駒田徳広-2000-

駒田徳広

このページでは、2000年のシーズン、見事に2000安打と2000試合出場を達成した駒田徳広選手について書いてあります。


横浜最終打席

▲結果的に現役最終打席となった横浜での最終打席、タイムリーヒットを放つ(2000.10.10 横浜スタジアム YB-S)


駒田徳広 1962.09.14生まれ 奈良県磯機郡三宅町出身

桜井商業高校出身。高校時代は恵まれた身体を生かしてエースで4番、42本塁打で5割に近い打率の強打者。1980年のドラフト会議で読売巨人軍が2位で指名、1981年にプロ選手としてスタートしました。

1983年4月10日、対横浜大洋ホエールズ戦(後楽園球場)でプロ入り初打席。右田投手から満塁本塁打を放つ。プロ初打席満塁本塁打は史上初。以降、2000年までに12本の満塁本塁打を放ち、通算満塁本塁打数では王貞治の15本に次ぐ歴代2位。王が868本の通算本塁打であるのに対して、駒田は195本塁打。「満塁男」と呼ばれる。

1993年からフリーエージェント権を行使して横浜ベイスターズに移籍。以降、不動の5番打者として1999年シーズン途中まで連続試合出場を続ける。1998年、横浜ベイスターズ38年ぶり優勝に貢献。

1994年、シーズン24併殺打のセリーグ記録を樹立。

駒田徳広 個人記録

駒田徳広選手の公式戦記録です。1981年、1982年は、公式戦出場はありませんでした。本塁打の()内の数字は、満塁本塁打数です。

所属試合打数安打本塁打打点打率
1983 Giants 86 182 52 12( 1) 47 .286
1984 Giants 79 84 20 2( 1) 11 .238
1985 Giants 92 151 38 3 20 .252
1986 Giants 64 101 26 3 18 .257
1987 Giants 113 331 95 15 40 .287
1988 Giants 116 365 112 11( 1) 40 .307
1989 Giants 126 413 125 11( 2) 56 .303
1990 Giants 130 470 135 22 83 .287
1991 Giants 130 510 160 19 66 .314
1992 Giants 130 505 155 27 64 .307
1993 Giants 122 437 109 7 39 .249
1994 BayStars 130 525 149 13( 1) 68 .284
1995 BayStars 130 499 144 6( 1) 66 .289
1996 BayStars 130 485 145 10( 2) 63 .299
1997 BayStars 135 507 156 12( 1) 86 .308
1998 BayStars 136 551 155 9( 2) 81 .281
1999 BayStars 129 519 151 9( 1) 71 .291
2000 BayStars 85 306 79 4 34 .258
2063 6941 2006 195(13) 953 .289

2000年-駒田徳広2000本への軌跡-

通算1927安打(あと73安打)で2000年シーズンが開幕しました。9月6日に通算2000安打を記録、10月10日の最終打席で2006本目の安打を打つまで、全試合の安打数です。

月日 相手 安打数 コメント
3/31 T 1 シーズン初打席二塁打で開幕。あと72本。
4/1 T 2 あと70本。
4/2 T 1 あと69本。
4/4 C 1 あと68本。
4/5 C 1 あと67本。
4/6 C 1 開幕6試合連続安打。あと66本。
4/7 D 0 バンチに無安打無得点を食らう。あと66本。
4/8 D 2 あと64本。
4/9 D 1 あと63本。
4/11 S 0 あと63本。
4/12 S 0 あと63本。
4/13 S 2 あと61本。
4/15 G 1 上原から今期初本塁打。あと60本。
4/16 G 0 あと60本。
4/18 S 2 あと58本。
4/19 S 1 あと57本。
4/22 D 0 あと57本。
4/23 D 0 あと57本。
4/25 G 0 あと57本。
4/27 G 0 スタメン落ち。あと57本。
4/28 C 0 スタメン落ち。代打で三振。あと57本。
4/29 C 0 スタメン落ち。代打で右飛。あと57本。
4/30 C 3 スタメン復帰。5打点の活躍。あと54本。「まだまだいい選手だな、と自分で思いました」
5/2 T 0 あと54本。
5/3 T 1 先制2点本塁打。あと53本。
5/4 T 2 あと51本。
5/5 D 0 あと51本。
5/6 D 2 延長10回、勝利につながる安打。あと49本。
5/7 D 1 あと48本。
5/9 G 0 あと48本。
5/10 G 0 あと48本。
5/16 D 0 あと48本。
5/17 D 1 久々ヒット。あと47本。
5/18 D 0 スタメン落ち。あと47本。
5/19 T 0 守備固めで出場。あと47本。
5/21 T 0 スタメン落ち。あと47本。
5/23 G 0 スタメン落ち。あと47本。
5/24 G 0 スタメン落ち。あと47本。
5/25 G 3 スタメン復帰。あと44本。
5/28 C 1 あと43本。
5/30 T 1 あと42本。
6/1 T 1 あと41本。
6/2 S 2 あと39本。
6/3 S 3 3打点の活躍。あと36本。「自分が格好ついたことより、チームが格好ついたことの方がうれしい」
6/4 S 0 あと36本。
6/6 C 1 あと35本。
6/7 C 1 あと34本。
6/8 C 0 あと34本。
6/10 T 1 あと33本。
6/11 T 1 あと32本。
6/13 G 0 あと32本。
6/14 G 1 あと31本。
6/15 G 1 350二塁打達成。あと30本。
6/16 C 0 あと30本。
6/17 C 0 あと30本。
6/18 C 0 代打を出されて無断帰宅。翌日登録抹消。あと30本。
7/18 C 0 一軍復帰。あと30本。
7/19 C 2 復帰初安打。あと28本。
7/20 C 2 あと26本。
7/28 S 1 あと25本。
7/29 S 1 あと24本。
7/30 S 1 あと23本。
8/1 G 0 5試合連続安打でストップ。あと23本。
8/2 G 2 あと21本。
8/3 G 0 あと21本。
8/4 D 0 あと21本。
8/5 D 0 あと21本。
8/6 D 1 あと20本。
8/8 G 1 あと19本。
8/9 G 0 あと19本。
8/10 G 1 あと18本。
8/11 S 0 あと18本。この試合後、再び登録抹消。
8/22 D 0 一軍復帰。あと18本。
8/23 D 2 復帰初安打。あと16本。
8/24 D 0 あと16本。
8/25 G 2 あと14本。
8/26 G 1 あと13本。
8/27 G 1 あと12本。
8/29 S 0 あと12本。
8/30 S 2 あと10本。
9/1 T 4 秒読み開始。今期初の4安打。あと6本。
9/2 T 1 あと5本。
9/3 T 3 あと2本。
9/5 D 1 王手。あと1本。
9/6 D 1 レフトに二塁打で2000安打達成。
9/7 D 0
9/8 C 0
9/9 C 0
9/10 C 0
9/12 S 1 2001安打。久々のヒットは本塁打。
9/13 S 1 2002安打。
9/14 S 0
9/15 G 0
9/16 G 1 2003安打。
9/17 G 2 3000塁打達成。2005安打。
9/19 D 0
9/20 D 0
9/21 D 0
9/22 T 0 表彰式。しかし、この日戦力外通告。翌日登録抹消。
10/10 S 1 2006安打。YB最後の打席は適時打。

