早速あてました。 何が変わったのか、分からない。 DESKTOPが引き継がれないのは、以前とかわってないのね。 これとっっても不便。

Convenience Package for OS2 Worp 4 Version 4.52

どうしようか、思案中です。 でも、すぐ入れちゃうだろうな。

Cable Broadband

ご報告が遅れましたが、10月14日にCable Broadbandが開通し、お登り128kbps/お下り2Mbpsで使っています。 なかなか、 OS/2で繋がらなくて苦労しました。 終いには、Warp ServerでDHCP Serverをたてて、Localで接続実験をしました。 何のことは ない、Provider側がサポートしていない、DDNSを使おうとしていたからだったようです。 現在は、Warp Clientで楽しんでます。  難を言えばProNews/2がちゃんと動いてくれない。

過去を振り帰りますと、今の家に引っ越した時に、当時のケーブルTV局「藤沢ケーブルTV」に加入しテレビはアンテナなしに、 しました。 Internetは、相変わらず、電話でちんたらやっていたん(K56fles実質38kbps)ですが、昨年2001年4月1日から、 「藤沢ケーブルTV」が「J-COM湘南」になって、今後の予定として「Cable Internet」「Cable電話」などのサービスを  早急に立ち上げるなどと宣伝し始めました。 じゃ、料金を見て「Cable Internet」を狙おうかなと考えていた次第です。 丁度よく、工事費半額セール(\14,000.- --> \7,000.-)に、完全に引かれて、つい申込んでしまいました。 当然、事前に徹底的に 調べ上げた上での申込みですが。

あ、ADSLは、

と、現状や今後の事も考えて、却下しました。 安いんだけどね。

これまでは、藤沢市を含む第三セクター方式の運用から、完全にジュピターテレコムの参加のJ-COMの一局となるので、 どう変わるのか、見ていたのですが、案の定、一気にサービスの質が低下しました。 上げれば切がないですが、

今回のCable Broadbandの工事についても、ひどいものですよ。

と、まぁ、ほんと、相手をすると疲れる会社です。 欝が悪化しました。

さて、回線品質ですが、感覚的に、こんなものかなと言う程度です。速度の実測にはなりませんが参考値として、 Default Gatewayまでのpingのretern timeを計ってみました(この当時はWarpが繋がらなくてWindows2000 profesionalでの 測定です)。

測定条件は、

  1. OSはWindows 2000 Professional
  2. 測定時刻は、ユーザー数が最も少ないと予想される、深夜23:30ごろから、早朝7:00過ぎまで
  3. 測定ツールはPINGを使用
  4. PING先は、指定されたDefault Gateway
  5. 測定項目は、PINGの最短戻り時間(Minimum[msec])、最長戻り時間(Maximum[msec])、平均戻り時間(Average[msec])
Minimum[msec] Maximum[msec] Average[msec]
10 271 20
10 261 21
10 271 21
10 290 21
10 281 21
10 281 20
10 290 21
10 301 21
10 281 21
この、Maximum[msec]の値は何でしょうね。 記録しておいたLogを見る限りでは、周期的に発生しています。 この状態で、 Upload 2Mbps/Download 8Mbpsのサービスを始めるとアナウンスしています。 大丈夫ですかね。

昨年のまとめみたいになってしまいました。 ネットワークは生命線です。 十分品質を確保できるところを選びたいものです。 私は、失敗したな。

2001年12月8日

寒さも強くなってきました。インフルエンザの予防接種は、もうおすみですか。

20年前の今日

John Lennonが凶弾に倒れた日です。 前にも書きましたが。JohnとGeorgeのPhoto Standを 入手しました。 黒のバックに皮ジャケットを着た若いころの二人の写真です。 実質的なラスト アルバム「Double Fantasy」を聞きながら、すごします。

2001年12月1日

もうクリスマス。世界中の子供たちが、楽しいクリスマスを迎えられますように。

Goerge Harrisonが

静かなビートル、George Harrisonが亡くなった。今朝のCNNで知った時は、気が抜けて呆然自失状態。 しかも、つい先ごろ、NetのオークションでJohnとGeorgeのPhoto Standを入手したばかりなのに。 今日は一日中、Georgeのレコードを聞いている。

不思議な人、衆議院議員 中塚一宏氏(自由党)

11月の初め、小田急線 片瀬江の島駅前で、衆議院議員 中塚一宏氏の「月刊 ナカツカネット Vol.11」 なるチラシを配布していた。読みもせず放って置いたのが出てきたので読んでみたら、とんでもない事を 書いてある。


