『Internet Surfer』Hyperdiary特集原稿(95年10月)

     

 はじめになんとなく宣言する。

 ホームページは人類史上最強のパーソナル・メディアである。

 のっけから大風呂敷を広げるのも気がひけるが、どうもWWWに対する世間的なイメージには根本的にまちがってるんじゃないかって気がするわけである。

 ホームページはビジネスの役になんか立たない。いやべつに役に立ったっていいんだけどさ、ホームページの最大の特徴はそのくだらなさ。というか、どんなにくだらない情報でも個人の意志で好き勝手に(原理的には世界4000万だかのユーザに向かって)流通させられる点にある。それ以外はすべて枝葉末節、どうでもいい。

 もちろん個人の表現手段はWWWのほかにも無数にある。仲間を集めて映画をつくってもいいし、新宿の地下道で「わたしの詩集です。一冊300円」を産地直売してもいいし、露出度の高いファッションに身を包みクラブで踊り狂ってもいいし、会社のコピーマシンでつくったスラムダンク同人誌をコミックシティで売ってもいい。表現手段に優劣はないし、メディアに貴賎はない。

 とはいえ、いまだかつてWWWページほど製作と流通がかんたんなメディアは存在しなかった。そりゃたしかにパソコン一式とモデムは必要だし、月2000円程度の固定費がかかるけど、同人誌一冊出すと思えばそう法外な投資じゃないでしょ。

 初期投資さえすませれば製作コストはほとんどゼロ、マルチメディアってくらいだから、絵、音、動画、文章、なんでもかんでも好きな表現方法を選択できる。おまけに流通コストも不要、潜在読者は全世界。これってけっこう革命的なことじゃないかと思う。

 SFおたく出身の大森は、高校二年のときからファンジンをつくってきた。この世界も技術革新のおかげでどんどんどんどん楽になり、ガリ版→手書き青焼きコピー→手書きゼロックスコピー→ワープロコピーと進化して、つい5年前までは、「いやまったく便利になったもんだよね」といいながら、会社の高速コピーマシンで深夜にこっそり月刊海外SF情報誌限定250部を制作したりしてたわけである。しかしですね、こいつを流通させるためには会員から会費を徴収し、その金で切手を買い、丁合とった紙を折って封筒に詰めて切手を貼り郵便局に行き発送しなければならない。それはそれで内職的な快楽がゼロではないというものの、めんどくさいのはまちがいない。

 ところがWWWページならこのへんの手間をいっさいすっ飛ばし、カラー写真を貼りまくり、毎日新しい情報を追加できる。しかも読者とのコミュニケーションは紙媒体の場合よりはるかに緊密。こんな便利なメディアがかつてあっただろうか。いやない。というわけで、WWWはすべての表現者にとって福音なのである。ネットサーフなんかしてる場合じゃないってばよ。

     

 では人類史上最強のパーソナルメディアであるところのWWWページ上で、人はなぜ日記を書くのか。答えは考えるまでもない。@だれでも書けて、A書くのが簡単で、Bなんでも書けるからである。

「いやーおれの生活なんか単調でつまんないし、日記なんか書いても」と卑屈になる人がいるかもしれないが、これは大きな心得違いというべきだろう。試みに手もとの広辞苑を引いてみると(というかいま喫茶店でノートパソコンのHDにはリーダーズ英和辞典しか入ってないので向かいの本屋に行って広辞苑第四版を箱から出して立ち読みしてくると)、「【日記】日々の出来事や感想の記録。」とある。頭に浮かぶくだんないことをつらつら書いてるとなんだか怪しくって物狂おしいよねとそのむかし吉田さんはいった。まあ日記ってのはそういうもんである。日々購入した品物を並べれば買い物日記になるし、読んだ本の感想を書けば読書日記になるし、セックスの顛末を書けば東京ペログリ日記になる(場合もある)。ぶっちゃけた話、毎日(だいたい週に一回程度までは「毎日」の範疇に入るようである)更新のあるページに「日記」という名称をつけていると思えばいい。WWWページの活字メディアに対する第一のメリットはその即時性なのだから、リアルタイム更新されるページに注目が集まるのは理の当然。そもそも膨大な初期投資によってつくられたこぎれいな企業広報ページがつまんない最大の原因は、一回完成品をつくってそれでおしまいにしている点にある。ホームページに完成はない。ホームページは永久革命であり、その革命精神の顕現が日記ページなのである。

 ……とここまではただのスタンドアロンな「日記」の話。いろんな人の日記がばらばらに存在するだけなら(全世界に向かって開かれているという特異性はあるにしても)従来の日記と変わらない。WWW日記の特異性は、HyperDiaryというネーミングが示すとおり、ハイパーテキスト構造を利用した相互参照とリンクにある。

 自分の日記で他人の日記について言及することから日記間の交通が発生し、それに対するレスポンスを通じて関係性が生まれ、それがさらに第三第四の日記へと広がり、一対一のコミュニケーションが多対多のコミュニケーションに発展し、ゆるやかな日記ネットワークが形成されはじめる。やがて個別の日記群をインテグレートする津田優の「日記リンク」が登場したことから、HyperDiaryが発見≠ウれる。個々の日記はたがいに独立を保ちながらも、自然発生的に誕生した日記同士の関係性の網の目が相互に影響し合い、ひとつの生き物のように変化し成長していく。新しい日記をホームページ上で書きはじめるだけで、だれでもそこに参加できる開かれたネットワーク。ある意味でHyperDiaryはインターネット自体の縮図だといってもいい。HyperDiaryの楽しさはコミュニケーションの楽しさであり、ヴァーチャルな人間関係の楽しさなのである。

