ジョー・ホールドマン『ヘミングウェイごっこ』(福武書店)訳者あとがき(1991年8月)


   訳者あとがき


大森 望  



 時は一九二二年十二月十四日。リヨン駅のプラットホームに停車中の夜行列車から、一個の旅行かばんが忽然と消失する。かばんの中身は若きアーネスト・ヘミングウェイの未発表原稿。未完の長編ひとつと二十編前後の短編と詩――ヘミングウェイがそれまでに書き貯めていた作品のほぼすべてが一夜にして失われ、以後、現在にいたるまで、この原稿の行方は杳として知れない。
 この消失事件から七十五年後。ボストン大学英文学部準教授でヘミングウェイ学者のジョン・ベアドは、野心家の妻と、若い詐欺師の口車にのせられて、消失原稿の贋作に着手する……。

 以上のような設定で幕をあける本書は、アメリカのSF作家、ジョー・ホールドマンが一九九〇年に発表した長編、The Hemingway Hoaxの全訳です。この作品の原型となった同名の中編は、アイザック・アジモフズ・サイエンス・フィクション・マガジン一九九〇年 月号に一挙掲載され、ついさきごろ、世界の二大SF賞のひとつ、アメリカSF作家協会が選ぶ年間最優秀SF賞、ネビュラ賞を受賞しています。この中編に、二割程度の加筆と訂正をほどこし、ハードカバーとしてウィリアム・モロウ・アンド・カンパニーより上梓されたのが本書です。
 うーん、SFはどうも苦手だからなあ、と思っているかたもどうぞご心配なく。SF作家として名声を築く一方、アマチュアのヘミングウェイ研究者として長年活動をつづけてきたホールドマンが、自分の趣味を全面に押し出して書いたこの作品、お読みになったかたにはあらためていうまでもないことでしょうが、ふつうに想像されるような意味でのSFとはおよそかけ離れています。
 一九二二年のリヨン駅で起きたヘミングウェイ稿消失事件。たまたま本書と同時期に邦訳が刊行されるマクドナルド・ハリスの傑作『ヘミングウェイのスーツケース』(新潮社)が、やはりこの消失原稿をテーマにしていることからもわかるとおり、これはアメリカ文学界ではよく知られた、文学史上の一大ミステリーです。原稿入りのかばんはいったいどこに、どうやって消えたのか。失われた小説はどんな内容だったのか。ヘミングウェイ・マニアならずとも、興味をひかけるところでしょう。
 よくいえば純朴、悪くいえば世間知らずの主人公、ジョン・ベアドが、怪しげな若者の計画にのせられて消失原稿の贋作に手を染める――となれば、これはもう、文学おたく向けコンゲーム小説。ガチガチのSFファンよりはむしろ、デイヴィッド・ロッジやジュリアン・バーンズの愛読者や、毛色の変わった海外ミステリー好きにおすすめしたい内容です。
 とはいっても、そこはやっぱりネビュラ賞を受賞しているくらいですから、当然、ただのコンゲーム小説では終わらない。ヘミングウェイが使っていたタイプライターを探し歩いたり、消失原稿のテーマを決めるべく文献を漁ったり、嬉々として贋作にとりくむジョンの前にあらわれた意外な人物とは――。あとがきから先に読む方のために、これ以上は伏せておきますが、SFになじみのない読者には、ちょっとしたサプライズになるかもしれません。
 もっとも、著者のジョー・ホールドマンが、本書をどこまでSFと思って書いてるかはあやしいところで、あくまでも読みどころは、主要登場人物三人――世間知らずの中年学者ジョン・ベアド、野心満々の詐欺師キャッスル、マクベス夫人タイプのミセス・ベアド――の虚々実々の駆け引きにあります。あえていうなら、SFの部分は、これまでSF一筋だったホールドマンが、SFファンに切ってみせた仁義というか、半ばジョークに近いところがあるんじゃないかと訳者は疑っています。だから、ネビュラ賞受賞のニュースを聞いたときは心底仰天したわけですが、たぶんいちばん驚いたのは作者本人でしょう。SFファンが投票で選ぶヒューゴー賞とちがって、ネビュラはSFのプロたちが選ぶ賞ですから、冗談のわかる大人の審査員たちがそろっていた、ということかもしれません。とはいえ、文学ミステリとSFとのミスマッチングな結婚のおかげで、ほとんど他に類例を見ない、ジャンルミックスの一風変わったハイブリッド小説ができあがったのもまた事実でしょう。
 そもそもぼくがこの小説を手にとったのも、著名なSF編集者デイヴィッド・ハートウェルが主宰するSF評論誌、ニューヨーク・レビュー・オブ・サイエンス・フィクション24号に、辛口レビューで知られる作家兼評論家のチャールズ・プラットが熱のこもった書評を寄せて、とにかくへんてこな小説だと力説していたのがきっかけ。プラットいわく、

