がんばれ、元BayStars/Whales選手たち

他球団で活躍する元BayStars/Whales所属の選手を応援するページ

1997年8月17日、ドラゴンズ対スワローズ戦で有働投手が好投したニュースに刺激されて、このページを突然作成しました。過去にベイスターズ、ホエールズに所属していて、現在他球団で活躍している選手を紹介するページです。今後の活躍を期待しています。

中村武志

1985年中日ドラゴンズ→2002年横浜ベイスターズ→2005年東北楽天ゴールデンイーグルス

FAでドラゴンズへ移籍した谷繁と代わる形で横浜ベイスターズへ入団。Dでの実績を元に頼りないYB投手陣をリードしてくれました。2004年オフ、残念ながら無償トレードで新規参入の東北へ移籍。本当はバッテリーコーチとして球団に残ってもらいたい選手でした。フロントの無力さを感じます。

富岡久貴

1995年西武ライオンズ→1998年広島東洋カープ→1999年西武ライオンズ→2003年横浜ベイスターズ→2005年西武ライオンズ

ベイスターズにとっては貴重な左腕投手として西武ライオンズからトレードで獲得。中継ぎ投手として活躍しました。2004年には、プロ入り10年目で悲願の初勝利を記録。これからさらなる活躍を、と思っていたらそのオフ戦力外に。3回目のライオンズ入団が決定。

タイロン=ウッズ

2003年横浜ベイスターズ→2005年中日ドラゴンズ

2年連続本塁打王は、契約で合意せず自由契約に。中日ドラゴンズと契約。

田崎昌弘

2004年西武ライオンズ

東和政

2004年西武ライオンズ

福盛和男

1995年横浜ベイスターズ→2004年大阪近鉄バファローズ

2005年は東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍中。

矢野英二

1999年横浜ベイスターズ→2004年大阪近鉄バファローズ

2005年は東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍中。

杉山俊介

1996年横浜ベイスターズ→2002年福岡ダイエーホークス→2004年千葉ロッテマリーンズ

2001年オフ、戦力外を通告され、福岡ダイエーホークスの入団テストに参加して合格。

横須賀スタジアムで、杉山捕手がスタンドに投げ入れたボール型タオルを受け取ったことがあります。そういう理由で応援しています。

2003年オフ、福岡ダイエーホークスを戦力外となり、千葉ロッテマリーンズのブルペン捕手を努めていましたが、5月10日に支配下選手登録されました。追浜でお待ちしております。

小宮山悟

1990年千葉ロッテマリーンズ→2000年横浜ベイスターズ→2002年ニューヨークメッツ→2004年千葉ロッテマリーンズ

1999年オフ、千葉ロッテマリーンズを戦力外となって横浜ベイスターズへ移籍。2年契約を終えたところでFA権を行使。念願がかなってメジャー入り。

2003年は「浪人」生活。2004年は、千葉ロッテマリーンズで現役復帰。

石井義人

1997年横浜ベイスターズ→2003年西武ライオンズ。

2005年、プロ入り9年目でオールスター戦に初めて選出されました。

井上純

1989年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→2003年千葉ロッテマリーンズ。

2002年オフ、横浜ベイスターズを自由契約となり、千葉ロッテマリーンズに入団。2004年は、ほぼレギュラーポジションを掴む活躍ぶり。バレンタイン監督の信頼も厚いようです。移籍してよかったですね、多分。

谷繁元信

1988年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→2002年中日ドラゴンズ

2001年オフ、FA権を行使して中日ドラゴンズへ。新天地でがんばってください。活躍をお祈りします。森監督とそりが合わなかったんだろうなあ。

戸叶尚

1993年横浜ベイスターズ→2001年オリックスブルーウェーブ

1998年優勝の年には、巨人軍を8回無失点に抑えたことも数回。なぜか完投はさせてもらえなかった。爆音をとどろかせて球場を去ることでも有名。あじさいスタジアムでもグリーンスタジアムでも迷惑だからやめてくれ。

2005年は、新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーしています。

永池恭男

1992年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1998年東京読売巨人軍→2003年大阪近鉄バファローズ

