キューブリック・知られざるエピソード


キューブリックに関する有用な資料は意外に少ない。日本ではイメージフォーラムの「キューブリック」やミッシェル・シマンの「キューブリック」が貴重な情報源である。またキューブリックの秘密主義のため彼についてのニュースはあまりマスコミには流れてこない。以下は海外で出版された本やインターネット等で入手した情報をまとめたものである。

『夢小説』にウディ・アレンが出演?
 キューブリックの義弟ヤン・ハーレンがアメリカン・シネマテークで語ったところによると、キューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』の原作であるアーサー・シュニッツラーの小説『夢小説』の映画化を長い間構想していたが、『シャイニング』の頃にはウディ・アレンを主人公の医者にキャスティングする構想を持っていたという。『アニー・ホール』や『マンハッタン』が公開されていた頃と見られるが、アレンは喜劇俳優/監督としてだけでなく、人間ドラマの監督としても注目され始めていた頃だった。ハーレンによれば、キューブリックはアレンを喜劇俳優としてではなく、普通の人間として演じさせることを考えていたという。アレンの神経症的な現代ニューヨーカーの演技は絶賛されていた(というか、地でやっているように見られており、演技とすら見なされていなかった)から、現代ニューヨークを舞台にした作品の主人公としてはうってつけといえるだろう。『アイズ・ワイド・シャット』のトム・クルーズとはまったく型が異なることから、作品の雰囲気もかなり違ったものになり、より内省的で神経症的な部分を強調するものになっていたのではないだろうか。
 ともにニューヨークのブロンクスでユダヤ系の家庭に生まれ育ち、ハリウッド等の映画システムに組み込まれるのをよしとせず、自らの選んだ企画を自らの選んだキャストやスタッフで撮り続けるという、ほとんどインディ系とも言える独自のスタイルを貫いており、互いに相手のことを高く評価していた2人だった。アレンは観客が彼のことを喜劇俳優と見ているため、『インテリア』のようなシリアスな作品に出たら、シリアスな場面でも笑ってしまうと考え、そういう役に出たことはない。だが敬愛するキューブリックの依頼であれば、受けたのではないか。2大巨匠の共作が見られる可能性もあったわけである。
(02年8月10日執筆)

「ロリータ」の音楽
「Film Score -The Art & Craft of Movie Music」の中の作曲家バーナード・ハーマンのエッセーによると、キューブリックは「ロリータ」の音楽をはじめハーマンに依頼していたという。ハーマンは承諾したが、キューブリックから「一つ言うのを忘れていたけど、音楽には私の義弟の作ったメロディを使ってほしい」と言われたので断ってしまったという。結局「ロリータ」の音楽はネルソン・リドルが担当した。「北北西に針路を取れ」「サイコ」等のヒッチコック作品で知られるハーマンだが、もしこの取り合わせが実現していたら、画期的な映画音楽が生まれていたかもしれない。

「2001年」の音楽
「2001年」ではもともと「スパルタカス」の音楽を担当したアレックス・ノースのオリジナルスコアが映画の中で使われるはずだった。しかしキューブリックは途中から「ツァラトゥストゥラかく語りき」等のクラシック音楽を使用することにし、ノースの音楽は作曲されながら長い間陽の目をみることはなかった。ノースは91年9月に亡くなっている。93年に発売されたCD「Alex North's 2001」により、ノースの音楽はジェリー・ゴルドスミスの指揮で四半世紀ぶりに蘇って注目を浴びる。

CDの解説に掲載されたアレックス・ノースの手記によると、もともとニューヨークにいたノースにロンドンのキューブリックから電話で「2001年」の音楽の作曲依頼があったのが始まりであった。ノースは67年12月にロンドンへ飛んでさっそく作曲を始め、翌1月よりレコーディングを開始した。この時ノースはスケジュールに間に合わせるため無理をして身体をこわし、レコーディングには救急車で行かねばならなかったほどの熱のいれようだった。それほどまでにがんばりながら、一方でキューブリックがクラシック音楽の使用を検討しているという話を耳にして苦悩する。レコーディング開始2週間後から11日間、ノースは残りの音楽の作曲のために撮影フィルムを見せてもらえなかった。一方でキューブリックからはクラシック音楽の使用についての話はなく、作曲した音楽の一部修正の指示さえあった。2月に入ってキューブリックから、映画の残りの部分には呼吸音を効果音として使うのみにするのでこれ以上の作曲の必要はない旨の連絡があった。しかし後にニューヨークの試写に出席したノースは、映画にクラシックによる「一時的な」音楽がついているのを知る。