     

 ……んだけど、これがまたむずかしい。たとえばぼくの場合は「イベントの話を書くのが芸風」((C)大森英司)ってことなので、日記のために行きたくもないパーティに出席し歌いたくもないカラオケを歌って(←うそ)カシオQV10で写真を撮りまくり(←NetWorks11月号、水玉螢之丞「あんなもんどうでしたかぁ」参照)、日々の精進によって日記ランキングの順位を維持しているわけだが(日記を中心に生活が回転しはじめるのは日記者によく見られる現象である)、これは必ずしも日記の王道ではない。むしろ、「コンビニでカップヌードル買ってきて食べた」というだけの題材を一篇のドラマに仕立て上げ読者の胸を打つのがあるべき日記の姿であろう。

 ただたんに読者を増やすためだけなら、他人のWWW日記をかたっぱしから読んでそのすべてにコメントをつけるという手段があるが――自分の日記についてのコメントがあるとうれしいというのは人情なので、日記者からの定期的なアクセスが期待できる――日記界では姑息な手段と見られがち。文体にしても、無理して凝ったところであとでつらくなるだけ。金とるわけじゃないんだから、書きやすいように書くのがいちばんでしょ。

 既存のWWW日記からお手本をさがしてみると、文章的に飛ばしてるのは河合あみこの不連続日記事件とかREE.KのDIARYとか、どうも女性の日記に見習うべき点が多いような気がするが、中年課長の色気と哀愁が漂う岡林哲夫の「近況(日記風)」も捨てがたい。かと思えば、文章を一切排し、加工したQV10写真に英語/日本語題をつけるだけでインターナショナルなアート日記を実現した桝山寛「本日のオレンチ・ページ」のような裏技もある。

 プロのライターの日記では、ズルして日記王=i笑)安田理央の「風俗日記」や、特殊翻訳家兼殺人研究家・柳下毅一郎の「ちょっぴり映画日記」、インターネット雑誌で活躍する金子誠の「雑書き帳」、作家の日記では、大原まり子の「もの書き日記」、我孫子武丸の「ごった日記」なんてのがあるが、印象としては、プロの物書きの日記のほうが自然体っていうか、まあ一文にもならない文章なんだから当然だけど、あんまり気をつかってない気がする。反対に文章だけが武器の学生日記のほうがぶっとんでたりすることもあって侮れない。ま、ビビビビっとくる文体の日記を見つけて参考にしてみるのが正解でしょう、あたりまえだけど。

     

 基本的にはまだ圧倒的に専用線ユーザが多い世界だから(ダイヤルアップIP接続してる人って日本全国で5万人くらいか?)、日記界でもやはり学生勢力は侮れない。ダイヤルアップでプロバイダの課金と電話代払ってせっせと他人の日記を読み、つなぎっぱなしの専用線組に混じってチャットしてたりすると多少のむなしさを感じないでもないが、固定料金プロバイダとテレホーダイを組み合わせれば、なんとか社会人料金程度の出費にまで絞り込めるわけだから、ダイヤルアップユーザもそう悲観したものではない。

 コミュニケーションの基本は、日記における相互言及とメールのやりとりとリンク。ここに最近では、IRC(インターネット上のIRCサーバを利用しておこなわれるチャット)の「#にっき」チャンネル(Mac用のircleなどのIRCクライアントソフトでIRCサーバに接続し、「join #にっき」と入力すればだれでも参加できる)で一日二十四時間おこなわれているチャットの情報交換もくわわって、いきなり交換日記プロジェクトや日記サーバ立ち上げプロジェクトがはじまったり、CU-seeMe大会が実行されたりと、錯綜状況にはますます拍車がかかりつつある。

 突発的にオフ(ラインミーティング)が開かれたりするのはSIGやフォーラム、メーリングリストなんかとおなじ。しかし日記者コミュニケーションの特徴は、距離感が異様に近い点にある。考えてみれば、現実世界でおたがいに日記を読み合う関係というのは、恋人同士の交換日記くらいしかありえないわけで、もちろんWWW日記にプライバシーのすべてがさらけ出されているわけではないにしても、電子会議室上の意見交換などにくらべれば、よほど私生活が出てしまう(じっさい初対面の相手でも、「あ、日記読んでます」などといわれると、あんなこともこんなことも知られてるのかううむ的な困惑にかられることも珍しくないが、そのぶん話がはやいのが利点)。まして日記者同士となれば中間段階が完全にすっとばされ、初対面でも竹馬の友状態。

 かくしてコミュニケーションの緊密化が加速する一方、新登場の日記も増えつづけ、更新されるすべての日記に目を通すことは事実上不可能になりつつある。「もはやサバイバルの時代に入った」といわれるゆえんだが、この日記地獄からはまだまだ当分抜けられそうにないのである。


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