まず、いい加減に自衛隊は軍隊と認めるべきでしょう
皆がそう思っているならなおさら変えねばなりません。皆が軍隊と思っているにもかかわらず、 憲法だけが軍隊を認めていないのはあまりにも滑稽ですし、これでは諸外国からの信頼を損なうことに なると思います。

そもそも「軍艦ではない、護衛艦だ」といいながらアメリカと日本にしか持っていない超高性能の イージス艦まで持っている事自体、諸外国を馬鹿にしていると思います。戦力は保持しても、 自衛と国際貢献のためにしか使わないとすればよいと思います。


何これ。奇弁ジャン。しかも、信念の表明でなくて、「思います」と書いて逃げている。 「皆が軍隊と思っている」のは事実でしょう。だから、「憲法だけが軍隊を認めていないのはあまりにも滑稽」なの。 みんなが「軍隊を認めていない」だよ。しかも、 憲法にあわせ自衛隊を無くす方が簡単で、しかも、無駄な税金を使わずに済むのに。 自衛隊の装備だけを維持するのにどれだけの税金がかかっているの。自衛隊隊員の給与分は。、、、、、
彼は日本国憲法を 前文から読み直した方がいいんじゃない。私の税金をこのような議員の報酬に 使われたくない。

2001年11月11日

秋たけなわ、今月は家族の誕生日やら、娘の七五三やらで、土日は丸つぶれです。

ケーブルネットワークがやってきた

10月の半ば、J-COM湘南のケーブルインターネットサービス「J-COM@Home」が開通し、 これで24時間つなぎっぱなしの世界と思いきや、OS/2でDHCP Clientの設定をしても つながらないんです。

こうなったら、原点に戻って、RFCを(会社で)取り寄せて、 いろいろ調べてみました。引っ掛かっているのは、DHCPDISCOVERコマンドのとき、 つまり、一番最初です。どうも、センターがわで、ユーザー認証を行っている時に 失敗している模様。と言うことは、"OPTION"(いわゆるVender option)の設定だろうと 当たりを付けて、61番、"Client-identifier"を設定したのですが。点で駄目。 行き詰まってます。 Windowsでは、一発でつながっているのに、不思議です。TCP/IP 4.3でDHCP Serverを立ち上げて Packetをみるしかないかな。

さて、J-COM湘南の品質ですが、ユーザー数が少ないせいか、Windowsでは快適です。しかし、 気になる点があって、速度の平均値を見るのに、自分にAssignされたDefault Gatewayに一晩中 pingし続けるテストを行ったのですが、minimumが10ms、これはこんなものでしょう。averageが 20ms程度、これも妥当ですね。ところが、maximumが280ms前後の記録が残りました。なんだこれ。 約7時間の間に何回か、とても遅くなることがあるんです。しかも、自分の一番近い所ですよ。 絶対におかしい。やっぱりジュピターテレコムだし、MSの出資もあるし、うぅむ。

変なことといえばもっとあります。一契約でメールアドレスを5つまで取れるのですが、 この作業は、あのIEじゃないと出来ない。ネスケだと文字がトーフになってしまいます。 こんな制限は、やめてほしい。Lynx使っている人はどうするの。Mozillaは。その外にも、 Browserはあるのに。何考えてるんだろう。

もう一つ変なこと、Windows95で接続確認して、Shutdownしてから、Windows2000professional のマシンにつなぎ変え、Could Bootしたら、接続できないトラブルが発生。すぐさま、サポート センターに連絡を入れたところ、「設定に間違いはありませんか」などと、こっちが悪いみたい な口調、「何やこいつ」と思いつつものんびりと相手の言うがままに操作してあげました。 しかし、つながらない。相手も本音を言いだして、「時々、MACアドレスとIP Address、 コンピュタ名などを覚えていて、違うMACアドレスから同じコピュータ名でアクセスすると、 はじいてしまうのです。」と、言うではないですか。思わず「はぁ?」。IP Addressをリリース しているのに覚えているなんて、バカジャン。

J-COM湘南を選んだわたしが、馬鹿なのでしょうか。それとも、Windowsに移らないのが いけないのでしょうか。まだまだ、J-COM湘南の事はありますが、今日はこの辺で。

