海外書籍紹介『黒い罠』(オーソン・ウェルズ/監督)

原 名: The Touch of Evil(Orson Wells / director)
編集者: Terry Comito
ISBN : 0-8135-1097-X
出版社: Rutgers University Press
     109 Church Street, New Brunswick, New Jersey 08901
価 格:$13.00
出版年: 1991 (第3版)
概要:オーソン・ウェルズのサスペンス映画 TOUCH OF EVIL(邦題:黒い罠)のシナリオ、作品解説や公開当時の批評、関係者へのインタビュー等を集めたアンソロジー。

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「黒い罠」について
「黒い罠」は1958年に公開されたオーソン・ウェルズ主演・監督のサスペンス映画である。ウェルズは41年の監督第1作「市民ケーン」が映画史に残る傑作となりながら、続く「偉大なアンバーソン家」がウェルズの意に反して短縮されてしまったり、資金難で映画製作が途中でとまってしまうなどのトラブルが続き、ハリウッドではトラブルメーカーとの風評がたち、映画会社からは敬遠されることになった。そのため優れた芸術的才能がありながら、映画製作の環境は恵まれたものではなかった。完成した監督作としては第8作にあたる「黒い罠」は彼自身の企画ではなく、ユニバーサルより持ち込まれたもので当初は主演のみの依頼だった。しかしウェルズの出演を知ったチャールトン・ヘストンが、ウェルズが監督も兼ねることを会社に強く要望したためにウェルズの監督が実現したのである。

あらすじ
米国とメキシコの国境で、町の有力者が車に仕掛けられた爆弾によって爆死する。たまたま新婚旅行で町に来ていたメキシコ人検事のバルガス(チャールトン・ヘストン)は米国側の刑事クインラン(オーソン・ウェルズ)やその相棒のメンジスらと協力して捜査にあたる。クインランはメキシコ人の容疑者を逮捕するが、証拠の品はクインランが捏造したものだった。それに気付いたバルガスは不審を抱き、クインランの扱った過去の事件を調査する。すると過去にも同様にクインランによって証拠が捏造されたと思しき事件があった。バルガスは警察上層部にクインランを告発するが逆に反論され、警察もクインランに同情する。バルガスの告発に危機を抱いたクインランは、バルガスに敵対するギャングのグランディにバルガスの妻スーザン(ジャネット・リー)を誘拐させ、彼女に麻薬をうってホテルの一室に連れ込ませる。クインランはその部屋でグランディを絞殺し、スーザンに殺人の罪をかぶせようとする。しかしクインランが現場に置き忘れた杖をクインランの永年の相棒のメンジスが発見し、彼はバルガスに協力することを決意する。メンジスは無線機を身に付けてクインランとの会話を録音し、証拠をつかもうとする。しかしそれを見破ったクインランはメンジスを射殺、後を付けていたバルガスをも撃とうとする。が、メンジスの最期の弾丸がクインランに当たり、録音された証拠のテープを聞きながらクインランは息絶える。しかしその頃クインランが捏造した証拠で逮捕されたメキシコ人は、爆弾事件の犯人であることを自白していた。

見所
この映画の見所のひとつに冒頭の伝説的なワンショットがある。ロバート・アルトマンの「ザ・プレーヤー」の中でも登場人物が語っているほど、そのショットはいまだに映画人の間では空前のショットとして記憶に残っている。映画が始まるや、夜の闇の中で時限爆弾とその時限タイマーをまわす男が画面に現れる。男の顔は判らないが、彼は駐車中の車のトランクに爆弾を放りこむと、足早に立ち去る。女を連れた犠牲者が車に近づき、車(オープンカー)に乗る。車は町の中を走り、検問所を越えてメキシコ側から米国側へ行く。その途中、カメラの焦点は同じ様に国境を越える新婚のバルガスとスーザンに移る。国境を越えて二人は向かい合う。「ねえ、私の国で二人っきりになったのはこれが初めてだって知ってる?」「君こそ、僕が君に1時間もキスしてないって気付いてるかい?」 キスする二人の耳に突然すさまじい爆発音が響く。振り向く二人の目にうつったのはさっきまで一緒に国境を越えた車の爆発だった。ここまで3分18秒をウェルズはよどみないカメラワークで一気に捉える。ウェルズのカメラは時限爆弾の仕掛けられた自動車の国境越えとその場に居合わせる他の人々を人物や車の移動に従い、あますところなく捉えている。そして仕掛けられた爆弾がいつ爆発するかというサスペンスを高めていく。

