『三日姫君』
THIRTY-DAY PRINCESS


プレストン・スタージェスの脚本が抜群に面白く、ケーリー・グラントのキャラを生かしたロマンチック・コメディになっている。王女と新聞記者のロマンスという『ローマの休日』の原型でありながら、実は王女は偽者というさらにひねったプロットになっており、スピーディーに物語が展開するほか、ほとんどすべてのシークエンスにギャグが詰めこまれていて実に楽しい。日本ではほとんど知られていない作品だが、スタージェスの脚本は傑作。演出もきびきびしている。三谷幸喜脚本あたりでリメイクできないものか。

欧州の小国タロニアはアメリカで外債を募集するために、王女カタリーナを使節として派遣する。だがニューヨークに着いた途端に王女は病気で倒れてしまい、困った銀行家は王女の代役をたてる。白羽の矢がたったのはナンシーという貧乏な女優の卵で、彼女は見事に代役をこなし、あちこちで大歓迎をうける。新聞社の社主ポーター(ケーリー・グラント)は最初は外債に反対だったが、王女(実はナンシー)と会ううちに仲良くなっていく。ナンシーはポーターを愛するようになるが、自分の正体が貧乏な女優なので悩む。一方で他の記者が王女の正体に疑問を抱いたり、突然タロンガから王女の婚約者がやってくるなど危機が続くが、何とか乗り切る。やがて外債もまとまり、王女の病気も回復する。最後にだまされたと知ったポーターは怒るが、自分が愛していたのはナンシーだったと気付き、ハッピーエンドで二人は結ばれる。

冒頭は一見地味な出だしである。泥風呂に入っている二人の中年男が会話している。「私はアメリカで銀行を経営してます。あなたのお仕事は?」「私かね? この顔を切手で見たことがないかな? この国の王だよ」。慌てた相手は裸なのに、立ちあがろうとする。この場面だけで観客は爆笑して、ストーリーに引きこまれていく。

ナンシーが王女の振りをする為に英語を練習する場面。タロンガでは英語を話さないため、わざと文法が滅茶苦茶で発音の下手な英語を練習するのである。教師が間違った文法を教えたり、「それでは発音がきれいすぎる。もっと下手に」と指導するところがナンセンスで笑える。

王女の正体がばれそうになったので、ナンシーは元の姿に戻ってケーリー・グラントの前に現れる。そしてわざと行儀の悪い食べ方をして、自分が王女ではないことを示そうとするのだが、ここが徹底している。ナイフとフォークをスキーのストックみたいに握ったり、骨付きチキンを手で握って食べ、手についた汁をなめ、スプーンをカップに入れたままコーヒーを飲むなど、見ている方が唖然とするほどの下品な食べ方のオンパレードである。

新聞記者がタロンガに公衆電話から国際電話をかけようとするが、オペレーターに25セント硬貨で64ドル払うように言われて、仕方なく山のようなコインを積んで1枚1枚入れていくところなど、本編と関係ないところでも笑わせる。

最後の挨拶の時に記者が王女の正体を暴露しようとタロンガ国王を連れてくるが、すでに事情を知った王女と入れ替わっているというあたりは何となく読めるのだが、きびきび描くので白けさせない。

最後の方、欲を言えば、真実を知ったケーリー・グラントが一度は立ち去ろうとしながら、戻ってきてナンシーとハッピーエンドを迎えるところは、もう一工夫ほしいところだが、何はともあれ、めでたし、めでたし。

見た目そっくりの女性が出てくるといえば、『パーム・ビーチ・ストーリー』の衝撃の結末を思い出させるが(あちらは一卵性双生児だが)、プレストン・スタージェスのお家芸なのか。元をたどっていけば、シェークスピアまでたどれるギャグだが。

ところで貧乏女優のナンシーがニューヨークのカフェテリアで食事をするところだが、下駄箱みたいのがずらりと並び、中に一品づつ料理が入っていて、お金を入れるとふたが開いて出せるようになっている。初めて見たが、大恐慌時代の労働者向けのカフェテリア・スタイルだったのだろうか。短い場面だが、印象的なところである。

34米/パラマウント/監督マリオン・ガーリング/脚本プレストン・スタージェス、フランク・バートス/撮影レオン・シャムロイ/出演シルヴィア・シドニー、ケーリー・グラント、エドワード・アーノルド/74分/白黒

(2001/6/15 ロサンゼルス郡美術館にて上映)


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2002年8月11日作成