ルーディ・ラッカー『時空ドーナツ』(ハヤカワ文庫)訳者あとがき


   訳者あとがき


大森 望  



 ルーディ・ラッカーの記念すべき(事実上の)処女長編、『時空ドーナツ』(Spacetime Donuts, 1981)の全訳をお届けする。
「はじめに」でラッカー自身が語っているとおり、本書は一九七八年、アメリカのセミプロジン《Unearth》誌に三回分載の予定で発表された(執筆は一九七六年の夏)。しかし、二回めまで載ったところで同誌が休刊となり、『ホワイト・ライト』出版後の一九八一年、おなじエース・ブックスからペーパーバック・オリジナルで出版された。たぶん一度も増刷しないまま絶版になり、その後再刊もされていないため、アメリカでは長く入手困難な状態がつづいているラッカー幻の初期長編で、今回翻訳に使用したエース版など、カバーはとれるわページは剥落するわであっという間にぼろぼろになってしまったくらい。ぴかぴかの新刊として『時空ドーナツ』が読める日本のラッカー・ファンはさいわいなのである。

 では、三十二歳のラッカーが生まれてはじめて書いたSF長編とはどんな話なのか?
 思いきり乱暴に要約すれば、巨大コンピュータによる管理が確立した『一九八四年』ふうの近未来を舞台に、ビッグブラザーを打倒して革命を起こす物語なのだが、かの有名なアップル・コンピュータのTVCFも、ラッカーの手にかかるとこうなってしまうという見本みたいなもの。五〇年代SFっぽいワンアイデア(「大きさの尺度は循環している」)ストーリーであるにもかかわらず、「あらゆる政治体制を憎んでいる」と公言するラッカーのアナーキー魂が爆発し、物語は建設的な方向からかぎりなく逸脱してゆく。なにしろクォークよりちっちゃくなった主人公が宇宙より大きくなって帰ってくるんだから、『ミクロの決死圏』も『ジャイアント・ベビー』も目じゃないね。
 ふつうなら「壮大なスケールのマッドSF」とか形容すべきところだが、そのスケールが循環してて、「宇宙に大きいも小さいもないのだよ、関口君」という話なので始末に負えない。
 それでもこれは、ラッカー自身が分類するところのトランスリアル小説(超私小説)で、一九六七年から七二年にかけての実人生(ラトガース大学大学院生時代)を反映した半自伝的小説でもあるらしい。どこがやねん、とつっこむのが健全な常識だが、よくよく読んでみると、ロックに「世界を革命する力」があると信じられていた幸福な時代のエコーは、本書のそこここに聞きとれる。なにしろ主要登場人物のひとりはミック・ストーンズだし。
 のちのラッカーが、八〇年代SFにおける革命≠セったサイバーパンク・ムーブメントに身を投じることになるのも当然のなりゆきというべきか。

 著者自身があるインタビューで、
「ぼくの長編、『時空ドーナツ』は、史上初のサイバーパンク・ノベルと見なすこともできる」
 と語っているように、本書にはサイバーパンクSFの刻印がはっきり刻まれている。うなじのソケットからフィズウィズ(=サイバースペース)にジャックインするエンジェルスは、『ニューロマンサー』のコンソール・カウボーイの前身だろうし、ヴァーナーのキャラクターも伝統的なサイエンス・フィクションの前向きな主人公像とは対極にある。
 あまりにもマッドなアイデア、体制の壊滅というモチーフから、女性に頼りがちな主人公、毎度おなじみのヒルベルト空間ネタまで含めて、『時空ドーナツ』にはラッカーのエッセンスがたっぷりつまっている。スタイルの洗練とひきかえにアイデアの暴走が抑制されつつある近作にくらべると、むしろ本書のほうがラッカー度は高めかもしれない。若きラッカーの無軌道ぶりを存分にお楽しみいただきたい。

 さて著者の近況だが、現時点までに出版されている最新作は、『ソフトウェア』『ウェットウェア』につづく《Live Robots》シリーズ(または《ウェア》シリーズ)の三冊めにあたるFreeware。内容については本文庫既刊『時空の支配者』巻末の解説参照されたい。たぶん九九年中には、ハヤカワ文庫SFから邦訳をお届けできると思う(なお、第三章のみ、SFマガジン九六年 月号に訳載されている)。
 さらについ先月(九八年八月)、ラッカーは、このシリーズの第四部となる(おそらくは完結編の)長編、Realwareを書き上げたばかりで、九九年の秋にはエイヴォンから出版される予定。
 小説以外では、実在のUFOコンタクティーを取材して書いたトランスリアル・ノンフィクション=ASaucer Wisdomが待機中(九九年半ばにトー・ブックスより刊行予定)。『人生で必要なことはすべて円盤で学んだ』とかそういう本じゃなさそうだけど(フラック・シュックなるコンタクティー氏は、西暦四〇〇四年までの地球の未来を詳細に語っているらしい)、ラッカーの過去のノンフィクションとはかけはなれた内容かも。
 九九年春には、雑誌に発表したノンフィクションを一冊にまとめた Seek! がフォー・ウォールズ・エイト・ウィンドウズから刊行予定。同社はつづいて、Gnarl!のタイトルで、ラッカーの短篇集も出す計画だという。
 また、フィーニクス・ピクチャーズでは、『ソフトウェア』の映画化作業が進行中。製作は『ウォール街』『運命の逆転』『クロウ』など(SFを含めて)多数の映画を手がけている大物プロデューサーのエドワード・プレスマン。監督は、『ジュラシック・パーク』のデジタル・エフェクトなどを手がけたCGIのえらいひと、スコット・ビラップス。ラリー・ウォーカー(『ビートル・ジュース』『アダムズ・ファミリー』)が担当した脚本はすでにほぼ完成し、年内にもクランクイン予定だという。ほんとに製作されれば、ロボット版『マーズ・アタック!』みたいなぶっとんだ映画になりそうな気がする。あてにしないで続報を待ちたい。

 最後に翻訳について。作中に引用されるフランク・ザッパの詞は、基本的に、日本版CDの  氏のすばらしい訳詞を使用させていただいたが、趣味的な問題で一部改変をくわえたことをお断りしておく。
 物理用語に関しては、例によって物理学者の菊池誠氏にチェックしていただき、さらにはキュートな解説まで寄せていただいた。また、入念に訳稿を読み、訳者のそそっかしいミスや脱落を指摘してくれた早川書房編集部の上池利文氏にも、この場を借りて感謝を捧げる。



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