ヨロンマラソン-1999-


1998年3月7日(日)、ヨロンマラソン(場所=鹿児島県与論島)に参加しました。今回が三回目の参加です。「どうなることやら」のコンディションでスタートし、「まさかこうなるとは」というコンディションでゴール。波瀾万丈(?)のレースでした。

記録は4時間32分。一昨年より15分遅く、昨年より20分早いという結果です。自己ベストにははるかに及びません。今回のコンディションでは仕方ないかと思っています。

与論島は前日から雨が降っており、当日も朝から雨。特にスタート直前には、時々強くたたきつけるような雨が降っていて、コースは水浸しの状態。スタート前から靴が水に浸かってしまう状態でした。スタートしたときには小降りになってきましたが、1時間後には再び大降り。コース上にも道路一杯に水たまりができている箇所があったりして、靴の中から水が引きません。靴の中は最後まで水をたっぷりしみこんだままでした。

そして最も苦しい30kmを過ぎたあたりで、雨が上がったと思ったら、今度は強い日差し。路上の水分が一気に蒸発してきます。ただでさえ苦しいところに、激しい登り坂と強い日差しとそれに伴う湿気のトリプルパンチ。30kmを過ぎて、大きくペースダウンとなってしまいました。

ゴール後、靴と靴下を脱いでみたら、足の皮は水をたっぷり含んでいて、長時間風呂に入っていたときのような感じ。よく皮が剥けなかったものだと思っています。

今回の試み、その一。いつも途中で空腹になって力がでなくなるので、朝食を遅めに、そして多めにしてみた。いままではハーフ地点で腹が減っていたのが、35km過ぎくらいになった。効果有り。

その二。サングラス。コンタクトレンズを使っているので、風が強い日には必要だと思って持参したのですが、雨よけとなって活躍しました。効果有り。さらに、一緒に走っていた人に覚えてもらうのに役立ちました。「ほら、35キロ付近で一緒に走っていましたよね。わたしサングラスしていました」と言うと思い出してもらえます。

というわけで、悪コンディションの中ということもあり、全般的に記録も低調だったようです。旅行代理店のスタッフの人に聞いても、例年より帰ってくる人が遅いとのことでした。自分だけじゃないんだ、ととりあえず納得。

とはいえ、ペースダウンはスタミナ切れそのものです。コンディションのせいだけではないでしょう。鍛え直して、また参加したいと思います。

以下は昨年と同じですが、与論島の皆様には心から歓迎していただき、ありがとうございます。マラソンコースでの石油カンをたたいたり、楽器を演奏したり、踊ったりする励ましには、心から感謝しております。また、ボランティアで大会を運営してくださったみなさまも、大変だったと思います。本当にありがとうございます。ひまわりキッズの子どもたちも、ありがとう。


完走パーティー

完走パーティー: 茶花小学校のこどもたち。

完走パーティー

完走パーティー: ヨロンパナウル王国の国王です。その実体は与論町長。

完走パーティー

完走パーティー: 奄美の民謡を唄っていたような....。記憶が定かでない。

完走パーティー

完走パーティー: 与論高校の生徒。

マラソンコース

マラソンコース往路の8km地点、そして復路の25km地点。高低差約50メートル。

マラソンコース

上の写真の坂を登り切ったところにある、沖縄返還記念碑。沖縄返還前はここが日本の主権が及ぶ最南端だった。

マラソンコース

同地点から海の方を見ると、もやの中にうっすらと沖縄本島の島影がみえる。


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