ベイスターズでの活躍に関しては、特記事項無し。阿波野投手とのトレードで移籍。

1999.08.05、対スワローズ戦で涙のプロ初ホームラン。ホントに嬉しそうでした。

2002年オフ、大阪近鉄バファローズへ交換トレードにより移籍。

2005年は、新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍中。

アマチュア野球で活躍する選手

七野智秀

2000年横浜ベイスターズ

2004年オフ、ベイスターズを戦力外に。社会人「JFE東日本」でプレーすることが決定。

遠くへ飛ばす才能のある選手なだけに、もったいないことをしました。プロ復帰を待っています。がんばれ。

波留敏夫

1994年横浜ベイスターズ→2001年中日ドラゴンズ→2003年千葉ロッテマリーンズ

1998年優勝時の2番センター。権藤さん曰く「波留は動物。満腹の時は何もしない」。ドラゴンズでがんばって見返してやってくれ。

2004年は開幕センタースタメン。見事松坂(L)から先頭打者ヒットを放ちました。その後、調子を落としてファーム暮らしとなってしまっています。もう一度活躍を期待しています。

2004年オフ、マリーンズを戦力外に。アマ「熊球クラブ」でプレーすることが決定。

加藤謙如

1995年横浜ベイスターズ→2000年オフ退団→2002年オール苫小牧(社会人)

2000年オフ、ベイスターズを戦力外となる。モデルに転身とか「糸でんわ」(携帯電話販売会社)勤務とか噂はあったものの、2002年4月「オール苫小牧」への入団が発表される。新天地でがんばってください。

石本豊

1992年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→ →2002年横浜球友クラブ(社会人)

2002年、横浜球友クラブへの入団が発表される。

大野貴洋

1997年横浜ベイスターズ→2002年東京ガス(社会人)

2001年オフ、ベイスターズを戦力外となり合同トライアウトを受けるが、移籍ならず。社会人の東京ガスへ入団が決定。東京ガスでも元気にがんばれ。

斉藤肇

1992年横浜ベイスターズ→2001年和信鯨(台湾)→2002年日立(社会人)

2000年オフ、ベイスターズを戦力外となり、台湾へ。7勝をあげる活躍。2002年からは日本の社会人野球、日立へ入団が決定。

出戻り選手

海外で活躍する選手

デニー友利

1987年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1997年西武ライオンズ→2003年横浜ベイスターズ→2005年ボストンレッドソックス

毎年毎年「今年は期待できる」と言われながら期待に応えられなかったデニー。1996年にようやくプロ初勝利。そして、自らトレードを志願して、ライオンズ長見と交換トレード成立。ライオンズで中継ぎとして活躍。日本シリーズでベイスターズと対戦したいと嬉しい発言。

1997年日本シリーズには4試合に中継ぎで登板。失点ゼロ!!

1998年オールスターゲームに出場。「横浜のファームの選手に見て欲しい」と発言。泣かせますね。

1998.09.02追記。1998年秋の日米野球出場選手に選出された。

1998.09.22追記。すっかり書き忘れていました。7月の月刊MVPに選出されました。快挙といって良いと思います。

1998.11.03追記。1998年の日本シリーズにも登場。思うような活躍は出来なかったものの、横浜スタジアムを埋め尽くすベイスターズファンから「デニー」コールを受ける。しかし肘の故障が発覚。11月の日米野球を辞退することが決定した。残念です。

2003年から横浜ベイスターズ復帰が決定。(出戻り選手の項に移す)

2004年オフ、自ら志願して自由契約に。MLBボストンレッドソックスとマイナー契約。メジャー昇格を目指す。(海外組の項に移す)

水尾嘉孝

1991年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1995年オリックスブルーウェーブ→2001年西武ライオンズ→2004年アナハイムエンゼルス

ご存知、ホエールズ初の一億円ルーキーだった水尾。1997年になって、やっと中継ぎとして一軍に定着。契約金ドロボーの汚名を返上する心意気を期待します。

BWでやっと一軍に定着したかと思ったら、今度は故障に泣かされて低迷。2000年シーズン終了後戦力外となってしまいました。そして、西武ライオンズへ移籍。デニーと一緒にもう一花咲かせてください。

3月の月末、水尾がアナハイムエンゼルスと契約したという衝撃のニュースが....。がんばってください。

TOMO OHKA(大家友和)

1993年横浜ベイスターズ→1999年渡米、ボストンレッドソックス→2001年7月31日、モントリオールエクスポス

1998年から1999年にかけてのオフ、念願かなって自由契約選手となって渡米。2Aで黒星無しの8連勝を記録して3Aに昇格。3Aでも3連勝と絶好調。マイナーリーグのオールスター戦にも選出されました。

ベイスターズでの記録にはめぼしいものはありませんでしたが、1998年から渡米を希望。1998年には方法が無いため断念して優勝に貢献(?)したが、1999年に入札制度がスタートしたことにより念願かなって渡米することになりました。

メジャー昇格の日も近いかもしれません。メジャーのマウンドを目指して、がんばれTOMO OHKA!!