駒田徳広戦力外通告について

さようなら、横浜球団。20年にもなるファン歴を打ちきる気持ちになるほど残念な駒田への戦力外通告でした。1993年オフ、FA権を行使してベイスターズに移籍。「負けると悔しがる」選手が皆無だったベイスターズにとって、負けると悔しがる駒田の影響力は計り知れなかったと思います。駒田無しで1998年の優勝はおろか、1997年の躍進さえ無かったと断言できます。

1996年オフ、駒田が2回目のFA権を獲得したとき、「このチームでまだやり残したことがある」と言って残留したことをわたしは忘れません。その気になれば、もっと優勝をねらえるチームに移籍することだってできたわけです。それでも横浜に残り、チームの悲願である優勝を目指してくれました。わたし個人としては、横浜に移籍してきてくれたときよりも、大きな喜びでした。

その功労者をこんなに簡単に切り捨ててしまったことに、球団への失望さえ感じています。いままでのようにこの球団を応援することはできないと思っているほどです。たしかに駒田の打力は衰えているでしょう。高い給料に見合わない結果しかだせないかもしれません。しかし、重ねて言いますが功労者です。ただの功労者ではなく38年ぶりとなる優勝をもたらした功労者です。本人の気の済むまで現役でプレーさせてあげていいじゃないですか。結果なんか出せなくてもいいじゃないですか。三振や併殺打くらいいいなないですか。功労者なんですよ。打力はともかくとして、言うまでもなく一塁守備は佐伯などでは太刀打ちできない安定度ですよ。(駒田の評価については、ベイスターズファンの間でも両極端の意見があることは承知していますが)

横浜球団が選手を切り捨てた例としては、高木、屋鋪らの大量解雇、有働の突然解雇、大砲ブラッグスの解雇、など多くの例があります。それぞれが結果的には正しい判断で、チームの勝利につながっているのは否定しません。でも、なりふり構わず勝てばそれでいいのか、功労者に非人道的な仕打ちをしてでも勝ちたいのか、と思ってしまうわけです。特に駒田の場合は、くどいようですが1998年優勝の最大の功労者です。それでも、切り捨てますか? そんな横浜球団が残念でなりません。

名球会イベントにて(2000.11.29)

正月番組の収録として行われた名球会チーム対芸能人チームの野球大会に駒田が出場。スタメンDHで出場。途中からは王に代わって一塁守備に入りフル出場しました。打席では現役選手の実力を発揮。第一打席こそファーストフライで凡退したものの、第二打席で左中間を抜けるランニング本塁打。激走の末ホームにスライディング。まだまだ元気です。第三打席はライトオーバーの二塁打。一塁走者の足が遅すぎて打点は逃したものの、目の覚めるような当たりでした。試合後のインタビューは「戦力になることができて嬉しいです」と現在置かれている状況を意識した発言でした。

横浜最終打席

▲名球会イベントでランニング本塁打。二塁を駆け抜ける(2000.11.29 西武ドーム)

現役引退について(2001.01.18)

自由契約となった駒田選手を獲得する球団は現れず、18日、残念ながら現役引退を表明しました。まだまだ現役続行の力を残していたと思います。若手同様の低額年俸+出来高という形ででもよかったと思うのですが、どこも獲得しなかったのは残念でなりません。横浜ベイスターズに限らず、プロ野球界に見ていて楽しくなる何かを感じさせてくれる選手がいなくなってしまったなあ、という感想です。

いまは、ただお疲れさまでした、そしてありがとうございましたと言うほかはありません。これからもずっと、記録集などでは駒田徳広(横浜)と書かれるはず(現役最終所属を書くのが普通だから)。それだけは、よかったと思います。

[2001.02.05追記] モントリオールエクスポス(MLB)からの入団テスト受験のオファーがあったようですが、断りを入れた模様。渡米してまで現役を続行する意思は無かったのでしょう。これで本当に引退決定ですね。重ねて、お疲れさまでした。


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