屈辱のヨロンマラソン-1998-


昨年に続き、1998年3月1日(日)、ヨロンマラソン(場所=鹿児島県与論島)に参加しました。コンディションは気温15度以上。曇り時々晴れ。猛烈な強風というコンディション。

屈辱の内容を結果から書くと、4時間50分の自己最低記録。いいわけを少々。

トレーニング不足。1月の大雪と2月の多忙な仕事。1月は走れる時期に雪が降ってしまい危険なのでろくに走れなかった。2月は仕事で会社に宿泊することが多く、帰宅できる日も遅くなることが多かった。

左膝の故障。2週間ほど前から、膝の裏側が伸びない状態だった。まっすぐにのばすと立位体前屈でマイナスになってしまう状態。だましだまし走ってはいたが、ちょっと無理をすると痛みが増す状態。当日もこの状態のままだった。このまま走って良いものかどうか、せっかく金払ったし連休も取っちゃったから走らないともったいない。ということで無理して走りました。

ハーフ地点までは1時間53分くらい。ちょっととばしすぎ。ここは1キロ毎に距離表示板があるので、ペースをつかみやすい。自分では押さえようとしていたのだが、ついついスピードが出てしまう前半だった。向かい風の強風も吹く中でこのペースは無理があったかもしれない。左膝が痛いのはもちろん、大丈夫だった右足にも負担はかかっているようだ。

折り返し点を過ぎると右足の靴下の皺(?)が気になり始めた。足と靴の間に何かが挟まっているような感じ。皺ではなく、小石か砂が入っているのかもしれない。25キロを過ぎて、徐々に足が動かなくなってくる。27キロ地点でたまらずに靴を脱いで足の裏をチェック。ここで3分ロス。あとはもうボロボロ。28キロを過ぎてからは歩くのと走るのを繰り返すだけ。35キロあたりからは与論島の小中学生たちが「ひまわりキッズ」と称して、ランナーを応援しながら併走してくれるのだが、ひまわりキッズの方が速いほど。ああ、なさけない。ひまわりキッズに「がんばって」と言われて、「がんばりたいんだけどねえ」と返すのが精一杯。42キロ地点では応援のおじさんたちに「ここからでも走れ!」と言われて「ここから走ります!」と元気に宣言して、爆笑を買いました。ああ、なさけない。結局ゴール直前でもオジサンに抜かれて、ボロボロになりながらゴールイン。完走しただけマシか。

そういえば、給水所の水が口に合わなかったのもダメだった原因の一つかもしれません。去年はポカリスエットがあったんだけどなあ。

終わってからの完走パーティーが楽しいのはヨロンの特色。地元の高校生コンビの司会で、民謡あり、エイサーあり、与論献奉ありで大騒ぎ。協賛のアサヒビールさんから「スーパードライ」の差し入れも多数。カン2本頂きました。

与論島の皆様には心から歓迎していただき、ありがとうございます。マラソンコースでの石油カンをたたいたり、楽器を演奏したり、踊ったりする励ましには、心から感謝しております。また、ボランティアで大会を運営してくださったみなさまも、大変だったと思います。本当にありがとうございます。今回の屈辱を晴らすため、いつか再び参加したいと思います。


ヨロンの女性

完走パーティーのひとこま。きれいだね。


ミスハイビスカス

ミスハイビスカス。きれいでした。ホントに。


国王

ヨロンパナウル王国の国王。実は与論町の町長。マラソンのゴール地点で、握手で選手を迎えてくれる。


エイサー

地元高校生によるエイサー。迫力あった。


夕陽

ヨロンの夕陽。完走パーティーの後、砂浜で。シルエットはわたし。


百合ヶ浜

干潮になると、沖合の海の上に砂浜が浮き上がる「百合ヶ浜」。この海岸の沖の方になる。


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