『天国と地獄』 幻のエンディング
黒澤作品では出来上がった映画が脚本から大きく変わる例は少ない。(映画会社の指示で大幅に短縮された『白痴』は珍しいケースだろう。)それは黒澤が脚本をとても重要視し、その執筆にあたって自らを中心に複数の脚本家が血のにじむような思いで練り上げた脚本に対する安易な変更を許さないためだ。(もちろんセリフや演技の現場レベルでの細かい変更はあるにしても。)
しかし脚本に書かれ、撮影までされたシーンがまるまるカットされた珍しい例がある。しかも、作品の最も大事なエンディングの場面だ。それが黒澤黄金期の最高傑作のひとつにも数えられる『天国と地獄』である。
現在見られる完成作のラストは、若き山崎努演じる誘拐犯が三船演じる元・会社重役の権藤と刑務所の金網越しに対峙するシーンである。死刑を目前に強がりを見せていた山崎が急に立ち上がり、「畜生っ!!」と叫んで金網をつかむと、看守があわてて彼を連れ去り、面会室の権藤の目の前にガラガラと鉄の戸が降りてくる。非常に重苦しい、しかし余韻の残る黒澤作品屈指の名ラストシーンだ。
だが、元の脚本ではこの場面の後、刑務所の廊下を帰る三船と仲代(戸倉警部)の場面がラストシーンとして書かれていた。黙ったまま廊下を歩く二人は階段を上り、出口の冬空を背景に短い会話を交わした後、画面から去る。廊下から見上げた冬空がフェードアウトし、映画の終わりとなるはずだった。
しかし面会室の山崎努の鬼気迫る熱演を見た黒澤は、その圧倒的な迫力からこのシーンを映画のラストにした。この決断は正しかったと思う。この後に別の場面を入れたら、面会室の余韻が台無しになっただろう。(ちなみに脚本には山崎努の「畜生っ!!」というセリフはなく、甲高い声で笑う山崎を看守が連れ去るはずだった。「畜生っ!!」の叫びで山崎は一瞬だけ本心を見せ、その悲しみや苦しみ、やりきれなさを観客に感じさせる。このセリフの追加がシーンの成功の鍵だった。)
ところで面白いことに、このカットされたラストシーンは予告編に使われている。しかも3分半の予告編の中で20秒弱と結構長く使われているのだ。通常、予告編は助監督などが作るが、せっかく撮ったのだからもったいないと考えたのか、本編にない場面だから予告編に出してもネタばれにはならないと考えたのか。黒澤も予告編は見ているはずだが、特にこのシーンが削除されず残っているということは、シーンの出来に文句があったわけではなかったのだろう。予告編の20秒弱のシーンは、刑務所の廊下のセットで、歩き去る二人をカメラが後ろから追いながらワンカットで撮られており、おそらく残りも含めた全体がワンカットだったと思われる。最後に見せる冬空が本物の空だったか気になるところだ。(そうするためには大掛かりなオープンセットを組まねばならない。)20秒弱の映像の最後、階段の上にちらりと空が見えるが、残念ながらそれが本物の空か書き割りなのかは分からない。
黒澤亡き後、我々はその新作を見ることはもう出来ないが、このような形でも黒澤の手がけた映像をひとつでも見ることができるのは大きな喜びである。
(WIPE)
123 刑務所・廊下
権藤と戸倉が黙々と歩いて行く。
コンクリートの壁にかねかえる音がうそ寒い。
権藤は時々立ち停って振りかえる。
ここまで、あの悲しい竹内の笑い声が追ってくる−−そんな気持だ。
戸倉にも、そのやりきれない権藤の気持がよくわかる。
しかし、何か言って慰めたいのだが、言う言葉もない。
また、権藤にもその戸倉の気持がよくわかる。
しかし、何か言いたそうな戸倉の顔を見て、にがく笑うだけがやっとだ。
二人は、そのまま黙々と暗い廊下を歩いて階段を上る。
階段の上には晴れ渡った冬空をつきさすように冬木立の梢がのぞいている。
二人は、その階段を上り切って、冬木立をバックに向い合う。
権藤 「ところで、貴方ともこれでお別れですね・・・今度はいつお眼にかかれるか・・・」
戸倉 「いや、私なんかに用がない方がいいですよ」
二人、顔を見合わせて、やっと微笑する。
その二人の後姿が、空を横に区切った階段の上から沈むように消えて行く。
冬木立の梢だけが残る。
(F・O)
「全集黒澤明
第五巻」岩波書店(1988年)
予告編の映像より




予告編(0:19から0:37に削除されたラストシーンの前半が使われている。)
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15年3月14日作成