【米国時代のフリッツ・ラング】

『人間の欲望』
HUMAN DESIRE


ジャン・ルノワールが38年に映画化したエミール・ゾラ原作の『人獣』を、舞台をアメリカに置き換えて再映画化した作品。

朝鮮戦争から3年ぶりに故郷に帰還したジェフ(グレン・フォード)は、以前務めていた鉄道会社に復帰し、昔の通り機関士として働き始める。彼は相棒の運転士のアレックの家に居候し、アレックの娘エレン(キャサリン・ケイス)と仲良くなる。ジェフの同僚カールは、年下のヴィッキー(グロリア・グラハム)と結婚していたが、仕事上のミスからクビを言い渡される。カールは会社に顔の効く大物オーウェンにとりなしてもらうよう、渋るヴィッキーを説得する。ヴィッキーの母親は以前オーウェンの家の家政婦をしていたのだ。オーウェンに会いに行ったヴィッキーがなかなか戻らないため、カールはいらいらする。やがて戻ってきたヴィッキーから、オーウェンのとりなしでクビが取り消しになったと聞いて喜んだものの、彼女がオーウェンと不倫したのではないかと疑い、逆上して彼女を追い詰める。そしてオーウェンが仕事でその夜シカゴに行くと知ると、ヴィッキーに列車の中で彼を訪ねて行く旨のメモを書かせ、駅でボーイ経由でオーウェンに渡す。そしてヴィッキーにオーウェンの客室を訪ねさせ、彼が扉を開けると室内に押し入り、オーウェンをナイフで刺殺する。物取りの仕業に見せかけた後、客室を出ようとするが、車両の扉付近でジェフが煙草を吸っているために通りぬけできない。ジェフに顔を知られていないヴィッキーがジェフを酒に誘う。食堂車が閉まっていたため、二人は空いている客室で話をするが、列車が揺れた際にジェフはヴィッキーにキスし、彼女は慌てて立ち去る。次の駅でカールとヴィッキーは列車を降りるが、二人一緒のところをジェフに目撃されてしまう。やがて遺体が発見され、警察の捜査でジェフは、怪しい人物は目撃しなかったと証言して、ヴィッキーをかばう。だが真実を知ろうとジェフは、ヴィッキーに近づく。やがて二人は惹かれ合うようになり、アレックやエレンの警告にも関わらず、密会するようになる。ヴィッキーは殺人の真相をジェフに告げ、彼女がオーウェンに書いたメモをカールに握られていることも話した。ジェフはカールを殺すことをヴィッキーに約束する。カールは事件後酒浸りになり、またも仕事をクビになっていた。酒場から帰るカールをジェフは尾行し、停車場でスパナを手に背後から近寄る。ヴィッキーの元に戻ってきたジェフは、カールを殺せなかったと話す。彼を罵るヴィッキーに幻滅したジェフは、彼女と別れる決心を伝え、分かれ際にカールのポケットから盗んだメモを彼女に渡す。翌日、ジェフはいつも通りに列車を運転する。同じ列車にカールの元を去ったヴィッキーが乗っている。彼女を追ってきたカールをヴィッキーは嘲笑する。逆上したカールはヴィッキーを絞殺し、放心状態に陥る。そんなこととは知らないジェフは、いつも通りに列車を走らせるのだった。

ラングは原作の暗いペシミスティックなトーンで映画化をしようとしたが、興行性を危ぶんだ会社側から話を変更するように言われ、プロデューサーとの話合いの末に、人間の心の闇よりも三人の登場人物の三角関係に焦点を置いた内容に変更した。

ルノワールの映画ではジャン・ギャバンが演じたサイコパス的な運転士に、当初ラングはドイツ時代の『M』に主演したピーター・ローレを考えていた。だがローレは当時ドイツで別の仕事についており、またストーリーのトーンの変更に伴ってローレではうまくいかないことが明らかになっていた。ヒロインは当初オリヴィア・デ・ハヴィランドに依頼がされていたが、リタ・ヘイワースで話が進んだ後、最終的にはラングの前作『ビッグ・ヒート』でコンビを組んだグレン・フォードとグロリア・グラハムが再び出演することになった。