 この長編を形容するオーソドックスな文芸用語は存在しない。本書は、小説のカテゴリー分けという伝統に培われた方便を無効にするだけでなく、ストーリーテリングについての基本的な約束事まで、あっさり無視してしまう。史上最古の文学的装置、″バーでの偶然の出会い〓にはじまり、物語の展開はすべてご都合主義の上になりたっている。登場人物たちは、作者の要求に応えて恣意的に動かされるばかり。(中略)
 文章の流れはなめらかそのもので、こちらがうらやましくなるほど。人物造形はシンプルで、作者が勝手気ままに操ってるというのに、豊かな説得力を失わない。ホールドマンのみごとな筆さばきは、奇抜なアイデアや不自然な展開に不信の目を向ける読者にさえ、無理やりページをめくらせる力がある。一見、伝統的な叙述スタイルにのっとっていながら、小説の規則を縦横無尽にぶち破り、読者の信頼を裏切り、にもかかわらず読者の心をひきつけて離さない――これは、驚くべき偉業というほかない。(中略)
 ホールドマンの同時代SF作家の大部分(思いつくままに挙げれば、シルヴァーバーグやムアコック、エリスン、マルツバーグ、ゼラズニイ、オールディス、ディレイニーなどなど)が、文学的実験から足を洗って久しい。ところがホールドマンは、一九九〇年代のカテゴリー・フィクションの保守性と制約には目もくれない。『ヘミングウェイごっこ』は、ホールドマンにとってもっともドンキホーテ的で、支離滅裂で、啓示に満ちた書物である。伝統的な小説の基準に照らせば、たしかに収拾のつかない混沌かもしれない。しかし、その風変わりな書き方に身をゆだねれば、本書はすばらしい真価を発揮するのである。

 ずいぶん長い引用になってしまいましたが、ここまでいわれると、三度の飯よりへんな小説が好きな訳者としては放っておけない。さっそく原書をとりよせて、一読、そのいわくいいがたい奇天烈さにほれんこんでしまい、ぜひこれをやりましょうと編集部に持ち込んだわけですが、楽しく翻訳し終えたいまでも、この小説をいったいどう評価すべきなのかさっぱりわからないというのが正直なところ。プラットの評を先に読むと、なんだか難解な実験小説を想像されるかもしれませんが、最近の小説にはめずらしいくらい人好きのする、愛想のいい語り口で、それにつられて読んでいくと、いつのまにやらわけのわからない場所に連れていかれてしまっている――そんな感じでしょうか。予想を裏切りつづける展開と文学的楽屋オチの洪水、魅力的なキャラクターとユーモアたっぷりの会話。それにくわえてこのへんてこりんさを存分に楽しんでいただければ、訳者としてこれにまさる喜びはありません。