1999年7月19日、メジャーのマウンドに立つことが決定。レッドソックスのマウンドに注目です。

メジャーのマウンド、2試合先発して2敗。3Aに降格となってしまいました。まだまだチャンスはあるはず。がんばれ、大家。

1999年8月23日、メジャー再昇格。リリーフとして起用されるようです。

2000年6月1日、3Aポータケットで完全試合を達成。今季は開幕から3Aでのプレーとなっていましたが、完全試合の快挙を達成。メジャー昇格に向けて弾みになるといいですね。

2001年7月31日、交換トレードにより、モントリオールエクスポスへの移籍が決定。

2005年は、エクスポスがワシントンに移転、ワシントンナショナルズでプレーしていましたが、6月10日にミルウォーキーブリューワーズへのトレードが決定。

2005年現役引退

佐々木主浩

1991年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→2000年シアトルマリナーズ→2004年横浜ベイスターズ

「ハマの大魔神」(この言葉がわたしのWEB PAGEに登場したのははじめてではないでしょうか)と呼ばれる活躍を経て、1999年シーズン中に獲得したFA権を行使。かねてからの念願だったメジャーリーグへの挑戦が決まりました。シアトルマリナーズでは背番号22を用意する厚遇となりましたが、これは親会社の任天堂による力なのかもしれません。とにかく2000年シーズン、佐々木がどんな活躍をするか、楽しみです。(2000)

2004年、5年ぶりの横浜ベイスターズ復帰が決定。昨シーズンの成績が思わしくなかったため、今季に復活をかけていたはずでしたが....。まあ、横浜でがんばってください。(2004: 出戻り選手の項に移す)

2005年、今季限りでの現役引退を発表。復帰後は度重なる故障により、思うような活躍が出来ませんでした。大変残念な結果でしたが、「野球人佐々木主浩」の今後に期待しています。(2005)

2004年現役引退

竹下慎太郎

2004年阪神タイガース

関口伊織

1996年横浜ベイスターズ→2001年大阪近鉄バファローズ

1998年優勝の年、9月13日に対タイガース戦で完封勝利。おそらくこれが関口のベストピッチングでしょう。このときのピッチングを越えてくれ!!

2001年、大阪近鉄バファローズが優勝。日本シリーズに出場。3試合に登板。

2005年、球団合併のあおりを喰らう形で戦力外に。新規参入東北の打撃投手に。

前田和之

2003年西武ライオンズ。

細見和史

2003年西武ライオンズ→2004年阪神タイガース。

2003年現役引退

光山英和

2003年、韓国ロッテジャイアンツへ。2003年限りで退団となった模様です。

進藤達哉

1988年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→2001年オリックスブルーウェーブ。

内野守備の達人。セカンド、ショート、サードいずれの守備も華麗にこなす。1998年優勝時のサードレギュラー。佐々木のピンチを救った守備(大阪ドーム1998年7月8日)は忘れられません。

ロバート=ローズ

comming soon

関屋智義

comming soon

島田直也

1988年日本ハムファイターズ→1992年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→2001年ヤクルトスワローズ→2003年大阪近鉄バファローズ

1988年ドラフト外で日本ハムファイターズへ。常総学院で甲子園を湧かせ、芝草(帝京卒)と共にSSコンビとして活躍。1992年ホエールズへ移籍。1995年にはリリーフ登板のみで10勝を記録するなど、セットアッパーとして活躍。1998年にはリーグ優勝に大きく貢献した。2000年、シーズン中にシーレックスへ降格、シーズン終了後戦力外が通告されました。

球団がトレードを画策したが不調、自由契約となってファイターズ、マリーンズ、スワローズが獲得に乗り出す。横浜を見返したいという気持ちが強いということで、スワローズへ移籍が決定。見返す活躍を期待しています。

