鎌田秀美『無慈悲な夜の女王に捧げる賛歌』』(アスキー出版局)解説(1996年10月)


   日本SFの新しい波

大森 望  



 日本SFに新しい波が生まれつつある。
 日本SFの海なんかすっかり干上がってカラカラ状態なのに波もクソもないだろう――という正しい現状認識(笑)を持つSF読者がいるかもしれないが、「SF」というレッテルにさえこだわらなければ、街にはSFがあふれている。
 九五年の二大ベストセラー、瀬名秀明『パラサイト・イヴ』、鈴木光司『らせん』を筆頭に、村上龍『五分後の世界』『ヒュウガ・ウィルス』、北村薫『スキップ』、奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』、宮部みゆき『蒲生邸事件』、井上夢人『パワー・オフ』、我孫子武丸『腐食の街』……。
 きら星のようなこれら作品群に、『二重螺旋の悪魔』『ソリトンの悪魔』の梅原克文、『星界の紋章』三部作の森岡浩之、『MOUSE』の牧野修、『ムジカ・マキーナ』『カント・アンジェリコ』の高野史緒、『七回死んだ男』『人格転移の殺人』の西澤保彦、『ウィルス・ハンター』『電脳ルシファー』の北野安騎夫、『昔、火星があった場所』『クラゲの海に浮かぶ舟』の北野勇作、「酔歩する男」の小林泰三、『電脳天使』の彩院忍などの新鋭SF作家たちを加えれば、日本SFがかつてない活況を呈しているのは一目瞭然だろう。
 SF出版の中心を早川書房が担っていた七〇年代には、SFマガジンに短編を書き早川書房から単行本を出すことがSF作家の条件であり。「SF作家=SFマガジンに書いている人」というきわめてわかりやすい図式が成立していた。この(他ジャンルに比較すれば)ある種奇形的な構造がしだいにほころび、やがて完全に崩壊した九〇年代、SFはあらゆる出版社、あらゆるジャンルのレッテルの下に遍在するようになった。その分、SF読者にとってはSFを発見するために主体的な努力が必要とされる時代になっているわけだけれど、逆に思いがけない発見の喜びを味わうことも珍しくない。

 ……と、すっかり前置きが長くなってしまったが、その最新の発見が、本書『無慈悲な夜の女王に捧げる賛歌』である。
 物語の舞台は近未来の月世界。「無慈悲な夜の女王」が月を指すことは、SF読者には説明するまでもないだろう。ロバート・ハインラインのSF長編、The Moon Is a Harsh Mistress(邦訳『月は無慈悲な夜の女王』矢野徹訳/ハヤカワ文庫SF)は二〇七六年の月を舞台に波瀾万丈のタッチで独立革命の物語を語り、一九六七年のヒューゴー賞を受賞した古典的名作。ある意味で、本書はその現代版と言ってもいい。

〈大滅亡〉によって地球は崩壊し、残された人類は月に移住して、多層構造を持つ巨大なドーム都市に暮らしている。〈貴族〉〈市民〉〈準市民〉〈不適合者〉の四階層からなる厳密な階級社会の頂点に〈教団〉が君臨する。〈教団〉は〈涅槃の眠り{ニルヴァーナ・ヒュプノ}〉と呼ばれる薬物を独占的に供給することで、確固たる支配体制を築いている。しかし、〈第四身分{キャトリエーム}〉として差別にさらされる〈不適合者〉のあいだには不満が渦巻き、反政府組織によるテロがあとを絶たない。
 主人公、アレクシス・テオドラキスは〈第四身分〉でありながら天才的ピアニストとして脚光を浴び、〈教団〉の大聖堂{カテドラル}で開かれた音楽祭で演奏するまでに出世する。が、その夜、教皇を狙ったテロと目されるプラスチック爆弾が炸裂。ピアニスト生命を絶たれた彼は、アレック・テオと名を変え、保安警察の刑事として、テロリズムとの戦いに身を投じる……。

 月面のコロニーとテロリズムという組み合わせからは、日本でもっとも重要なSF作家のひとりに数えられる野阿梓の代表作『バベルの薫り』のエコーが聞きとれるし、古めかしい社会設定と高度なテクノロジーのミスマッチ、音楽に対する言及からは、高野史緒の作品が連想される。当然、ウィリアム・ギブスンやブルース・スターリング(とりわけ『スキズマトリックス』)の影響を見てとることも可能だろう。歴史的背景や社会制度についての説明を極力排し、描写の行間から未来社会の背景を浮かび上がらせていく手法も、サイバーパンク以降の(いや、P・K・ディック以降の、というべきか)先鋭的な現代SFに共通するものだ。
 とはいえ本書は、SFの専門読者でなければ楽しめない難解な現代SFではまったくない。反政府組織による貴族の誘拐に端を発してアレック・テオが巻き込まれてゆく事件は、やがて〈教団〉やコングロマリット上層部まで広がる巨大な陰謀へと発展してゆく。
 タランティーノ映画ばりの乾いた暴力描写とハイスピードな展開、多彩な登場人物と連続するどんでん返し。じっさい、物語の大半はスリリングな警察小説に手に汗握る気分(たとえていえば高村薫や大沢在昌の小説を読むような)で読み進むことができる。最初のうちは翻訳サイバーパンク小説流の見慣れない用語法(ルビや造語の多用)にちょっととまどうかもしれないが、いったん物語のうねりに身をまかせてしまえば、あとは一気通読の娯楽活劇。しかも結末では、それまで周到に張り巡らされていた伏線が一本にまとまり、すべての謎が解決される。この幕切れがもたらすセンス・オブ・ワンダーは、良質の現代SFならではのものだ。
 現代SFが誕生してからすでに七十年。すべてのアイデアが出つくし、あらゆるパターンが使いつくされてしまったかに見える現在でも、著者のセンスしだいではオリジナルな新しいサイエンス・フィクションが創造できることを本書が証明している。SFの驚くべき奇跡の時代は永遠に過去のものとなってしまったわけではない。可能性はまだまだ残されている。『月は無慈悲な夜の女王』の結末で、主人公のマヌエル・ガルシア・オケリーはこう独白する。
 あまりにも多くの変化があった――今夜は集会へでも出て行って、ちょっとばかり変数を投げ入れてみようか。
 それともやめておこうか。ブームが始まってから相当な数の若い連中が小惑星帯へ出て行った。そのあたりにどこか良い場所はないものかな、あまり人が多くないところで。
 何たって、おれはまだ百歳にもなってないんだからな。
 鎌田秀美は本書によって、「あまり人が多くないところ」に新世界を開拓し、異化効果に満ちた新しい風景を見せてくれる。日本SFの新しい波を担う新鋭がまたひとり誕生したことを喜びたい。




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