ルノワール作品との大きな違いは人物の性格付と結末である。ルノワール版では、ジャン・ギャバン演ずる機関車の運転手ジャック・ランティエは、時々正気を失って、暴力的な衝動にかられる病気の持ち主である。彼は自分に好意を寄せる娘フローレ(ブランシェット・ブリュノワ)を線路脇で首を締めて殺そうとしたこともある。ランティエが殺人現場の客車から出てきたルーボー(フェルナンド・ルドウ)とスヴェリーヌ(シモーヌ・シモン)の姿を目撃し、スヴェリーヌに同情して警察に誰も見なかったと証言するのはラング版と同じである。だがルノワール版では、そのために前科のある別の鉄道員が逮捕されてしまう。ラング版で、グロリア・グラハムが悪女の魅力満載でグレン・フォードを誘惑するのに対し、ジャン・ギャバンとシモーヌ・シモンは自然に(どちらかというと、ギャバンがほれる)深い仲になっていく。ギャバンのルドウに対する殺意はラング版よりはっきり描かれるが、結局殺人を犯さなかったギャバンに失望したシモーヌ・シモンは舞踏会でギャバンの目の前で別の男と踊ってみせる。ようやく決心のついたギャバンはシモーヌ・シモンと二人で彼女の家に行き、夫の帰るのを待つが、その時ギャバンの発作が起きて、彼はシモンを刺し殺してしまう。ギャバンはそのまま逃げる。帰宅した夫はシモンの死体を見て嘆き悲しむ。放心状態のギャバンはいつしか勤務先の駅に来て、機関車に乗る。だが途中、走っている機関車から身を躍らせて自殺してしまうのだった。シモンが殺される場面では、背景に舞踏会の男性歌手のロマンティックな歌が流れ、対位法がシモンの運命の皮肉さや悲しみの効果を高めている。走っている機関車にキャメラを据え付けて、橋を渡ったり、トンネルをくぐっりといろいろ撮影したために、非常に臨場感ある迫力にあふれた画面になっている。スクリーンプロセスを使わずに、実際に俳優を機関車に乗せて撮影しているところが、迫力に満ちている。黒澤の「暴走機関車」も実現していれば、こうなったのだろう。

ラング作品に話は戻るが、前作の撮影にもまして、ラングはグラハムに厳しく当たった。ブロデリック・クロフォードは当時アル中で、撮影中にグラハムに厳しく当たるラングに酔ったクロフォードがつかみかかる一場面もあったという。

ラング自身は出来に満足出来なかったが、深夜の停車場での二人の逢引や、ジェフがヴィッキーに殺人を約束する場面の画面の暗さや人物の影などが素晴らしい美しさで、フィルムノワール的な雰囲気を最大限に出している。また殺人の後で客車の扉の窓越しにジェフの煙草の煙だけが見える場面とか、列車に押し入った後で殺人そのものの場面は見せずに次の場面で血の付いたナイフをカールが自分の上着でぬぐう場面を見せるなど、映画的にストーリーを語る手法でも優れた場面が多い。原作とは改変したラストがいささかあっけなさすぎる幕切れなのが残念だが、ラング自身はジェフがカールを殺す必然性はないとしている。

物語の背景となる鉄道場面の撮影場所を探すのがなかなか大変だった。当初、サンタフェ鉄道に依頼が行われたが、列車の中で殺人が行われるために断られ、しかも同社が他の鉄道会社にこの企画のことを伝えて依頼を断るよう手紙を書いたため、協力してくれる鉄道会社がなかなか決まらなかった。何とかカナダの鉄道会社の協力を得られることに決まったが、その時点でヒロインを演じる予定だったリタ・ヘイワースが事情で国を離れられなかったため、映画会社の株主のつてで小さな鉄道会社の協力を得ることになった。それを知った会社の幹部が撮影に難色を示し、様々な条件が付けられた上でようやく撮影にこぎつけることができた。12月初旬で必ずしも撮影に適した天候ではなかったが、山の中や河の上を走る列車の撮影は素晴らしい出来で、映画にドキュメンタリー的な迫真さを与えた。

冒頭、ジェフがエレンに東京からのみやげといって渡す浴衣の襟には左右に縦に「梅牡丹」の文字が刺繍されている。

54米/監督フリッツ・ラング/脚本アルフレッド・ヘイズ/撮影バーネット・ガフィ/出演グレン・フォード、グロリア・グラハム、ブロデリック・クロフォード、エドガー・ブキャナン、キャサリン・ケイス/90分/白黒


前の画面に戻る     初期画面に戻る

ホームページへの感想、ご質問はこちらへどうぞ

2002年8月6日作成