メキシコ人の容疑者の自宅でウェルズらが容疑者を尋問するシーンでも長回しが行われている。ここは容疑者宅に押し掛けたウェルズらが容疑者のメキシコ人とその愛人で被害者の娘及びその弁護士とやりとりをしながら証拠を探すところを、途中でバルガスがスーザンに電話をかけるために家を出るまでと、バルガスが戻ってからクインランの捏造した証拠でメキシコ人の容疑者が逮捕されるまでとそれぞれ5分23秒、5分33秒という長回しで撮っている。特に初めのショットでは居間、寝室、バスルームと3つの部屋をカメラが移動するなど非常に複雑なシーンになっており、ウェルズの技術の高さを示している。

公開版と完全版
この作品もまたウェルズの手を離れた後、映画会社によって勝手に短く再編集されてしまった。短縮版にはクインランが過去にメンジスをかばって銃弾を受けたことを明らかにするシーンがないため、ラストでメンジスに撃たれたクインランの死の間際の「これはおまえのために受けた2発目の銃弾だ」とのセリフが意味不明になってしまったとウェルズは語っている。75年にUCLAのボブ・エプスタインは93分の公開版より長い108分のヴァージョンを発見した。当初はこれがウェルズのオリジナル版と信じられていたが、ウェルズが撮影を終了してからTVディレクターのハリー・ケラーによって追加撮影されたシーンがあることがその後分かり、またタイトルがウェルズが意図したとされる映画の終わったあとではなく、冒頭のワンショットの中に映しだされていることから、こちらも厳密にはウェルズ自身の編集によるオリジナルではないことが判明した。しかし短縮版よりはウェルズの意図に近いとみられており、今日完全版として公開されている。日本でも93年にシネヴィヴァン六本木で公開されており、その後ビデオも出ている。

「サイコ」と「黒い罠」
本書には関係ないが、米国マサチューセッツ大学で映画について教鞭をとるジョン・ホールは「黒い罠」が1960年のヒッチコックの「サイコ」にも影響を与えているという興味深いエッセーを発表している。ホールによれば、両者の共通点として@ジャネット・リーが重要な役で出演している、Aモーテルとその管理人が映画で重要な位置をしめる(「黒い罠」ではデニス・ウィーバー演じる夜勤係、「サイコ」ではもちろんアンソニー・パーキンス演じるノーマン・ベーツ)、B映画の舞台が米国南西部である、C「黒い罠」のスタッフが何人か「サイコ」にも携っている(美術監督のロバート・クラットワーシー、カメラオペレーターのジョン・ラッセル、その他ホールのエッセーには触れられてはいないが、俳優で「黒い罠」でヘストンを助けるシュワルツを演じるモート・ミルズは「サイコ」でジャネット・リーに職務質問する無気味なサングラスの警官である) 等をあげている。

O・ウェルズへのインタビュー
本書に収められたインタビューは、カイエドシネマ誌58年6月号と9月号に載っていたものの抜粋である。後半部分の「黒い罠」の製作について語った部分は、リブロポートより出版されている「作家主義」にも翻訳されているので、ここでは紹介を割愛する。前半部分よりウェルズの言葉をいくつか紹介する。

「映画を完全にコントロールできるのは編集室の中でだけだ。・・・(『市民ケーン』の編集には)ほとんど1年近くを費やした」
「映画についてまず覚えておかねばならないのは、その若さだ。そして芸術家にとって大切なことは、誰も手を付けていないことを開拓していくことだ」
「別に18.5ミリレンズ(ワイド)が好きって訳じゃない。ただその可能性を模索しているんだ。・・・長いこと誰もやったことがなかったからね」

