『シャイニング』幻のエンディング

カットされた病院のラスト・シーン(シナリオ)
脚本共作ダイアン・ジョンソンのインタビュー

『シャイニング』には、撮影されて編集もされながら、映画からは(短縮された国内版はもちろん、長尺の海外版からも)カットされた幻のラスト・シーンがある。その内容は、ジャック・ニコルソンの追跡を振り切って、雪上車で恐怖のホテルを逃がれたシェリー・デュヴァルが病院に入院しているというものだが、詳しいことは分かっていなかった。スティーブン・キングの原作小説でのラストは病院ではなく、普通の生活に戻ったウェンディ(シェリー・デュヴァルの演じた人物の名)がホテルでの惨劇を悪い夢だったかのように思い出すという平和な終わり方である。だが皮肉屋で懐疑的なキューブリックが、果たしてそのような甘いエンディングを作ったのか。

 私は映画関係の書籍や資料の所蔵で有名なビバリーヒルズの映画芸術科学アカデミー、マーガレット・ヘリック図書館で、『シャイニング』のトリートメントを調べたことがある。(『シャイニング』の脚本があれば全て解決なのだが、あいにくこの図書館には脚本はなかった。脚本の販売で有名なHollywood Book Cityでも『シャイニング』はトランスクリプトしか置いていない。)あまり知られていないが、キューブリックは脚本執筆の前にトリートメントを準備することが多いようだ。私は『フルメタル・ジャケット』のトリートメントを所有しているし、スピルバーグが映画化した『A.I.』も結局はトリートメントしかなかったため、撮影用の脚本はスピルバーグが執筆した。

 ちなみに、この『シャイニング』のトリートメントで興味深いのは、ラストが映画と同じくウェンディの脱出とジャックの死、そしてホテルの古い写真に描かれるジャックの「転生」から成っており、ウェンディの入院の場面がないことだった。(ほかに興味深いのは、映画ではウェンディ母子を助ける目的でホテルに来るハロランが、トリートメントでは悪霊に取りつかれてウェンディらを殺すために帰ってくることだった。もちろん、ハロランもあっけなく死ぬのだが。またダニーがインディアンのイメージを見る場面もあった。)つまり入院の場面は脚本執筆の段階で加えられ、編集で削られたものなのだ。

 日本でも出版されているミッシェル・シマンのキューブリック研究書『Kubrick』の新版がキューブリックの死後、99年にフランスで出版され、01年に英語に翻訳されている。新版には遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』に関する著述が新たに加えられたほか、キューブリックの協力者たち(マルカム・マクダウェル、マリサ・ベレンソン、ジャック・ニコルソンなど)のインタビューが追加されている。その中に『シャイニング』の脚本をキューブリックと共同で執筆したダイアン・ジョンソンやシェリー・デュヴァルのインタビューも含まれており、興味深い内容がいくつか判明した。

 まずジョンソンの話では、もともとキューブリックはジョンソンの小説『影は知っている(Shadow Knows)』を映画化したがっていた。これは一人称で書かれた小説で、後に『アイズ・ワイド・シャット』の原作となったアーサー・シュニッツラーの『ラプソディ:夢小説』とも多くの共通する内容を持っていたという。やがて『シャイニング』を映画化することになり、2人で別々にキングの原作をシークエンスに分け、それを比較して、各シーンについて残すべきか削るべきか、細かく議論した。それから脚本を書き始めたが、11週間たった時に、ジョンソンは都合でアメリカに帰らなければならなくなり、その時点では、まだ結末はできていなかったという。  またジョンソンによれば、映画からはジャックが暖房の近くでホテルの歴史を書いた本を見つける場面が編集でカットされたという。この場面でジャックは本を読むうちに、自分がホテルによって創造された存在であり、ホテルの中で罠にかかったように感じるのだという。

 ジョンソンは失われたシーンについて、短くこう語っている。

「キューブリックはウェンディとダニーが病院にいる場面を見せて、2人が無事だったことを示そうと考えていました。ウェンディとダニーがここちよい場所にいることで、恐怖映画の最後にすべてが普通の状態に戻ったと観客にはっきり分かるようにしたかったのです」
 残念ながら、ジョンソンはシーンの内容について詳しくはふれていない。

 一方、シェリー・デュヴァルは同じ本のインタビューで、失われたラストシーンについて、より詳しく説明している。

「(キューブリックが映画の最後の場面を、劇場で数日上映した後にカットしてしまったことについて)彼は間違っていたと思います。というのは、その場面は観客にとって、あいまいなままだったいくつかの事柄を説明するためのものでしたから。黄色いボールの重要性とか、物語におけるホテルのマネージャーの役割などです。ウェンディは息子と一緒に入院しています。マネージャーが見舞いに来て、ホテルでの出来事について謝罪します。そして自分と一緒に住まないかと彼女に聞くのです。彼女はイエスともノーとも言いません。それからマネージャーは病院の廊下に出て、床の上でおもちゃで遊んでいるダニーの前を通りすぎます。そして出口まで来ると、立ち止まって言います。『忘れるところだった。君にあげるものがある。』彼はポケットから黄色いボールを出します。それは双子の少女がダニーに投げたのと同じものでした。ボールは二回はずんで、ダニーはそれをキャッチします(ボールが思った通りはずむまで、撮影は丸一日かかりました。)ダニーはボールを見つめた後、ホテルのマネージャーへと視線を上げます。そしてマネージャーが最初からホテルの謎に気づいていたのだと分かって呆然とするのです。この結末はヒッチコック的です。そしてもちろんご存じの通り、キューブリックはヒッチコックの大ファンです。」

 デュヴァルの語っているエンディングは、ジョンソンの言う「普通の状態」とはかなり温度差がある。「ヒッチコック的」と語っているが、『サイコ』やテレビの『ヒッチコック劇場』に見られたように、最後に意外などんでん返しがあったのだ。だがマネージャーの奇怪な行動はどう解釈すればいいのだろうか? 結局、彼もホテルの幽霊の一味だったということなのだろうか。わざわざ病院にまでウェンディを追っていき、あまつさえ、ウェンディを好きなように料理できるよう自分の近くに置こうとさえしている。ダニーにもボールを渡し、「お前たちのことは忘れていないぞ」と警告しているというのか。考えてみれば、ジャックを面接する時にも、簡単に幽霊の一味になってくれそうな、弱さを持った人間をわざと選んだということなのか。(確かに娘を殺したグレイディもこのマネージャーが選んでいたに違いない。)そうだとすると、この終わり方はホラー映画の常道とも言える、主人公が逃げきったと思ったら最後にどんでん返しが待っていたというパターンそのものである。

 あるいはジョンソンの言う通り、すべてが普通に戻った平和な終わり方なのか。マネージャーはホテルをめぐる事情は知っていたものの、自分ではどうしようもなく、罪滅ぼしに見舞いに来ただけかもしれない。ダニーに黄色いボールを投げるのも、「本当は何があったか、私も知っている。でもこれは私たちだけの秘密にしておこう。どうせ世間は信じちゃくれまい」とでも言っているようだ。いずれにせよ、カットされた場面を見ないと、どちらなのかは分かりそうもない(あるいは見ても分からないかもしれないが)。

 ぜひとも、この『シャイニング』のカットされたエンディングを、『博士の異常な愛情』でカットされたラストのパイ投げの場面と併せて、何らかの形で公開してもらいたいものである。


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02年8月7日作成