2001年9月30日

もう秋ですね。子供たちの運動会が来週にあります。腰が痛くなりませんように。

「日本国憲法」を読み直して

「日本国憲法」を 改めて読み直しました。 1982年に小学館から出版されて話題になった、写真や、難しい言葉の意味なども書かれているその名も 「日本国憲法」です。 改めて読み直し、「前文」 の平和に対する基本理念は普遍なものであるし、 「第九条 戦争の放棄」も簡潔ながらとても しっかりした理念に基づいて記されていることを 確認できました。

それにしても、日本のタカ派政治家たちの信条は理解できません。このまま、小泉総理の声明通りに 自衛隊の派遣や武装が可能となったならば、憲法違反どころでは済まないでしょう。

テロリスト対アメリカの戦争では無くなります。イスラム対資本主義社会の戦いになりますね。 宗教戦争です。実際にはテロリストとアメリカがするのでしょうが、いつ、どこで、テロリストの活動が 起きるのか分かりません。日本だって、大きな目標になりえるでしょう。

アメリカは日本を守ってくれますか、小泉さん。ブッシュは「お悔やみの言葉」 を述べておしまいでしょう。安保協定なんて、そんなものでしょう。日本はアメリカの盾にされている だけなのです。その根拠は、「日米安全保証条約」なんでしょうね。つまり、日本は、 「日本国憲法」の理念に従い、行動すべきです。軽率な発言は、 今後の外交に大きな障害を残すでしょう。小泉さん、「口は災いのもと」をしっかり覚えておいて下さい。

その前に、はっきりさせねばならぬ事があるでしょう。

私達は、今、経済的に大きな打撃を受けています。その上、国家機関の不正経理や上級官吏の不正蓄財など、 私達、国民から合法的に集めた血税を あたかも自分の小遣い銭のようにいいかげんに使っているのを 真の当たりに して、開いた口がふさがりません。このような状況で、自衛隊向けの予算を認めることが出来ますか。 その前に、各省庁の経理状況をきちんと洗いだしてもらいたいものです。当然、外郭団体、つまり天下り先も 含めてです。そして、国民の信義を問うていただきたいです。小泉さんの支持率は現実放れしています。 他に比べる人がいないから、相対的に高くなっているだけです。誤解しないで下さいね。

新聞などの報道を見ていると、アメリカ国民が、一番冷静さを保っているようです。 頭に血が登っているのは、世界で二人だけかな。

John Lennon "Imagine"を聞きながら。

2001年9月19日

のんびりしているうちに、夏が過ぎ秋へと季節が変わりはじめてしまいました。 Homepageの更新も4か月も空いてしまったとは。我ながらぼう然です。

小泉よ、馬鹿なことを口にするのもいい加減にしろ

今日のニュース、新聞を見ていて、小泉総理の発言は許せません。 まず、New Yorkのテロ事件はについてのコメントは良しとしましょう。しかし、日本が世界に示すべき貢献は、 自衛隊の後方支援や米軍基地への支援では無いでしょう。平和憲法を持つ日本がすることは、外交努力を通じて、 和解への道筋を模索し、戦争を回避しすることでは、ないでしょうか。

米国の傘のもと発展を遂げたのは事実ですが、日本にはれっきとした戦争を破棄した「日本国憲法」があります。 自衛隊は憲法違反と非難されながらも存在してきました。そして、後方支援とはいえ、米軍と共に戦場へ向かうのです。 それを許可したのは、小泉総理、あなたです。しかも相手はテロリストの集団です。日本にも彼らのテロが及ばない 保証はありません。原子力発電所、東京・大阪の交通網、国会議事堂、皇居、いくらでもターゲットはあります。 あなたの発言がどれだけ国民に不安を 与えているか考えていただきたいです。

今日は、小泉発言とnimdaで頭に来ている。

2001年5月13日

ゴールデンウィークがあっというまに過ぎましたが、みなさんは、いかがお過ごしでしたか。 私は、もう、怒とうのような1週間でした。と言う訳で、Getして来たMozilla CD-ROMを見る時間も 無かったです。

ゴールデンウィークが忙しくなってしまったのは、愛用しているPCのマザーボードが壊れて、 最終的には、OS/2の入れ直しまでやっていたからなんです。あぁ、時間がかかった。 と言う訳で、今回は、トラブルの顛末記を。

それにしても、一日が短く感じるようになったのは、歳のせいでしょうかネェ。

PCが壊れた

4月の中ごろから、時々、「Device Driver Error」で、トラップを起こしはじめていましたが、 どのDevice Driverがトラップを上げているのがわからずに、過ごしていました。 自作機ゆえ、診断プログラムが無いのが致命的でした。