C・ヘストンへのインタビュー
ヘストンのインタビューはテイクワン誌71年7、8月号に載ったものである。それによると「黒い罠」の製作は56年の12月にユニバーサルよりヘストンに出演依頼があった。映画の完成度における監督の役割の重要度を認識していたヘストンは、監督がまだ決まっていないと聞き、クインラン役で名前があがっていたウェルズに監督も任せることを提案し、それが実現した。

ウェルズは元のシナリオを17日間かけて書き直した。ヘストンは自分の役が米国人ミッチ・ホルトからメキシコ人マイク・バルガスに書き換えられたことにとまどい、メキシコ人を演じるなど不可能だとウェルズに主張した。メーキャップに詳しいウェルズはメキシコ人になるためのメイクをヘストンに説明し、それが実際にとても効果的だったのでヘストンも納得した。

いったん撮影が始まるとウェルズはシナリオを大きく書き変えることはせず、基本的にはそれに従った。ヘストンはこれを「ダンディー少佐」で撮影中にシナリオを書き直していったサム・ペキンパーと比較し、ウェルズの姿勢を高く評価している。

「黒い罠」の製作には42日間の撮影期間と100万ドル弱の予算が組まれた。ウェルズが予算とスケジュールを守れるかどうか危惧する声はあったが、実際には2日間の撮影日数と7.5万ドルの経費オーバーだけですんだ。

冒頭のワンショットはベニスで撮影された。複雑なシーンだったため撮影には一晩中かかった。ラスト近くで税関の役人役の俳優がセリフをとちって演技を止めてしまったため、全員が3〜4回そのシーンを繰り返さなければならなかった。しかし何回やってもその役者が失敗するので、ウェルズはセリフをとちってもとにかく演技を続けるよう指導した。結局その俳優は最後までセリフを正しく言うことができず、ウェルズは後でその部分のセリフをアフレコした。

ベニスのホテルで夜のシーンを撮影中のこと。夜中の3時頃小用を足しにホテルの地下室に入ったウェルズは、天井のパイプなどの醸し出す雰囲気が気に入り、メンジスがバルガスに殺害現場にクインランが置き忘れた杖を示すシーンに使えると思い付いた。すでにそのシーンのためのセットは別に組まれていたが、ウェルズはその地下室を撮影に使うことに決め、撮影をその夜のうちに行うことにして、さっそくメンジス役のジョー・カレイアを呼びにやった。寝ているところを真夜中にたたきおこされて連れてこられたカレイアははじめは何が何だかわからず大いにとまどった。

原作、シナリオ、映画
「黒い罠」は疑う予知もなくウェルズの傑作である。しかしその全てをウェルズが創造した訳ではない。むしろウェルズは原作や当初のシナリオにあった素材をうまく取捨選択し、自らの創造も加えて優れた作品に仕上げている。本書には「黒い罠」の原作、当初のシナリオ、ウェルズのシナリオ、完成した映画の4つのバージョンのそれぞれの特徴が紹介されている。原作から映画までの変遷をたどることで、ウェルズの創作について興味深いケーススタディとなるだろう。

@原作
「黒い罠」の原作はロバート・ウェードとウィリアム・ミラーの小説「Badge of Evil(悪のバッジ)」である。(映画のクレジットでは作者名はなぜかホィット・マスターソンとなっている。)物語の概要は映画と同様、証拠の捏造によって容疑者を捕まえようとする刑事と彼のやり方に疑問を持つ検事補との闘いで、大きな流れは映画通りである。

小説の舞台はカリフォルニア南部のある都市となっている。夜8時頃、何者かが土地の有力者リネカーの自宅の窓から何か包みを投げ込む。すぐにダイナマイトが爆発してリネカーは爆死する。映画と違って包みの中身は爆発して初めて爆弾とわかる。

