ヨロンマラソン体験記


 1997年2月9日、ヨロンマラソン(場所=与論島)に参加しました。前日までの雨がウソのようにきれいに晴れ上がり、路上の雨水が蒸発して蒸し暑い中でのスタートでした。実は前日まで風邪で熱があり、最悪の体調でのスタートとなってしまいました。当日も朝はなんとなく体がだるかったので、朝食の後風邪薬を飲んでからスタート地点に向かいました。
 ここは1キロ毎に表示があります。給水も2キロに一カ所くらい。最初の1キロは8分、次からは1キロ5〜6分のペースで走りました。途中約60メートルを駆け上がる難所があったり、常にアップダウンを繰り返すきついコースです。キツイ上りは6分で、それ以外は5分で走るのを心がけ、暑くてつらかったのですが、何とか30キロまではこのペースで走れました。コースは島一周のコースを往復する折り返しコースです。
 8キロ地点あたりでは一気に60メートルを駆け上がる難所があります。この坂の上からは沖縄本島が良く見えました。沖縄が返還される前は、この地点が日本の支配権が及ぶ最南端だったわけです。沖縄返還記念碑がたっていました。当然この地点は折り返しコースですから35キロ付近の最大の難所となります。
 で、私は32キロくらいで、一気に疲れが来て身体が動かなくなり、絶対歩かないつもりだったのに歩いてしまう。上り坂でへたに走るより、歩いた方が体力の消耗が少ないと思って。あーあ。目標を失うとダメですね。30キロをすぎたあたりで目標を4時間を切ることから自己記録の更新に切り替えた直後の出来事でした。
 しかし結果的には、この判断は正解だったと思います。無理にきつい上りを走っても体力が続かなかったと思います。結局上りを歩き下りを走るのを繰り返して結局4時間15分でゴール。ラスト1キロは意地で全力で走りました。
 まあ、悪いコンディションの中で前回の自己記録を更新出来たので満足しています。次は4時間を狙います。
 最後になりましたが、与論島のみなさまには本当にお世話になりました。暖かい声援をしてくださる方には出来る限り走りながら「ありがとう!」と叫びながら走っていました。自分に気合いを入れるためにも。声援が本当に力になりました。ありがとうございます。ボランティアで給水などの仕事をしてくださった高校生のみなさまも、おばちゃんたちもありがとう。コース脇で琉球の民族舞踊(?)を見せてくれたおばちゃんもありがとう。そして、元気が出る曲を路上で演奏してくれたロックのにいちゃんたち、ありがとう。おかげで元気が出ました。次は5月にハーフマラソンかな。

与論島の風景与論島の写真です。スタート、ゴール地点の近くです。

山本選手完走ランナーに記念のサインをする、女子の部で優勝した山本佳子選手(27歳)


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