そうこうしているうちに、トラップが発生する頻度が高くなりだし、使っていられなくなりました。 こうなったら、徹底的に原因を突き止めておかないと、使えなくなってしまうと思っていたやさきに、 とうとう、OS/2起動時にトラップするようになってしまいました。

それではと、PC-DOS/Vの区画(PC-DOS/VとOS/2をブートマネージャーで切り換えられるようにしています)から PC-DOS/Vを起動してみると、CONFIG.SYSでデバイス・ドライバーを読みこんでいる途中でハングアップしてしまうでは、 ありませんか。

それならと、PC-DOS/Vのオリジナルディスケットで起動してみると、何とか起動します。でも、 何度かやっているうちに、

の状態がつかめてきました。お次は、キーボードの交換テストです。トラブルが再現しました。 この時点で、マザーボードの不良と判断し、手持ちの物と交換する事決定しました。

手持ちのマザーボードは、

の2枚。どちらを使ってもDIMM Slotが二つしかないので、メモリーが64MBになってしまうのは同じ。PA-2010+が、 Cylix 6x86MXを サポートしていない程度の差しかない。色気を出して、本物IBM ATの箱に入れようと、ZP-5V2を 使う事にして作業開始。ジャンパーやらCPU、メモリーをセットして、箱に入れてみたら、DIMMがハードディスク のスロットにぶつかってしまい、断念。仕方無く、別のATタイプの箱に入れる事に変更。最低限の接続をして電源を 入れてみたら、あらまぁ、ビープ音の断続が続いて、うぅぅぅぅぅぅぅぅと、前途を断たれてしまいました。

もともとのマザーボードがFIC PA-2012だったので、PA-2010+で行く事に変更し、作業再開。CPUは、AMD K6-200 に変更して、セッテイング。 もともと使っていた箱を開けて、セッテイングの終わったマザーボードを 交換して 試運転。まずは、BIOS設定の画面を表示させて、第一段階をクリア。お次は、HDDのPC-DOS/Vの区画から起動テストして、 これもクリア。最後は、OS/2が起動するかのテスト。やっぱり引っ掛かりました。

私のOS/2は、Warp4にConviniencePaKを入れていましたので、新しいデバイスドライバーが、悪さをしていたようです。 非常用のユーティリティー・ディスケットで起動しても途中で止まってしまいました。 それではと、ConviniencePaK導入用ディスケットで起動したところ、出来ました。これは、しめたと思い、怪しそうな デバイスドライバーを読み込まないようにCONFIG.SYSを修正して、起動テストをしましたが、ぺけ。 こうなったら、OS/2の再導入しか、残された道はありません。

OS/2の再導入は、

  1. Warp 4の導入
  2. Warp 4ののFIX(FX00505)導入
  3. Netscape Navigator 4.61の導入
  4. JAVA 1.1.8の導入
  5. Featuer install 1.2.5の導入
  6. TCP/IP 4.3の導入とFIXの適用
  7. ConviniencePakの導入
と計画していたのですが、やはり、ConviniencePakの導入で、つまずきました。 導入のフェーズ2で、ハングアップしてしまうのです。お手上げでした。

ConviniencePakの導入を 泣く泣くあきらめました。とにかく、TCP/IPをバージョン4.3にする事だけで、 あきらめ、最初から導入のやり直しになってしまいました。 とにかく、慎重に。なぜなら、HDDには、一度ConviniencePakを入れたので、論理ボリュームマネージャーが入った ままなのです。Warp 4は、FDISKで、HDDの管理をしますから、下手にいじると、HDD全体がめちゃくちゃに、 なりかねません。

とにかく、導入作業を終わらせて、作業環境を整え終えたのが、5月3日。私のゴールデン・ウイークはどこにいったんだ。

導入作業のついでに、新しいデバイスドライバーがないかと探したら、IDEDASDが、2001年3月28日付けて更新されていました。 Miscellaneous Storage SupportのZip 100(SCSI)に隠れてました。IBM1S506.ADDがバージョン4.66になっています。README.TXTに 書かれている導入手順その物は間違っていないのですが、結果としてCONFIG.SYSに、間違った行、
DEVICE=D:\OS2\BOOT\OS2DASD.DMD
が付いてしまいます。正しくはもともと書いてある、
BASEDEV=OS2DASD.DMD
です。CONFIG.SYSの最後に間違った行が付きますから、再起動前に、REMで殺すか、削除して下さい。 IDE16.DDPとIDE32.DDPが間違っているんです。