映画との大きな相違はまずクインランの扱いである。原作では証拠を捏造する悪徳刑事はローレン・マッコイという小柄で白髪の男である。彼は30年間警察を務めた後引退していたが、この事件のためにかつぎだされたのであった。マッコイの相棒がハンク・クインランで、彼はウェルズのような巨漢で、かつてマッコイをかばって銃弾を受けたために杖を引きずりながらびっこで歩いている。この設定は映画にも引き継がれている。

主人公の検事補ミッチ・ホルトは映画と違ってメキシコ人ではなく、白人である。原作では9年前に結婚した彼の妻コニーがメキシコ人となっているが、そこから生じる人種差別の問題は映画ほど露骨ではない。ただコニーがマッコイによって麻薬の冤罪にはめられてしまうとミッチは「何よりもまず彼女にはメキシコ人の血が流れている。その点をいくらでも理由にすることができるだろう。アメリカ人の陪審なら知っているように、すべて犯罪や悪徳は外国人がおこすものだからね」と検事にくってかかる。ホルトの妻がメキシコ人だという設定は、映画ではバルガスをメキシコ人にするという発想につながっている。

マッコイに冤罪を着せられるのはデルモント・シャヨンという靴店員で犠牲者の娘と婚約している。彼はメキシコ人でなく白人である。ただ興味深いことにウェルズは原作の彼のセリフをそのまま映画でも使用している。「さてどこから始める?正面きって告発するか、いやらしいまわりくどい質問から始めようか?」これらは初めのシナリオには使われておらず、ウェルズが復活させたセリフである。

大きな違いとして、原作ではシャヨンはリネカー殺しの犯人ではない。マッコイの行ったことは完全な冤罪のでっちあげである。ホルトはシャヨンの潔白を証明し、真犯人の告白を得てマッコイの行為に疑惑を抱く。追いつめられたマッコイは、ホルトの妻のコニーを罠にはめようとする。

クインランはミッチに協力して、マッコイの悪事を暴くために無線機を身に付けてマッコイの家に行く。ミッチは家の外で無線機の音を録音する。マッコイは悪事を告白するが、彼を逮捕しようとするクインランを射殺する。ミッチは証拠の録音テープを持って逃走するが、後でマッコイが自殺したと知るのである。

構成上の違いとして、原作は冒頭の爆弾のシーンを除けば一貫してミッチ・ホルトの視点から物語が語られる。彼のいるシーンのみが小説に登場し、彼の見るもの聞くもののみが小説の中で語られる。3人称で書かれてはいるが、ほぼ1人称のハードボイルド形式に近く、推理ものとしての面白さが強調される。反面重要なシーン、例えばマッコイとクインランの友情の終焉やマッコイの死などでも、ホルトがいない場所でのシーンは小説の表には現れてこない。

クインランがホルトに協力してマッコイを罠にかけようとする動機付けも弱い等、原作はそのまま映画化するにはいくつか直さなければいけない弱点をかかえている。

A当初のシナリオ
ウェードとミラーの原作をもとにポール・モナシュがシナリオを書き上げた。モナシュのシナリオは原作に幾つかの重要な変更を与え、完成したウェルズの映画にも近い。

彼が行った第一の重要な変更は、クインランとマッコイの役柄の入れ替えである。ハンク・クインランは50代で巨漢という特徴はそのままでトーマス・クインランと名前が変わり(映画ではまたハンクに戻るが)、原作のマッコイにあたる悪徳警官になる。彼のおとなしい相棒はジャック・ミラー警部と名が変わるが、かつて彼のためにクインランが銃で撃たれたという設定はそのまま残してある。特筆すべきはクインランの役柄の変更が、ウェルズの映画への参加が決まる前に行われたことである。この変更を元にしたウェルズへの出演要請が、彼の監督就任にもつながるのである。

ミッチ・ホルトは引き続き悪徳警官の冤罪を追求する立場にあるが、彼の不正を憎むキャラクターはよりはっきり描かれるようになる。クインランが偽の証拠をシャヨンのアパートに隠した際、その様子を目撃した近所の人間がそれをクインランだと証言するのを拒むと、ミッチは激怒し彼をゆさぶって何としてでも証言させようとする。

