『夢』の映画化されなかったエピソード


『夢』は8つのエピソードからなるオムニバス映画だが、89年初頭に製作発表の記者会見がされた際には9つのエピソードとされていた。これが資料によっては10であるとか11だとか諸説分かれてしまう。プロデューサーの井上芳男氏によれば、当初黒澤の書いたシナリオには12のエピソードがあったが、予算の関係等の問題から8つになったという。では映画化されなかったエピソードはどのようなものだったのだろうか。

 

『翔ぶ』

 当初1番初めに置かれていたエピソード。映画化はされなかったが、黒澤明の描いた絵コンテをもとに大林宣彦によってアニメーション化され、共同石油のCMで使われた。私も劇場でこのCMを見た記憶がある。

 高層ビルの間に張られた目もくらむような高さの1本のロープの上を、学生服を着た「私」が渡っている。手にはバランスをとるための棒をもっているものの、ふらふらして不安定である。とうとう私はバランスをくずしてロープから落ちてしまった。ぐんぐんと地上がせまる。しかし地面に激突する直前に誰かの手が私の手を引っ張りあげてくれる。それは背中に羽根のある美しい女性=天使だった。天使は私の手を引いて空高く舞い上がる。私は空から見る美しい風景に目を見張りながら、天使とともに飛び続ける。どこかで誰かが地上から私を呼ぶのが聞こえるが、私はそのまま飛びつづける。やがて二人は地球を飛び出て宇宙に飛び出す。雄大な星空。方程式や定理が二人に襲いかかるが、何とか切り抜ける。地球が恋しくなった私は、天使と手を離して地球へ落ちていく。野原に落ちる私。そこには、私の「影」がいる。影と私は、野原で手を取って喜びあう。

 私の拙い文章でイメージが涌きずらいだろうが、『スーパーマン』でヒロインのロイス・レーンがスーパーマンに手を引かれながら空を飛ぶシーンを想像して頂ければいいと思う。せっかく映像があるのだから、ビデオで発売してほしいものだ。
 また天使と分かれた私が影と出会うところは、『影武者』でも使われたドッペルゲンガー(分身)のモチーフがよりストレートに現れている。その意味するところは何なのか、シナリオも映画も公開されていない現状では不明だが、黒澤の心象風景をあれこれ想像してみるのも楽しみだ。

 

『阿修羅』

 プロデューサーの井上芳男氏はスピルバーグに『夢』(当時はまだ『こんな夢をみた(Such Dreams, I have dreamed)』という仮題だった)の製作協力を依頼するために『夢』のシナリオを英訳したが、その際に苦労したエピソードとして、『阿修羅』についてこう語っている。

「・・・例えば『夢は』12の話を最終的に8つの話に仕上げて、3つの夢は予算の関係とか、撮影技術の制約とかで割愛せざるをえなかった訳ですが、その割愛した話の中で『阿修羅』と題する夢がありました。阿修羅というのは京都の興福寺にある三面六臂の仏様ですが、この阿修羅が京都の神社仏閣のお坊さん神主たちが、参拝者たちから入場料を取っているということに腹を立て、興福寺の囲いの中から出て京都市内にやってきて、六本の腕の指を合わせて呪文を唱えると、京都中の神社仏閣がつむじ風に巻き込まれて空に飛んでしまい、取り上げられてしまう。その中に『尋ねて曰く、悟りとは何ぞや。答えて曰く、坊主丸儲け。喝!』(笑)
 これなどは悟りとは何ぞや、というのはなんとか訳せますが、坊主丸儲け、というのはどうも。それに喝ときましたからね。英語に直すというのは監督が坊主丸儲け、ということは何を言いたかったかと。そういうことを本当に読み取らないと、英語にはとてもならない」

(『黒澤明研究会誌 N0.11』193p "第一回 黒澤明映画祭 井上芳男氏の講演" より)

 

『素晴らしい夢(平和がくる)』

 89年の製作発表時にはまだ9番目のエピソードとして製作が予定されていた。その後予算の関係で製作が中止され、当初6番目のエピソードの予定だった『水車のある村』がエンディングになった。タイトルの『素晴らしい夢』は製作発表時のものだが、『平和がくる』と紹介している資料(黒澤明研究会誌)もある。

 TVのアナウンサーが「世界に平和がきた」と叫んでいる。世界中の人間が一堂に会して喜びあう。

 アナウンサーには壇ふみが予定され、本人も出演するつもりだったが、結局予算の関係でこのエピソードは中止になった。この経緯について上田正治カメラマンはこう語っている。

−  『夢』の撮らなかった話で「平和がくる」というのは、壇ふみで演ることを予定していたとか。
上田 一番最後のエピソードね。壇ふみは出演する気になっていたんだけど、これまた凄いカットで、バーンというと世界の数十ヶ国の人間が全部集まっているシーンだから。民族衣装から何から全部やって、日本だったら和服着て、アラブだったらベール被って、全部ワンカットで入れるというんです。それでサンフランシスコで撮ると場所も決めたんですよ、黒澤組がサンフランシスコで撮るとどうなるんだって、そしたらスピルバーグも用意するから来てくれって、それで僕達もみんな行く気になっちゃって、向こうへいったらいいねなんて言ってたら、とんでもないそこまでやったら大変、ワンカットだってものすごい。それがまたね、切返しが飛行船の上から見ているカットなんですよ。飛行船を飛ばすかセットで作るか、飛行船の長さだって100メートルくらいありますから、それで構想していたんだけど、結局は金がないんで止めちゃったんだけど、これは本当に場所まで決めたんです。

(『黒澤明研究会誌 N0.11』45-46p "上田正治カメラマンを囲んで" より)

 

『?』

 私が知っている映画化されざるエピソードは以上の3つだけなので、井上氏の言うように当初12のエピソードあったのであれば、あと1つ映画化されていないエピソードがあることになる。もしどなたかご存じの方がいれば、是非教えて下さい。


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97年3月1日作成