以前にも書きましたが、2001年2月19日付けで、XRJM015というFixPaKが出ています。これまで、手が回りません。 ダウンロードはしてあるのだけれど、README.1STを読んだぐらいで、放ってあります。 これをあてると、Jolit-2のCD-ROMもOKなんですが。

はぁ、それにしても、今回は振り回されてしまいました。もうそろそろ、マザーボードも代え時なのかもと、 考えてしまいました。

2001年4月22日

Mozilla dot Party in Japan 2.0

前回お知らせした、もじら組のセッションに参加してきました。時間の都合上午後からの参加で、 セッションを 2つしか聞けませんでしたが、LinuxやBeOS、Mac上で動いてるMozillaを触れましたし、 MozillaのCD-ROMをGETしたりと、非常に多くのものを 得てきました。

聞いてきたセッションは、

  1. パネル討論:Web標準化をいかにして普及させるか
  2. Mozillaのエンベッディング
の二つです。

一番目の「Web標準化をいかにして普及させるか」では、Mozillaが現在サポートしているTAGの現状と、 現実とのギャップ(NetscapeやMicrosoftの拡張部分や、すでに古くなりW3Cの標準から落ちてしまっているもの) をどうするのかに、焦点が絞られた様に感じました。私自身は、過去のしがらみを捨てて、W3Cの 標準に準拠すべきと考えていますが、過渡的には、期限付きで過去の資産を引き継ぐことが、妥当な 案と考えています。

さらに、普及のための実行計画として

などが提案されていました。いずれにしても、もじら組の皆さんが、もっと表に出てくる必要を 感じました(私も一役かうのかな)。

二番目のMozillaのエンベッディングは、Mozillaのレンダリングエンジンを使って、いろいろな オブジェクト(イメージやHTMLなど)を簡単なツールで張り付けるだけで、標準的なブラウザーとは違った 見せかたを出来るようにしたX2Webという商品の開発にまつわるお話しでした。もともとは、Windows上の IEで動いていたものを Mac用にポーテティングする際に、なぜMozillaを採用したかとか、どの部分を 使っているかなどの説明と、実際のデモンストレーションでした。

目の前で、大きな非矩形のイメージ の中に、HTMLを表示する領域を作り、いとも簡単に新しいPageを 作ってしますのを見せられて、あぜんとしました。すごいです。

ダイアルQ2Virus

WindowsでIEを使っている方はご注意下さい。勝手に、ダイアルQ2するVirusが出回っているようです。 たまたま、小耳にはさんだ情報ですが、 中村正三郎さんのホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~KI4S-NKMR/) のMS Watch(4月19日)で取り上げていただきました。中村さん、ありがとうございます。

>>ところで、今日17日の帰宅の電車で、失礼とは知りながら、たまたま、耳に
>>してしまった、Q2の新手の資金稼ぎの様です。話の主の言葉をかいつまむと
>>次のような目にあったようです
>>
>>話の主は、VAIOのユーザーらしく、電話線につないだままで、電源も切らずに
>>使っていた様子です。そのVAIOにVirusが侵入したらしく、勝手にダイアルQ2
>>に電話をかけていて、かなりの額の電話料金を請求されたようです。
>>
>>想像ですが、Windows 98を使っていて、IEを利用していたものと、思われます。
>>
>>多分、IEでどこかのSiteに行った時に、DCOM(でしたか)あたりが自動的にQ2へ
>>ダイアルするVirusをVAIOに仕込んだのでしょう。
>>
>>因に、NTTのHomePageに行くと、Q2にダイアルしようとすると警告を出すツールが、
>>"http://www.ntt-west.co.jp/q2/"で、入手出来ます。図入の丁寧な注意書き付きで、
>>説明が書いてあります。結構被害者がいるのでしょうね。
>>説明書きによると、アダルト・サイトから何らかのアクセス。プログラムをダウン
>>ロードさせて、それを使うとQ2で接続が行われるような説明ですので、耳にした
>>話とは、別種の様です。
私の、勉強不足でDCOMと書きましたが、中村さんに、最近は、より巧妙に ActiveXコントロールを使うようになっていますと、指摘されてしまいました。