シナリオのもう1つの重要な変更はリネカー殺しの犯人をシャヨンに変えたことである。シナリオではラスト近くでクインランの不正を暴く彼とミラーの会話テープを、ミッチと地方検事と聞いている時に電話がかかってきて、シャヨンが犯行を告白したことを告げる。この変更で真犯人は誰かというサスペンスが最後まで持続するとともに、でっちあげとはいえ、真犯人を逮捕したクインランの人物像が大いに深まることになる。

シナリオでは原作にないシーンがいくつか創造されている。重要なものではまず爆発現場にミッチや警察が集まるシーンである。警官の一人の「1時間前リネカーはこの町を自分のポケットにおさめていたが、今の彼はふるいにかけることもできるよ」というセリフは映画でも使われている。映画同様クインランとミッチの対決もここで始まる。

他には、ミッチが警察で署長等にクインランの不正を暴こうとするシーンで目撃者が証言を拒否したため失敗するシーンが追加される。ここでクインランに「警察に30年奉仕してきたというのに、この私をこの犬野郎に非難させるのか。それもこのオフィスで」と言わせており、これも映画に残っている。

原作がミッチの視点のみで語られていたのに対して、シナリオは彼の視点から解放されたためにいくつかの重要なシーンを追加している。ラストのクインランとミラーが会話するところでは二人の会話を聞いているミッチの反応と、クインランの不正を知り長年の信頼が崩れるミラーを交互にカットバックして見せている。また他にもクインランがミッチへの怒りをミラーにぶつけるシーンを設けている。

まとめると、モナシュのシナリオは一人称的視点で語られていた原作を映画の形に直し、いくつかの印象的なエピソードやシーンを追加し、キャラクターを設定しなおすなど完成された映画に近いものに仕上げている。

Bウェルズのシナリオ
ウェルズは自らがプロジェクトに参加することになった後、モナシュのシナリオを約2週間かけて手直しした。ストーリーの概要に大きな変更はないが、人種問題を正面から扱うようになったことと、シーンを映画的になるよう改編したこと、人物の動機づけを強化して人物のキャラクターを掘り下げるなどの変更を加えている。

まずウェルズは物語の舞台を南カリフォルニアのある都市から、米国とメキシコの国境にある町ロス・ロブルスに変えた。この変更によって前のシナリオが潜在的に扱っていた人種差別の問題をウェルズは表面から描くようになった。人種差別の問題を扱うためにいくつかの変更をウェルズは加えている。まず映画の主役ミッチ・ホルトをメキシコ人司法省特別捜査官マイク・バルガスへと変更し、代わりにホルトの妻をメキシコ人コニーからフィラデルフィア出身の米国人スーザンへと変えた。この変更によりバルガスとクインランの対決は原作が持っていた法と正義をめぐるものから、人種上の対決をめぐるものに色彩が変わっていく。

クインランはメキシコ人を侮辱する様々なセリフを言う。爆発現場に到着したクインランは「ピートから聞いたんだが、メキシコ人も来ているそうだな。」そしてバルガスに気付き、「君のために言うが、君の話し方はメキシコ人らしくはないよ。」と加え、メキシコ側での捜査が終わった後「では文明へ戻ろう。」と言う。

人種差別のテーマを表現するためにウェルズは他にも3つほど変更を加えている。容疑者となるリネカーの娘の愛人をメキシコ人に変えたこと。それからギャングのグランディをメキシコ人に変えたことである。原作でも使われているグランディ(Grandi)という名前はイタリア名で、これをウェルズがこのまま使ったのは興味深い。おそらくウェルズはグランディが混血であることを示したかったのだろう。クインランの妻はかつて混血の人間に絞殺されたという設定なので、クインランのメキシコ人への差別やクインランによる混血のグランディの殺害には深い意味がある。