2002年オフ、スワローズから戦力外を通告されましたが、大阪近鉄バファローズの入団テストに合格。関口との黄金リレーを見られる日が近いかもしれません。

2003年オフ、バファローズを解雇され、古巣である北海道日本ハムファイターズに打撃投手として復帰することが決まりました。

小桧山雅仁

1993年横浜ベイスターズ→2002年和信鯨(台湾)

2001年オフ、ベイスターズを戦力外となり、台湾へ。

2003年、現役を引退して、TBS社員に(?)。

中山裕章

1986年横浜大洋ホエールズ→(1991年オフ解雇)→1994年中日ドラゴンズ→2002年和信鯨(台湾)

名門高知商業出身の押さえの切り札だった投手。現在はドラゴンズで宣へのつなぎ役として貴重な戦力となっています。いろいろありましたが、いずれはベイスターズに帰ってきてほしい投手です。

2001年オフ、戦力外に。合同トライアウトに参加。和信鯨(台湾)でプレーすることが決定。ホエールズでがんばれ中山。

2002年現役引退

伊藤敦規

1988年オリックスブレーブス→1995年横浜ベイスターズ→1997年阪神タイガース

1996年オフ、ベイスターズを戦力外となり、タイガースにテスト入団。ベイスターズでの2年間はろくに働かなかったが、タイガースに入ってからは中継ぎ、押さえとして大活躍。何だっんだ、いったい。

1998年10月8日、ベイスターズがリーグ優勝を決めた試合、進藤に逆転タイムリーを許したのがこの伊藤敦でした。複雑な気分だったでしょうね。

盛田幸妃

1988年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1998年近鉄バファローズ

1996年、1997年と2年連続開幕投手をつとめた盛田を放出することになってしまいました。その前には佐々木との鉄壁のダブルストッパーでした。1997年シーズン終了後、中根外野手との交換トレード成立。脱税容疑で起訴されている波留が出場停止となることが予想される1998年シーズンの対策で、外野手獲得が必要となった結果のトレードのようです。

1991年は最優秀防御率のタイトルを獲得。しかし翌年自主トレ中に負傷し、シーズン前半を棒に振ったこともありました。1996年には危険球による退場処分から調子を乱したと言われています。パリーグに移籍して気分一新して活躍することを願っています。

ちなみに登録名を幸希から本名の幸妃に戻すそうです。

1998.09.02追記。髄膜腫で入院。手術を受ける予定。良性の腫瘍とのこと。今季は絶望だが、順調なら来春のキャンプから合流可能。がんばれ!! 盛田!!

1999.04.12追記。二軍の練習に合流することが決定。復帰間近ですね。おめでとう。

1999.08.26追記。ウエスタンリーグの試合に初登板。いよいよ実践マウンドに帰ってきました。完全復活まであとわずか。がんばれ。

1999.10.24追記。10月7日、今季最終戦で一軍マウンドへの復帰を果たしました。打者2人に対して、三振と四球。奇跡の復活を心から祝福したいとおもます。

2001年オールスターに監督推薦で出場。古巣横浜、地元北海道でマウンドに立ちました。

2001年パシフィックリーグカムバック賞受賞。おめでとう。

新井潔

1991年ヤクルトスワローズ→1996年横浜ベイスターズ→2001年オリックスブルーウェーブ

群馬県出身。東京農大二高卒。群馬が生んだ大型内野手。サーパスでもがんばれ!! いつか応援に行きます。

2003年から古巣のホンダ(社会人)でコーチに就任。2004年の都市対抗野球では、一塁コーチボックスに入り、準優勝を達成。

2001年現役引退

川崎義文

1994年横浜ベイスターズ→2001年オリックスブルーウェーブ

横浜ベイスターズを戦力外となり、オリックスブルーウェーブへ移籍。持ち前のバッティングを生かして、代打の切り札になってください。

2000年現役引退

紀田彰一

1994年横浜ベイスターズ→2000年西武ライオンズ。

1994年のドラフト1位、期待の大砲も期待に応えられることなく、1999年シーズン終了後に戦力外を通告されてしまいました。そして西武ライオンズの入団テストを受験、打力を買われて見事合格、2000年からはライオンズのユニフォームを着ることが決まりました。背番号は64。ライオンズで成功したデニーに続け。横浜高校の後輩松坂に刺激されるといいですね。

平塚克洋

1990年横浜大洋ホエールズ→1993年オリックスブルーウェーブ→1996年阪神タイガース→1999年西武ライオンズ

この人が元ホエールズの選手であることを知っているのは、よほどの通でしょう。いまやタイガースの主力選手の一人です。ホエールズ時代にまさかこんなに活躍しようとは誰が思ったでしょうか。ブルーウェーブでも4番を打ったことがあります。

1999年6月4日、杉山投手とのトレードで西武ライオンズ入りが決定。ライオンズでも頑張れ!!

