狂乱西葛西日記特別編【ばうわう殱滅戰】

 自分の家の中でなにをやろうが、まあそれは本人の勝手だ。壁をぜんぶ真っ赤に塗ろうが、夜中に大声で歌を歌っていようが、押入にこもって一晩中ぶつぶつひとり言を言っていようが、他人にそれをとやかく言う権利はない(アパートの管理人が不動産価値保全の観点から文句を言うことはありうる)。
 そういう人が日曜日に公園に出かけていって、なにか大声で叫んでいたとしても、ふつうは毒電波系の人だろうなあと思われて、同情を込めた無視で対応される。子供が、「ええねえあの人どうしたの?」とかゆっても、母親が「しっ、見ちゃいけません」と叱ったりするのが日本の習慣である。
 明確な犯罪を構成しないかぎり、そういう人の行為は規制すべきではないと思うし、多少の不愉快な思いを甘受するのは、自由な社会の代償ってもんだろう。
 しかしですね、その種の行為の存在を認めるってことと、それが正しいと思うことのあいだには天と地ほどの開きがある。
 とほほ日記のようなページがあってもよいと大森が考えるのは、「世の中にはいろんな人がいる。いろんな人がいる事実を隠蔽はできない」という意味においてであって、そこで展開される噴飯物の議論に対しては、いささかのシンパシーも感じない(だからほとんど読んでなかった――のは、なによりも単純「つまんない」ってのが大きいけど)。ばうわう氏の行為によって直接の被害を受けたことがないって事情もある。被害を受けた人は勝手に抗議して対決すればいいでしょってのがおれの個人的立場だからさ。
 
 しかし驚いたことに、日記アクセスランキング停止問題に言及する日記をここしばらく読み漁ってみると、「とほほ日記」の主張がある程度まで正しいと思っている人がけっこういるみたいなのである。

 やりたいほうだい好き勝手にやったあげく、「迫害される少数派」的に自己を演出する態度は、ギャグだと思えばある種病的な興味を引くところがないではないにしても、その行為が人間として誉められたものではなく、論理的にもまったく破綻していることは自明だと思ってたんだけど、必ずしもそうじゃなかったんですね。いや驚きました。
 だれがどう見てもまちがっているのにそれを認めない人っていうのはどこの世界にも存在するわけだからそれはいいんだけど、メールでは謝るのにページでは謝らないってとこを見るともうちょっと陰湿なタイプかもしれないし、ここ一週間ほどの観察結果から、それまでおれがなんとなく思いこんでいた以上に悪質なんじゃないかという気がしてきたわけである。まあ「言葉に腐臭」とまではいいませんが、はっきりいってやりかたが汚すぎ。
 攻撃する以上は徹底的にやるってのが俺のポリシーなんだけど、しかし論理的な穴をすべてつぶしていく消耗戦的バトルの対象ではないことは明白なので(論理が通用しなければ論戦は成立しない道理である)、「とほほ日記」による我孫子武丸「ごった日記」批判だけに的を絞り、ばうばう氏の主張がいかに非合理であるかの一例とする。
 
 えーっとなんだっけ、組織票疑惑ですか? これってふつう世間では語るに落ちたってやつだよね。他人の日記がいきなり大量得票すると組織票呼ばわり? そんなめんどくさいことやる人間が自分以外にもいっぱいいると思ってるとこが謎。たとえばおれの日記でさえ、1ファイルあたりのアクセス数は600くらいになる。おれはめんどくさがりなので、3日か4日に一回の更新なんだけど、日記に対する一日のアクセスは100〜200くらいあるわけです。まあ日記ランキングから来てる人はそのうち一割いるかどうかだろうけどさ。
 毎日更新されているごった日記のアクセス数がそれより多いのは当然の話で、にもかかわらずごった日記がランキング下位に低迷していたのは、ランキングを意識しているたいていの日記がつけている投票ボタンをつけていなかったからでしかない。「目立つ位置に置いた」とかじゃなくて、それまでボタンそのものが存在しなかったんですね。ボタンをつけた結果、じっさいのアクセス数がランキングにかなりの程度まで反映することになり、「ごった日記」はいきなり上位にとびだしてきた。
 この時点ではじめて、狂乱西葛西日記とおなじ土俵に立ってくれたことになり、大森は打倒・ごった日記を目標に順位を上げる遊びをはじめたわけだ。でまあ、我孫子武丸が東京に来て更新が止まってる隙に日間ランキングで抜いたりして喜んでたわけ。ところがばうわう氏によるいやがらせ的な大量投票がはじまりたちまちごった日記は一位に急上昇。どうせいやがらせをするなら、西葛西日記に投票していただきたかったものだが、とにかくこの蛮行によって対ごった日記ランキング戦は成立しなくなってしまったわけである。ちぇ、もうちょっとで勝てたのに(←負け惜しみ)。思えば累計ランキングだって、せこせこアクセス積み上げてやっと四位まで上がったところで累計ランキングが廃止されちゃったもんなあ。ショックはでかい。