 ここで舞台裏を少々。いざ翻訳する段になっていちばん困ったのは、われらが主人公ジョン・ベアドが、当時ヘミングウェイが使っていたタイプライター、一九二一年型コロナ・ポータブルで書く贋作原稿の処理。原書では、スティーブン・キングの『ミザリー』のように、タイプライターの文字がそのまま使われているのですが、さてこれをどうしたものか。16ドットのワープロで印字して版下にするとか、一九二二年にワープロなんかないんだから原稿用紙に手書きで書いたものを使うべきだとか、いろんなアイデアが出たのですが、とにかく問題なのはタイプライターの書体なのですから、これはもう、逆立ちしたって日本語にはならない。結局、ごらんのような、きわめて芸のない愚直なやりかたに落ち着いた次第です。
 それと、注意深い読者はすでにお気づきかもしれませんが、本書には28章がふたつあります。原書の段階からこうなっているのですが、訂正して章をずらすと、30章の章題が「30」でなくなってしまうので、あえてこのままにしてあります。28章がなんの意味もなくふたつあったりする不可解さも、考えてみれば本書にはふさわしいかもしれません。

 ホールドマンといえば、古手のSFファンにはおなじみの名前ですが、彼の小説が邦訳刊行されるのはほぼ十年ぶりということでもあり、かいつまんで経歴を紹介しておきます。
 ジョー・ホールドマン(本名ジョーゼフ・ウィリアム・ホールドマン)は、一九四三年オクラホマ・シティ生まれ。メリーランド大学で物理学、天文学を専攻したのち、一九七五年、アイオワ大学で文学修士号を取得。六七年から六九年にかけてベトナム戦争に赴き、本書の主人公ジョン・ベアドとおなじく、戦場で重傷を負う。作家としてのスタートは、一九七二年に発表した主流文学長編 War Yearから。タイトルかも察しがつくように、これはベトナムでの戦争体験をストレートに描いた作品ですが、おなじ題材を近未来の宇宙空間という舞台に移したのが、第二長編『終りなき戦い』The Forever War,1974(風見潤訳/ハヤカワ文庫SF)。
「今夜は、音をたてずに人を殺す八つの方法を教授する」――ミズーリ州の軍事教練キャンプで著者がじっさいに若い軍曹から聞かされたというこの印象的なセリフで幕をあける『終りなき戦い』は、千年以上におよぶ異星人と人類の死闘を徴兵された兵士の視点から徹頭徹尾リアルに描きだしたもの。壮大なスケールと斬新な語り口で、この長編は戦争SFの最高傑作と絶賛され、一九七六年度のヒューゴー賞、ネビュラ賞のダブルクラウンに輝き、ホールドマンは一躍、SF作家としての地位と名声を確固たるものにしました。
 邦訳されている長編は、ほかに、『マインドブリッジ』Mindbridge,1976 (風見潤訳/講談社文庫)『スター・トレック』Planet of Judgment,1977(井坂清訳/徳間書店)、『さらば ふるさとの惑星』Worlds,1981(矢野徹訳/集英社)、また編著として、戦争SFアンソロジイ『SF戦争10のスタイル』Study War No More: A Selection of Alternatives, 1977(岡部宏之ほか訳/講談社文庫)があります。以上を含めて、現在までに発表した小説は、ホールドマン名義の長編が一一冊、ロバート・グレアム名義のスパイSFが二冊、実兄でやはりSF作家のジャック・C・ホールドマンとの合作長編が一冊、それに短編集が二冊という内訳。デビュー以来二十年近いことを考えると、比較的寡作なタイプといっていいでしょう。
 将来のアメリカSF界を背負って立つ存在と将来を嘱望されていたわりに、ここ数年はいまいちぱっとせず、最近では、日本の巨大ロボット・アニメの影響を受けて製作されたスチュアート・ゴードン監督のSF映画「ロボジョックス」(89年・エンパイア・ピクチャーズ作品)の脚本を担当したことが一部で話題になっていた程度でしたが、過去の作品とは百八十度方向を変えた『ヘミングウェイごっこ』でネビュラ賞を受賞して、華々しく返り咲き。今後、どんな方向に進むのか、目が離せない作家といえそうです。

 末筆ながら、翻訳上の問題点の相談にのってくださったトーレン・スミス氏、訳者からの質問に快く答えてくださった著者のジョー・ホールドマン氏、そして、この不思議な小説を翻訳する機会を与えてくださった福武書店編集部の城所健氏に、この場を借りて感謝を捧げます。

一九九一年盛夏 大森望   


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