確かにActiveXアーキテクチャならば、簡単にクライアント側のPC(この場合IEが 動いているPC)上で勝手に動き回ることが可能です。しかも、そのようなプログラムを 作ることは簡単です。IEをご使用の方は、使用をやめるか、最低でも、ActiveXを 動かさない設定をしてください。

それでは、セキュリティーには十分ご注意下さい。失礼します。

2001年4月15日

桜は、葉桜になってしまいました。早いものです。更新するのが、こんなに遅くなるとは、見込み違いでした。

The Beatls' A Hard Day's Night

まずは、3月31日(土)、久しぶりに映画を見てきました。The BeatlesのA Hard Day's Nightです。何で、今ごろ なんて、言わないで下さい。確かに、モノクロだし、ストーリーもあって無いような物ですが、動くBeatlesを見られる のは、映画ぐらいしか無くなっています。

今回のA Hard Day's Nightでは、Sound TrackがOriginalの音源をDigital処理化したもので、 非常によくなっていました。映像も非常に良い状態のプリントが使われていました。 観客席は、それなりの年齢層が見受けられました。私なんか、若い方でした。 映画を見ながら曲が流れてくると、無条件に歌をくちずさんでいました。 でも、John Lennonのアップのシーンは、もう、この世にいないんだと思うと、つらい物がありましたね。

ところで、このA Hard Day's Nightですが、マルチメディアCD-ROMとして発売され、マルチメディア・パソコンの 火付け役にも一役買ってます。発売元はVoyager、日本での発売は、子会社のボイジャー・ジャパンです。 手元のCD-ROMによると1993年10月28日です。私は、94年頃手に入れて、OS/2のWin-OS2で見ていました。CPUの能力から みて、ちょっと、こま落ちとかが多かったですが、結構楽しめめました。今では、手に入らないでしょうね。 ボイジャー・ジャパンを調べたところ、 ここ しか見当たりませんでした。On-Line本屋さんでした。5年も過ぎたので、業務の中心が変わったのでしょう。

IBM Web Browser for OS/2

3月30日付けで、IBM Web Browser for OS/2が、 IBM Software Choiceのカタログ に載りました。残念ながら、有料です。BrowserとしてでなくMailerやNews Readerにもつかえるそうです。また、 スペルチェッカーが組み込まれています。詳しくは カタログ をどうぞ。しかし、File Sizeが18MBもあって、どうやって落とせばいいんだ。 もう少し、ファイル分割とか考えてくれよ、IBMさん。

このIBM Web Browser for OS/2ですが、元ネタは、Mozillra、 Netscape社が無料で公開したNetscape Navigatorです。これを元に、FreeのBrowserを開発している グループの中心がアメリカの www.mozilla.org です。 そこの4月11日付けのニュースにIBM Web Browser for OS/2のリリース記事が載っています。 これによると、IBMはOpen Source Versionを公開する模様です。日本ではどうなるのでしょう。でるといいですね。 Mozillraのグループは 日本 にもあって、4月22日に "Mozilla dot Party in Japan 2.0" をするそうです。いろいろなプラットホームで動くMozillaの展示や、セッションが予定されています。 見に行く予定です。楽しみ、楽しみ。

ところでIBM Web Browser for OS/2以外にも

など、おいしそうなところが、更新されています。残念なことに、すべて有料です。

OS/2 Warp4の新しいFixPaK  XRJM015(ftp://ftp.software.ibm.com/ps/products/os2/fixes/v4warp/japanese/xrjm015/) が公開されています。 アメリカの OS/2 Warp Home Page(http://www.software.ibm.com/os/warp/index.html) からたどっていくと、各国語版が出ているのが分かります。 OS/2は、まだまだ、健在です。

乗っ取られたコンピューター

4月14日付け朝日新聞朝刊に 「ネット常時接続の落とし穴」 http://www.asahi.com/life/shopping/0414b.html と題して、常時接続サービス利用している コンピュータ・エンジニア のコンピュータがハックされ、アメリカ海軍から指摘を受けたことを 報じていました。 常時接続していれば、IPは丸見え、IPの不要なポートを殺しておかなければやられ放題 になってしまうのは、最近のコンピュータ・エンジニアとしての常識と思うのですが。 ご愁傷様としか、言いようがありません。もう少し、TCP/IPの世界を お勉強して下さい。