ウェルズは撮影をも念頭にいくつか変更を行っている。まず冒頭のワンショットだが、ワンショットにすることを想定し、前のシナリオと大きく変えている。モナシュのシナリオでも爆弾はリネカーの家に投げ込まれるのだが、ウェルズはこれを彼の車に仕掛けられるという風に変え、その車をカメラが追うという風にして画面に動きを与えてより映画的にしている。ウェルズのシナリオでも映画は爆弾のアップから始まる。顔の見えない犯人は爆弾をもったままナイトクラブに近づき、中をのぞく。カメラはここで室内のリネカーとその愛人にカットする。再びカメラは犯人にカット、犯人は爆弾を車に仕掛けて立ち去る。クラブを出たリネカーが車に乗って国境を越え、爆弾が爆発するまでは映画の通りである。

ウェルズが加えたシーンとしては、グランディがスーザンをホテルに呼び出して脅迫するシーン、ホテルのスーザンの部屋に何者かがフラッシュライトを浴びせるシーン、そして田舎のモーテルでスーザンがグランディの配下に拉致されるシーンなどがある。はじめの2つはウェルズの創作であり、3つ目もモナシュのシナリオでは映画の画面には登場しない画面外の出来事となっていた。

さらにウェルズはクインランとグランディが一緒にバーで酒を飲むシーンとクインランがグランディをホテルで絞殺するシーンも追加した。バーでは酒に酔ったクインランはグランディに彼の絞殺された妻について語る。犯人は混血で、クインランは彼が犯人だという証拠を得られなかった。犯人は結局は第1次世界大戦中にベルギーで戦死する。クインランはそれから殺人犯を証拠をでっちあげてでも逮捕する執念のとりこへと豹変する。「それ以来わたしの手から逃れた奴はいない」のである。クインランの妻が殺されているという事実はクインランの異様ともいえる犯人追跡への執念の動機づけとなっており、クインランへの同情も呼ぶ効果がある。

シナリオ創作上特筆すべきは、殺人現場にクインランが杖を置き忘れ、それを発見したメンジスがクインランの悪事を知り、バルガスへの協力を申し出るという着想である。これは原作にはない。これにより、原作では弱かったメンジスの裏切りの理由がはっきりする。メンジスはグランディ殺しの犯人がクインランだと知り、クインランが行ってきたであろう違法捜査に気付いて、クインランによって長い間裏切られていたことを悟るのである。

さらにウェルズはメンジスとクインランのラストの会話を屋外に移している。場所が屋外になったことでメンジスとクインランをバルガスが隠れたまま追跡するという映画的アクションが生じる。

C映画
映画化に際してウェルズは、基本的にはシナリオに忠実である。若干の変更をチューンアップとして行っている他、当初予期していなかった2人の俳優のために役が作られた。

冒頭のシークエンスでは、ワンショットが始まる前のナイトクラブ内のシーンをカットし、映画がはじまってすぐの爆弾のクローズアップから爆発までの3分18秒を一気にワンショットで見せることになった。

当初予定していなかった2人の俳優とは、モーテルの夜勤係のデニス・ウィーバー(TV「警部マクロード」などで知られる)と売春婦ターニャを演じたマレーネ・ディートリッヒである。ウィーバーのためにウェルズはシナリオの夜勤係の役を書き直し、出演回数を増やした。ウィーバーの出演の理由を問われてウェルズはインタビューで「デニス・ウィーバーに是非とも出演してほしかったから」と答えている。ウィーバーのシーンはTVドラマの撮影を抜け出した3日間で撮影した。

ディートリッヒのターニャもシナリオにはない役で、ウェルズとの友情からディートリッヒの出演が決まった後、シナリオの中のマザー・ルペの役を拡張してターニャという人物を創造した。ターニャのためにウェルズは、ターニャとクインランのシーンをいくつか作り出し、その一つがターニャがクインランの死をいたむラストである。ここでターニャはメンジスのクインランへの「愛情」についても語り、2人の関係の意味を問いかけている。メンジスにとってクインランは偶像であり、メンジスは彼の悪事を止めるためにクインランを裏切らざるを得なかった。その代償として彼は友人に殺される。友情と裏切りはこの映画の主題の一つである。


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96年3月1日作成