【11月21日(日)】


 午後3時起床。近くの喫茶店でお茶飲んでから、綾辻邸を辞し、タクシーで烏丸六角のMR.HALへ。
 第三期京都大学SF研究会20周年記念パーティである。会場はヌーベルシノワーズの有名店らしい。立食パーティで8000円という会費設定は、とても学生が予約したとは思えない感じ。某所で青心社社長が文句を言ったり、可処分所得の少ない社会人が参加を見合わせるなどの事態を招いた模様。おかげで夫婦割り引きが導入されて、うちは2000円助かりましたが、料理はさすがにお値段だけのことがあったね。
 とはいえ、パーティは16:30スタートで、17:00には乾杯だったにもかかわらず、料理にありつけたのは18:00過ぎ。それまでなにをしていたかというと、出席者全員紹介である。
 京大SF研現役・OBを年齢ゾーンで四つに区分、それぞれ代表者が紹介する方式で、若いほうの紹介は一瞬で終わったんだけど、だんだん時間が長くなる。出席者の空腹が頂点に達した段階で司会に立ったのが小浜徹也。もう止まりません。えんえん30分ぐらいやってました。演説は食事がはじまってからにしてほしかった。食べながら聞くぶんには問題ないんだからさ。予備知識のない人には、紹介されているのがどこのだれやらさっぱりわからない紹介も一考の余地があると思うが、いくら言ってもずっと変わらないからなあ。

 小浜徹也と言えば、森太郎が書いてたので思い出したが、きのうの京フェス合宿オープニングでは、紹介タイムの最後にウェブサイト管理者を立たせて自己紹介させたあげく、「これがDASACONへの回答です」と、まったく意味不明のことを言い放ったのには呆れました。DASACONとも京フェスともなんの関係もないでしょう。だいたい小浜徹也は一度もDASACONに参加したことがないはずで、それはきみの頭の中だけにあるDASACONやん。こういう人がいるから、京フェスにDASACON関係者が少なかったのである(←陰謀理論(笑))。
 まあとにかく、司会なのにひとりでファンダム語りをしゃうのはどうか。語るなら隅のほうで若い者を集めてやっていただきたい。
 というわけで、歓談タイムはわずかに一時間。なんかあっという間に終わっちゃったパーティでした。現役学生は、30分ぐらいでちゃちゃっと紹介終わらせて……というつもりだったんだろうけど、見通しが甘かったですね。

 年寄り連中の主な話題は第三期SF研草創期の昔話。安田均氏が1970年ごろに創ったのが第二期で、これは安田さんの卒業後に自然消滅。第一期のSF研は60年代半ばの創設で、ファンジンも出てたんだけど、大森も安田さんちで一回見せてもらっただけですね。なんかタイプ印刷の立派な同人誌だった印象がある。
 第二期は京大幻想文学研究会と関係が近くて、第二期で最後の《中間子》は、幻想文学研究会の季刊誌との合併号だった。

 現在に至る第三期京大SF研は、中西秀彦(現・中西印刷専務)が1979年の春に青焼きコピーでつくった会員募集のポスターからはじまる。当時、大森は、KSFA(海外SF研究会)に所属、京大にはSF研がないというので、全盛期の同志社大SF研の例会に顔を出してました。学祭のプロレスショウで同志社SF研が名を馳せてた時代ですね。
 79年の中西ポスターに呼ばれて集まったのは、中西秀彦、森禎一郎、宮前義彦、英保未来(現・大森望)の四人+α。なんか会場では「最初の四人」とか呼ばれてて驚きましたが、この時期は実質的になんにもしてない。
 1980年春の会員募集で、佐脇洋平、濱口忠久、山本雅浩(じんきち)、鈴木博也(G)、野木信隆、萩谷知也……という80年度入学組が大量に入会して、本格的に京大SF研が立ち上がったわけです(藤田雅矢もこの学年だけど、入会はもうちょっとあとだった気が)。

 80年〜82年ぐらいは梅田のKSFAと京大SF研の蜜月時代で、現役学生数人がわりとマメにKSFA例会に顔出して、NOVA EXPRESSの発送を京都でやったりもしてました。SF専門誌の海外SF紹介ページを関西が(というかKSFAが)一手に引き受けてたころ。
 あとは安田さんちに呼ばれてゲームしたりとか。安田さんのほうはしだいにSF業界からゲーム業界にシフトして、やがてグループSNEを設立し、京大SF研からも何人かSNEに入ったりするんだけど、それはもっとあとの話。

 SF研のほうは、オレの編集で中間子復刊一号を出し、濱口がWORKBOOKを月刊で創刊。82年の11月に第一回京都SFフェスティバルを開催……と、このへんが(60年代生まれのSFファンにとっての)大学SF研黄金時代かも。名古屋大SF研、東北大SF研、お茶大SF研、東京理科大SF研あたりとはけっこう関係が深かった。WORKBOOKが先鞭をつけた月刊コピー情報誌が各大学SF研で大流行したのもこの時期ですね。