常時接続サービスは、目玉商品として各プロバイダー、特にケーブルTV系、が力を入れていく分野でしょう。 その反面、セキュリティの指導やサポートは、どうなってゆくのでしょうか。非常に心配です。 今回の記事では、使用していたOS事や、どの様な八キングにあったのかは書かれていませんが、 多分SPAM MAILの送信元にでもされたのでしょう。適当にIPをサーチしていって、そこにWarmを仕込む事 ぐらい、訳のないことです。

このようなトラブルを避けるために、常時接続をやめてしまうのも一つの手ですが、 本来の常時接続の意味が無くなってしまいます。やはり、FireWallの設置が、必須でしょう。 FireWallで外と内のネットワークを切り放せば、今回の記事のような事は、基本的に、おきません。 OS/2でもFireWallがあります。 HOBBES で検索すると、FireWallその物や、TCP/IPがVersion 4.1以上であればFireWall機能が付いていますので、 それを利用した設定ツールなども登録されています。多少古目の機械にOS/2をいれてFireWallにしてしまう のも、リサイクルになって一石二鳥ですね。FireWallなんて、インストールしてしまえばディスプレーを 取り外したってかまわないし、Work Place On Demandを入れておけば、リモコン出来ますから、GUIのツール でも大丈夫です。LinuxでFireWallと言うのも、チープでいいですね。これならtelnetで入ってメンテナンス をすればいいですね。

セキュリティーを固めるのは転ばぬ先のつえです。それでなくても、個人情報は、 いろいろなところから漏れています。守るのは自分自身です。おきお付け下さい。

2001年3月25日

前回、最初の一歩は、紙テープに穿孔したプログラムだったことを 書きましたが、その紙テープが出てきました。昔のSF漫画にあった コンピュータが吐き出した紙テープを直接読むなんて芸当は出来ないので、 どんなプログロムが書かれているのかは、もう、記憶のかなたに行って しまいました。(FACOMさん、これ読む機械はまだあるの。)

まぼろしの

大学に進学したころ、トランジスタ技術でCP/Mが動くマイコン(当時はこう呼んでいた) の製作記事がのり、自分用のコンピュータが持てると挑戦したのですが、直ぐ資金難に遭遇し CPUボードを作っただけで終わってしまいました。何度も連載記事を読んで、 組み立てたつむりになっていたものです。

就職したてのころは、すでに、IBM-PCが発売されており、16bit機の移行が始まっていました。 また、PC-DOS(MS-DOS)が主流となっていました。こんな、環境で、仕事では、 毎日、IBM-PC相手にCでプログラム書きをしていました。 まだ、出たばかりの、MicroSoft C V3.0(ものすごく高かった)で、参考書もK&Rの本が頼りでした。 全部手探りの中で、プログラミングでした。そうそう、IBM-PCの"Technical Reference"に載っていた BIOSのリストは、とても参考になりました。アセンブラ・プログラムの書き方の参考書でもあったし、 H/Wのコントロールの参考にもなったのです。

あこがれのコンピュータ

就職してからも自分自身のコンピュタを持ちたい気持は変わりませんでした。 MSXって御存じでしょうか。たしか、1985年頃、MicrosoftとASCIIが音頭をとって、家電メーカーに 作らせた8bitのパソコン(当時の言葉で言えばマイコン)です。これを 古道具屋で見つけてきてBasicで 遊んでいました。MS-DOSとファイルの互換性があるMSX-DOSもありましたが、 しょせんゲーム機でした。実用にするには、あまりにも労力がかかることが、目に 見えていました。通信ポートすらなく、また、メモリーも32KB程度だったのです。

そして、とうとう1987年にIBM-JXを 入手してしまいました。しかしながら、最小限のシステム構成ですから、出来ることが限られてましが、 MSXより強力でした。 レコードの整理とか、結婚式の準備に名簿の整理などに、使ったのを覚えています。

パソコン通信への道

1990年頃からパソコン通信がはやりはじめ、わたしも、その波にいとも簡単に乗ってしまいました。 1992年に2400BpsのModemを購入しNifty-Serve(現@Nifty)に入会したのを初め、Asahi-net、People (その当時はIBMが運用していました)、今は無きScience net(朝日新聞社内にあった)、 それから、地方のBBS局など、今から見れば、原始的なやり方でつないでいたものです。

今では無くなってしまったのですが、PeopleにはIBM-JXのパーティー(会議室)があり、 よくたむろしていました。JX用のSCSI-I/Fカード(SPCカード)を作ったり、IBM5550用のDOSをJX用に 改造してDOSのバージョンをアップしたりと、活動していました。また、いろいろとプログラムが 集まってきて、JXの使いみちを広げていました。

