ヒッチコック プロフィール/フィルモグラフィ


プロフィール
1899年8月13日にロンドンで生まれる。カトリックの家庭に育ち、イエズス会系の大学を卒業。20年にパラマウントの前身フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー社のロンドン支社にタイトル・デザイナーとして入社。すぐタイトル部門のトップになり、やがて演出も任されるようになる。25年に『The Pleasure Garden』で監督デビュー。26年の『下宿人』で初めてサスペンス映画を手がけ、その後も『恐喝(ゆすり)』等でこのジャンルにおける注目を集める。そして『暗殺者の家』『三十九夜』といったスパイ・スリラーで世界的な名声を高め、39年にハリウッドに招かれる。渡米第一作の『レベッカ』はアカデミー賞を取るなど大成功し、以後は活動の拠点をアメリカに移す。ハリウッド・システムの中で闘いながら『汚名』『白い恐怖』等を監督し、サスペンスの巨匠としての名声を確立。50年代に入ると、ジェームズ・スチュアート、ケーリー・グラント、グレース・ケリー等のスターを得て、『裏窓』『泥棒成金』『めまい』『知りすぎていた男』『北北西に進路を取れ』などの傑作を続々と発表して絶頂期を迎える。55年からはテレビ番組『ヒッチコック劇場』を製作し、そのユーモアで家庭の人気者にもなる。60年の『サイコ』は空前のヒットになると共に映画史に残る名作にもなるが、その後はぱっとせず、76年の『ファミリー・プロット』が遺作になる。80年4月29日にロサンゼルスで死去。一人娘のパトリシアは『サイコ』等にも出演している。

フィルモグラフィ
(注:英タイトルは日本未公開作品で、( )はビデオ等の邦題)

<英国時代>
『The Pleasure Garden』(25)
『The Mountain Eagle』(26)
『The Lodger(下宿人)』(26)
『Downhill』(27)
『Easy Virture(ふしだらな女)』(27)
『The Ring(リング)』(27)
『The Farmer's Wife(農夫の妻)』(28)
『Champagne(シャンパーニュ)』(28)
『The Manxman(マンクスマン)』(29)
『Blackmail(恐喝(ゆすり))』(29)
『Elstree Calling(エルストリー・コーリング)』(30)
『Juno and the Peacock(ジュノーと孔雀)』(30)
『Murder(殺人!)』(30)
『The Skin Game(スキン・ゲーム)』(31)
『Rich and Strange(リッチ・アンド・ストレンジ)』(32)
『Number Seventeen(第十七番)』(32)
『Waltzes from Vienna』(33)
『暗殺者の家』(34)
『三十九夜』(35)
『間諜最後の日』(36)
『Sabotage(サボタージュ)』(36)
『第3逃亡者』(37)
『バルカン超特急』(38)
『岩窟の野獣』(39)

<米国時代>
『レベッカ』(40)
『海外特派員』(40)
『スミス夫妻』(41)
『断崖』(41)
『逃走迷路』(42)
『疑惑の影』(43)
『Lifeboat(救命艇)』(43)
『Bon Voyage(ボン・ヴォヤージ)』(44)
『Aventure Malgache(マダガスカルの冒険)』(44)
『白い恐怖』(45)
『汚名』(46)
『パラダイン夫人の恋』(47)
『ロープ』(48)
『Under Capricorn(山羊座のもとに)』(49)
『Stage Fright(舞台恐怖症)』(50)
『見知らぬ乗客』(51)
『私は告白する』(52)
『ダイヤルMを廻せ!』(54)
『裏窓』(54)
『泥棒成金』(55)
『ハリーの災難』(56)
『知りすぎていた男』(56)
『間違えられた男』(57)
『めまい』(58)
『北北西に進路を取れ』(59)
『サイコ』(60)
『鳥』(63)
『マーニー』(64)
『引き裂かれたカーテン』(66)
『トパーズ』(69)
『フレンジー』(71)
『ファミリー・プロット』(76)


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2001年7月20日作成