2000年11月、パ東西対抗を終えて所沢へとんぼ返り、その場で戦力外が通告されました。まさかの戦力外通告です。なんとか現役続行を!!

有働克也

1992年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1997年中日ドラゴンズ→2000年台湾CPBL和信鯨

1996年オフ、唐突に戦力外通告をうけてドラゴンズにテスト入団。開幕投手を2度もつとめるなど、十分な働きをしていたはず。何故解雇したのか未だに疑問です。

1999年10月、戦力外が通告されました。現在他球団のテストを受験中です。オリックスブルーウェーブのテストに不合格となってしまいました。

2000年1月、中華棒球連盟(台湾)の和信鯨に入団することが決定しました。再びホエールズのユニフォームを着ることになったわけですね。がんばってください。台湾野球を観に行きたいなあ。

2000年シーズン中に和信鯨を解雇され、帰国。ヤクルトスワローズの打撃投手に就任しました。現役生活、お疲れさまでした。

2004年は、横浜ベイスターズに復帰。打撃投手として活躍中。

東瀬耕太郎

1990年横浜大洋ホエールズ→1993年千葉ロッテマリーンズ→1997年広島東洋カープ→1999年中日ドラゴンズ

マリーンズでは出場機会が少なかったがカープでは中継ぎとして活躍中。

1998年10月、戦力外が通告された。

1998年11月、中日ドラゴンズのテストに合格。入団決定。

1999年11月、大阪近鉄バファローズへのトレードが決定。

2000年10月、大阪近鉄バファローズを戦力外となり、ついに現役生活を終えることになりそうです。

1999年現役引退

高橋眞裕

1983年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1997年千葉ロッテマリーンズ

FAの権利を得た昨年オフ、解雇同然にマリーンズに金銭トレード。進藤の負傷欠場のときに彼がいないことの痛さが、身にしみて感じました。内野、外野ともにこなせる"ユーティリティプレーヤー"です。マリーンズでは前ベイスターズ監督の近藤さんのもと、もう一花咲かせてほしいものです。

1999年11月、現役引退、外野守備走塁コーチ就任が決まりました。まだまだ引退する歳とは思えません。残念です。9月に千葉で見たのが最後になりました。お疲れさまでした。

今久留主成幸

1990年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1995年西武ライオンズ

今シーズンは何度か一軍の試合に出場しています。ベイスターズではほとんど出番がなかっただけに、チャンスを生かしてほしいものです。

1999年10月、戦力外が通告されました。1999年12月、横浜ベイスターズのスカウトに就任することが決まりました。お帰りなさい!! そして、よろしくお願いしますよ。

1998年現役引退

大野雄次

1987年横浜大洋ホエールズ→1992年読売巨人軍→1993年ヤクルトスワローズ

元ホエールズの和製大砲(?)。スワローズ入りしてから出場した日本シリーズで打ったホームランがとても嬉しかった。代打の切り札として期待しているが、今年は二軍暮らしが長い。ちょっと残念。

1998年10月、今シーズン限りでの引退が決定。

堀江晃嗣

1989年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1995年オリックスブルーウェーブ→1997年近鉄バファローズ

ホエールズでは、ほぼレギュラー出場したシーズンもある選手。ブルーウェーブからバファローズに移籍した1997年シーズンが最後のチャンスか?

1998年10月、戦力外が通告された。

北野勝則

1986年横浜大洋ホエールズ→1993年中日ドラゴンズ

いまや押しも押されぬ(?)ドラゴンズ左腕の中継ぎエース。ホエールズ時代とは随分投球フォームが変わった印象があります。

1998年10月、戦力外が通告された。11月2日、中日球団職員として採用決定。

渡部高史

1991年横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ→1995年オリックスブルーウェーブ

移籍前には左のワンポイントとして出場機会も多かったし、奪三振の数には定評もあったはず。移籍以降すっかり出番が減ってしまった。残念。

1998年シーズンから、千葉ロッテマリーンズに移籍が決定。五十嵐とのトレード。

1998年10月、戦力外が通告された。


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