いまでこそ普通になっている、メールのやり取りも、その当時は相互にやり取りすることができなくて、 苦労したものです。かなり、時間がたってから、相互にメールをやり取りする実験が始まったのを思い出しました。

OS/2がやってっきた

1994年は、画期的な年でした。OS/2マシンを購入したのです。IBMの2410と言う486DX2(66MHz)を搭載した CPUにOS/2 Ver2.1。これで、本格的なコンピューティング環境が家にそろったのです。

OS/2自体は、仕事で使っていたので何の抵抗もなく受け入れる事ができましたし、SoundBlasterやCD-ROMと いった機器も使えるようになり、一気に、コンピュータに依存することが増えました。Freeの開発Toolであるemxや emacsを入れてみたり、HOBBES CD-ROMを随分楽しんだものです。 悲しいかな、その当時のOS/2には、TCP/IPが同梱されておらず、Internetはまだ、未経験でした。

OS/2もVersionが、2.11、3.0となって、やっと、Internet Access Kitが付き、Internetへの準備が 整いました。その間に、モデムも14400bpsにアップグレード出来ました。また、486DX2では荷が重くなってきた のでEvergreen Technology社のCPU Upgrade Kitを買い込んだりしたのもこの頃です。

自作機

その頃には、すでに、秋葉原は様変りしていました。部品を扱う店が中心だったのが、 パソコンのパーツを扱う店が 増えてきていたのです。それほどパソコンを自作する人が増えていた証拠なのですが、私もその中に入ってし まいました。手始めに、IBM2410のアップグレードです。HDDを追加するのにSCSIカードとHDDを2台購入しました。 これで、HDDは、1.3GBになり、もうこれ以上増やす必要は無いと。思っていたほどです。結局、HDDの故障やらで 交換し、さらに容量がふえてましたが。

そうこうしているうちに、OS/2も WARP V3、WARP V3-Connect、WARP V4とバ−ジョンが上がってきて、 IBM2410では、物足りなくなってきました。そうなると、当然、 次に手を出したのは、パソコン丸ごと作り上げることでした。 CPUはnews group fj.freamarket.compで入手して、 Mother BoardやVideoカード、HDD、NICなどは、秋葉原で安いのを見つけてきて、 そうして、2台目のOS/2マシンを立ち上げました。ついでに、モデムもK56flexのが安く手に入りました。 最新のH/Wをそろえなくとも、OS/2 WARP 4は、十分な能力を発揮しました。IBM2410ともPEER接続で プリンターやディスクを共有したりと、古い機械も仲間に入れることができて、とても快適な環境に なりました。

その後Mothor Boardの交換がをしましたが、24時間電源を入れっぱなしでトラブル事なく 動いています。安定していて、する事がなくつまらないといえばつまらないですが、 しょっちゅうトラブルたりウイルスの攻撃を受ける某OSと比べ物にならないほど、 とても楽ちんです。

2001年3月9日

HomePage立ち上げ

やっとHomePageを立ち上げました。いつまで、ネタが尽きずに持つのやら。 ちょっと心配な船出ですが、OS/2に限らず話題を提供していく予定ですので、皆さん、 よろしくお願いします。今日は、わたしが、コンピュタ業界に足を踏み入れてしまった までをお話ししましょう。

コンピュータ以前

小学生高学年のころは、ラジオ少年でした。古ぼけた真空管式のラジオを ばらしては作り直し楽しんでいました。高校生になるころには、アマチュア無線に 興味を見いだして、無線小僧になっていました。無線一色の人生を変えたのは、 高校のころの友達で、商業高校行っている友人です。なんと、コンピュータの プログラムを作っているというではありませんか。言葉で知っているだけでは 落ち着かず、無謀にも、実際にプログラムの参考書を買い込み勉強を初めたのです。

初めの一歩

でも、実際に使ってみないと落ち着きません。高校3年の冬に商業高校の知り合いに頼み込み 最初のプログラムを動かしました。たかだか、FORTRANで20行ばかりのプログラム ですが、自分のプログラムが動いた時には感動しました。 その時のCPUはFACOMで、プログラムは、紙テープに穿孔しました。もう、20年以上前の話です。 今でもその当時の紙テープがあるはずです。このプログラム体験が、OS/2への第一歩だったのです。


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