静岡市伝馬12-2
寺の墓地に岡部次郎右衛門・幕府海軍の戦死者・駿河町奉行など歴史の墓がある。
![]() |
![]() |
| 正門・この門をくぐると一直線の石畳が続き本堂正面になります。 | 通常門 |
| 寶泰寺(山号金剛山寺領五十石)は、かっては二十八の末寺を有し、境内面積は一万平方メートルもあり、現在のJR静岡駅までも含む 広さで、興津の清見寺静岡の臨斎寺と並び駿河三刹と呼ばれていました。古くは、真言密教の道場として七堂伽濫を備えた大寺院でしたが やがて衰微それを南北朝の時代になり、永徳元年(1381)後醍醐天皇の皇子である無文元選(むもんげんせん)禅師が禅寺として再建したと 伝えられています。しかし、それも時が経ち荒廃。170年後16世紀中頃の戦国時代、雪峰(せっぽう)禅師が再興し、以後、妙心寺派に属す ることになりました。永禄十年(1557)のことでした。江戸時代には、朝鮮・琉球の使節が往来する際の休息・宿泊所として使われ 「綺麗第一」と称され評判になりました。 |
![]() |
![]() 合掌 |
|
| 寶泰寺は長い歴史を持つ寺院ですが、幾度もの災厄により、現在の本堂は昭和36年に再建され、その後開山堂・書院・陰寮・庫裡・山門等の諸堂は平成5年にすべて一新されました。本堂には本尊の釈迦如来を祀り、その左には大勢至菩薩・右には写経観音菩薩が脇役としてお祀りされています。 |
||
![]() じゃんけん |
![]() |
| 江戸時代、朝鮮・琉球の使節が往来の際、休息所・宿泊所として使われ、この寺を「綺麗第一」と称した。当時は庭には上下 二つの池があり、石を削って岸を築き、数十尺の滝があり、奇岩怪石名状すべからず、棕竹金竹を植え、棕竹は一名鳳尾竹 といい、その葉は細くて長く鳳凰の尾の如く、金竹が黄金色にその間に見え全く美しい。軒先に板塀、その外にミカンの樹の枝 があり垣根を越して枝には実が成っているのが見られた。松の大木・高い竹・冬柏・枇杷などが植えてあった。家康が駿府を 都とした時に寺を建て参詣したものである。 |
|
![]() |
![]() なぁーに |
![]() 重いでーす |
![]() |
| 客殿・妙心寺の大庫裡の建築様式をまねて、建立されました。大広間では講演会や演奏会も開かれます。 | |
![]() |
![]() 母と子 |
| 以前本堂の屋根に使われていた大鬼亙 | |
![]() おそうじ |
![]() |
| 岡部は岡部美濃守信綱の子で駿河の太守、今川義元に仕えたが桶狭間で義元が敗れた後、武田晴信に仕え その後織田信長が甲斐に侵攻した際、徳川家康に属し、穴山梅雪と共に、これの先導を努めた。 武田氏滅亡後は家康に仕え七千六百貫文の所領を賜り甲府を守っていたが 天正十一年(1583)十一月八日四十二歳で没した。法名吸江院(宝林院)殿好雪道既大居士。 |
|
![]() |
![]() がんばる |
||||
| 幕末維新の際、幕府海軍、榎本武揚に率いられ品川沖から函館へ向かい銚子沖で台風にあって沈没した、幕府軍艦「美賀保丸」の 乗組員の墓である。(清水にある次郎長が咸臨丸の死者を葬った「壮士墓」が有名のですがそれとは違います。)
|
|||||
![]() おべんきょう |
|
| 戸塚柳斉・積斉・種子らの墓・柳斉は天明八年(1788)静岡県掛川に生まれ。諱は維春、号を柳斉或いは三鹿道人。 父は維義(培翁)医師で名高い。柳斉は父の業をつぎ、また詩文にも通じた。文化十一年(1828)駿府に移り住み、山梨稲川と 深く交わった。(柳斉の妻は稲川の長女・阿佐子である)柳斉遺稿、その他の著書がある。 嘉永六年四月二十二日没享年六十六歳。 積斉・天保三年二月九日(1838)静岡県志太郡岡部町に生まれる。中村逸斉の長子。長じて戸塚柳斉の家を継ぎ、医を業とし、 和漢洋学に通じ、詩文を能くし著書も多い。幼名亀太郎、積斉、又は容山楼と号した。明治二十四年六月十四日没享年六十歳 種子・文政十年(1827)生まれ和歌・国文に精しく、歌集「柳の落ち葉」がある。また筝曲、点茶などの技芸のも慎み深かった。 明治十九年五月二十四日没享年六十歳。 |
|
![]() |
![]() いっしょに |
| 歴史の墓・佐藤勘右衛門継成(寛永九年〜十一年まで、駿府町奉行)・石川丹後守総因(享保十二年・駿府在番頭)三枝甚四郎頼一 (文化五〜七まで駿府町奉行)・赤松佐衛門範徳(文政十一年〜天保元年まで駿府町奉行) 中川専蔵(駿府蒔絵の先駆者)・高林御霊墓・などの墓がある。 |
![]() |
![]() |
| 現在静岡市には7基のキリシタン灯篭があるが、その内の2基が当寶泰寺にある。 → キリシタン灯篭 | |

| 本堂の裏側にブラジル原産のジャカランタの木の花が毎年6月ころ綺麗な紫色に咲いている。 先代の住職が三十年ほど前に持ち帰り大事に育てたもので今では15mほどの高さになった。 房状の小さな釣鐘形の花は次々に咲いて一週間ほど楽しめるそうだ。 |