ノースには自分の音楽がR・ストラウス等より優れているという気持ちは全くなかく、ただキューブリックの使用したヴィクトリア朝の音楽はクラークとキューブリックの卓越したストーリーのコンセプトに合致していないという意見であった

ダグラス・トランブルの「2001年」インタビュー
「スター・ウォーズ」や「サイレント・ランニング」の特撮で知られ、「2001年宇宙の旅」の特撮も担当したダグラス・トランブルは78年の雑誌とのインタビューの中でこの作品にまつわるいくつかのエピソードを語っている。

初期のストーリーにはコンピューターHAL9000と人間との闘いは含まれておらず、謎の知性体と人類の進化をめぐる物語だったという。数百万年前の干ばつに見舞われたアフリカ。宇宙からおりてきた謎の透明の立方体が、絶滅に瀕していた人類の祖先に映像で骨をつかんだり、獲物を殺し、食料とすることを教える。舞台は未来に移り、月面で何百万年前のピラミッドが発掘されるが、日光をあびるとそれは宇宙の彼方に飛び去ってしまう。土星にむけて探検隊が出発する。彼らは土星の月の表面に長方形の穴を発見する。穴の深さは永遠にも思われ、穴の中にも星が見える。ポッドで降りた隊員は奇妙な部屋に迷いこみ、そこで緑色の20フィートの巨人と出会う。(この緑色の巨人は実際にいくつか製作されたが、結局ストーリーの変更に伴い、使用されなかった。)

冒頭の人類の夜明けで豹がシマウマを食べているシーンがあるが、このシーンのためにわざわざ馬を殺そうというものがいなかったので、死んだ馬を調達できるまで撮影は行われなかった。死んだ馬が調達されると、ペンキでシマウマのように塗り変えられた。しかし撮影が1週間のびたためその間に馬の死骸は腐ってしまい、スタッフはものすごい臭気に悩まされた。撮影の際は豹が臭いから逃げないようにするために、薬をうったり鎖でつないでおかねばならなかったという。

「2001年」雑記帖2001: a space Odyssey
この映画では未来世界のデザインに多くの大企業が協力し、代わりに企業のロゴをセットにのせる許可を得た。スペースシャトルの運行はパンナムがするという設定になっていたし(パンナムはもうなくなってしまったが)、宇宙ステーションの内装はヒルトンが、フライトコンピューターシステムはIBMが、TV電話はベルが担当した。映画にはそれらの企業のロゴが登場する場面もある。ただIBMは途中で会社のロゴを映画から外すよう求めた。IBMはコンピューター全般についてのアドバイスを行ったが、HAL9000が反乱を起こして乗員を殺害するというストーリーを知り、会社へのイメージダウンを恐れたためである。さらにHALの名前がIBMの文字をそれぞれ1字ずつずらしたものであるという噂がたった時にもIBMは不快感を示した。

伝説について
1987年のローリングストーン誌とのインタビューの中でキューブリックは彼にまつわる有名な伝説についてこう語っている。

車に乗る際は運転手に30マイル以上は出させず、アメフトのヘルメットをかぶるという伝説をキューブリックは一笑に付している。そもそも彼は運転手など使わずに自分でポルシェ928Sを運転しているし、時速80〜90マイルで飛ばすこともあるという。

全てのシーンを100回撮るという別の伝説についても、そんなことをしていたら映画の撮影はいつまでたっても終わらないとキューブリックは言う。彼によれば、そもそも撮影回数が多いのはたいてい俳優がセリフを覚えていなかったり、その内容を把握していないためとのこと。そういう場合の数十回のテークがすべてのシーンを100回という風に大袈裟に伝えられたのだろうとしている。しかしテーク数が多いのは本当らしい。「フルメタル・ジャケット」の軍事教官役のリー・アーミーは常にセリフをきちんと覚えて撮影の準備をしてきたとキューブリックも賞賛しているが、彼の場合でも毎シーン8〜9テークは撮っていたという。

またキューブリックは84年以来アメフトの熱心なファンで、試合を録画したテープを米国から送ってもらって鑑賞したりしている。


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96年2月1日作成
02年8月10日改訂