 と、私怨はさておき、大森にしろ我孫子武丸にしろ、WWW以外の活字媒体における露出機会が圧倒的に多いんだから、WWW上のみで広報活動を展開している他日記よりアクセスが多いのは理の当然。そういう日記が上位に来たのでは申し訳ないっていう配慮から、ごった日記とかは投票ボタンつけてなかったんだろうけど(うちの日記の場合は、そこにランキングがある以上、「あらゆる手段――ただし、めんどくさい方法とみっともない方法はのぞく――を使って勝ちに行く」ってのがポリシーですから)、あんまり下にいるのも情けないからちょっとボタンをつけてみたらいきなり上に来て、その結果狂犬に噛みつかれたとか、まあそういう感じですね。
「古参メンバーによる組織票」とか「津田さんが押してるんじゃないか」とかいう人は、毒電波系の陰謀理論に冒されているとしか思えない(それにしても、日記読んでる人の中で投票ボタン押す人の率は、明らかにごった日記のほうが高そうだったので、俺は悲しかったよ――とかいう発言はあまり真面目に受けとらないように)。
 まあとにかく、とほほ日記によるごった日記攻撃はとんでもない言いがかり以外の何物でもない。攻撃対象のひとつである『「かまいたちの夜」で有名な』というフレーズにしても、あれはたぶん、大森が最初にごった日記にリンクしたとき使ったフレーズを、津田優が流用したもんだろう……ってことはそもそも俺が悪いのか(笑)
「かまいたちの夜」がいちばん有名であることは客観的事実だが(一年半前に出た作品を「過去の遺産」と呼ぶのも大森の言語感覚からはズレてますね)、それをウリにして日記を書いてるわけじゃないことは一目瞭然。「プロならもっと面白く書け」という主張だけは、まあそれなりの正当性がなくはないが、お金もらって書いてるわけじゃないもんね。そこにある程度の差がないと、お金払って読んでくれてる人に失礼だという考えかたもある。まあ面白いかつまらないかは読む人それぞれだからどうでもいいんだけど。少なくとも大森にとっては「とほほ日記」よりは「ごった日記」がはるかに面白い。ってあたりまえですけどね、我孫子武丸とは知り合いだから。
(ただし、事件後に我孫子武丸が書いたsigh.htmlに関して俺が批判的であることは7月2日の狂乱西葛西日記に書いた通り。あとから削除するってやり方も首肯できない。戦いたくないなら無視すべきだったと思う。しかし、当然のことながら、被害者サイドの対応のまずさは、加害者サイドの非を正当化するものはまったくない。)

 とほほ日記の行為は、札つきの酔っぱらいが街で見かけた有名人にからみ、「あんた有名なんだって?」と因縁をつけたに等しい。それを見て面白がる野次馬がいるのは当然だ。さあ、からまれた有名人はどう対応する? と注目するのは人間の本能ですからね。個人的には、そういう酔っぱらいを強制排除するやりかたには賛成できない。たちの悪い酔っぱらいはどこの世界にいるんだし、そういう人とも共存の道を模索するか、個人的に徹底的に戦うかでしょう。
 酔っぱらいのでたらめな行動に拍手を贈るのは個人の自由。秩序紊乱はいかなるものでも価値があるという考えかただった成立するわけだし。とはいえ、酔っぱらいの主張が正しいと思う人に関しては、ちょっとどうかしてるんじゃないかと思うわけである。
 以上、ばうわう氏に対してなにがしかのシンパシーを表明している方々への個人的意見でした。それ以外の人にはあたりまえのこと書いちゃって申し訳ない。

 それにしても酔っぱらいが暴れるから公園を閉鎖するってのはなあ。酔っぱらいのけんかも花見の風物詩なんだから、まあいいじゃん。でも公園じゃなくて自分の家だとやっぱりいやなのは当然か(^_^;)
 なんか津田氏には「大森アニから不評だったのはこたえました」とか言われちゃって申し訳ない感じ。「知ってる人には厳しく」っていうのが、知ってる人、知らない人が入り乱れる論争におけるわたしのポリシーなんだけど、今回は必要以上に厳しかったかもしれない。いや、NIFTYでいつも運営サイドを批判してるクセが出たのか(笑) 個人ページに文句つけられる正当的根拠はないもんなあ。だから私怨(笑)なんだってば。あーでも堕落日記の7月6日分を読み損ねた気がする。一生の不覚かっ。