小梳神社静岡市紺屋町7-13

                                      お  ぐ し  じ ん じゃ

小梳神社正面

小梳神社(おぐしじんじゃ)は、俗に「少将井宮」(少将井社)略して「少将さん」と呼ばれて親しまれ
駿府城の守護神として崇められていた「建速須佐之男命」(たけはやすさのおのみこと)
「奇稲田姫命」(くしいなだひめのみこと)「大己貴命」(おおなむちのみこと)「天照皇大神宮」が祭神である。
延喜式神名帳に載っているから千年余り前からの神社である。

元は駿府城の鎮守として城内の城代屋敷(今の青葉小学校校庭)にあった。今川氏の頃の駿府城は、このあたりまで無かったから
城の外であったその南方にあたる鷹匠町一〜二丁目の通りを、少将宮ケ崎町と呼んでいた。竹千代(家康)は今川義元の人質として、
このあたりの館に住んでいた小梳神社境内でよく遊んだ思い出の場所として、この神社を大切にしたという。「なおりその記」によると、
竹千代が人質として駿府にきた時先ずこの神社に立ち寄り服装を改め武運長久の祈願をしてから、今川義元と対面してと伝えられている。

本殿

徳川家康は駿府城造営の時もこの「小梳神社」を城内に残したが寛永八年(1631)新谷町(今の御幸町)に移されたが
再度、延宝三年(
1675)現在の所(元加番の明屋敷)に遷宮された。当時、造営に当たった城代は
松平左近太夫で、延宝四年六月(
1676)神輿渡御の神事が始まった。例祭日の七月二十七日この風習は、今なお
氏子の間に引き継がれ、隔年に大神輿が市内を巡行する、夏の風物詩の一つとなっている。
明治以来
再三にわたる火災の被害に会ったが、その都度造営され、地域住民が寄せる当神社の信仰には根強いものがある。

宗像神社

境内にある「宗像神社」(俗称出世弁天社)は祭神多紀理姫命・市寸島姫命・多岐都姫命で古くから当神社の境内に池を前にして
祀られてあります。七福神も内の一つ弁天様として、商売繁盛・幸福開運の神、又音曲・芸能の神として信仰されております。
この神社の近くからは幾人かの優れた人々が世に出いますので、出世弁天として尊称されています。

少将の井

「霊水」少将の井
このあたりは、古来湧水の清らかな所として知られており、昔は、神社の前の流れを、清水尻川と言いました。
小梳神社は江戸時代「少将井社」と称し「本殿の下に井あり夫婦和合の霊水湧き出す」と言い伝えられています。
病気平癒・健康増進の霊水と知られ地元のみならず全国各地からもこの「水取り」に多数来社されます。

なお、境内には、平田篤胤撰文による駿府の国学者、新庄道雄の碑がある。

新庄道雄の碑

新庄道雄石文(この石碑は道雄の死後天保七年(1836)に追悼のために造られた)

新庄道雄その呼び名を甚右ヱ門といふ。国府の江川町のさと長にていと旧き家なりとぞ。道雄をさなくて父におくれたれど
家の業つぎ勤めつ、母の事ふる道をつくし、其教へによく順ひ、殊によろづよりも、書よむことを好みて
大倭のからのあまきの嫌いなく、傍らへに積おきて、しばし家を出るにも、ふところ放たで読つつなむ行ける。
中にも皇国のふみを尊み、実のみやびの歌にすきて、北川真願がよみ口をもまねび、其道にいたり深く
またの字を拍苑といふ。あわれこの道雄も安永五年といひける季の生まれにて、
己とおなじ歳なるげにゃ殊にむつ魂あひて四十じはかりの比より吾にもかたりて駿河の国誌をえらび立るを
一巻の槁成るごとに江戸へもて来て、己が思ふむねをも問ひかつ、こなたに記せる孝説どもえおも読てこよなく
悦びほとばしり己がわざを助けし事もここらにあり。此人の道に雄々しくいそしかる事は、
その国誌にしるせる考説どものまめなるを見て知べし。さるを、こぞの秋比よりや、労はる事のありしがつひに重りもてゆきて
しはすの十日まり九日といふ日に、かの百足らず八十の隅道にかくり去りぬと子らがもとより告げおこせたるに
およつれ言にゃとさへ思ひ惑はれ悲しなといふも更なり、道雄は世にありしほど、里の事どもよきおきて
先に世の中なくてたなつものに虫つきていやましにふえゆくを防ぎ惑ひし時にそを退くるみちを考へ広く世にをしへて其害をやめ
また常にいはゆる?寡孤独のよるべなき人らをすくい、人のむつびの中だちなどよくとり行ひつれば、
遠き近き相知る人らまたなき人にしたひ頼みて在りけるえお、ことし思ほえすあたら此世をまかれるに悲み惜まぬ人もなしとぞ。
然るに、こたび子らをしへ子など相はかりtr、其いしぶみ立て、世にその名しろを伝へんとす。
いかで己にその由をかきてと請ふに、こは世の大よその人なし得たる事もなきが、ことごとしき石ぶみたてて名を求むる類ならねば
心のそこひ相うべなひ、かつ其子等の心のをろも思ひやりて、また更に涙おしぬぐいつつかくなん。

はふむしもなけかしそねわが道に 雄々しきをぢの石ふみぞこれ

天保七年といふ年のかみなづき   大壑 平篤誌

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