 それで思い出したが、京フェスでWORKBOOK最新号を入手し損ねたので送ってください。料金は20周年記念マグカップ代といっしょに払います>現役のひと。
 ミルクソフトのほうは最新3冊を合宿で購入。145号の山川賢一「炎のヤングアダルト戦記」が傑作。生まれてこのかた、2冊しかヤングアダルトを読んだことがなかった男が、「夏休み中にヤングアダルトを百冊読むこと」という使命を課せられて苦闘する物語である。田中芳樹と栗本薫はYAとしてカウントしない。角川ミニ文庫は4冊で1冊分計算。百冊のうちには、あかほりさとる作品を20冊以上含むこと。など細かい規則がやたらにおかしい。
 読破作品全リストと採点がついていればさらによかったが、必読の傑作である。しかし、「若い人がヤングアダルトをどう読んでいるか」の参考にはまったくならない気が(笑)

 ミルクソフト146号のE.G.コンバット特集も異常に力が入っている。思わず読んでしまいそうである。完結したらまとめて読むか。
 この号には、異形コレクション既刊12巻の総評も載ってるんだけど、あまりにも自分と評価基準が違うので愕然。その意味では一読の価値がある。

 京フェス本会の「ヤングアダルト総括」、司会者(中沢くんと書きましたが、中澤くんが正しいらしい。お詫びして訂正。野尻ボードでは筆名のほうがバラされてますが、ていうか去年は筆名で出てたはずなんだけど、今年は本名で通していた模様)の邪悪なツッコミには邪悪な意図が秘められていたらしい。直球で行こう!っていうのは看板に偽りありですね。あ、だから本名なのか。どうせならもっと戦闘的でもよかったのでは。あるいは野尻案を採用して笹本ミサイルを打ち込むとか。

 ヤングアダルトの起源問題については、三村美衣とも話をしたんだけど(京フェス会場からあわてて『鳩よ!』を買いにいったらしい(笑))、笹本起源説に関しては本人も忘れていた模様。『妖精作戦』が第一号っていうのは納得できますね。学園物だし。クラッシャー・ジョウより同世代度が高い。笹本さんの場合、SFジュブナイルを書いてるつもりでも体質がヤングアダルトなのでジュブナイルになりきれないという説は正解かも。『裏山の宇宙船』とかはジュブナイルっぽい線ですが。
 SFオンラインの笹本インタビューを読むと、昔のジュブナイルと今のヤングアダルトをあまりはっきり区別してない感じもあって、よくわかりませんね。

 ちなみに「クイズ歳の差なんて」については、のだ@のだなのださんが、何時何処でクイズが行われるのかってのは教えて欲しかったと書いてますが、オレも知らなかったんだからしょうがない。オープニング開催を知ったのは当日だし。
 正解を書くのを忘れてましたが、スター・ウォーズ替え歌(DAICON IVのプログレスカセットテープ収録が原点だと思った。武田さんの証言によれば、赤井孝美作詞とか。あ、「ゴジラと戦ったのはだれ?」というクイズもできたな(笑))の最後は、
デス・スターまるい
 です。田中香織の回答を森太郎が再現したのはこれ。ちなみにこのへんの話題については、東洋大SF研掲示板で盛り上がってます。
 しかし森太郎も「宇多田ひかる」と表記しているようではじゅうぶん年寄りだ。
 さらにちなみに、ヒューゴー・ガーンズバック問題の元ネタはふぢーさんの日記のパスワード問題だったり。クイズの元ネタというより、最近の若者@SF研の知識レベルについて示唆を受けています。

 すでになんの話だったかよくわからないが、京大SF研20周年パーティはあっという間に終了。岸場@京フェス終身実行委員長が、店を出たところにあった池にみごとにハマるなどの事件があった模様だが、問題の瞬間は目撃できず。現場にはまるで象が暴れたかのごとき水しぶきのあとが残され、「岸場が池のなかでキャプテン・パープル音頭を踊ったに違いない」とささやかれていた。さすが岸場である。
 現役多数を含む二次会組はぞろぞろと河原町方面に向かって歩き出す。しおしおこと塩崎嬢は自転車。下宿は百万遍近辺らしく、野木信隆の衣鉢を継ぐ資格は充分だが、たぶん継がないほうが幸せだな。
 どちらかと言えば若者集団につきあうほうが生産的(なにが)な気もしたが、なにしろ今日はホテルがとれてないので、最終ののぞみに乗らなければならない。
 途中で集団と別れ、古本市を冷やかしつつ、年寄り組がすでに集まっているギンモンドホテルのティールームへ。森、濱口、佐脇、小浜などと草創期の昔話をしてから、最終一個前ののぞみで東京にもどり、タクシー帰宅。




【11月22日(月)】


 コンベンション疲れで終日だらだら。


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